ニコルの狂信者達
この作品の投稿は、随分と久しぶりになってしまいました。
しばらくこの作品を離れて、気楽な世界観の話や方向性の違う短編を書きながら、この作品の今後を考えていました。
当初、本編次章は「敵国」とされている国との戦争を主軸にストーリーを展開していく予定でした。
しかし、現在の世情では一般人の日常会話に戦争の話題が上り、日々のニュースで最も目にする機会の多い内容の一つに戦争に関するものがある、という状況です。
そんな中で、下手に物語の主軸に戦争を用い、主人公サイドの言動を美化していると捉えられかねない表現や、敵国を「蹂躙されてザマァな悪役」に見立てたと捉えられかねない表現も、ちょと書けないなぁと難しく感じていました。
当初のプロットでは、戦争なので当然、主人公サイドも敵国サイドも双方が相当に非人道的な行いをしていたので、尚更。
世情は変わらず、気軽に戦争を物語の主軸には据えられないと方向性を固め、当初のプロットは破棄して本編次章の内容から練り直しをしています。
当面は、次の本編の内容を再考しつつ、番外編や前章の後日談、前世の話、幕間などの話を順次投稿していく感じになります。
その間も、頭のリセットやリフレッシュのために、他の作品に手を付けることもあるでしょう。
現在、職場が人手不足のまま人員補充の見通しも無く、更新スピード自体も遅いと思いますが、完結まで書き続けるつもりです。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
ニコルの周りを固める護衛や使用人は、親しい者達から「狂信者」と呼ばれるほどにヤバい忠誠を誓ってニコルを崇拝している。
それは、ニコルによって人生を掬い上げられた事実に起因するが、ニコル・ミレットは決して善人ではないし、彼女の中に「慈悲の心」などという人情は存在したことも無い。
ニコルは貴族らしく傲慢で酷薄な性質を持ち、天才に有りがちな排他性を持つ上に、打算的でありながら気まぐれな気分屋だ。
彼女が自身と等しく「人間扱い」して心を砕く対象は、現在ただ二人のみ。
婚約者でもあるクリストファー・コナー、そして友人である『剣聖』のジルベルト・ダーガだけだ。
それでもニコルの狂信者達は、彼女への崇拝を翳らせたりなどしない。
彼らは元から、ニコルに慈愛や善性など求めていないのだ。
慈悲や善意の手では、ドン底で辛酸を嘗めていた彼らを掬い上げることは出来なかった。
それを、彼らは深く知っている。
善人の優しさや慈悲の施しなど「クソ喰らえ」だ。
それらが必要なだけ続いた試しが無いことは、ドン底で人間の闇を見ながら生き残った者なら、誰もが経験上知っている。
だから、もしもニコルが善意や優しさから起こした行動で彼らが救われていたとしたら、例え結果が同じでも、彼らはニコルを崇拝することは無かっただろう。
彼らがニコルに希望を見出したのは、崇める対象として執着して追いかけるのは、ニコルが彼らの『心』に頓着せず、自身の好きなように振る舞っているだけだからだ。
ニコルは彼らを利用はするが、求めることは無い。彼らの数が増えようが失って減ろうが、感情を動かすことも無い。彼らに『特別な興味』が無いから、其処に在ることを認めてくれる。
彼らがドン底に落ちた理由は様々だ。
最初から最下層の人間として生まれた者。
築き上げた地位も財産も信用や人脈も、奪われ突き落とされた者。
研鑽の果てに手に入れた栄華が手から溢れた途端、周囲に追い落とされた者。
持っていたから妬まれて奪われ、奪うだけでは足りずに落とされた者。
落ちた先で生き残った彼らは、とっくに他者への期待を手放していた。
彼らにとって『お綺麗な生き物』は、憧れる対象ではなく侮蔑の的だ。
恩を着せられようとも、「護りたい」という気持ちは湧いて来ない。
ドン底に居た彼らが齎されたニコルからの「救い」は、伸べられた手や垂らされたロープの印象では無かった。
投網だ。
まるで漁の獲物のように、彼らは深い深い人生のドン底からニコルに掬い上げられた。
根こそぎ、丸ごと。
ニコルの屋敷の家令と護衛頭は油断ならない目線を交わし、その投網を益々広く頑強にせんと企む。
ニコルの意識が離れても、投網漁で掬い上げられた中の出世魚達が、勝手に漁を続けて獲物の献上を止めない。
家令はスラムの元締をやっていたが、元はアイオライト王国の伯爵家の家令を務める地方豪族だった。
当主の横領に気付いたことで一族を皆殺しにされ、クリソプレーズまで逃げ延び、王都のスラムに居着いていた。
実力主義の思想を王家主導で拡散するクリソプレーズでは、「使えるヤツ」であれば他国人の元上流階級の人間でも、スラムで成り上がれた。
クリソプレーズ王都のスラムには、祖国や実力主義に反発する領主が治める地元で、低い身分に釣り合わない高い能力を持っていたが故に迫害され、上司や知人や家族から故郷を追放されたような人間が散見されていた。
平民だが生家が豪農や豪商で、相続争いの邪魔になりかねないからと追放された、優秀な次男以降の男子や女性も居た。
王家主導で拡散している実力主義の思想の影響という土台はあれど、馬鹿馬鹿しいほどの『人材の宝庫』になっていたクリソプレーズ王都のスラムを、そうと知って狙った訳でも無く投網で浚ったニコル。
本人にとっては、新商品のデータを取りたいが為の思いつきの行動。
だが、網を投げたタイミングが最高だった。
巡り合わせや運も、実力の内だと、辛酸を嘗めた彼らは知っている。
だから彼らはニコルを崇拝する。
実力者であり酷薄で傲慢。
身分や立場は不自由であっても、心は勝手で自由奔放。
人の心を求めず、人に期待せず、計算高く徹底するのは一方的な搾取ではない「ギブ・アンド・テイク」。
側に侍る者に新しい世界を見せながら、向けられる想いに頓着は無し。
他者の生命も身体も利用を躊躇わず、いかなる結果にも罪悪感を覚えず受け入れる。
些事と思えば何事も容赦無く切り捨て、感傷に時間を浪費しない。
彼らにとってニコルとは、そういう人間だ。
人間ではあるが、必ず上から見下ろし決して彼らと同列には並ばない絶対者でもある。
護衛頭の男は、元は上級の冒険者であり名のある剣士でもあった。
平民ではあるが貴族の庶子で、並の騎士には勝てないほどの腕と整った顔立ちは、どの国でも引く手数多で貴族からの声掛かりも多かった。
だが、嫉妬から同業者に足を引かれることが増え、面倒な依頼を重ねて回された頃から原因不明の頭痛に苛まれ、悪化して全力で剣を振るえなくなると、潮を引くように周囲から好意的な人間が消えた。
一所に留まれば、身ぐるみを剥いでやろうとする輩や弱っている内に再起不能にするか殺してやろうと目論む輩に付け狙われると察し、元冒険者の流れ者として方々を巡る中で、痛み止めの薬を求めてニコット商会の比較的低価格な商品を扱う王都二号店を訪れた時にニコルと出会った。
偶々店舗の視察に来ていたニコルは頭痛の症状を聞くと、「試してみたいことがある」と店の奥へ連れて行き、長椅子にうつ伏せにさせると、彼の首に細かく位置を調整しながら小さな風の魔法で瞬間的な圧力を数度かけた。
嘘のように頭痛が消えた。
霞がかるように不快感のあった視界もクリアになり、常に半分落ちていたような瞼も開いた。
何より、呼吸が楽になった。
指示された通りにパーツごとに身体を伸ばし、三日ほど店に通うと身体は全盛期を越えて快調さを取り戻した。
ニコルとしては、前世で美容関連商品の研究開発の一環で手に入れた整体技術が、専用器具を使わず魔法で再現可能なのかを試したかっただけだ。
商会で商品化した技術でもなく、当時の段階では料金設定を考えることさえ不要だった。
実験に使ったモルモットから、「実験されて調子良くなった気がするから金払うわ」と申し出られたら、困惑する人間の方が多いと思う。
ニコルにとっては、そういう感覚だった。
だが、タダでは気が済まなかった彼は、似たような症状で苦境に立つ元同業者を呼び寄せ、「実験体の提供」の名目でニコルに献上した。
結果、彼らにとっての『奇跡』は再現され、ニコルは「ニコルに対価を払いたいモルモット」の数を増やした。
各人少しずつ異なるケースのデータも取れ、圧力の加減や圧力をかける点の大きさの調整も目処が立ち、ニコルは十分満足していたが、全盛期以上の身体能力を手に入れた彼らは、揃ってニコルの護衛に手を挙げた。
実験体は全員、元は冒険者界隈で名を轟かせた凄腕の上級冒険者である。
その地位にまで昇れるのは、結局は貴族の血混じり──美しく生まれたから魔法が使えるほど加護が多い「恵まれた人間」だ。
妬まれる要素を、最初から持ち合わせていたということだ。
彼らは冒険者稼業が弱肉強食だと知っていた。
だが、原因不明の不調で能力が衰えるまでは、何度も命を助けた相手や心を砕いて世話をした後輩、怪我や病気で収入が無い間は生活の面倒を見てやった家庭持ちの同業者らの全てから、弱った途端に手のひらを返され、寝首を掻こうとされ、愉悦に歪んだ顔で蔑みの言葉を吐かれるのが当たり前の稼業だとは思っていなかった。
大物を簡単そうに倒すのが気に食わなかった。
綺麗なツラを見る度にムカついていた。
金回りが良くてズルいと思っていた。
気に入ってる女がお前を褒めていたから、いつか潰してやろうと思っていた。
そんな理不尽な台詞を吐いて追われる日々は、存分に彼らの良心や人情を摩耗させた。
彼らの生業が冒険者であることも災いした。
冒険者ギルドは国境を跨いでも連携している。
一度プラス方向で有名になっていた彼らの情報は、「落ちた、貶めていい獲物」として即座に刷新されて伝播したのだ。
冒険者ギルドを避けても、一箇所に腰を据えて平穏な生活を享受することは出来なかった。
嘗て、どう足掻いても勝てなかった蹂躙したい相手を、ゲーム感覚で追い回して大陸中を旅する冒険者が掃いて捨てるほど居たせいだ。
全盛期を越える力を取り戻した彼らは、二度と冒険者と馴れ合う気は無かった。
善意や憐れみや義理で接した相手から「見下された」と恨まれることも、自身に劣る人間から、存在するだけで憎まれることも身に沁みていた。
彼らは取り戻した自分達の力を、自分達を「どうでもいい実験体」として扱い、けれど最高の結果を出し、そのくせ彼らから言い出さなければ何も求めて来なかったニコルに捧げたいと願った。
彼らは歴戦の猛者故に、ニコルが冷酷非情な性質であることを初見で嗅ぎ取っていた。
最高の結果を齎したのは偶然であり、彼らと関わったのも単なる気まぐれ。
それを理解出来ないひよっこでもなかった。
けれど、そこが好ましかったのだ。
護衛として近くに在り、その傲慢さと才覚、人を人と思わぬ傍若無人ぶりと人間不信に確実な人間嫌い、それらを間近で見て益々、「護り仕える相手」として傾倒した。
ニコルが、「不要なもの」を、「取るに足らないもの」を、恐れ無く切り捨てる判断を下す度に、心は高揚し、想いは崇拝まで昇りつめた。
ニコルが切り捨てる判断を下したものを、彼女の手足となって判断の実行を担うことが無上の喜びとなった。
ニコルは、血に塗れ毒に塗れた、彼らの女王様だ。
誰かを救う気など無く、残酷で非情で気まぐれな美しき天才。
思いつくままの実験で他者の人生を翻弄し、捧げられた命など一顧だにせず、欲しがるのは結果だけ。
そんな生き様だから、そんな心の在りようだから、彼らはニコルに本当の意味で救われ続けている。
落ちて、落とされて、最底辺で生まれて、人間の心を失った彼ら。
彼らが崇拝し、心の拠り所とし、狂気的な忠誠を誓うのは、
──失わずとも、初めから人間の心を欠かした女王様。
ドン底で辛酸を嘗めて生き残った彼らは、その経験で身に付けた感覚で、彼らが失ったモノを最初から持たずに生まれた彼らの女王の本質を察知している。
そんな女王様から投げられた網。
そんな絶対者から齎された永続する救い。
自分達は、欠けながら恐れず人生を楽しむニコルを、手放せず縋る亡者だと気付いていても、離れることは出来ない。
彼らのニコルへの想いは、当に信仰だ。
この世界では異端であり禁忌でもある姿勢。
だが、人の世で悪意を以て追い落とされ、能力が有ったが為に人の心を失うほどの苦境や絶望の中でも生き残った彼らは、自分達の象徴のような、上位互換のような、戴ける王のような存在を見つけてしまったのだ。
異端でも禁忌でも、もう失えない信仰心。
祈りの代わりに忠誠を捧げ、行動で示す。
その生き方は「狂信者」と称されている。
いつか、殉教者になれる、その日まで。
彼らはニコルの為だけに人生を疾走するだろう。