ただの「面白ぇ女」だった筈
反社会的な行為の描写がありますが、それらを推奨する意図はありません。
動物虐待の描写が出て来ます。ご注意ください。
木崎優吾と素良の出逢いは、優吾が高校二年、素良が中学二年の頃。
当時、一匹狼でありながら近隣地区の不良達のカリスマとして君臨し、下剋上を狙うグループや暴走族、他地区の不良グループらから喧嘩を売られては買って、返り討ちにする日々を繰り返していた頃だ。
その日も夕暮れ時、いつものように仕掛けられ、広い場所を求めて近くの公園に引き入れ、一対多の乱闘になっていた。
しかし、面倒な衆目が無いことを確認して引き入れた筈の公園のベンチに、ひっそりと座る少女が一人居た。
マズイと思ったものの、事態は止まるものでは無い。
その中学生らしき少女は、ガラの悪い野郎共が鉄パイプや角材をブン回して雄叫びを上げて暴れ狂い、そいつらを優吾が概ねワンパンで沈めて行く様の完璧な目撃者となってしまっている。
優吾が全員を沈めてしまうまで、少女は叫びも動きもせず、静かにその光景を視界に映していた。
怯えて声も出ないのかと思えば、そんな様子では無い。
少女の態度は、優吾の記憶にある「縁側で寺の庭を眺める和尚」の姿と重なった。
怯えなど皆無で泰然とし、ただ「そこに在る風景」を眺めているだけだ。
座るベンチに優吾が近付いても逃げる素振りも見せない少女に、優吾は軽薄に声をかけてみた。
「お嬢ちゃん、怖くて腰でも抜けたか?」
おそらく、そんなことは無いだろうと確信していたが、どんな反応を返して来るのか興味があった。
単に俺のファンで気を引きたいだけかもしれないが、そうでなければ面白いと思った。
「腰は平気。あばらが何本か折れかけてるだけ。もうしばらく此処で休んで行くつもりなんで、お兄さんはお気になさらず」
少女の答えは、優吾が何パターンか想定していた返答の、どれにも掠ってもいなかった。
「は? え? お嬢ちゃん、そのナリでスケバン?」
ベンチに座る少女が、物凄〜く嫌そうな顔で見上げて来た。
先刻までの泰然とした無表情から一変し、その顔は無言ながら「そんなモンと一緒にすんな」と雄弁に語っていた。
優吾は、しげしげと少女の全身を見下ろして観察した。
コートの下の制服は隠れているが、カバンとコートが学校指定の物だから、少女が◯◯中学の生徒であることは分かる。
公立の◯◯中学は、この公園から結構離れている。学区外となる◯◯中の生徒を、この辺りで見かけることは滅多に無い。
少女の肩より下まである髪は脱色も染めも無く真っ黒で、校則に従ってだろう、三つ編みを黒のゴムで結わえている。
顔にも化粧っ気は無い。だが、整った顔立ちは、地味なガキのくせに妙な色気を感じさせる。
それでも、どう見ても風体は「真面目そうな女子中学生」だ。
格好だけ真面目そうに取り繕い、裏で不良行為に耽るタイプにも見えない。その手の奴らには、隠し切れない荒れた雰囲気が同類からは見て取れる。
彼女には、そういったモノは、まるで感じられなかった。
「隣、座っていい?」
訊ねてみれば、「どうぞ」と無関心に言われ、遠慮なく座ったが何の反応も無い。
少女は優吾に全く興味が無いのだ。
けれど、声をかければ律儀に返事はしてくれるらしい。
優吾は試しに訊いてみた。
「あばら折れかけって、何で? ここ、◯◯中から結構遠いだろ」
「・・・」
「ああ、コートとカバンが学校指定だから分かった。俺、顔も行動範囲も広いし」
無関心から警戒に反応をシフトされ、らしくないと自覚しながら言い訳めいた言葉を口にすれば、少女は納得したようにヒリついた空気を仕舞う。
その反応の切替の自在さと早さに、優吾は少女が修羅場慣れしているのだと判断する。
所謂「不良少女」ではなくとも、何らかの事情で暴力や敵意を受ける状況に慣れる環境下にあるのだろう。
そんな少女の返答は優吾の判断を正解とするものだったが、優吾の想像を超える内容だった。
「拉致されそうになったから逃げて、下手打って一回捕まって資材置き場?みたいな所に連れ込まれて、向こうの目的がハッキリしたから過剰防衛上等で逃げたけど、腹に一撃鉄パイプ食らって折れかけてる」
「・・・目的って?」
「輪姦して写真撮影」
想定以上の内容に頭を整理しつつ、予想は付いていたが一応、少女を拉致しようと追い回していた勢力の『目的』を訊いてみれば、予想通りの呆れた内容だった。
正義漢を気取るつもりは無いが、勝手に祭り上げられたとは言え自分がトップに立つ地域での凶行だ。
同類でもない女子中学生に、何を見っともない真似してやがる。
優吾は苛立った。
そして苛立ちのまま、尖った声音で少女に詰問した。
「相手が何処のどいつか分かるか? 資材置き場は何町だ?」
「聞いてどうするの」
怯えも無く淡々と、少女に問い返されて、優吾は虚を突かれたように呆ける。
少女の目に感情は無い。
怯えも、怒りも、悲しみも。迷惑がる様子も、味方を得て喜ぶような様子も。
ただ、訊ねているだけ。
ハッと息を呑んで正気を戻し、優吾は余裕のある態度を意識しながら言う。
「俺の周りで見っともねぇ真似する野郎が居るならシメようと思ってさ」
少女はしばし考えてから、ゆっくりと答えた。
「何処の誰かは知らない。資材置き場はB町。お兄さんが今すぐシメる必要が無いなら、そいつらは泳がせておいて欲しい」
「へぇ・・・。まさか自分でシメるって?」
B町の資材置き場を私刑場にしているグループに、心当たりは有る。
記憶を辿りながらメンツを頭の中に並べ、優吾は少女に問う。
「即時返済は手持ちが無いので無理だけど、返済計画を立てて、返済日が遠くなる分、利息を付けて十倍くらいで返すつもり」
「ブハッ。マジか。お嬢ちゃんに出来んの?」
「私はやらない」
「へぇ。じゃあ、お手並み拝見と行こうか。俺は木崎優吾」
「・・・ここで名乗るのは遠慮したい」
少女の視線が、地面に転がる野郎共に向けられる。
声量からして聞こえる距離ではないが、優吾の質問には律儀に答えてくれる少女にも、しっかり線引する警戒ポイントはあったようだ。
面白くなって笑みが浮かび、移動を促すように手を差し伸べれば、少女が何やらゴソゴソとコートの中から取り出した。
電話帳を。
「ソレ、何処から・・・?」
「最初に逃げてた時、途中の電話ボックスで拝借して腹に仕込んでおいた」
「あー・・・だから男に鉄パイプ食らって折れかけで済んだのか」
マジで修羅場慣れしてる、この女。
俄然、湧いた興味は強くなる。
この日、少女から「素良」という名前だけ聞いて別れた優吾は、舎弟を自称する後輩の幾人かに情報を集めさせ、少女の名前や学校の学年やクラス、家の場所などの基本的な情報の他、何故あの日、そんな目的で追われていたのかという事情も把握した。
知ってしまえば「よくある話」の一つだった。
素良と同じクラスに居る、「不良グループと繋がりがある」ことを笠に着て粋がる女子が、好意を寄せる同学年の男子が素良を「好きらしい」という噂を聞いて腹を立て、繋がりのある不良グループに、輪姦して写真を撮ることを依頼していた。
顔を殴ると大事になってバレそうだから、暴行は服の下だけ、と念を押していたと言う。
くだらない、馬鹿の話だ。
そう、優吾は思ったが、「悲惨な目に遭う被害者」になる筈だった素良が、全く怯えてさえいない上に「計画的に後々十倍返しでヤるから泳がせとけ」と宣う胆力の持ち主だったことで、これは「よくある話」だけでは終わらない。
素良への興味を維持したまま、優吾は後輩達に素良の周辺を探らせ、継続して報告を上げさせる。
素良の新情報にニヤリと嗤いの込み上げる日々は、退屈や空虚を覚える暇も無くなった。
優吾は、それまでそれなりに楽しんでいたと思っていた二十年にも満たない人生に、素良という「面白い存在」を見つける前には、実際のところ既に飽きかけていたのだと気付いた。
報告を聞き、優吾の予想を尽くブッ千切って来る素良の行動に呆れ、感心し、爆笑する度に、自分も「この程度」ではいられないという思いが湧き上がった。
素良の存在が、気付けば優吾の中で好敵手のような位置に鎮座して、「負けてられるか」と奮起する原動力になっていた。
優吾が高校を卒業し、母の弟である叔父が経営するバーで修行を始めた頃、素良は△△高校に入学し、不良グループの依頼人だった女子生徒とは別の学校に別れた。
だが、優吾は手下達の報告によって、素良が『返済』に向けて動き続けていることを把握していた。
素良にどういう情報入手ルートがあるのかまでは調べられなかったが、彼女は中三になる前の春休み中、何故か、襲って来た不良グループの上位組織の暴走族と対立関係にある暴走族チームリーダーの『恩人』になっていた。
どんな奇跡だと、報告を聞いて爆笑したものだ。
どうも、暴走族同士の抗争で、リーダーへの攻撃手段の一つとして、リーダーの飼い猫が拐われたらしい。生後半年かそこらの仔猫だ。
その仔猫を、敵対チームの奴がリーダーの目の前で橋の上から河に放り投げた。
橋の上ではガチギレのリーダーが半殺しを超えて『仔猫の仇』に制裁を加え、同じチームの連中も手が出せないキレっぷりに、「ヤバい、このままじゃマジで殺す」と青くなっていたところで、ズブ濡れの素良が仔猫を抱えて登場。
近所の子供と河原でツクシやヨモギを探していたら、仔猫が流れて来たから救けた。
一緒に居た子供が「猫が橋の上から落ちたのを見た」と言うから連れて来た。
素良は、そう説明したらしい。
一緒に居た子供は、素良と共に行動をしているという目撃情報の多い男子小学生だ。
多分放置子だろうが、素良は懐かれてよく面倒を見ているらしい。
意外と優しい面もあるのかもしれない。
何処から何処までが素良の『計画』なのか、はたまた偶然なのか、運が素良に味方をしているだけなのかは判別出来ないが、この一件で素良は、一つの暴走族チームのリーダーから絶大な感謝と信頼を得た。
そこからジワジワと、『返済相手』への包囲網が敷かれ始めた。
素良を襲った不良グループの上位組織は、その不良グループのメンバーが原因に見えるような形で不運に見舞われる事態が重なり、チームの勢力はガンガン下降して行った。
その苛立ちは当然、下部組織の奴らに暴力となって向けられる。
その手のグループからの足抜けは簡単には出来ない。
逃げようとすれば、制裁はエスカレートする。
不良グループの上位組織は、全盛期の力を失い、猫好きリーダーのチームなら簡単に潰せる規模になっても、存続だけはさせられていた。
寧ろ、自チームの勢力を拡大した猫好きリーダーが他チームへ牽制して潰させなかったという噂もある。
証拠は無いが、裏に素良の暗躍があったと思われる。
上位組織が存続しているために、不良グループは一年以上、生き地獄を味わわされていた。
だが、ソレはまだ素良にとっては『返済』じゃなかった。
高校生になった素良はバイトを始め、「大人しそうな美人」の見た目に似合う私服を着て、髪型も美容師に整えてもらうようになっていた。
素良は自分の見た目が使えることを自覚していて、それに躊躇は無く、効果的な使い方もよく理解していた。
中学の頃、素良を「好きらしい」と噂になり、襲撃の原因となった男子は、素良とも件の女子とも別の高校に行っていたが、地元の駅ならば互いに再会する確率は低くない。
故意か偶然か、男子生徒は「益々綺麗になった素良」と再会し、今度は明確な好意を表して彼女に近付くようになった。
例の女子とも重なる行動範囲内で。
その女が男子生徒へ恋情を持ち続けていることは、優吾でも手下に調べさせたら把握出来たのだ。
同じ学校だった素良が、「知らなかったから悪意無く」その男子と仲睦まじく過ごしていたとは思えない。
大体、お前、そんなキャラじゃないだろう。
報告で聞かされる、「可憐な素良ちゃん」と爽やか男子の初々しい「友達以上恋人未満」のデート風景は、毎回腹が捩れるほど笑った。
素良が高一の夏休み、とうとう『返済』は完了した。
女が、再び不良グループに素良の襲撃を依頼した。
今度は、「輪姦して写真撮ってバラ撒いて。顔もグチャグチャにして二度とイイ気になれないようにして」という内容で。
だが、不良グループが依頼を実行することは叶わなかった。
素良がどうやって全てのタイミングを揃えたのかは分からないが、同じタイミングで、不良グループの上位組織が猫好きリーダーのチームによって完全に潰された。
メンバーは制裁され、周辺エリアからの追放宣言──見かけたら制裁だ──も界隈の傘下チームに通達された。
こうなったのはお前等のせいだと、潰されたチームは下部組織のメンバーに恨みをぶつけた。
自棄になった非行集団で、先に自分達もかなりキツイ暴行を受けて頭に血も上っている状態だ。
手加減も、ブレーキも無い。
通報を受けた警察が溜まり場に踏み込むまで、過剰な暴力行為は続き、全員が重症での病院送りとなった。
搬送された時点で死者は居ないと聞いているが、後遺症が残る奴は何人も居るだろう。
だが、頼みの綱の不良グループの末路を知っても、女は諦めなかった。
多分、素良は、女が諦めて引っ込むようなタマじゃないことを知っていて、仕掛けていた。
女が年齢を偽って小遣い稼ぎをしている「夜の店」の中に、何処かの組員だと噂される男が通う店があった。
素良は女の性格を読んでいて、伝手の有る不良グループが使えなくなれば、「声をかけられる唯一のヤバい人」として、その男に近付くと予測していたのかもしれない。
きっと、素良の計画通り、だったのだろう。
女は軽く調べることすらせず、本職の噂のある男に声をかけ、不良相手と同じ内容の依頼をした。
対価は、大人にとっては端金でしかない額の札びら数枚と、どれだけ自信があるのか「あたしのカラダ」だったらしい。
聞いた時は、思わず鼻で嗤った。
素良は、何処まで読んでいたんだろうな。
その男は、本当に、ある組の組員だった。
それも、チンピラじゃなく、それなりの地位だ。
そんな立場の野郎が、年齢を偽った小娘を出入りさせる程度の店に頻繁に通っていた理由を知って、優吾は肝が冷えた。
流石に偶然だろうが、ゴールデンウィーク中に素良がバイト先の喫茶店の前を掃除中、店先の路上で発作を起こして急に蹲った高齢の女性が居たらしい。
素良は直ぐに駆け寄り、適切に介抱しつつ連絡等の対処をし、大変に感謝された。
その女性が、とある組の組長の奥さんだったのだと言う。
どんな奇跡だよ、と優吾は天井を仰いだものだ。
謝礼金の他にも何か望みは無いかと訊かれた素良は、「中学生の頃に不良グループに自分の襲撃を依頼した同級生」に最近また睨まれていることが不安だと相談していた。
だから『御礼』の一環で、暫くの間、奥さんの息のかかった組員が「同級生」の行動範囲に足を伸ばし、飲んだり買ったりしていた。というのが、ショボい店にチンピラ以上の男が通っていたカラクリだ。
何だソレ、いつの間にマジもんの人脈作ってんだよ。
優吾は頭を抱えながらも、愉しくて笑いが止まらなかった。
こんなに予想をブチ壊して超えて来る奴なんか、同類の中にだって早々居ない。
女は男に何処かに連れて行かれた後、今のところ地元では見ていないと言う。
何処かでキツイお灸を据えられてるのか、それとも二度と戻って来ないのか。
次に素良が何をするのか、これからもずっと見たいし知りたい。
期待と欲求が止まらない。
だが、優吾は最近、自分で自分がしっかり把握出来ていないような感覚に戸惑い、悩んでもいた。
二十歳を超えてから、優吾は叔父の店だけでなく、他所の店でホストとしても働くようになっていた。
昔から入れ食い状態でモテていたし、自他共に認める色事好きで、仕事で多くの女性と関わり、欲も持つ生活で、自身への違和感を抱くことは無い。
素良のことは、最初は「面白ぇ女」だと思っていただけだった。
顔立ちは派手じゃないが美人だし、「大人になったらイイ女になるだろうな」と思っていた。
十倍返しの『完済』までの流れを知れば、「ヤベェ女過ぎてゾクゾクする」と興奮した。
だが、その興奮さえ、性的なヤツじゃなかった。
確かに、出逢った中学生の頃は完全に対象外だった。
だが、実際に手を出せばマズイ未成年でも、今の素良は十七歳で「年頃」というやつだ。
何故、美人で中身にも惹かれている素良に、自分は全く色めいた欲を覚えないんだ?
好みかどうかで訊かれれば、「あんなイイ女は居ねぇ」と前のめりで満点を出せるくらい、素良という女は好ましい。
だが、裸を想像してみても息子はピクリとも反応しない。
ついでに、組み敷かれて色っぽく啼いてる姿は、全力の努力も虚しく、有り得なさ過ぎて想像が不可能だった。
ある意味、悶々とした日々を送っていた優吾は、叔父の店へ出勤したある日、ゴミを出しに店の裏口を出た所で小柄な中学生くらいの少年に声をかけられる。
「アンタ、ずっとソラ姉を嗅ぎ回ってるけど、今後どうするつもり?」
ガラス玉のように無機質な視線と感情の乗らない声音で言う少年は、素良とよく行動を共にしている近所の子供だった。
荒事の場数を踏んでいる優吾が、声をかけられるまで、まるで気配を察知出来なかった。
それに時刻は既に深夜。素良の家の辺りから此処までは、歩ける距離とは思えず、電車もバスもとっくに無い時間だ。
聞きたいことが顔に出ていたのか、不気味な少年は平坦な声で答えるが、その内容で更に優吾の警戒心を高める。
「ボクの存在もアンタは認識してる筈だよ。調べさせてたでしょ。『放置子』だから深夜外出を咎める親は居ない。それと、このくらいならボク、走って往復出来るから」
「は?」
前半はともかく、最後の一文を正しく理解することを脳が一時的に拒否し、優吾は間抜け面で固まった。
いやいやいや、ちょっと待て。
ここから彼処まで何駅だ?
「だって、ソラ姉が高校卒業したら、この辺の大学に入って、住むのもこの辺だって言うから。自分の足で走って往復出来なきゃ毎日会えなくなるし」
「毎日」
思わず復唱した優吾に軽く頷き、少年は「決まり切った当然のこと」のように続ける。
「だってボク、ソラ姉の『犬』だもの。『飼い主』には毎日会いたいのって当然でしょ」
「犬・・・犬⁉」
落ち着いて来ていた優吾は、再び一気に混乱した。
「で、ソラ姉のこと嗅ぎ回ってるアンタがこの辺で働いてるの、ボク、気に入らないんだ。ソラ姉の害になるなら排除しときたいし」
凡そ、中学生のガキが出せるとは想像もつかない、底冷えのする殺意が迸った。
反射で身構えた優吾を、少年は最初と同じ無機質な視線で射抜いている。
「俺は、素良の害になる気は無い」
慎重に言葉を選んで返す優吾に、猶予を与える気は無いと、少年は即座に問を重ねる。
「じゃあ、アンタはソラ姉の何になりたいの?」
素良の、『何』になりたい。
自問して眼前の少年の首の辺りに視線が留まった時、優吾は強烈な飢餓感に襲われた。
少年の首には、まるで首輪のように、黒い革紐にアメジストの原石を針金細工の球に入れて通したものが、巻かれていた。
少年は得意気にソレを見せつける。
「羨ましい? コレ、ソラ姉がバイト始めて、やっと貰えたボクの首輪。ソラ姉の手作りなんだ」
ゴクリと優吾の喉が鳴った。
何故か、素良から首輪を貰ったと誇らしげな目の前の少年が、──素良の『犬』が、羨ましくて堪らなかった。
そうか。
俺も、求めている素良との関係は、ソレだったのか。
そりゃあ、男と女なんて関係には嵌まらなかった訳だ。
あれほど好ましくてゾクゾクさせてくれる存在は居ない。
欲しくて欲しくて堪らないが、俺が支配したい訳じゃない。
心で勝手に好敵手扱いしてた時からずっと、目指していたのは「素良に認められる自分」だった。
認められたい。
褒められたい。
───あんなヤバい女に。
その欲求が限界を突破して、俺が出した答えは、
あの人の『犬』になりたい、だ。
胸に巣食っていたモヤモヤがすっかりと消え去り、爽快な気分になった。
「俺も、あの人の、素良さんの『犬』になりたい」
上位者への「さん」付けが、染み付いたこれまでの生き方で自然に出る。
最早、優吾にとっては「素良さん」呼びの方が、自分の中でしっくり来るように感じた。
少年が見定めるように目を細める。
「じゃあ、ソラ姉がアンタを要らないって意思表示するまでは、見逃してあげるよ」
どうやら、少年の基準による第一関門は突破出来たらしい。
踵を返して夜闇に消えて行く少年を見送り、優吾は今後の『楽しい予定』を立て始める。
先ずは、顔を合わせての再会。
そして、『犬』として『御主人様』になってくれるよう、じっくりと口説いて行く。
ああ、愉しみだ。
裏口から店に戻る優吾の唇は、物騒なくらい満足気に吊り上がっていた。
【解説っぽい何か】
・素良の情報入手ルート
→この当時、既に身体能力と隠密スキルが「フィクションの忍者並」だったタロー。
タローは、『普通』を目指す素良が暴走族や不良グループの情報を集めていることに疑問を持っていない。殺れる能力を持つ駒を持っているのに即時直接の報復をしないことで、タローには素良が十分『普通』に拘っているように見えている。
・タイミング
→概ねは、集めた情報から分析して選択肢を最少まで絞って測っている。
奇跡レベルのものは、的中率百パーセントと確信出来る「〜な気がする」という勘に従った結果。
意図的に使うことは出来ないが、奇妙な勘の良さは素良が生まれつき持っているもの。幼少期もソレのお陰で脱した危機は少なくない。『普通』を目指すのも、勘に従ってという部分が大きい。
・猫好きリーダー
→ターゲットの上位組織の暴走族が、猫質を取って敵対チームのリーダーを脅迫する為に、あの橋に呼び出す、という情報まではタローが入手していた。
情報を得たので近くの河原で様子見をしていたら猫が流れて来て、素良もタローも「は?」となった。まさか、折角取った質である猫を橋から河に放り投げるとは、二人とも思っていなかったので、珍しく暫し呆然とした。
救出した猫を返しに行って『恩人』になったのは素良の強運。
・組長の奥さんとの縁
→完全に運。この出逢いがあったことで、素良は『返済計画』の内容を一部修正。『返済』される側には利息が更に上乗せされることになった。
次回投稿、3月24日午前0時。
御堂の話。更に長いです。