先代の帰還
お待たせしております。
『幕間・四』は、『幕間・三』の直後から一年ほどの間の話です。
全四話。GW前半に二話、後半に残り二話、それぞれ同時投稿します。
クリソプレーズ王国王城、人払いのされた国王の執務室には、およそ二十年ぶりとなる王城帰還を果たした先代国王コンラッドと先代王弟エドワードが並んでソファに座していた。
その向かい側に座っているのは現国王ジュリアンである。
ジュリアンの背後には祭儀大臣のコナー公爵が立ち、ソファに座る面々に熟練の手際で茶を淹れて置いたのは、国王の侍従長。
室内から払われなかった護衛は、ジュリアンの専属護衛の中から厳選された二名のみだった。
「ヒューズ公爵領の温泉は余程、父上の肌に合ってらっしゃるようで。色艶良く若返られたのでは?」
いつもの食えない笑みを浮かべてジュリアンが軽くジャブを放つ。口から出た言葉は要するに、嫌味だ。
ジュリアンの実父で先王のコンラッドは、悪人顔を更に渋面に歪めて鼻を鳴らす。
「その公爵の姿が見えんが。捻くれ過ぎてとうとう見放されたか?」
対するジュリアンも、クリソプレーズの両眼を三日月形に細めて「ハッ」と鼻で笑って返す。
「先代の王命にて娶った王女を領地に幽閉しているんですよ? 合わせる顔があるとお思いで?」
密かに「王家のお世話係」と呼ばれる歴代のヒューズ公爵家の面々に、先祖の例に漏れずコンラッドも面倒を押し付けた自覚と記憶はある。
先代のヒューズ公爵アドラーは、コンラッドではなく弟のエドワードの側近となっていたが、現在は宰相職を担う息子のオズワルドは、当時第一王子だったジュリアンの側近であり親友でもあった。
人品、能力、将来性も把握済みで信頼が置けたこともあり、同盟国の王妃となるべく育てたシャーロット王女の将来を思春期になってから奪った贖罪の想いから、国内で降嫁する先として最高の夫を与えようと無理を言ったのはコンラッドである。
ジュリアンも、当時の不安定な国内情勢を鑑みて、自身の側近であり宰相の席に座ることも決まっていたオズワルドが王族と縁続きになることは悪くないと後押しはした。
だが、コンラッドはオズワルドに、王女を娶る王命のみならず、実に余計な時限爆弾的『要望』まで添えていたのだ。
『国の犠牲になった王女である。家内に於いては能う限りの望みを叶えてやって欲しい』
と。
この言葉が重く伸し掛かり、後にオズワルドは妻が息子へ洗脳めいた行為をしていることを知りながらも、「家内の事」であるが為に手も口も出すことが出来なかった。
その王命と要望を出したコンラッドは、元王女による家内での問題行動が激化した時期には気ままな放浪の途上であり、自らが出した『王命に添えた要望』の撤回や改変の意を示すことも無かった。
一度出した王命の撤回が行われることは無い。
しかし、それに添えた『命令ではない要望』であれば、状況の変遷によって撤回や変更の対象になり得た。
だが、コンラッドがフラフラと居を定めず王城不在であった為に、オズワルドへの救済措置は取られなかった。
王が出した要望の撤回や改変が可能なのは、王のみである。
よって、コンラッドの退位後、王位を継いだジュリアンが先王コンラッドの要望を撤回することは、法的には可能であった。
だが、国内情勢、当時未清算の『負の遺産』、粛清が及ばず残っていた奸臣の数や勢力等を考えれば、健康で存命且つ同世代の有力貴族が未だ当主や要職に在るコンラッドが出した『王命に添えた要望』をジュリアンが撤回すれば、「先王派」と「現王派」に分かれて国が荒れかねない。
オズワルドもそれを理解していたから、現王による先王の要望撤回を望まなかった。
そして、元王女は息子の手によって領地への幽閉という結末へ至ることになる。
モーリスは、母に関して王から命令も要望も受けていない。
だから、モーリスには母へ手を下すことを許容された。
世論を躱す抜け道のような屁理屈である。
だが、それが建前として重要だったのだ。
未成年の息子が実母を幽閉するという悲劇を生み出したとしても。
全ては、穏便に要望を撤回することが可能な唯一の存在であるコンラッドが、無責任にフラフラと各地を放浪しっぱなしだったことが原因だ。
いっそ、先王急死による即位であったなら、「先王派」を称する老害どもが担ぐ神輿も無いのだから、若き王となったジュリアンが取れる対策の選択肢も増やせたが、先王コンラッドは、失態等の瑕疵も無い状況下で働き盛りの年齢で健康なまま王城を出て行ったのだ。
それは、ジュリアンの第一王子エリオットの立太子前にジュリアンが崩御した場合、コンラッドが玉座に戻ることに障害が無いということであり、現王側の僅かな隙が、「先王派」が現王を暗殺する大義になりかねないということであった。
内乱の種を撒いたまま、気楽なお忍びグルメ旅と洒落込んだ先代国王。
実に良い気なものである。
余計な要望付きの王女の降嫁以外にも、様々な問題を次代へ丸投げして自由で無責任な放浪生活に身を投じた先代国王を、ジュリアンは実のところ、結構恨んでいる。
それさえ、大変頼りになる次男のお陰で自身の感情を顧みることが可能になった、ごく最近に自覚したことだった。
ジュリアンは、自分が父親と、嫌になるくらい内面に相似点があることを知っている。
だからこそ、ジーン・クリソプレーズという依存先を喪って『王である自分』を遺棄してしまった父親の轍を踏まぬよう、最も重く排除すべき国難については、忠臣にすら実情を明かさず頼らぬ方針で指揮を執っていた。
あのままではジュリアンの心身にいずれ限界が来ていただろうし、現在のような非常に望ましい形での決着など得られなかっただろう。
コンラッドが「心が折れた」と中途半端に投げ出した諸々の、収拾をつけたのは、本来であれば準備期間があった筈の、成長を待ってもらえた筈の、次代と更にその次代の者達だ。
急激に被せられた重責を果たす為に、多くの犠牲も生じた。
その犠牲の責任さえ、逃げた先王は背負う気が無いと見える。
苦い顔をしながら言い返す言葉を選びあぐねている実父を薄ら笑いを浮かべながら眺め、ジュリアンは考える。
レアンドロでさえ、政治の中枢に王族として名を連ねることが認められる中身に変わった。
余程、『剣聖』に据えられた灸が効いたようだ。
根が純粋なレアンドロは、どうあっても立場が上になる、兄であり国王であるジュリアンからの罰や説教では芯が壊れることは無かった。
一度芯から壊して生まれ変わってもらうには、立場的には下となる他人から完全に心を折られる必要があった。
ジルベルトは非常に上手くやってくれた。
さて、父親にぶつけるならば、人選は──決まっている。
「時に父上、気ままな旅の空の下でも、我が国の『粛清王子』の活躍は耳に届いているでしょう」
「・・・それがどうした」
警戒の沈黙を経て返された言葉に、ジュリアンはほくそ笑む。
コンラッド達が王城に到着した後、真っ直ぐ国王執務室に案内させたのは、ジーン・クリソプレーズと瓜二つの相貌に成長した第二王子の姿を、ジーンに固執するコンラッドに見る機会を与えない為。
この老人は、二十余年が経過した今も猶、依存先のジーンを喪失した嘆きと恨みに縋ったまま、何も変わっていない。
当時、辣腕を振るって戦後動乱期を脱する為の粛清を進め、貴族や国民のヘイトを一身に集めていた王族宰相のジーン・クリソプレーズは、「国の未来の為に」国王コンラッドの忠臣達によって暗殺された。
その忠臣達の中には、今、同じ室内に居るコナー公爵や侍従長の父親も含まれる。
コンラッドの退位後、侍従長の父親は個人資産の全てを国内の救貧院や孤児院に寄付すると、単身で未開墾の僻地へ向かい、隠者のような生活を送った。
八年前、彼の死の知らせをジュリアンは受け取った。
前コナー公爵は、息子ゲルガーへ家督を譲ると自領の訓練施設へ籠もった。
その訓練施設は、コナー家の配下の者達の『再教育』を目的とした、最も苛烈な訓練メニューを課せられる場所だ。
彼は其処で、死ぬまで一日も欠かさず再教育者と同様のメニューを受け続けた。
前コナー公爵の死亡が王城へ伝えられたのは、昨年のこと。
その報せをヒューズ公爵領の温泉地で受け取ったコンラッドは、王城帰還の意を示した。
ジーン暗殺に関わった先代国王の忠臣達の内、最後まで生きていたのは前コナー公爵である。
他の忠臣達も、各々後継者に家督や役職を引き継いだ後、自らを苦しい環境に置いて寿命を縮め、既に鬼籍に入っている。
最後の一人が死んで、漸く公に王城へ帰還の姿勢を見せたコンラッドは、未だ赦せない、否、赦したくないのだ。
自身がジーンを喪う原因となった「国の為」という臣下の想いも、ジーンを喪って繁栄する『国』そのものも。
だが、『負の遺産』の清算という悲願も叶った今、過重な役割と責任を背負わせる次代の実権者への負担を少しでも削っておく為に、使いようのある駒には変わってもらわなければならない。
「第二王子執務室を訪ね、私の『粛清王子』と面会するといい」
ジュリアンの纏う空気が変わる。
先王を、父親を、表面上でも敬い和やかに振る舞う空気は消失した。
今のジュリアンが見せつけるのは、投げ出さずに国を導き続けて来た矜持で覇気を放つ国王の顔。
「ジーン殿を喪った後悔に囚われるなら、今、彼と同じ役割を担うアンドレアを、今度こそ喪わぬよう身命を賭して支えよ」
ジュリアンの声も口調も、常の飄々たるそれとは一線を画している。
若き頃、優男の見目で即位後も舐められ苦労した息子を知っていて、多くの難案件を押し付けて逃げた父親は、すっかり威厳と風格をモノにした久方振りに対面する息子が、既に自身を大きく超えていることに、今やっと気付いた。
「これは密命であるが、王命とする。第二王子アンドレアの足を引くことは許さぬ。その老い先短い命の持てる全てを使い、アンドレアの力となれ」
ジーンを喪った後、国王の座を投げ出した後は何者にもなれなかった自分が成り得なかった『王者』と呼ぶに値する尊き君主。
仰ぎ見なければならないその位置に、息子は届いたのだ。
畏れか、感動か、後悔か、口惜しさか、身を震わせて、下げたことの無い頭を下げて諾の意を表すしか出来ない父親を満足気に見遣ったジュリアンは、またガラリと口調を変えて言い放つ。
「いつまで腑抜けていやがる。十分サボっただろうが。いい加減に働け、クソジジイ」
嘗て、子供の時分から可愛げの欠片も無く飄々と腹の底を覗わせなかった息子の、初めて目の当たりにする、恐らく『本当に素』であろう態度。
驚愕に上げた面の悪人顔が、間抜け面になるほど目と口をパカリと開けて固まるコンラッドの眼の前で、「ああ、今夜の酒は美味そうだ」と、ニンマリしてソファに踏ん反り返り、行儀悪く脚を組み直すジュリアン。
兄の隣でずっと沈黙していた先代王弟エドワードは、そっと溜め息を吐く。
兄に忠誠を誓い、常に護って従って来たエドワードだが、立場上、国政に口出しを控えていても思う処が無い訳ではなかった。
エドワードの溜め息は、王位を押し付けた息子に完璧に敗北を分からせられたことで、漸く兄の時間が動き出すと思えた安堵。
そして、頑なさと捻くれ者の面がそっくりな国王親子への呆れ。
パカリと開いた兄の口を強制的に閉じて後ろ襟を掴んだエドワードは、二十余年ぶりの清々しさを感じながら「国王への辞去の挨拶」をして国王執務室から退出した。
武人として鳴らした衰えぬ右手には、先代国王の後ろ襟をしっかりと掴んで引き摺りながら。