自慢の首輪
やっと再会出来た御主人様の下を離れての、祖国カイヤナイトへの一時帰国。
だと言うのにイェルトは珍しく、その他大勢の一般人から見ても上機嫌が分かるほどに表情を満開の笑顔にしている。
現在のイェルトは、家族と共にカイヤナイトの王城にて新年を祝う夜会に参加中だ。
世界に愛された最上の美少女のような容貌で、惜しみない満開の笑顔である。目にした者は惚けたように魅了されるし、否が応でも会場中の注目を集めてしまう。
しかし、イェルトに視線を向ければ、イェルトの「上機嫌」の原因であるソレも視界に入る。
先ずは妖精も斯くやという極上の美少女めいた顔面に視線を吸い寄せられ、惚けた後にやや顔の下の部分を目に入れてしまい、「は?」と貴族にあるまじき中々に面白い顔で口を開けて固まるまでがワンセット。
イェルトが歩を進めるごとに、夜会の会場が、イェルトによる混乱の被害者で埋め尽くされていく。
「イェルトよ、ソレは?」
この会場で最も立場が上であり主催者である国王ジェフリーが、ローナン侯爵家が挨拶に進み出た際に問う。
ジェフリー自身は、ローナン侯爵からの報告でとっくに知ってはいたが、この場で自分が訊ねてカイヤナイトの社交界に事実を広く知らしめて『国王公認』とせねば、色々な意味で収まらないだろうと予測が付いたのだ。
この会場の、参加貴族らの困惑も。
かつて見たことが無いほどに「上機嫌」である爆弾天才児の、その「上機嫌」を自国の王が認めなかったと捉えられる可能性のある「無視」という態度を取った場合、後に起こるであろう愚者のやらかす愚行と、上機嫌の反動で何処までのレベルで爆発するか分からぬ天才児の怒りも。
「コレは、私の御主人様から、私が是非にと強請って賜ったモノです」
にこやかに、その細く優美な首に巻き付けたソレに繊細な指先で触れながら答えるイェルトは、公の場用の振る舞いではあるからこそ、『首輪』という本来人間が身に付けるべきではないアイテムの異質さが更に際立っている。
イェルト自身はソレを大層気に入っているのだと態度で明らかに示しているし、何一つ恥じることなど無いと堂々たる態度でもある。
寧ろ、首輪を万人に見せつけようと誇らしげでさえあった。
「ほう。その才覚と美しさに多くの者から望まれたイェルトが、自ら主を決めたか」
「はい。私の全ては、もう御主人様のもので御座います」
イェルトは、自国の王の御前で堂々と宣言した。
イェルトの全て──命も身体も人生も心も、そして「規格外の天才」と称される能力、技術、才覚も。
イェルトの持てる全てのモノは、イェルトが主と定めた相手のモノであり、それ以外の相手には誰であろうと『イェルト』の所有を認めないと。
常ならばガラス玉のように無機質である蜂蜜色の大きな両の瞳に、爛々と強い意志と決意を漲らせ、王の御前で宣言したイェルトの覚悟を、ジェフリーは正確に読み取り、そして受け入れた。
ローナン侯爵からの報告で、イェルトが『主人』として選んだのが、クリソプレーズ王国の『剣聖』ジルベルト・ダーガであることは既知である。
ジェフリー自身、クリソプレーズ王国の現王ジュリアンのことは同盟国の王として信頼を寄せている。
実態としては腹と弱みの探り合いのみの関係性の幾つかの同盟国とは異なり、クリソプレーズ王国は、真に「同盟国」と呼べるとジェフリー自身が判断している国だ。
次期国王となる第一王子は不透明だが、イェルトが主人と選んだ『剣聖』が忠誠を誓う主は第二王子である。
クリソプレーズの第二王子アンドレアの名声は、その功績と共にジェフリーの耳まで届くほどのものだった。
他国や自国の若者達から「地味でつまらない国」と評されるほどに平穏な国の為政者であるジェフリーは、アンドレアが悪評を集める意味と本意も痛いほどに理解している。
ジェフリーのアンドレアへの評価は、とても高い。
次代をアンドレアが支えるのであれば、クリソプレーズ王国への信頼と評価を下げる必要は無いと、国王として判断出来るほどに。
下手に国内で国や王家に二心ある輩や犯罪組織、いつ敵国となるか怪しい関係性の他国の権力者などに心酔される恐れがあったことを思えば、クリソプレーズ王国第二王子に忠誠を誓った『剣聖』をイェルトが主人にと選んだ現状は、いっそ安堵で胸をなで下ろす結末である。
イェルトは既に『御主人様』を選び、人間の中でも気位の高い貴族ならば決して受け入れることなど出来ない屈辱である筈の「首輪の装着」を、自ら強請ってまで見える形で披露している。
そこまでしてイェルトは、これは決して覆らない事柄なのだと、王の御前で、公の場で、知らしめているのだ。
と、言うことは。
イェルトは、クリソプレーズ王国の『剣聖』の言う事にならば、良い子で従うということだ。
クリソプレーズ王国の『剣聖』は、このイェルトを、手を噛まれずに安全に扱えるということ。
イェルトが同盟国の『剣聖』に迷惑をかけて国同士の関係が悪化する、というリスクは少ないと見て良さそうだ。
何れにせよ、カイヤナイトにイェルトの手綱を取って扱える人物など居ない。
能力面の問題と言うよりは、イェルトのようなタイプの天才との相性の問題が大きい。
長く続く安定を目指して舵を切ったカイヤナイトの国政では、平穏を保っている現在、突出した天才の使い所を定めるのが非常に難解である。
逆に、実力主義を掲げるクリソプレーズであれば、活躍の場も成長のチャンスも多かろう。
よし。
これまで、望む飼い主に相見えず、飢えて微睡み続けるしかなかったカイヤナイト王国産の才気溢れる美しき猛獣は、それを覚醒させて尚、愛でる器と力量を持つであろうクリソプレーズ王国の『人外』に、手綱取りも育成も、お任せしよう。
それが、あちらもこちらも、幸せになれる未来であろう。
地味と言われるほどに平穏な国を運営するカイヤナイト国王ジェフリーは、一瞬で様々に思考を展開して結論を出すと、鷹揚な笑みを浮かべて輝く蜂蜜色の瞳を王族席から見下ろした。
「そうか。ずっと探していた『自らの主』に出逢えたか。良かったな、イェルト」
先ずは、今のイェルトを否定せず受け入れているのだと知らしめる言葉と態度を周囲に見せつけ、そして既知の情報を周知するために茶番を仕掛ける。
「して、カイヤナイトの宝玉とも呼ばれるお前が認め、望んだ主とは何処の何者である。当然、余も納得し、心からお前の行く末を祝福出来るような者であろうな?」
思惑を理解して、イェルトは上機嫌のままジェフリーの茶番に乗った。
「当然で御座います。私が選び、望んだ主人はクリソプレーズ王国の『剣聖』、ジルベルト・ダーガ様なのですから」
「おお。かの有名なジルベルト卿か。同盟国であるクリソプレーズの『剣聖』は、十五で当時最強の剣豪と大陸に名を轟かせていたパーカー元騎士団長を下し、史上最大数の妖精に祝福された『人外』と称されるほどの絶世の美貌の主と聞く」
「はい。私が私の主と認める相手への、『私より美しく強いこと』という最低限の条件を易易と超え、その人格、生き様も私を魅了して止まない御方です」
晴れやかに言ってのけるイェルトの言葉が浸透すると、「そんな無理難題な『最低限の条件』があったなら先に言ってくれ」という感想が、会場内の参加者や騎士達の胸の内に湧き上がったが、『人外の美貌を持つ剣聖』であるジルベルトの中身が御主人様だったから後付で生まれた「最低限の条件」なのだから、先に言えた訳が無い。
しれっと酷い条件を今更公開したイェルトに、内心では苦笑を零しつつもジェフリーは茶番を続ける。
この場で「イェルトの主人はクリソプレーズ王国の『剣聖』である」ことをジェフリーがカイヤナイト国王の立場で認め、受け入れ、歓迎していることを示さなくては、イェルトの魅力に目の眩んだ「自身の実力も弁えず現実も見えない馬鹿」だけでなく、国と王家を想うが為に行動を間違ってしまう者が出かねないからだ。
それほどに、イェルトの評価は高く、比類無き彼の高い能力や将来性は恐れられている。
国内の成人貴族の全てが参加を義務付けられた、国王主催の新年を祝う夜会。
この場で注目を浴びながら茶番を繰り広げ、イェルトの口から『御主人様』が何処の何者であり、どれほど素晴らしい人物なのかを語らせ、それをジェフリーが受け入れ、認め、喜ばしいことだと祝福する。
その一幕を見て尚、「国のため」などと抜かしてイェルトをイェルト自身が望んだ主人から奪還しようと要らぬ手を出すならば、ソレはもう、カイヤナイト国王として、それこそ「国のために」切り捨てるべき輩だ。
「うむ。新年に相応しき目出度き話題だ」
やや大袈裟に、ジェフリーは慶びを表して見せる。
このパフォーマンスを政治的に汲み取れない者など、ジェフリーの治世に於いて国家の中枢に居据わられては迷惑だ。必要無い。
カイヤナイト王国の強みは『平穏』と『安定』である。
国の中枢近くに在ってそれを脅かす者は、国賊と変わりないのだ。
そのような者、たとえ今は王族や公爵家に籍があったとしても、イェルトに潰されようが、ローナン侯爵に排除されようが、ジェフリーは最高権力者として黙認する構えだ。
「イェルトよ、こちらへ。近う」
ジェフリーは王族席へ手が届くほど近くへイェルトを招き寄せる。
そして、大人しく進み出たイェルトに手を差し延べ、甥でもあるイェルトを慈しむように一度撫でると行く末を祝いだ。
「余はお前の祖国の国王としても、お前の伯父としても、望む主人と出逢い、仕える幸運に恵まれたイェルトの往く道を慶び、祝福しよう。祖国を忘れず、カイヤナイト貴族の誇りを汚さぬよう、自らが選んだ主によく仕えるのだぞ」
「はい。ありがたき御言葉、賜りまして御座います。我が主と引き離されず、我が主へ害意を向けられぬ限り、私は陛下の臣であるカイヤナイト貴族である己を否定することは御座いません」
「ああ。小さき頃から余が目をかけていたお前を、漸く出逢えた主人から引き離し、その主人に害意を向けるような輩が現れたとしたら、それは余の意思を汲む者ではない。遠慮は要らぬぞ」
にこやかに告げられた王の言葉に、会場はざわめく。
時と場を考えれば、これは国王と臣下の、伯父と甥の、単なる会話ではなく、国王から貴族達への「イェルトと主人への手出し罷りならん」の釘刺しと、イェルトへの「手を出した愚か者への制裁自由」の御墨付の授与だ。
当然、ここまでするのは異例中の異例の事態であり、ここまでしても王の意に逆らう者への救済措置が用意される未来は無い。
珍しく、本当に珍しく、イェルトは僅かだが驚き、それを表情に表した。
してやったりと微笑んだジェフリーは、イェルトにだけ聞こえる小さな声で、そっと耳許で囁いた。
「しかし、その首輪のデザインはソレでいいのか? もう少しお前に似合う感じにするとか無かったのか?」
公の場では使わない、親戚の伯父と甥の気安い言葉遣いで言われたそれに、イェルトは自慢気に首輪を見せつけて囁き返す。
「御主人様の色だし、コレでボクに文句は無いですよ。如何にも分かりやすく首輪な方が牽制しやすいですし」
最上級の漆黒の革に大粒で濃紫のバイオレットサファイアの飾りは、確かにジルベルトの髪と瞳の色だ。
金属部分も、アンドレア専属護衛であるジルベルトの軍服に使用されている艶消しの強化銀であり、お揃い感もイェルトが気に入っているポイントである。
だが、ゴツい。
あまりにゴツい。
もしもイェルトに首輪を付けるならば、優美で靭やかな室内犬か猫に似合いそうなデザインを想定するのが一般的な感覚であろう。
貴族令息に首輪を付ける、という感覚がそもそも一般的ではないという事実は無視するとしてだ。
だが、実際に今、イェルトが首に巻き付け、きっちりと嵌めているのは、犬であれば厳つい顔で大型の闘犬、猫ではなく、大型で凶暴な肉食の爬虫類あたりに付けるとしっくり来るようなデザインの首輪だ。
ただでさえ貴族令息の首に首輪、という違和感が、デザインのせいで暴力的なまでに主張して来る。
まぁ、中身を考えれば妥当なデザインではあるのか。
ジェフリーは、はたと現実に思い当たり、納得した。
奇しくもその意見は、首輪のデザインを丸投げされたニコルの、「あの人の首輪なんだから猛獣仕様デザイン一択でしょう!」と重なるものであった。
王の意思の行き渡った会場で、顔色を悪くした貴族の顔ぶれを見れば、ジェフリーが現在重用している家の者は居ない。
カイヤナイト王国の平穏な治世は、まだしばらく続くことになりそうだ。
自慢の首輪を見せつけながら、家族と共に王族席から離れて行くイェルトの背中を見送って、ジェフリーは新年に相応しい晴れやかな笑顔を浮かべるのだった。
次話投稿、2月26日午前0時です。