“力”の使い方は貴方から学んだ
文中、経済的に余裕の無い家庭や個人を「貧乏」と揶揄する箇所が複数あり、割と具体的なイジメの描写もあります。
地雷となる方はご注意ください。
登場する学校や学校独自の制度等は、架空のものです。実在する特定の学校や団体とは関係ありません。
御堂円が素良と出逢ったのは、高校一年の時。同じ学校で同級生としてだった。
進学率が五割そこそこで、それもほとんどが短大や専門学校への進学という公立の△△高校は、円の成績には見合っていなかった。
だが、母子家庭で経済的に厳しい生活下で、円が大学へ進学することを前提に生活プランを立ててくれているだけで十分に有り難いし、将来は恩人と同じ弁護士という職に就いて母の苦労に報いたい。
円は、そんな風に考える、健気で真面目な努力家の少年だった。
因みに素良が△△高校を進学先に選んだのは、私立の費用を親が出す見込みは無く、出来のよろしく無い兄よりも高ランクの高校を受験してウッカリ受かってしまったら、面倒事の発生が確定だったから。
というのと、『返済計画』の為に少々目立つ人脈を作ってしまったので、新たな猫を被り直そうと、中学から物理的に距離が離れている高校を希望したからだ。
進学理由はそれぞれだが、有する学力に見合わない△△高校に進学した円と素良は、試験の度に成績ワン・ツーの定位置に名前が並ぶ関係で、互いに認識し合うことになる。
しかし、「大人しそうな美人」の外見で女生徒である素良と、「弱そうなメガネ」で清潔にはしていても貧乏感が漂う男子生徒の円は、同じ「成績優秀者」でも周囲の他の生徒達からの扱いが天と地ほどに違った。
素良は「男子人気が高いけど頭が良いから高嶺の花で隠れファンが多い女子」という扱いで、円は「貧乏でダサいガリ勉モヤシの底辺イジメられっ子」の扱いだ。
交通費がかからないようにと、自宅の団地最寄りの公立高校を選んだ円は、同じ中学から進学した生徒が多かったことも災いした。
中学時代、勉強が得意で運動は不得意な円は、男子の中で、団地住まいの母子家庭であり、皆と同じようにゲームや漫画を持っていないからという理由で、「貧乏ガリ勉」と囃し立てられて集中的にイジメ行為を受けていた。
それがそのまま、中学時代と同じメンバーで高校まで引き継がれてしまったのだ。
実際のところ、素良は当時も親から経済的虐待を受けていたし、バイトをしているとは言え、必要経費を抜いた「自由になる小遣い」は円以下だった。
卑屈さを感じさせない態度と作り込んだ擬態、そして計画に基いた行動で経済苦の状態には見えないようにしていただけなのだが、ただの高校生達には、そんな真実など見抜けない。
素良は家と縁を切って自立する準備として、当時の義務教育である中学を卒業したら直ぐにバイトを始める計画で動いていた。
計画通り、素良は中学卒業後の春休み中から働き始め、一週間ほどである程度の信用を雇用主側と築くと、入学直前に「通学用の交通費」と「高校入学に向けた身支度の費用」の名目で給料の前借りに成功し、高校の入学式までにはバッチリ身なりを整えて擬態を済ませていたのだ。
素良の計画性と行動力は、この当時の高校生としては異質なものだっただろう。
当時はまだ「真っ当かつ純真な少年」だった円が、素良と同じ発想や行動が出来ないのは当然だ。
しかし、二人の扱いの差は、性別だけではなく、これらの発想と行動力によって齎されたものでもあった。
夏休みが明けると、△△高校では学校行事が目白押しの時期に入る。
九月の体育祭、内実は遠足と大差無い十月の校外学習、十一月の文化祭だ。
高校生ともなれば、「生徒の自主性を重んじる」という文言の下、これらの行事は計画や実行の大半が生徒達に任せられる。
つまり、底辺扱いのボッチ生徒が地獄を見る時期である。
──体育祭。
素良は早い段階で実行委員の先輩から声をかけられ、運営側での行事参加となった。
円は体育祭が近付くと、同じクラスの男子達から「お荷物」や「クラスの癌」と言われて小突き回され、前日には「クラスのために明日、風邪ひいて休んでくれよ」と笑いながら集団でバケツで水を浴びせられていた。
まだ残暑の季節で風邪をひかずに済んだ円は、当日もきちんと登校したが、男子達に体育館裏に連行されて足を執拗に蹴られ、結局は捻挫で保健室待機となり体育祭に参加することは無かった。
──校外学習。
素良は最初に声をかけて来た、隣の席の男子と後ろの席の女子が所属するグループに入り、無難に各所を回った。
円は、わざと円を無理矢理同じグループに入れたイジメ首謀者男子らと強制的に行動を共にさせられ、小突かれ囃し立てられながらパシリや荷物持ちで心身を擦り減らした。
──文化祭。
△△高校には不文律があり、クラス企画で模擬店やステージパフォーマンスの選択が解禁されるのは二年生以降。嘘か真か、破ると怖いOBの人が来ると言われていた。
一年生のクラス企画は、制作展示一択である。
素良と円のクラスは、ゴミとなる包装紙や空箱やペットボトル等を小さく切って台紙に貼り付け、モザイク風の壁画っぽい作品を制作することが、夏休み明けすぐのクラス会議で決まっていた。
文化祭の準備期間、素良は比較的大人しめの生徒達と無難に作業に取り組み、円は、騒ぐだけで作業に協力する気も無いイジメグループに邪魔をされて作業に参加出来ない日が続く。
文化祭前の高揚したテンションで、普段以上に暴れ回るイジメ集団の男子達。
そのせいで制作中の壁画が破損したり、使用中の道具が蹴飛ばされて容器の中身がぶち撒けられたりと、作業妨害の頻度も程度も上がるに連れて、教室の空気は悪化して行った。
だが、妨害している男子達は、クラスメイトから責められると、何もかも円が悪いとパンチを入れたり蹴ったりする。
素良から見れば、彼らのパンチや蹴りは、暴力の被害者になった経験の無い輩特有のヘナチョコパンチとヘロヘロキックだが、荒事に馴染みの無い高校生が見れば十分に恐怖心を煽られるし、被害者にとってはパンチやキックの強度や本格度など問題ではなく、被害を受けている現実そのものが、消し去りたい悪夢だ。
その日の放課後も、円に対するイジメ集団は乗りに乗って絶好調だった。
擬態の為に学校行事のクラス企画に真面目に参加している素良は、外面には全く出していないが、バイト時間が減り、収入も減ることで、ただでさえ苛立ちが募っていた。
そこへ毎日毎日、飽きること無く小学生レベルのくだらない「イジメっ子のイキがり劇場」を見せられて、作業時間が後ろに押すのだ。
円のイジメを主導する、彼と同じ中学出身のリーダーは「原田」という名字の男子だ。
どうでもいい存在なので、素良は彼の名字しか認識していないが、「原田」は素良にとって貴重な「安全な環境で宿題を終わらせられる時間」である授業中や自習時間を、無闇に騒いで教室を無法地帯化させ、これまで何度も無駄にさせている。
──そろそろ、片付けていいかなぁ。
素良の中で何かが切れ、ふわりと不穏な言葉が脳裏に浮かんだ時、高校生にもなった男が素面で出すものとは思えない奇声を発して、「原田」が学校備品の大きな三角定規を振りかぶり、円に投げつけた。
三角定規はプラスチック製だが、大人の顔が隠れる大きさで、厚くてそれなりの重さがあり、角もキッチリ尖っている。
当たり所が悪ければ大怪我も有り得るだろう。
何も考えていない「原田」は円の顔を狙って投げつけたが、ヘナチョコパンチしか繰り出せない身体能力だ。
狙いは逸れ、円の顔よりやや下方、そして円の右肩の十五センチほど外側を抜けて───
丁度そこを通りかかっていた素良の、顔に当たった。
それまでの騒めきや興奮した空気が、幻だったかのように、教室内はシン、と静まり返った。
いつも円が「原田」達にイジメ行為を受けていても、単なる背景の如く扱って無視をしているクラスメイト達も、「真面目な美人の優等生女子」が被害を受けると緊迫感が湧き上がるようだ。
クラスメイト達の責める視線が「原田」にチラホラと向き始め、我に返った「原田」がいつもの如く円に全ての責を負わせようと口を開く直前、両手で顔を覆って俯いていた素良から声が零された。
「原田君、ひどい・・・」
名指しだ。
素良の声はか細く震えているのに、何故かしっかりと聞き取れる絶妙な具合で、シンとした教室内の全員の耳に響き渡る。
その声で、名指しで「ひどい」と言われた「原田」という名は、教室内の生徒達の脳に「ひどい人」として刷り込まれる。
一緒に作業をしていた女子生徒が、俯いて震える素良の肩に手を置いて、心配そうに「大丈夫?」と声をかけ、顔を両手で覆って俯いたままふるふると首を横に振る素良が皆の視界に入ったのを機に、「原田」に刺さる視線は鋭さを増し、口々に責める内容の文言も上がり出した。
パニックに陥ったのか、「いや」「だって」「違ぇ」「俺じゃ」など、文章にもならない短い音しか出せない「原田」は、元々短気で我慢が利かない性質だ。
すぐに頭に血が上り、ブチ切れて叫び声を上げようとした。
だが、またその直前、素良から、儚いのに不思議と響き渡る声が零される。
「ごめん・・・」
教室内は再びシン、と静まり、皆の視線が素良に集まった。
その視線の中で、満を持したように素良の顔を覆っていた両手がゆっくりと外される。
「保健室、行くから、作業、続けられない」
悲しげに紡がれた健気な台詞と、露わになった涙に濡れた瞳。
そして───
左頬を滲んで染める、赤い血と、痛々しく浮かぶ傷。
「いやあああぁああああっ!!!」
女子生徒の一人がショックを受けて絶叫する。
あとは、集団ヒステリーの地獄絵図だ。
最初に声をかけて来た女子生徒に付き添われて保健室へ向かう為に教室を出た素良を、ひっそり視線で追っていた円は、無言で心の底から感心していた。
同じ人間から同じ被害を受けても、ここまで周囲の反応は変化し、おそらく彼女は狙って反応を誘導していた。
性別の違いだけが理由では無い。
周囲の人間の反応を変えたのも、誘導したのも、汎用性のあるテクニックだ。
集団ヒステリーに同調しなかったことで冷静に素良を観察出来ていた円は、気が付いた。
集団ヒステリーに同調せずに済んだのは、これまで円が誰に何をされていても、このクラスの誰一人として、円の感情に同調してくれた人間が居なかったからだ。
その後、「原田」は見る見る転落して行った。
今回『被害者』となった素良は、学年を超えて「高嶺の花」として隠れファンが居るほど男子人気の高い女子だった。
そんな女子の顔に傷を付けたのだ。
特に、素良の「美人」のタイプが、「派手でキツめの美女」や「あざとい系美少女」ではなく「薄幸の美人」タイプで、儚く華奢な身体つきや、青白くも見える色白の肌を備えていることが、余計に同情心と庇護欲を唆った。
保健室で傷の手当を受けた後の素良が、職員室で担任教師に弱々しく懇願している様子が目撃され、懇願内容も瞬く間に校内に広まった。
「どうか、大事にならないようにしてください。もし大事になって逆恨みされて、原田君の『ターゲット』にされたら・・・、私には耐えられません。もう、怖くてこの学校に来られないです・・・」
頬の手当の痕も痛々しい、儚げ美人な女生徒の涙ながらの懇願である。注目度は相当に高い。
職員室のような、学内の人間なら誰もが出入り自由な場所でそんなシーンを垂れ流したら、目撃者も湧けば台詞も流出するのは当然のこと。
全部、計算なんだろうなぁ。
円は素良の言動をしっかり記憶に刻む。
義憤に駆られた隠れファンの先輩達が、影で「原田君」を制裁するのも、「原田君」が「大悪人」のレッテルを貼られて、皆からヒソヒソされるのに居ないように扱われて憔悴していくのも。
通常なら△△高校からは絶対に狙えないレベルの大学に合格圏内の生徒が、進学率に貢献出来ない成績で素行も悪い生徒のせいで転校するかもしれないと匂わせて、そんな事態になれば自身の評価が下げられると、教師が慌てて重い腰を上げることになるのも。
・・・しかも、その「素行の悪い生徒」は、もう一人の「有名大学に合格圏内」の生徒にも転校されかねない行為を校内で日常的にやってるのに、学校側は見て見ぬ振りで放置してた事実がある訳だし。
全部踏まえて、全部、計算なんだろうなぁ。
冬休み前には「原田」は登校して来なくなり、二年に進級する頃、退学したらしいと噂を聞いた。
円は、その後も素良の観察を続けた。
そして、観察結果を自身にリターンした。
経済的余裕が無い中でも、「円の感覚での最低限」ではなく「一般人の感覚での最低限」で身嗜みを整えることに予算を割き、顔を上げて姿勢も正した。
無意識だった卑屈に見える態度を止め、声は聞き取りやすさを意識してはっきりとした口調で落ち着いて喋るようにした。
視線は俯かず、目付きは自然を心がけ、表情は穏やかに。
中心人物だった「原田」が集団ヒステリーめいた袋叩きに遭って消えたことで、円へのイジメ行為は霞のように消え去った。
素良を参考に、自身の『外面』をセルフプロデュースした円を「底辺のイジメられっ子」扱いする生徒は、校内にはもう居なかった。
予算の都合で眼鏡の買い替えだけは無理だったので、「ダサメガネ」の陰口だけは残ったが、学校生活の邪魔をされなくなったので、全く気にならなかった。
二年に上がり、クラスが別れてからも、円は素良を観察し続けた。
卒業まで、ずっと。
卒業式の日に、校門まで派手な車で「如何にもホスト」な風体の若い男が薔薇の花束を抱え、「素良さん、卒業おめでとうございます!」と迎えに来たのには度肝を抜かれたけれど。
観察日記を付けるほどに観察していたと言うのに、素良の謎は深まるばかりだった。
当然、『ホストお迎え事件』は素良が去った後、大騒ぎとなり、多くの目撃者達の話題に上ったが、素良と進学先が重なる生徒は一人も居なかった。そもそも、△△高校から過去に一人も合格者を出していない大学だ。
詳しい話を聞きたくても、誰一人、素良の卒業後の連絡先を知る同窓生は居なかった。
実家に電話をした生徒が家族から聞いた話では、素良は既に実家から出ていて、引っ越し先も知らないそうだ。
円は思った。
素良さん、多分、学校では物凄く猫を被っていたんだろうに、衝撃的な去り方の後で誰とも連絡がつかなくなったことで、完全に『伝説』になって語り継がれる人になっちゃったけど、良いのかな?
これまでの観察結果からして、狙っての行動じゃなさそうなんだけど。
もしかして、素良さん、案外、抜けてる?
素良が案外抜けているかもしれないという一文を最後に、円による素良の観察日記は一旦終了を迎えた。
伝説となった△△高校卒業の日から一年と半年。
円は大学二年になり、素良とは別の有名難関大学に通学していた。
因みに、素良が合格したのは、当時就職に強いと言われていた都内の中堅大学だ。
円は、素良によって「原田」が排除された後、著しく学習環境が改善されたことで、志望校のランクを上げて合格圏内に収め、見事、現在通学する大学へ一発合格を果たした。
更に、入試成績優秀者のみが対象となる一年次の学費免除制度の利用権と、無利子の奨学金も獲得した。
二年次でも、一年次で成績優秀者となったことで、学費免除の資格を得ている。三年次も学費免除資格を得る為に、現在も勉強漬けの日々だ。
今のような充実した日々は、素良の観察を始めた『あの日』がスタートだと円は思っている。
円は、素良のことを心の中で『師匠』と呼んでいる。
高校卒業で師匠と離れて観察日記は途絶えてしまったが、今も円の行動は、師匠の影響が色濃いものだ。
本人の知らぬ間に。
そして、その日、円と素良は偶然に再会する。
円が二年次から通っているキャンパスの最寄り駅で。
「あ、御堂君」
「素良さん、久しぶり」
街中で偶然会っても見て見ぬ振りで去られるだろう、という円の予想を裏切って、なんと素良から声をかけて来た。
と、言うことは。
何か思惑があるのだろう。
何度も読み返した観察日記から素良の内心を予想した円は、今度は正解を当てた。
素良に誘われて駅近くのコーヒーショップに入り、テーブル席が空いているのにカウンター席を選び、椅子をピッタリと寄せて並んで座る。
コーヒーショップまでの道程で、小声で素良から、声をかけた理由と共に提案された座り方だ。
『今、御堂君に付いてるストーカー、夜間は私にストーキングしてる人』
聞かされたのは、驚きの理由だったが。
自分がストーキングされていることには、円も気付いていた。
ストーカーは円と同じ大学の同じ学年、同じ学部の男だ。ただし、年齢はあちらが五歳上である。
高校浪人を一年、大学浪人を二年、二学年での留年を二回しているという話だった。
その男から見ると、パッとしない公立高校から、塾に通った経歴さえ無いくせにストレートで同じ大学に合格し、しかも成績優秀者だけが利用出来る制度を二つも利用している円は、えらく癇に障る存在だったようだ。
最初は学内で何かと絡まれるだけだったのだが、三ヶ月ほど前からは朝は自宅周辺で待ち伏せされ、絡まれはしないが、黙ってずっと背後を付けてくるようになっていた。
授業が終わった後も、円が自宅に入るまで、何箇所か寄り道をしても、ずっと円と同じルートを付いて来る。
やっていることが「公道を歩いているだけ」なので、どう始末をつければ穏便に現状を解消出来るものか、充実した毎日の中で唯一と言って良い『悩み』となっている。
その男が、自宅に入るまで円を付け回した後の時間は、素良を付け回しているのだ。
呆れたバイタリティと暇人具合である。
高校卒業後の素良は実家から完全に独立し、経済的な援助も一切受けていなかった。
成人している社会人の知人を保証人に、貯めていた高校時代のバイト代で部屋を借りて生活を調え、一年次の学費だけ奨学金を借りて払い、生活費は全て自分で稼いでいるそうだ。
二年からは学費も自分の稼ぎで払っている為に、複数バイトの掛け持ちと、毎日の深夜までの労働が必要なのだと言う。
素良のバイト先の一つが、この近辺に在る個人経営のレストランだった。
勤務のシフトが夜から深夜なので、普段はもっと遅い時間に駅に着くが、今日は偶々、一つ前のバイトが向こうの都合で急遽休みになり、早めに来てみたら、円と再会したという話らしい。
円と同じストーカーに付け回されるようになったのは三ヶ月ほど前からで、円が自宅を出てから帰宅するまで付け回されるようになった頃と日付まで重なる。
互いの話を擦り合わせてみると、どうやら男は、円のストーキングを開始した日に、円が自宅に入るまで付け回した後、何らかの理由で大学まで戻り、その時に、バイトの為に駅に到着した素良を見初め、素良のストーキングも開始したようだ。
素良が働いているのは、カジュアルだが、学生には敷居の高い価格帯のレストランだ。
素良はキッチン担当で、フロアに出たことは無いが、男はほぼ毎日店に現れ、一番安いドリンク一杯で粘り、入店しない日でも店の周辺で素良の出入りをじっと見ているそうだ。
素良が円を誘った理由は、偶然にも同じ人物からストーカー行為を受けていた円と、情報を出し合って共有し、可能ならばストーカーを退場させる為の協力が得られれば、と考えたからだと言う。
円は、思い切って訊いてみた。
「退場というのは、排除のことだよね?」
と。
高校の時、「原田」が退場したのは、素良の誘導だと円が確信していること、そして、それ以来、円にとって素良が心の師匠であることも伝えて。
「うわぁ・・・マジか」
小さく呟いて頭を抱えた素良に、円はカウンターの下で小さくガッツポーズを作る。
高校時代の観察日記のラスト一行が、「公認」された気分になったのだ。
「被害レベルからして、素良さんが排除を思い立つほどには思えないんだけど、何か他に理由があるの?」
ピッタリ寄り添って座りながら顔を寄せて囁き交わす二人は、傍から見たら恋人同士だろうが、話す内容に甘さは微塵も無い。
どうやら色々見破られているらしいと腹を括った素良は、溜め息を一つ吐くと、頬杖を付いて小声で答えた。
「もう三ヶ月野放しにしてるから、そろそろ自分で排除行動を始めないと、事件性のある排除行動をする奴らが動き始めるから」
「え、怖。もしかして卒業式に迎えに来たホストの人?」
「いや、アレは自分では動かな・・・いや、アレの手下より一番目の犬の方がヤバい・・・」
「犬?」
何となく、円は察した。
多分、素良には番犬のような崇拝者が居るのだろう。
あのホストは、その内の一人で、まだ見たことの無い彼女の番犬に、かなりの危険人物が居るんだ。
そして、その危険人物が暴走して犯罪者になる前に、彼女自身が、表向きは彼女サイドに犯罪者が出ない形で始末をつけようとしている。
ソレに、協力を仰がれている。
その事実は、円をえらく興奮させた。
師匠から、共同作業に誘われている!
それはもう、気分が高揚した。
何故なら、再び素良のテクニックを間近で観察出来るのだから。
新しい観察日記用のノートを買っておこう。
円は二つ返事でストーカー退場の協力に快諾した。
それから二ヶ月後、「再会して惹かれ合った元同級生」として、互いに「円」「素良」と名前で呼び合い、逢瀬を重ね、円の大学の友人知人達からも「二人は恋人同士」と認識されるようになった頃、ストーカー男は大学に刃物を持ち込んで円を刺殺しようとし、周囲の男子学生らに取り押さえられた後、明確な犯罪者として逮捕された。
円と素良は、男に付け回されていると知った上で、恋人のようにイチャコラして見せていただけだ。
ただ、『犬』の指示を受けた手下達が、第三者を装って「二人のお似合いっぷり」を男に聞こえる位置で讃えたり、「間接的に円を知っている人物」を装って、「御堂君の優秀さに目を付けた『先生』が、既に青田買いに走ってるらしい」と、男の背後で噂話を始めたりと、男の苛立ちを煽ってはいた。
手下を持つ『犬』に指示を出していたのは素良であり、手下達が偶然を装って男の耳に入れた様々なネタは、別の『犬』が男をプロ並みの隠密技術でストーキングし、弱みや「叩けば出る埃」を調べ上げて素良に献上した内容に基いて作られていた。
叩いて出た埃の中には、被害者が泣き寝入りしていることで露見していない、男の犯罪行為等もあった。
それらも当然、男を揺さぶり追い詰めるネタに使った。
・有名大学のネームバリューでナンパした女性を泥酔させ、眠っている間に撮った裸の写真で脅し、性行為を強要したり金品を貢がせていたこと。
・夜間に大学構内を徘徊し、教授の研究室のドアの外にレポートの提出BOXが置かれていれば、中身を盗み出し、他の学生の提出済みレポートを破棄や汚損していたこと。
・在籍中の大学内の他、他の複数の大学、公園や区役所や駅やショッピングモール等の公共施設内の女性用トイレに潜伏し、盗撮や録音等の行為に及び、それらをコレクションとして保管していたこと。
これらを基にしたネタは、内緒話を装って、「こんな事件があったけど、そろそろ犯人が捕まるらしい」、「あの大学の学生が犯人だと警察も目を付けてると聞いた」、「犯人は留年している男子学生らしい」、「モテないし、バカで勉強にもついて行けないから犯罪に走ったんじゃないか」などと、不安を煽る内容と憤慨しそうな内容を織り交ぜて、男の耳に入る場所で囁かれた。
目を血走らせた男は円に刃先を向けながら、「お前みたいに何でも持ってて恵まれた奴がいるから俺のところまで幸せが回って来ないんだ!」と叫んでいた。
どうせ捕まるのなら、その前にムカつく御堂円を殺してやろうと考えて、刃物を携えて大学の教室に来たらしい。
捕まった男は、常習性の見られる沢山の余罪も暴かれた。
男は退場し、素良サイドの誰も、犯罪者として世間から見做されていない。
円は感動した。
素良は、弁護士を志す人間が決して心酔して良い人間ではないのだが、パワーアップした師匠の非道さに痺れた円の中の「真っ当かつ純真な少年」は、既に、素良が「原田」の排除に動いた日に死んでいる。
円は、あの日、痛感したのだ。
清く正しく真面目なだけでは、如何に努力をしようとも、弱者を守る力を持てはしない。
弱者を強者や数の暴力から守るには、狡猾さと非道さも必要悪である。
ストーカー男が退場した後も、要らぬ疑惑を持たれぬようにと、しばらくは重ねた逢瀬の内に、円は「僕も素良の犬として側に居させて欲しい」と頼んだ。
次の日の夜には中学生か高校生くらいの小柄な少年が、円の部屋に訪ねて来た。
窓から。
円の自宅は団地の三階だ。
まぁ、そういうこともあるか。素良だし。
円は簡単に異常事態を受け入れた。
これでも、彼は数年後には、「他の非常識な三人をまとめて調整する常識ある苦労人」と仲間内では呼ばれるようになるのだが。
結局は、『類友』である。
一見、一番マトモそうに見えて、御堂も中身はナチュラルに変人です。
素良を心の師匠と仰ぎ、グレーな行為に加担して、犯罪者とは言え人間を破滅に誘導した御堂ですが、素良が絡まなければ、ごく真っ当な仕事をする弁護士になります。
木崎に続き、御堂の話でも、素良は人心を誘導して他人を破滅させています。この世界、この国では倫理的に許されないことでしょう。
そんな素良が、民間人の工作員まで絡んだ犯罪に巻き込まれて死んだのは、ある種の因果応報なのかもしれません。
素良の人心を誘導しての他人の陥れ方は、過去に自分が家族や親戚らにやられた陥れ方の中から、「攻撃力が高いな」と素良自身が感じた方法をピックアップし、更に攻撃力を上げ、自分が『陥れる側』になった際に使いやすい形に改変したモノ達です。
御堂が『犬』になる前なので、素良は「一年次の学費は奨学金で払った」と建前な説明をしていますが、実際は高校時代に得た組長の奥さんからの謝礼金で払っています。
次回投稿は、3月31日午前0時。
白河の話です。『犬』が増えるごとに話は長くなります。