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乙女ゲーム転生だと思ったら何だか色々違った  作者: アキタ ミナト
〜「昔の犬」が「犬」になった日〜
161/196

その得難さを知ってしまったら

 登場するのは、架空の人物、架空の団体、架空の事件です。


 白河賢一(しらかわけんいち)素良(そら)と出逢ったのは、素良が高校二年生、賢一が二十五歳。

 賢一が、まだ父の下で駆け出しの平社員として働いていた頃のことだ。


 その年の春から新たに賢一に任された営業ルートの途上に、素良がバイトをする喫茶店があった。

 商業区域から少し外れた立地のその店は、寂れてはいないが賑わっているとも言えず、静かに一服するのに適した場所に見えたのだ。


 ふらりと店に立ち寄った賢一の、素良への最初の印象は「綺麗な子だな」だった。

 年下過ぎて、邪念の混入する余地も無い「綺麗」という感想は、道端の花を見て抱く感想と同種だ。


 しかし、予想通りに「営業途中の一服」に適した店へ通う内に、素良が「道端の花のように無害な綺麗な子」ではないことに気付く。


「なぁ、そらちゃん。余計なことかもしれんが、気付いてて放置してるのか?」


 喫茶店のマスターや他の常連客らから「そらちゃん」と呼ばれている彼女を、顔と毎回オーダーするメニューを覚えてもらった頃から賢一も同じように呼んでいた。


 この「そらちゃん」、自分から誘惑している様子は皆無だと言うのに、引っ切り無しにストーカーが付いているのだ。

 それも、一人姿を見なくなったと思えば他の顔ぶれが増えている、という具合だ。

 しかも、奴らの存在に気付いていながら平然と怯えも無く眼中に入れていない。


「慣れれば気にならなくなりますよ」


 何の気負いも無いサラリとした口調で答えられ、マスターの方を覗えば、グラスを磨きながらヒョイと肩を竦められた。

 コレが、マスターにとっても「慣れた風景」になっていて、全滅することの無いストーカー達によって「そらちゃん」が危険な目に遭ったケースは今まで無かった、ということのようだ。


「気にならないもんか?」


 納得出来ずに訊けば、「そらちゃん」は少し遠い目をして肯定する。


「ええ。移動先の全てに、『さっきも見たような気がするカラス』が居たり、『朝は自宅の前に居た気がする鳩』が居たりするのと同じです」


「いや、気になるわソレ」


 思わずツッコむ賢一。

 ちょっと遠い目になってるってことは、それなりに「勘弁してくれ」という気持ちは有るんだろうな、と同情も湧く。


 当時の賢一は知らない。


 彼が「素良のストーカー」と認識する男達の中には、木崎優吾への報告を上げる為に素良に張り付いている手下達も含まれていたことを。


 更に、「本物のストーカー」達は全員がタローと優吾に把握され、タローからは素良へ情報が献上されていたことを。


 当時は未だ「善良な人間」だった賢一は、そんな事実など知らないから、「そらちゃん」を本気で心配した。


 完全なる善意からの忠告であることを感じ取り、何故か居心地の悪そうな雰囲気になった「そらちゃん」は、客の途切れた時間にマスターから休憩を勧められ、賢一に断りを入れて同席すると、ポツポツと説明をしてくれた。


 曰く、本当に、心配するようなことは起きないと。

 幼馴染が自主的にガードをしていて、他にも知人が勝手に人を付けているようであると。

 何方かと言えば、ストーカーをしている側に危険が迫っていると思うのだと。


 どういうことかと問えば、幼馴染は()()()()()()()()に移ろうとするストーカーを、これまでに幾人か捕らえて()()をしているそうだ。

 その後は、『お話』されたストーカーの姿を周辺で見なくなると言う。


 何処かのお嬢様で親が護衛を付けてるのかと訊けば、全く逆で、寧ろ生活費も貰えないレベルの放置子だからバイトをしているのだと、感情の籠もらない声と表情で答える。


 親も親戚もアレな素良は、下心も優越感を滲ませた憐れみも抜きにして、大人から善意100%の心配をされた経験など無かった。


 コイツ、社会人なのにこんな善人な生き方してて大丈夫なのか?


 慣れない態度を向けられて居心地の悪い思いをしていた素良が、腹の中でこんなことを思いながら、「コイツを被害者として巻き込んだら大事(おおごと)になりそうな気がする」と感じて、()()()()()()()()を賢一に教えていたことを、当時の本人は知らない。


 その後も常連客と店員の間柄で、賢一と素良の関係は続く。


 賢一は、素良が「見た目通り」の娘ではなくても居心地の良い店だと感じて通っていたし、ウロチョロするストーカーの数が増えたり顔ぶれが変化していれば、心配する言葉をかけた。


 素良も、鬱陶しさを感じる直前で留まる絶妙な気遣いで、善意100%かつ常連客でもある賢一に、わざわざ冷淡な態度を取る必要を感じなかった。


 傍から見ると非常に良好な、「常連客と店員さん」の関係である。


 素良が高校三年生の梅雨の頃、ここ数日の例に漏れず朝からどんよりとした空で、頻回に雨の降って来る日。

 珍しく、賢一が閉店時間近くの遅い時間に、スーツではない格好で来店した。


「珍しい時間と格好ですね」


 いつもの席に腰を下ろした賢一の前に水の入ったコップを置いて、素良が声をかける。


「ああ。今日は仕事は休みなんだが、落ち着きたいと思ったら此処に足が向いてな」


 強面の顔で弱々しく眉を下げ、軽く溜め息を吐いてから視線も下げて水を飲む賢一。


 常に無いその様子を見たマスターが、賢一のオーダーしたコーヒーを淹れるついでに、閉店後に素良に出している(まかない)も手早く作ってしまう。

 そして、それを全部トレーに載せて素良に渡した。


「そらちゃん、今日はもう御新規さん、入らないだろうからさ。コレ食べながら白河さんの愚痴でも聞いてやりなよ」


 別に「そういう店」ではないが、客の大半は常連客というこの店では、馴染の客の話を店の人間が聞くことは間々ある。

 賢一も、何度かその光景を目にしていた。


 近所の年寄り連中の来店が多い平日の午前中は、マスターの奥さんが御婦人方の話を聞いている。内容は、9割方が嫁の愚痴だ。

 平日の夜は、元近所の悪餓鬼だったオッサン連中が来店し、カウンターでマスター相手に仕事の愚痴を零したり、人間関係の悩みを相談しているのを見かける。


 素良は偶に、マスターが「危険は無い」と判断した、近所の住民以外の常連客を回されていた。

 時給の発生する時間内で、話を聞いている間は賄を食べられたり、マスターから試作品の飲み物やデザートを貰えるので、素良に不満は無い。


 その日、賢一が梅雨空に引きずられたような、重苦しくどんより下がった気分になっていたのは、「いつものこと」であり、「いつまでも慣れないこと」が、また起きたからだった。


 賢一は裕福な家に生まれ、大抵の人間からは羨まれるような、豊かで不自由の無い生活をしながら生きて来た。

 家族仲も良く、富裕層に有りがちな親戚との金銭問題や不仲なども経験が無く、非常に恵まれていると言える。


 しかし、賢一は子供の頃から、自分は他人と上手く関われないタイプなのだろうか、という悩みを抱えていた。


 身内との関係が拗れたことは無い。

 友人が居ない訳でも無い。

 仕事上の付き合いで失敗することも無い。


 だが、今の状態は、子供の頃から積み重ねた失敗の経験から学び、慎重な振る舞いで予防線を張った付き合いに終始して、どうにか保っているものなのだ。


 家族や血の繋がった親戚は大丈夫でも、元は他人の「親戚の嫁」や「親戚の婿」との関係を拗らせたことは有る。

 学友達との付き合いは、本心を見せたり親身になる度に壊れてしまった。

 仕事上の付き合いは、全てビジネスライクで振る舞うことを徹底し、トラブルを招かないよう気を張っている。


 他人との関わりが良くない結果に繋がる原因は、大人になるまで似たようなケースを繰り返していれば、何となく掴めてはいる。


 賢一が、打算や見返りを求めない『善意』や『好意』を向けた他人は、最初はどんなに賢一に好意的で礼儀正しくても、親友と呼べるほど親しく付き合っていても、そう遠くない未来に賢一へ憎しみを返して来るようになるのだ。


 賢一の身内も、周囲の冷静な第三者も、状況を見て誰もが「相手の逆恨みだ」と断言していた。

 賢一自身も、そう感じている。

 だが、如何せん、同様の経験の回数が多過ぎる。


 一番酷い話は、初対面の時に笑顔で挨拶をしただけで何故か強い恨みを買っていて、その後何年も会う機会も無かった「親戚の嫁」に、事実無根の悪評を嫁方の実家方面へ流され、巡り巡って第一志望の高校を面接で落とされかけたヤツだろうか。

 まぁ、そこまで避けようの無いケースは珍しくはある。


 今回は、()()()()()()()をしていた友人の結婚式に招待されて、酒が入ったこともあり、()()本心から祝福の気持ちを表しながら挨拶をして御祝儀を渡したのがマズかったのだろうか。


 賢一が帰った三次会の場で、一緒に招待されていた同窓生達に、全く身に覚えの無い「今まで白河にされていた酷いこと」を、新郎から垂れ流された。

 しかも、最悪なことに新婦まで新郎の嘘に乗っかっり、式が初対面だったと言うのに、実は過去に賢一に遊ばれていて捨てられただの、賢一の子供を堕ろしたことがあるだの、式の直前にも無理矢理襲われただのと嘘八百を並べ立てられた。


 後から聞いた話では、新婦は元々、金目当てで新郎との結婚を目論んだ女性であり、式で新郎よりも()()な賢一に目を付け、乗り換えるチャンスがあるなら手に入れようと、新郎の『暴露話』に乗じたのだそうだ。


 当然と言える話だが、挙式早々、新郎新婦の仲は破綻し、両家の話し合いも纏まらず、離婚が決まった。

 元友人は、それも賢一のせいだと恨んでいるらしい。


 弁護士を間に入れて法的措置は取っているが、程度の差こそあれ、似たような事が何度も起きるのは、何歳(いくつ)になっても慣れないしキツイものがある。


 そんな話を掻い摘んで、ボソボソと話す賢一の向かいの席で、厚切りピザトーストを黙々と平らげながら聞いていた素良は、「ん?」と首を傾げた。


「私のストーカーの心配、アレ、善意じゃなかったんですか?」


「いや、善意だ」


 訊ねれば、やや気まずげに賢一は答える。


「何でだろうな。初めに思わず口を出しちまった時は、疲れて頭が回って無かった時で、口に出した後で『あ、ヤバい』って思ったんだ。けど、そらちゃん、その後も全然変わらないからさ」


「もしかして、実験してました?」


「あぁ、うん。ゴメン。けど、それが下心判定になって善意や好意の判定が出なかったのか?」


「どこ判定ですか」


「何処のどいつだろうなぁ」


 深い溜め息を吐いて頭を抱える賢一は、もしもそんな奇天烈な判定を下しては人間の悪意を操作する組織が存在するなら、滅してしまえと呪う。


 素良が感じた通り、賢一は善意100%でストーカー付きの素良を心配していた。

 そして、その気持と言葉をウッカリ向けてしまった後も、何ら態度の変わらない素良へ、「もしかしたら」という期待から、その後も何度も心のままに心配の言葉をかけた。

 結果、素良へは一年も続けて善意や好意を向けても、賢一へ憎悪や恨みを抱くことが無かった。


 けれど、それは賢一の「妙な体質?」と嫌々ながら自覚している特徴が消えたからではないのだと、友人だった男の結婚式で判明した。


「私では人生経験が足りないので、ここの常連のオネエさんの受け売りですが」


 ガックリと下を向いていた賢一は、素良が話し始めたので重い頭を上げる。

 何となく、「お姉さん」のイントネーションに違和感があったが、気の所為だろうか。


「親切にした相手から酷い目に遭わされたとしても、彼女は後悔しないそうです。自分が尽くしたくて、優しくしたくて、勝手にやったことで、時間を戻してやり直せるとしても、どうせ同じ場面になったら自分は同じように、自分がしたくて親切にするんだから、結果に対して悩んだり後悔するだけ無駄。だそうです」


「はは。気っ風の好い姐さんだな」


「そうですね。腕っ節も強いオネエさんです」


「ん?」


「でも、白河さんが落ち込んでたのは、そういう方向で悩んでいたからではない、ですか?」


 粋な姉御を想像していた賢一は何かが引っ掛かったが、素良が話を進めるので思考が中断される。


「いや、ソレがゼロって事も無い。けど、俺に恨みを抱えなければ、周囲の殆どの人間から『頭のおかしい逆恨み人間』と見做されるような真似はしてなかったんじゃないかと思うとな・・・」


「なるほど」


 淡々と、無表情で頷くと、素良は自分の前のコップから水を半分ほど飲むまで思考して切り出した。


「では、これは人生経験の少ない私の個人的な意見でしかありませんが」


 そして、真面目な顔で告げられた内容に、賢一は目を瞬かせることになる。


「善意を逆恨みで返す人間が勝手に自滅するのは、自然現象なので放置一択だと思います」


「・・・すげぇ割り切りだな」


「ただの個人的な意見です。気に入らない意見を受け入れる必要も無いと思います」


「いや、気に入らないとは思ってない。てか、そらちゃん、高校生だよね? 歳、誤魔化してない?」


「ピチピチの十八歳です」


 無表情で淡々と「ピチピチ」とか言われてもな、と内心でツッコむ賢一は、自分が大分、浮上して来たことを自覚する。

 だから、()()()()()少女に、大人気なくも更に縋りたくなった。


「なぁ、そらちゃん、()()に付き合ってくれないか?」


 賢一の提案は、善意と好意から、素良が困っていることがあれば助力したい、という申し出。


 それに対し、素良は暫し考えた後、賢一の職業的に助力し易い内容の「お願い」をした。

 素良の「お願い」は、高校卒業後に住む賃貸物件の紹介と、掛け持ち可のバイトの紹介だった。


 詳しく話を聞けば、志望大学の受験費用と入学金と一年目の学費は、既に不測の事態を見ての余裕込みで用意があるし、志望校に受かる自信もあると言う。

 しかし、住居にかける資金は限度を低く抑えたいし、生活費と二年目以降の学費も自分で稼ぐつもりで、奨学金を借りる予定は今のところ無い。


 物件もバイト先も、条件を詰めれば、一介の高校生が探し切れるものでは無いだろうと、素良より歳上の社会人で不動産会社で働く賢一は納得した。

 コネも知識も無いド素人の未成年が下手な探し方をすれば、特に「綺麗な子」の印象を持たれる女子高生なんか、騙されてヤバい仕事に売り飛ばされる案件だ。


 何故か、素良が()()()()未来は想像が難しいが、普通であれば、そういうものだ。


 賢一は素良の願いを叶え、条件をフルで満たす物件を紹介し、バイト先も、自分の妙な体質?を考慮して、素良まで妙な逆恨みに巻き込まれないよう、身内が関わる店や小さな事務所等への紹介を手配した。


 斯くして、素良は元事故物件だと言う、セキュリティレベルの高いワンルームマンションの一室を、大学在学中は破格の安値で借りることが出来るようになった。


 バイト先も、「そらちゃんは、水商売や風俗はヤメとけ。絶対、()()()が憑くから」と、健全なレストランの厨房担当や、外部の人間と接する業種ではない小さな事務所の雑務等を紹介された。


 素良はタローから、捕まえたストーカーに吐かせた「付け回した動機」を聞いていたので、最初から、水商売や風俗をバイト先に選ぶのは最終手段だと考えていたところだった。


 見た目()()は大人しくか弱そうな『薄幸の美少女』っぽい素良をストーキングするのは、「あの子なら自分でも蹂躙出来そう」という願望と欲を抱えている輩が多い。

 その手の輩が「金で自由に出来る女」に、どんな態度で接するかなど、人生経験が短かろうが想像に難くない。


 貞操やら恋愛やらに思い入れ皆無な素良は、その点で忌避することは無いが、そんな面倒に見合う対価までは、「若くて多少美人」な程度では稼げないと思えば避けたい仕事だったので、賢一の提案は渡りに船だった。


 その後も賢一と素良の、この二人にとってはそれぞれ珍しいほどに平和的な交流が続いた。


 予定通りに志望大学に受かった素良は、賢一が紹介した二つのバイトをベースに、短期や単発の高額バイトを追加したり、教授の仲介で断り難いバイトを期限を区切って仕方無く請け負ったりしながら、順調に「一見マトモな勤労学生」の生活を送っていた。


 途中で細かく物騒な案件が発生しては片付けられたり、嘗ての同級生と再会して共通のストーカーを嵌めて破滅させたり、その繋がりで『犬』が増えたり、ということもあったが、賢一の耳には入っていない。


 素良が大学二年の冬、レストランのバイトがクリスマス前後のハードモードで大きなボーナスが出たことで、年末年始は三日間くらいなら何もバイトを入れずに休みを取れそうだと算段していた頃。


素良(そら)ちゃん、あの学生の彼氏と別れたんだったよね?」


 そう、バイト先のレストランのオーナーから訊かれた。

 何のことだと一瞬思った素良だが、直ぐに「そう言えばストーカー嵌める為に恋人のフリしてたっけ」と思い出す。


「はい。と言うか、高校の同級生と再会して、何となく彼氏彼女になってみたんですが、お互い全然友達以上の感情を持てなくて、不毛だからまた友達に戻ろうってなったんです。今も友達として普通に仲良いですよ」


 確か、こんな設定で「恋人のフリ」を解消した筈。

 素良の返答にオーナーは困ったように眉を下げ、「今、誤解されて困るような彼氏が居ないなら頼みたいことがあるんだけど」と切り出す。


「賢一が、今、ちょっとキツイことになっててね。()()()()()()なんだけど、今回はちょっと事が大きくなってしまって。賢一は悪くないって僕達も彼の家族も分かっているんだけど、家長命令で謹慎させられてるんだ」


 いつものアレ。

 賢一曰くの「妙な体質?」というヤツだ。

 大人になり、社会人としての年月も重ね、()()()()()ことにも大分慣れて上手くなり、そして、()()()()()()()()変わらない素良の存在が心の支えとなり、最近は余り酷いことにはなっていないと聞いていた。


 いつものアレと言うことは「逆恨み」と見做される状況であり、オーナーも家族も賢一は悪くないと()()()()()()のに、謹慎。


 何か、物凄く面倒臭そうな状況だな。


 素良が真っ先に浮かべた正直な感想は、ソレだ。


 けど、白河さんには『借り』ばっかり積もってるんだよなぁ。


 素良は恩返しを考えるような殊勝な人間ではない。

 ただ、貸し借りの比重が傾き過ぎた関係は、不安や危機感を煽られて気持ちが悪いと感じる人間ではある。


 賢一が、「変わらない」素良の存在が近くに居てくれることで、どれだけ有り難いと思っていても、その価値が数値化出来る訳でも無いし、見える形がある訳でも無い。

 対して、素良はハッキリと見える形で賢一から利益を受けているのだ。


 それなりに長い付き合いになる賢一が、今までに一度も素良に対して悪意や邪心を向けたことが無いというのも、素良が感じる『借り』を「増えこそすれ減らないモノ」にしている。


「謹慎中だから、賢一、年末年始の社交パーティーは全部不参加だし、年内最終日の閉店後、こっそりうちの店に呼ぼうと思ってるんだ。それで、素良ちゃんに賢一の話し相手になってもらいたくて。大丈夫かな?」


 社交パーティー。

 素良は、思わず、その非日常的な単語に反応しそうになった。

 社長令息って現代の日本人でも社交パーティーとかあるんだな、というド庶民のストレートな反応である。


 それはともかく、と頭を切り替えて、素良はオーナーの頼みを承諾した。


 クリスマスの大ボーナスのお陰で年末年始は仕事を入れなくても大丈夫そうだし・・・もしかして、最初からこの為にボーナス出したとか?

 思うところは有るが、損をしたとは感じないし、『借り』を返す機会は欲しかったから問題無い。


 久しぶりに顔を見た賢一は、見るからに憔悴していた。

 互いに忙しい身だ。顔を合わせない期間が長くなることもある。

 前回、この店に夕食を食べに来た時に軽く言葉を交わしたのが一月半ほど前だ。

 その間に、ガタイの良い堂々たる体躯が二回り程も萎んだように見える。


「白河さん、縮みました?」


素良(そら)・・・」


 消え入りそうな声で名を呼ばれ、「うわ、重症そう」と思いながらテーブルを挟んで座り、軽く飲みながら話を聞けば、素良も別方向で人のことは言えないが、賢一も何とも面倒を引き寄せがちな体質?だと思った。


 賢一は、社長令息で作られた社交倶楽部に加入していると言う。

 上流階級の生活ってよく分からないな、と流しながら聞き続ければ、その社交倶楽部とやらのメンバーの一人が、今回の「いつものアレ」で謹慎の原因らしい。


 非現実的だろうがオカルトめいていようが、最近は既に、賢一も彼の身内も、彼が「そういう変わった体質?」なのだと認識し、普通だったら必要が無いであろう()()()を持って人生を送るようにしていた。


 だから、その社交倶楽部のメンバーに対しても、完全に「仕事の延長」上にある「作られた親しみ」で接していた。

 そこまでは問題無かった。


 だが、そのメンバーの令息が、賢一の従姉妹と交際を始めた。政略でも地位や財産狙いでも無い、互いに好き合っての交際だ。

 ところが、その従姉妹には水面下で政略結婚の話が進んでいて、そちらの相手方からは既に話は固まったと認識され、縁戚になることを前提とした事業も進んでいた。


 悪いのは、そこまで話が進んでいると知っていて、それを伝えずに「好きになった相手」との仲を進めた従姉妹だと、賢一は思ったと言う。


 件の令息は、それでも彼女と結婚したいと彼女の親に交渉に行き、彼女の親と、縁談を進めていた相手方から条件を突き付けられた。


 条件は、『年内に、君個人による株売買の利益のみで破談の損失を補填出来るなら』という、「絶対に認めないよ」の言い回しを変えただけのものだ。


 令息は、倶楽部のメンバーに教えを請うた。

 彼は、株の売買など一度も経験が無かったのだ。

 倶楽部のメンバー達は口々に、「無理だ」「諦めろ」「現実を見ろ」と窘めたが、彼の熱意に皆、基本的な知識や手順だけは教えるようになった。


 賢一は、その内の一人に過ぎない。


 ただ、無責任な行動を取った従姉妹への怒りや呆れから、彼への同情心は持ってしまっていたし、何か彼の助けが出来れば、という気持ちは表に出てしまっていたかもしれない。


 初心者のビギナーズラックやド素人のまぐれ当たりなど、夢物語に過ぎない。

 彼が『条件』を満たせることは無かった。それどころか、無茶な投資で彼個人が破産した。

 彼の親も手を尽くしたが、親に相談せずにやっていた売買が多く、家や会社に大きな影響を及ぼさない形で債務整理を行うのが限界だった。


 そして、彼は自殺した。


 賢一は、彼の遺書によって、渦中に巻き込まれた。


 彼の遺書には、賢一に強引に勧められた投資で大損をして全てを失った、賢一が唆さなければ、こんなことにはならなかったのに、そういう主旨の恨み言が書き連ねられていたそうだ。


 彼に『条件』を突き付けたのが賢一の親戚で、彼が結婚するために無茶をした女性が賢一の従姉妹だったことで、「最初から全部、賢一が仕組んで自分を破滅させたのだ」という邪推まで、彼のメモ帳に書き殴られていた。


「凄い巻き込まれ事故ですね」


 他人に親身になるというスキルを持ち合わせていない素良が、心底他人事な感想を洩らす。


「あ、・・・おう、そうだな」


 慰めや同情の言葉と態度は、家族や親戚から山程もう貰っていた。

 多分、ここで素良から慰めや同情の言葉をかけられたなら、芯まで響くことは無かっただろう。


 だが、素良のこの「超・他人事!」な態度と感想は、底なし沼に際限無く沈み続けていた賢一を、「いや、ちょっと待てお前」と、ツッコミ属性な反応をしたくなる通常状態にブッ飛ばすようにシフトさせた。


 呆けたように、シャンパンの入ったグラスを持ったまま固まる賢一に、「どうしたんだ?」というように首を傾げる素良を見ている内に、賢一は沸々と可笑しい気分が込み上げて来る。


 そうだよ、コイツはそういう奴だ。

 前にも俺は思ったじゃねぇか、「すげぇ割り切りだな」って。


「ふっ・・・くくっ」


 唖然とした顔の後で笑い出した賢一を、怪訝な顔で見る素良と、安堵で涙ぐむ、キッチンからこっそり見守っていたオーナー。


「なぁ、素良、俺、一生お前に付いて行ってイイ?」


「え、どういう意味ですか」


()()()()()関係が良いから、恋人や旦那は駄目だな。主従か。主従が良いな。俺の御主人様になってくれ。一生お前に付いて行くから」


「は⁉」


「取り敢えず、俺にさん付けしなくていいから」


 そうだ。

 生涯変わらない主従の関係で、ずっと側に居たい、居る。


 本当は、もっと前から気が付いていた。


 変わらない素良。

 その存在に、ずっと前から救われ続けている。

 失えば、きっと、もう、生きていけない。


 初めてだった。

 他には誰も居なかった。

 身内以外で、『本来の自分』の心を、感情を、当たり前に、歪めずに、受け止めてくれる人。


 それが他の人々には珍しく無いモノだとしても、当たり前に手に入るモノだとしても。


 俺には、何よりも得難く、稀なる存在。


「おう、もう既に三人も『犬』が居んのか。流石、俺の御主人様だな」


 後日、タローの審査も通り、(まどか)の発案で、素良の『犬』全員での顔合わせの場が設けられた際の、賢一の第一声。


 この台詞から分かる通り、『御主人様』の影響によって「すげぇ割り切り」をするようになった賢一は、プライベートの付き合いでは完全に開き直り、自身の本来の感情を晒すようになっていた。


 逆恨みされるなら、されるまで。

 それで破滅する奴は自業自得で、自然現象。


 しかし、不思議なことに、素良を通じて誼を結んだ人物に限り、賢一の「妙な体質?」が影響することは無かった。


 そして、誼を結んだ他の『犬』達の影響も受けた賢一は、恵まれた生まれと育ちで培った「優しいお人好し」の面や、「見た目に似合わぬ超善人」な性質が徐々に塗り替えられ、『犬』仲間の御堂円からは「腹黒系脳筋」のアダ名を付けられるまでになる。




 白河は、素良の前世の『犬』の中で唯一、素良の“不穏な面”に共感や心酔して側に居ることを願ったのでは無い人物です。


 彼は自分の「妙な体質?」に巻き込まないように、対外的には、自身の本来の性格に類似するキャラクターを演じて人付き合いをしています。

 それでも友人が少ないということは無く、白河を慕う後輩も多いです。

 キャラクターを演じていても、利益を計算した上で手を差し伸べていたとしても、元々が「面倒見の良いお人好し」なので、行動パターンが善良さ丸出しなのが原因です。


 他の三人と異なり、根底にも仄暗さを抱えていない、『善性偏りタイプ』の人間だった白河が、素良達との出逢いで随分と人間性を染め替えることになりました。

 善性に偏り過ぎていた彼は、この出逢いが無ければ多分、早々に病み、短い生涯を閉じてしまいます。

 どちらが良かったのかは、本人次第でしょう。


 ストーリー中に説明はありませんが、素良が結婚するまでは、『犬』達は「名前呼び捨て」で呼ぶことを要求し、叶えられています。

 結婚後は世間体の為に名字呼び(人前では更に「さん」付け)にしましたが、『犬』達の意識の中ではずっと、御主人様からの呼ばれ方は「名前呼び捨て」です。


 飼い主のTS転生については、木崎、御堂、白河の三人はストレートに「前より簡単に死ななそう」という点で歓迎しています。

 タローのみ、口調や仕草が擬態前の“自然な状態”に戻ったという感覚で受け止めています。

 子供達が素良のTS転生に中々思い至らなかったのは、「母親=『普通』は女性」という考えから、子供を持って以降それまで以上に強固に『普通の女性』の擬態を素良が自分自身に刷り込んでいたからです。


 前世の犬達との出逢いの話は以上で終わりです。


 四月中には、『幕間・四』の投稿を開始出来るように調整中です。




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