人外 対 バケモノ
クリソプレーズ王国王城、騎士団の鍛錬場の一つで、騎士団長となった王弟レアンドロと第二王子専属護衛の『剣聖』ジルベルトは対峙していた。
本日付で、国王ジュリアンから命じられていたレアンドロの謹慎は解かれている。
モスアゲート王国から、国王ニコラスが乱心してグラシア王妃を斬りつけたと報せが入り、これ以上モスアゲートの王太子夫妻をクリソプレーズに留め置く訳にはいかなくなった。
しかも、ニコラス王の乱心の原因は、ニコラスの忠臣と見られていたモスアゲート王国辺境伯である疑いが濃厚だとも伝えられている。
今回のクリソプレーズ王国の軍事式典で起きた襲撃事件の実行犯も、件の辺境伯配下の暗部だった。
今後のクリソプレーズ王国としての対応を考えた時に、いつまでも軍部トップのレアンドロを謹慎させてはおけない。
そういう状況からの、謹慎解除だとされている。
そう。
それらは全て、表向きの理由だ。
何故なら、全ては事前に用意した、ジュリアンとアンドレアの描いたシナリオ通りなのだから。
レアンドロの謹慎解除に先立ち、ゴイル伯爵と嫡男で第一王子エリオットの専属護衛だったモーゼスの処刑が行われた。
謹慎中のレアンドロに伝えられたジュリアンの言葉は、「邪魔が入っては良くないから急いだんだよ」という、既にドン底に沈んでいたレアンドロの精神状態を更に削り抉るものだった。
謹慎が解かれる『表向きの理由』しか知らされていないレアンドロにとっては、「こういう事情でお前の謹慎を直ぐに解かなければならなくなったから、お前のせいで二人の処刑は早まったんだよ」と言われたようなものだ。
ゴイル伯爵と嫡男モーゼスの処刑理由も、処刑当日には国内貴族に向けて公表された。
ゴイル伯爵については、「第二王子執務室への侵入者であるモスアゲート王国辺境伯配下の暗部と、騎士団の地下牢に拘置したことで関わりを持ち、一方的に敵視していた家門の子息と我が国の王女の縁談がまとまることを妨害する目的で、先の式典において襲撃犯となったモスアゲート辺境伯配下の暗部へ、自身の副団長という立場を利用して、モスアゲート王太子夫妻を警護するクリソプレーズ騎士団の隊長格の騎士を遠ざける指示を出す等の協力をした」というもの。
息子のモーゼスは、ゴイル伯爵の犯した罪の大きさと、ゴイル伯爵家の後継であること、既に成人して学院も卒業済みの「責任を負わねばならない立場」であること、父親と同職の近衛の資格を有する騎士であったことから、クリソプレーズ王国法に照らし合わせ、父親に連座させることになった。
モーゼス自身が父親の犯罪に関与していないことも、併せて発表されている。
父親のマルセル・ゴイルは、騎士団の地下牢の中で処刑人に斧で首を落とされた。
モーゼスは、父親の自白の後で拘束され、収容されていた貴族牢の中で毒杯を与えられた。
マルセルは二年前に妻と次男を亡くしており、嫁いだ娘は未だ子が無かったことで早々に離縁されたが、刑罰を与えられる予定は無い。
ゴイル伯爵家は、「家門継続に相応しい後継者を用意出来ない」という理由で取り潰しとされたが、家人や縁者に咎が及ぶことも無かった。
旧ゴイル伯爵領の今後の扱いは、沙汰が決定するまでは王家の代官が預かることになっている。
マルセルとモーゼスの処刑は、第二王子アンドレアの名の下に執行された。
元から人物評のよろしくないマルセルは兎も角、真面目で少年時代から第一王子の専属護衛を務めていたモーゼスが連座で処刑となった結末に、国法を遵守すればそうなると、頭では理解していても感情が付いていかない者は少なくない。
悪いのは、罪と刑罰に関する国法を知らなかった筈は無い、ベテランで近衛の隊長格で伯爵家当主の父親だと、彼らも頭では分かっている。
だが、アンドレアさえ慈悲をかけてくれたら、と、人情として考えずにはいられないのだ。
それが愚かな考えであることも、モーゼスと関わりがあった者達は騎士が多いのだから、特に刑罰に関して「特例」を作って「前例」にしてしまうことのマズさも、十分に分かっている。
それでも、どうしても、それが「個ではなく家で判じられる貴族の正しい在り方」なのだと分かっていても、その名の下に刑を執行したアンドレアへの恨みは消せない。
鍛錬場には、異様な空気が漂っている。
この場でジルベルトがレアンドロと対峙しているのは、謹慎を解かれたレアンドロから依頼があったからだ。
レアンドロ本人は、謹慎中に自身の甘さを猛省したことで、今後は己を変えねばと考え、「過去の自分」との決別と禊のような気持ちで、レアンドロに勝利する実力を持っているであろう『剣聖』との手合わせを望んでいた。
依頼内容も、「己を見つめ直す為の手合わせ故、遠慮無く叩きのめして欲しい」だ。
しかし、ジルベルトには実態が見えている。
ジュリアンの『許可』があるので、勿論、遠慮容赦無く叩きのめすつもりだが、結局『教材』の命を消費して『教育』しても、この人はこの程度か。
というのが、現在のジルベルトの感想だ。
新しい騎士団長と『剣聖』の手合わせだ。
何事も無くとも、強者の試合に興味を持たない騎士などいない。
だから、鍛錬場に手の空いている騎士が見学に詰めかけることに、何の不思議も無い。
レアンドロも、まだ気付きはしないだろう。
鍛錬場に漂う、この異様な空気が、強者同士の試合への期待や熱気では無いことに。
騎士というのは、一部の例外はあれど概ね、自分より強い騎士に憧れを持つ生き物だ。
言うまでもなく、『剣聖』は彼らの憧れる最上位の存在である。
そして、『剣聖』となったジルベルトが御前試合の剣術大会に出場しなくなって以降、完勝で優勝を獲り続けているのはハロルドだった。
国内の騎士達の憧れる存在、No.1とNo.2が揃ってアンドレアの専属護衛であるという現実は、騎士達のアンドレアに対する無自覚の悪感情を煽っていた。
そして、騎士等の軍人は、身内意識が強い者が多い。
アンドレア自身が、純粋な剣技でも一般騎士を凌駕し、魔法やその他の戦闘技術を加えれば、勝てる騎士はジルベルトかハロルド、国王の専属護衛の中でも上位の二名だけという強者であることで、アンドレアへ剣士として憧れる騎士も居るが、アンドレアはレアンドロのように騎士の資格を持ってはいない。
いくら強者として憧れを向ける騎士が居ても、アンドレアは「騎士の身内」という扱いはされず、身内ならではの感情面での目こぼしの対象にはならないのだ。
つまり、元々アンドレアは、騎士達から羨望が歪んだ形の嫉妬の念を抱かれることの多い存在であり、王族故に普段は忠義を持って接しているが、第二王子は『国の騎士団の騎士』が最たる忠誠を持つべき『国王』になる王子でもない。
その上、『次期王弟』ではあるが『現王弟』のような『身内』でもない。
その感情が、「人として自然なもの」であると言い訳が立つ切っ掛けさえあれば、恨みや憎しみ、嫌悪の情を向けることに、理性や躊躇という防壁は容易に崩れ去る。
この場に、ジルベルトの主であるアンドレアは居ない。
表向きは、多忙を理由にしているが、レアンドロの依頼を受けたジルベルトが主の臨席を拒んだのは、万が一があった場合、ブチ切れたジルベルトとハロルドを抑えられる人間が、この国には存在しないからだ。
モーゼスの父親への連座での処刑は、騎士達のアンドレアへの無自覚だった悪感情を、増大させ露出させる切っ掛けになり得る。
この場にアンドレアが姿を現せば、集団心理も手伝って気が大きくなった騎士達が、殺気や不敬な視線や雑言を超えた害意を向ける可能性は低くない。
尤も、ジルベルトもハロルドも、アンドレアに殺気や不敬な視線を向けたり、汚い雑音を耳に入れた時点でブチ切れる自信があるので、各方面の安全の為に、アンドレアには是非とも執務室で大人しくしていて欲しいと願ったのだ。
普段であれば、『剣聖』のジルベルトは騎士達にとって至上の憧れの対象である。
だが、この場に於いては、ジルベルトは「第二王子アンドレアの専属護衛」という、アンドレア側の役者という立ち位置なのだ。
対して、「副団長の裏切りによって謹慎の憂き目に遭った騎士団長」は、同じくマルセルの被害者となって処刑された「悲劇の騎士」と同枠の善玉の立ち位置だ。
実に馬鹿馬鹿しい見世物だとジルベルトは感じるが、元来『剣聖』が持つ高潔で善良なイメージとは程遠い性質の彼は、悪役を望まれているなら演り切ることも吝かではない。
寧ろ、嬉々として演る。
表情は常の静かな微笑のままで、ジルベルトは流麗な声音に嘲りを乗せて言葉を放った。
「殺す、又は再起不能な身体的欠損を負わせなければ、何でも有りの手合わせでよろしいですね? 逃げるなら今のうちですよ」
アンドレアに向けられるヘイトを、今この場にいる「アンドレアの専属護衛」として一身に集め、ジルベルトが挑発すれば、レアンドロは鉄壁の無表情で首を振る。
「いや。望んだのは此方だ。その条件で手合わせ願いたい。貴殿も全力で向かって来て欲しい」
声に抑揚は無くとも悲壮な決意が込められているのだろうと、観客が勝手に同情する様子に嘲りの色を深め、ジルベルトは緩く首を振る。
「それはお断り致します。私が全力で向かえば、貴方は一瞬で、この世に肉片も残りません。ああ、失礼しました。全力で手加減して向かって来いという意味でしたか。承知致しました」
にこり。
あまりに美しい笑顔に、込められた意味が侮辱だと俄には誰も気付けない。
呆けて見惚れ、彼らの長となる騎士団長が侮辱されたのだと思い至り、鍛錬場に詰めかけた騎士達から漣のようにジルベルトへと殺意が送られる。
その殺意の源は、彼らにとっては「義憤」である。
善玉のレアンドロを貶める台詞を放つ、悪役のジルベルト。
ジルベルトが人外の美貌を有しているが為に、悪辣な表情を造れば、目を奪われ魅了されるのと同時に、見る者の心をグチャグチャに掻き乱す程に「許せない」という感情を煽る。
「手加減ついでに先手を譲って差し上げます。開始から五分は私からは一切の攻撃、反撃は致しません。
・・・ああ、ですが、ここは我を忘れて武器を振り回していれば役目を果たしていることにしてもらえていた辺境とは違います。
若輩者の私に言われるまでも無いでしょうが、戦闘中だからなどという言い訳で、頭を使って考えることを放棄する甘えが認められると思わないで頂きたい。
これまで貴方のその怠惰が招いた『犠牲』に、僅かなりとも思うモノが今はあるのだと、今後も仰りたいのでしたらね」
事前のジュリアンの『許可』が無ければ、ジルベルトとて、ここまでの言葉は選べない。
だが、この御仁は未だ反省しただけで、変わってはいない。
多分、ジュリアンもそれを見越してジルベルトに『許可』を与えたのだろう。
折角もらった『許可』だ。
国王の思惑に乗るだけではなく、この機にアンドレアだけに集中するヘイトを自分にも分散させてやる。
そう企むジルベルトの声音は、聞く者の心をガラス片で不規則に切り裂くような、傷付けることに愉悦を感じる毒に塗れている。
レアンドロは馬鹿では無い筈だ。
心底救いようのない馬鹿であれば、あの打算塗れで王としての意識が馬鹿高いジュリアンが、この期に及んで見捨てていないというのはおかしい。
王弟が、「ただの馬鹿」で自国の害にしかならないならば、とっくに「ただの子種ストック」として何処ぞの離宮にでも隔離軟禁されているだろう。
モスアゲート国王を「親友」と偽っていた頃のジュリアンならば、王族の自覚の薄いレアンドロを「可愛い弟だから」と特別扱いしていても、失望はしても疑いはしなかった。
だが、「親友」は我が国を護るための「親友役」でしかなかったと知っている今、レアンドロを「可愛い弟」というだけで、「ただの馬鹿」でも切り捨てないとは考えられない。
ジルベルトは、自分の発言で高まる騎士達の憎悪と向けられる殺意を検分しながら、レアンドロをじっと見極めていた。
救いようの無い「ただの馬鹿」なら、この場でここまで言われても、ウジウジと傷付いて消沈するだけだろう。
そんな『王弟』に、未来は必要無い。
ここまでしてもレアンドロが自分で気付かなければ、ジルベルトは『コナー家の支配者』であるクリストファーに、「王弟レアンドロの抹殺」を進言するつもりだった。
王弟で騎士団長のレアンドロがこのままであれば、ジルベルトの主であるアンドレアが、今まで以上の危険に曝される。職務を果たす上での妨害も鬱陶しいほど増えるだろう。
現王弟vs次期王弟の構図で「善玉と悪役の対立」を描くのは、アンドレアを脅威に感じている貴族らにとって都合の良い未来図なのだ。
気付け。
変われ。
さもなくば────
死ね。
ジルベルトは濃紫に不吉な焔を宿らせて、レアンドロに対峙する。
視線の先で、相変わらず表情など一ミクロンも動かないレアンドロが、抜身の大剣を構えた。
「・・・では、『剣聖』殿。胸を貸してくれ。参る!」
その巨体からは想像もつかないスピードで肉迫するレアンドロに、ジルベルトの口角が薄っすらと上がる。
どうやら、「ただの馬鹿」ではなかったようだ。
周囲の騎士達の異様な空気とその意味を、きちんと頭を使って考えれば、正しく感じて理解も出来ている。
正解に辿り着いた後の反応も、判断のスピードも及第点だ。
異様な空気は騎士達の負の感情であり、それが向かっているのはジルベルト。
ジルベルトへ負の感情が向かう理由は、レアンドロへの挑発や暴言ではなく、ジルベルトが「アンドレアの騎士」であるから。
挑発や暴言は、ジルベルトがアンドレアを護るために、意図的に騎士達のヘイトの行き先を自分へ向けるよう、誘導する目的で発せられている。
それらを、「頭を使うことをサボるな」と暗に言われた後の数瞬で察知し理解したレアンドロは、ジルベルトの呼び方を「『剣聖』殿」として「アンドレアの騎士」だから向かうヘイトを逸らそうとし、「胸を貸してくれ」と、自分が教えを受ける側だという自覚が芽生えたことを宣言した。
だが、ジルベルト的には「及第点」であり、評価は高くない。
ここでジルベルトが主の為に自身へ分散させようとした「今回の粛清で育ったヘイト」を、勝手に逸らそうとするなど減点行為だ。
その辺りの意識が、まだまだあのジュリアンの実弟であり、『苛烈な粛清王子』アンドレアの叔父として全然足りていない。
お優しい意識など、中央に帰還したからには完全廃棄してもらわなければならない。
一撃でも喰らえば潰れた肉塊になりそうな、巨躯に見合った特注の大剣の連撃を、長剣で受け流し、優雅に、遊ぶようにステップを踏んで躱しているジルベルト。
その濃紫の視線には余裕が見て取れ、レアンドロの状態を具に観察している。
この手合わせで、今までのように「戦闘狂」の状態に陥るならば、レアンドロは結局「変わらない」し、「変われない」。
今のところ、レアンドロの無機物のようなクリソプレーズの両眼は『死を呼ぶ緑焔』の様相を呈していない。
それは、ジルベルトの反撃が始まって、自身が傷を負い、流血の事態になっても保てるだろうか。
華麗なステップを魅せながら、反撃までのカウントダウンを、わざと声に出してレアンドロに聞かせてから、ジルベルトは一見慈愛に満ちた侮蔑の表情を造って宣言した。
「時間です。そちらの力量がこんなものなら、本当に『全力の手加減』が必要そうですね。死なないでくださいね? 行きますよ」
そこからの展開は、一方的な蹂躙だった。
レアンドロには反撃する隙間など、一切与えられなかった。
ジルベルトのレアンドロを侮り切った言葉に、一度高まった周囲の騎士達の怒気と殺意も、魔法の制限のある剣術大会では見ることの出来ない『剣聖』の次元の違う実力を、固唾を呑んで見入る彼らから消失していく。
この「手合わせ」を見ている彼らの誰一人として、『剣聖』には決して敵わないのだと、畏怖と共に記憶に刻み込まれたのだ。怒気も殺意も向けてなどいられない。戦意を瞬時に消滅させられた感覚だ。
これが、『剣聖』か。
戦争を経験していない騎士達は、『剣聖』と命の遣り取りをした経験も無ければ、その現場を自分の目で見たことも無い。
明確な、「格」の違い。
それを、今、目の前で「全力の手加減」と宣ってから反撃を開始したジルベルトの戦い方を目にして実感する。
「人間じゃ、ない・・・」
誰かが囁くように声を零した。
鍛えた騎士でも目視が難しい速さで剣を繰り出し、嬲るようにレアンドロを追い詰めながら、合間に唇を動かさず口内で一言呟く程度で恐ろしい魔法を連発するジルベルト。
鋭く線状に発生する水の刃がレアンドロの防具を細切れにして行き、鍛錬場の地面がレアンドロの退避先だけ陥没や隆起を繰り返し、その場をレアンドロが抜けた瞬間復元する。
レアンドロの首の位置に、風の糸が切れ味鋭い刃の如く不定期に幾度も通り抜け、長い銀の髪を焦がす小さな炎の蝶がレアンドロの顔の周りを乱舞する。
レアンドロの防具は破壊され尽くして失われ、顔にも身体にも無数の傷が付いている。
だが、大剣には、武器を失うことでレアンドロが「参った」と逃げることが出来ないように、ジルベルトが傷一つ付けぬ『調整』を、発する魔法にわざと施している。
その事実に気付いた騎士達は、腹の底からゾッとした。
ジルベルトは、怒っている。
それに騎士達は気付いたのだ。
彼らは『剣聖』が強いことは知っていた。
だが、『剣聖』の怒りを受けたことは無かった。目にしたことも。
ジルベルトは、いつも静かな微笑を浮かべる『剣聖』で、強者だからと横柄に振る舞うことも力を誇示することも無かった。
騎士団からの依頼で稽古を付けに来てくれるのは殆どがハロルドで、捕物の際に目立つ派手な活躍をするのもハロルドだった。
そのハロルドがジルベルトにボコボコにされている様子は何度も目にしていたが、「仲間同士のじゃれ合い」に見えて、恐怖を与える光景ではなかった。
ジルベルトが何故レアンドロに怒りを向けているのか、騎士達には分からない。
だが、彼らは一つ、よく分かったことがある。
ジルベルトが今まで騎士達と行っていた手合わせは、「全力の手加減」にすら届いていない「ちょっとしたお遊び」でしかなかったのだ。
今、目の前で繰り広げられている、巨躯怪力の強者を一方的に蹂躙する恐怖の技の連撃が、クリソプレーズ王国の『剣聖』ジルベルトの「全力で手加減した戦闘」だった。
「これ、耐えてる団長も人間じゃねぇよな」
誰かがポツリと呟いた。
確かに。
観衆の心が一つになった。
人外の美貌のジルベルトがいつもの表情のまま連発する魔法と、見えないレベルの剣戟。彼の表情から、全く本気は出しておらず、まだまだ余裕があることが窺える。
相手に致命傷や再起不能になりかねない傷は与えず、逃げを打たせない為に相手の武器の保全までして防具だけを破壊し尽くしたのだから、相当な余裕があってこそのコントロールだろう。
だが、その攻撃は全て、まともに喰らえば致死のものだ。
いくらジルベルトが「全力で手加減」と宣言したとは言え、見ている騎士達の誰もが、ジルベルトの攻撃を避ける自信も、受けて重傷を負わない自信も無い。
レアンドロは、その攻撃を、的の大きな巨躯でありながら可能な限り避け、避けきれずともダメージを軽減するような受け方で傷を浅くし、地面の隆起や陥没に足を取られることも無かった。
辺境の砦の騎士達は、実戦の日々を送っている猛者だ。
レアンドロは彼らの指揮官だった。
いくら王族でも、中央の身分の影響から遠い辺境では、弱ければ猛者達の統率など出来ない。
レアンドロは、紛れもなく猛者達の統率者であり、歴戦の強者であった。
その武人としての力量は凄まじく、疑うべきものは何処にも無い。
だと言うのに、『剣聖』に嬲るように蹂躙されている。
しかし、レアンドロでなければ、嬲られ蹂躙される暇も無く、「瞬殺」どころか「瞬時消滅」していただろう。
この戦いは、人間同士のものではない。
人ならぬ美貌の魔物が、頑丈な体躯の化け物を、戯れに嬲りものにして嗤っている。
そんな物語のワンシーンを脳裏に描く騎士達の視線の先で、限界が近付き体幹の安定が欠けて来たレアンドロに、ジルベルトが凍えるほど冷えた濃紫を向けた。
何事か、レアンドロに囁き告げているが、鍛錬場の周辺から見ている彼らの耳には届かない。
終わりの時は、直後に訪れた。
魔法でも剣の一撃でも無く、揺れたレアンドロの巨躯を、ジルベルトは天高くまで強烈に蹴り上げた。
意識を失い受け身も取れぬまま、重い音を立てて地面へ落下するレアンドロ。
他の騎士ならば、おそらく蹴りの時点で内臓破裂と粉砕骨折、受け身を取れぬ落下で確実に死亡だ。
「依頼は果たしました。私は自分の仕事があるので失礼」
静かな微笑に温度の無い眼差しと声音で言い捨てて、ジルベルトが踵を返したことで、漸く我に返った騎士達がレアンドロに駆け寄る。
「・・・凄い。ちゃんと息があるぞ」
多少、おかしな方向へ腕や脚は曲がっているが、眠るように意識を失っているレアンドロの呼吸は、弱々しくもなく規則正しい。
「バケモノ、だよな」
それがどちらを指すのか誰の口にも上らないが、騎士達は新たに団長となった王弟に、決して逆らうまいと心に誓った。
次回投稿、8月25日午前6時です。