変わりゆく未来
モスアゲート王国関連の諸々が後始末段階に入り、約束通り父王に全て任せて解放されたアンドレアは、ようやく「学生王子」らしい日常を取り戻しつつあった。
モーリスに公務の調整をしてもらい、学院が終わった後に郊外の墓地へ向かう予定だったアンドレアは、現在第一王子エリオットの執務室に居る。
エリオットに呼び出された為だ。
好青年風笑顔ながら敵意を隠しもしないハロルドと、いつも通り腹の底が覗えない静かな微笑を湛えたジルベルトという専属護衛の両名を従えたアンドレアも、外面用の爽やか王子の仮面でエリオットに向き合っている。
それを気にした風も無く、エリオットはアンドレアに手のひらに少し余るくらいの包みを差し出した。
「これは?」
「モーゼスが好んでいた菓子だ」
アンドレアが問えば、エリオットが肩を竦めて答える。
「行くのだろう? 外の墓地に」
アンドレアが片眉を上げると、エリオットは片手をひらりと振って自嘲の笑みを洩らした。
「今の私でも、それくらいの情報は耳に入れられるさ。それは元ゴイル伯爵領の定番の土産になっていた無花果の焼き菓子だ。奴の墓前に供えてくれ。私は勝手に外へは行けないからな」
「そうですか」
アンドレアの視線を受けて、ジルベルトが包みを受け取り検めてからハロルドへ渡す。
問題無く、普通の焼き菓子だったようだ。
それを確認し、視線を戻したアンドレアはエリオットに訊ねた。
「モーゼスは、どのような人物でしたか」
「彼奴は、私を利用することに罪悪感を覚える唯一の側近だったよ。お陰で父親との関係が上手く作れず苦慮していたようだな」
「・・・そうでしたか」
「あとは、私と同病であったな。尤も彼奴は私と違って弁えて諦めていたが」
「同病?」
「ああ。自分より年下の『天才』の存在に、己の限界を感じ己に失望し、苦悩に蝕まれて生き辛さを感じる病さ」
エリオットの視線は、『剣聖』のジルベルトと剣術大会連覇中のハロルドに注がれている。
モーゼスの苦悩の原因となっていた『天才』は、この二人なのだと視線が物語っていた。
モーゼスと「同病だった」と宣ったエリオットを、追い詰め失脚させた『天才』は自分であることを知るアンドレアが、言葉を選んでいる内にエリオットの言葉が重ねられる。
「恨んでなどいないぞ。モーゼスも、今は私も」
「兄上・・・」
「まだ、兄上と呼んでくれるのか」
「それは・・・、兄上は兄上ですから」
「そうか。叔父上も漸くお前の負担を理解し、振る舞いを変えてくれたようだしな。お前は最高の専属護衛を有する必要があり、それに不足無い器を持つ王族だ。存分に私を利用し、罪悪感など忘れろ」
「はい。では、失礼します」
後始末は親世代に任せたとは言え「学生王子」も暇な訳では無い。
短い挨拶で、アンドレアは第一王子執務室を辞する。
モーゼスの姿が失われたエリオットの側には、アンドレア達が選んだ『第一王子専属護衛』と、コナー家所縁の近衛が組んで任務に当たっている。
変わった景色を視界と記憶に収め、犠牲者を悼む場所へ、アンドレア達は足を進める。
モーリスとも、馬車の前で合流する手筈だ。
先程エリオットの言にあったように、レアンドロは過去を知る親しい者達から見れば、まるで別人のように変わった。
ジルベルトとの手合わせを願ったレアンドロは、国王の許可を得ていたジルベルトから心身ともに容赦無くボコられボロボロにされた。
あの時、トドメを刺される前にジルベルトから囁かれた言葉を、その無慈悲な最後通牒を突き付ける死の御使いの如き声音と共に、レアンドロは生涯忘れないだろう。
『貴方が我が主の身命を賭して守らんとする国を損なう者ならば、次は消します』
殺します、ではなく消します。と、『剣聖』は確かに言った。
ただ命を奪うだけではなく、文字通り、物理的に存在を消滅させるだけの力を振るってアンドレアの邪魔になるレアンドロを葬るつもりなのだ。
身分にも体格にも武力にも恵まれていたレアンドロは、己が暴力や脅迫を受けて心底肝が冷えるという経験を、今までしたことが一度も無かった。
それをジルベルトに思うさま味わわされ、レアンドロは、如何に今まで自分が周囲から甘やかされて来たのかを自覚した。
生まれてから王都に居た頃も、砦へ出向してからも、ずっと「自分が苦手なことが得意な人間」が側近くに居て、代わりに請け負ってくれていたことに、この年齢になって漸く気付いたのだ。
社交や腹芸が苦手だからと政治の中枢である王都から逃げ、総司令官として腰を据えた砦では、日常的に戦闘が起こり暴力には塗れていたが、レアンドロを越える武力の持ち主と相見えることなど無かった。
砦で最も身分も地位も高いレアンドロは、そんな環境で武力を誇示し、戦闘における実力を見せつけてさえいれば、戦いに身を投じれば理性の飛ぶ「戦闘狂」であっても苦言を呈されることも無かった。
だが、気付いてしまえば、記憶にある過去の諸々が、己の不甲斐なさ故に部下を犠牲にして来たものだと、今漸く分かったのだ。
砦には、一名の総司令官の下に二名の副官が常在することが決められている。
レアンドロが総司令官として赴任して以降、副官の一名は先王の異母弟を父に持つ武門の伯爵だったが、もう一名の副官の枠は、かなり短いスパンで入れ替えになったことが幾度もあった。
それは、全てレアンドロの甘えの尻拭いのせいだ。
味方を疑うことも、部下に厳しい沙汰を下すことも苦手なレアンドロに代わり、砦の騎士という「身内」を厳しく締め上げ規律を維持することや、疑わしき振る舞いの見える部下を許さず徹底的に尋問すること、そして規律違反者や失態を犯した者へ懲罰を与えること等、「正しい行い」ではあるが部下たちから恨みを買うような役割を、ずっと担っていたのは副官だ。
彼等はレアンドロが苦手意識で避けていたそれらを、レアンドロに告げること無く請け負い、一種の閉鎖世界である砦の中で命の危険を感じるほど部下達の恨みを買う羽目になった。
副官の一名が頻繁に砦から任地異動となり、交代が繰り返されていたのは、集中する恨みから命を守るためと、募った恨みで部下達が暴走するのを防ぐ為だ。
副官のもう一名が「先王弟の息子である伯爵」に固定されていたのは、いざという時に、「王弟で総司令官」という立場のレアンドロに進言出来る身分立場の人間が砦に存在しない状況を作らない為だ。
今更ながら気付いた時、レアンドロは、落ち込むどころではない羞恥を感じた。
当に、己の存在が「生き恥を晒す者」でしかないことに、敬愛する兄王の失望を突き付けられた時以上のショックを受けた。
そして、レアンドロは変わった。
自分と同年代や年上の臣下らに己の苦手を補い支えられて来たことは、「反省」が必要ではあるが、過去の自分を許容出来る。
だが、二十以上も年下であり、まだ学生の甥に、己の無自覚な甘えで本来不要だった苛酷な運命を負わせるなど、言語道断だとレアンドロは強く思った。
ジルベルトとの手合わせで負った傷を癒やしたレアンドロは、『厳しく冷酷な騎士団長』として騎士団に復帰した。
元から表情筋の動かない顔と抑揚の無い声と口調、大柄な人間の多い団員でさえ見上げるほどの巨躯、騎士団の部下達を遥かに凌ぐ武力と怪力。
既に己が持つものを効果的に使い、思考と態度、振る舞いを、見た目通りのものに変えたのだ。
強く、厳しく、容赦の無い騎士団長の下、副団長は、それを踏まえて部下達のフォローを出来る者をと、兄王に相談し、推薦してもらった。
王都に帰還して一年未満のレアンドロには、王城勤めの騎士の中に、為人への理解を深めるほど付き合いのあった騎士が居ない。
自身で調べ考えることを放棄した訳ではなく、復帰までの負傷中の間に数多くの調査書に目を通し、前騎士団長が在任中に副団長だったオリバー・カイルを療養中の部屋まで呼んで忌憚の無い意見を聞き、自身の考えを持った上での兄王への相談だった。
ジュリアンは、副団長には面倒見が良く、若い騎士達の世話役のような存在となっている老騎士ギリアム・パースを推薦し、団長の実務を補佐する新たな職位、『団長補佐官』を設け、それに文武両道かつ精神耐性の高いヒューイット・ダレンを推薦した。
ギリアム・パースは、元騎士団長で先王弟のエドワードの盟友であり、国への忠誠固き人格者である。
ヒューイット・ダレンは、ヒューズ公爵家に仕えるダレン伯爵家の男子であり、幼少期にルーデルから教えを受けるも、ヒューズ公爵家執事長の座を継ぐ許可を得るには至らず、成人後から騎士を志した経歴を持つ変わり種だ。
ルーデルの「合格」は得られずとも、ヒューイットの補佐能力は十分以上に高い。
新生レアンドロをトップとするクリソプレーズ王国騎士団は、体制も整い、より一層実力主義集団へと歩みを進めている。
目の笑っていない笑顔のヒューイットを補佐官に従える鉄壁無表情の冷酷騎士団長レアンドロが、優しい私情を徹底排除して統率する、この国の騎士団が、この先アンドレアの職務の障害となる憂いは、大幅に減少した。
意図的に恐ろしげな悪名を振り撒き、国内貴族の調査及び粛清を主な職務とするアンドレアは、国を守る剣であり、他の王族を守る盾だ。
畏怖を込めて囁かれる多くの二つ名は、外患内患双方への抑止力となり、その名で沙汰を告示される容赦無い冷徹な粛清は、「第二王子アンドレア」へ負の感情を集中させることで、それ以外の王族の人気や人物評価を上げ、彼等の名誉と安全を護る力となっている。
国そのものを、そして国を未来へ導き繋ぐ王族を、己の全てを賭けて守るアンドレアの、足を引き背を撃つような真似を、王へ忠誠を誓い国家と国民を護ることが使命である騎士が為すなど許されない。
漸く「王族として考える」境地に至った王弟は、今度こそ己が王族である自覚を持ち、騎士団も、レアンドロの変化に追随するように変わり始めている。
此度のモスアゲート王国の政変によって、クリソプレーズ史上最悪の暗愚、レオナルド王の遺した『負の遺産』の清算という悲願も達せられた。
孤独だった国王と次代の実権者の父子関係も大きく変わり、自身に課した呪縛のような「誰にも頼らぬ王である自分」という偶像を破棄したジュリアンは、近い内に、信頼する側近達へも、これまで独りで抱えていた情報の開示を行うつもりだ。
父王に見限られ失脚した第一王子は、今はもう、天才の弟王子への妬み恨みを昇華し、憑き物が落ちたように安定した空気を纏って『傀儡の王』となる未来を受け入れている。
アンドレアの側近達は益々才覚を発揮し、『剣聖』へ忠誠を誓うことで縛った他国出身の有能な部下を、幾人も得ることが出来た。
転生者達の集うクリソプレーズ王国から、世界へ波及する『変化』。
妖精に、邪なるモノに、祈り願った「やり直し」の世界。
一度目とは大きく異なる道を切り拓き、人々は『今』を、『未来』へと進んで行く───。
ここまでで、『森の国決着編』は終了です。
読んでいただいた方、感想をくださった方、ありがとうございます。
感想の個別返信は出来ませんが、大変励みになっております。
皆さんのお気に入りのキャラの「その後」が、納得いただけるものであれば幸いです。
この作品については、この後しばらく番外編のみの更新を不定期で行うことになります。
この後しばらくは、この作品より少しばかり、書くのも読むのもお気楽な世界観のお話しを書こうかなぁと。
長い作品をここまで読んでいただき、ありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。