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「優しい王族」という罪

 クリソプレーズ王国国王である兄、ジュリアンから謹慎の命を受けて、王宮の私室に軟禁状態だったレアンドロは、未だ謹慎の解けぬまま、兄の専属護衛に囲まれて、王城ではなく王宮内のジュリアンの私室に併設された執務室に向かっている。

 ジュリアンに呼び出されたからだ。


 式典で襲撃事件が起き、コナー家に任せた襲撃犯の尋問結果が出るまで騎士団長執務室で待機していたレアンドロだが、共に待機していた副団長のマルセルが何故か拘束され連行された。

 宰相のヒューズ公爵が、騎士団長となったレアンドロへ、国王からの勅命の書状を渡した直後、顔を隠したコナー家の精鋭がマルセルを囲み一瞬で拘束が済んだ。


 勅命の内容は、マルセル・ゴイルの捕縛と尋問を行うこと。それらは暗部主導で行われること。その間、騎士団長である()()レアンドロの謹慎を申し付けること。


 理由は、一切レアンドロには知らされていない。

 マルセルが何をしたのか、何を疑われているのか、レアンドロには分からない。

 ただ、逆らってはならないことは分かっていたから、勅命に従った。


 知らされてはいないが、襲撃犯の尋問後に出された勅命の内容を考えれば、ある程度の予想は出来る。

 恐らく、襲撃犯からマルセルの名前が出たのだろう。

 だが、誤解であれば、潔白を証明した後には戻って来る筈だ。


 けれど、もしも、誤解ではなかったら───。


 彫像のように顔面の動かないレアンドロの脳裏に、暗い未来が過る。


 もしもマルセルが本当に襲撃犯の協力者であったならば、他国の王族まで招待した大掛かりな軍事式典での襲撃事件、しかも王族への襲撃だ。

 本人を極刑に処するだけでは留まらない。

 マルセルの息子は、第一王子エリオットに唯一残された、少年時代からの側近であり専属護衛だ。

 次期国王の側に大罪人の近親者を置くことは許されない。そして、大罪人の近親者を側近や専属護衛から外すだけでは済まない。

 息子が父親(マルセル)の所業を知らず、何も関わっていなくとも、実父が大罪人ならば連座で死を賜ることになる。


 マルセルの息子が何も知らなかったとしたら、「罪を犯していない若者の命」が一つ、近々失われる。

 それは、エリオットが近々唯一の馴染んだ専属護衛を失うということにもなる。


 王宮内のジュリアンの執務室に入ると、何故かそこには第二王子アンドレアの専属護衛で『剣聖』のジルベルトが壁際に控えていた。

 相も変わらず静かに微笑んでいるような表情ではあるが、入室したレアンドロに向けられた、魔力を込めた宝石のような美々しい濃紫の双眸は蔑むように凍て付き、とても王国の騎士が王族へ向ける視線とは思えない。


「『剣聖』が気になるか。レアンドロ」


 ふいにジュリアンに声をかけられ、黙して礼を執る。

 下げた頭の上で、ジュリアンは普段と変わらぬ飄々とした口調のまま、衝撃的な言葉を紡いだ。


「ジルベルト卿は、私がアンドレアから()()()借りているんだ。お前が暴れ出したら制圧出来るのは『剣聖』くらいだろうからね」


「私はそのようなことは・・・っ」


 頭を上げる許可は下りていない。

 頭を下げたまま、敬愛する兄であり忠誠を捧げる国王であるジュリアンに抗って暴れることなど無いと溢れた言葉だったが、続けられたジュリアンの言葉は、レアンドロの心を重ねて切りつけた。


「しないでもらえると助かるよ。私は()()()()、お前に失望したくはないからね」


 これ以上、失望したくはない。

 その言葉の意味は、既に、許容範囲を越える境界ギリギリまでは失望されている、ということ。

 胸の痛みに言葉を失うレアンドロに頭を上げるよう促すと、ジュリアンは机上の報告書を眺めながら淡々と説明を始めた。


「襲撃犯の正体はモスアゲート王国ソーン辺境伯配下の暗部だ。

 奴らは王城の第二王子執務室への侵入者として捕え、最近同様の侵入者が激増していた為に拘置しておく場所が不足し、騎士団の地下牢を間借りしていた。

 それをマルセル・ゴイルが脱獄させ、自決用の毒として我が国の騎士団で管理している一種を与え、奴らが望む『襲撃』に必要な装備を与え、襲撃のターゲットであるモスアゲート王太子夫妻を警護する我が国の騎士を数名、計画から配置を変えて離れるよう命じて襲撃犯に協力した」


 表情は動かずとも、(レアンドロ)が何か言いたい雰囲気を察したのだろうジュリアンに、黙れと視線だけで命じられてレアンドロは息と言葉を飲み込んだ。

 ジュリアンの説明は続く。


「十分に調べ、証拠も上がっている。『信じられない』などと世迷い言を申すなよ?

 当時、地下牢の鍵を管理していたのはマルセル・ゴイルだ。保管庫の毒物は、マルセル・ゴイルの他に持ち出せたのは、お前と私だけだ。牢番に持ち場を離れざるを得ない指示を出し、地下牢周辺から人目を排したのもマルセル・ゴイルだ。

 更に、この、軍部では実力主義を掲げる我が国で、モスアゲートの王太子夫妻の近辺を警護する為に配置されていた隊長格の騎士を、『平民出身だから』と、王太子夫妻の視界に入らない位置まで下がらせたのも、マルセル・ゴイルだ」


「そんな・・・」


 レアンドロの呟きが小さく零れる。

 本人の内心は嵐のようにショックで荒れているが、声も口調も表情も、一欠片の感情も含まれていないように動じていない。


 確かに身分によって持てる権利を区別する秩序は必要だと、レアンドロは思っている。

 王国の王族なのだから、レアンドロのその辺りの感覚は「高位の身分」の「支配者層の側」のものだ。


 だが、クリソプレーズ王国の軍部は、先代王弟だった元騎士団長が実力主義の道筋をつけ、もう二十年以上もその方針で運営されているのだ。

 それを、実力で隊長格になった騎士の身分が「貴族ではないから」と、綿密に打ち合わせた事前の警備計画を急変させてまで、王族の近くから視界に入らない位置まで下げるなど、狂気の沙汰だと、長く砦に出向していた実戦経験の豊富なレアンドロには分かる。


 我が国の実力のある騎士ならば、マルセルが下げた位置からでも、警護対象の王族の下まで三秒もあれば到達するだろう。

 近衛は警備計画の位置から下げていないからと、「問題は無いと考えた」。そうマルセルは言い訳をしたらしいが、三秒もあれば人間は簡単に死ぬ。暗殺の専門技術を持つ者ならば、余裕で致命傷を負わせられる時間だ。

 それを、近衛の隊長格で経験年数も長いマルセルが、知らなかった筈は無い。


 その上で、団長のレアンドロに相談も報告も無く、騎士団では禁止行為となる「身分を理由にした職務妨害」を、副団長権限で犯したのだ。

 襲撃犯への協力であったと疑われるに、十分な事由だ。


「幸いなことにモスアゲートの王太子は無傷で無事だ。我が国の王女であった王太子妃のフレデリカが身を挺して凶刃から庇ったからな。フレデリカには、輿入れ前に王妃教育として『王の盾になること』も教えてある。それが功を奏したが、フレデリカの傷は深い。命に別状は無いが一生傷は残るそうだ。()()()()()()()()()()、分かるな?」


「はい・・・」


 レアンドロにとってフレデリカは、顔を合わせたことは少ない姪だが、幼い頃から利発で美しい王女だったことは覚えている。


 貴族の女性にとって身体に治らぬ傷が残ることは、「女性としての価値を失う」ことに等しいとされる。

 理由は、貴族女性にとって最も重要な責務として求められる「次代の為の子を成す」行為が、『傷物』であれば、夫が()()()になれないと言われているからだ。


 それが次期国王に嫁いだ王太子妃ともなれば、夫である王太子が余程心を砕いて妻の後ろ盾とならなければ、廃妃にされてもおかしくはない。

 夫を庇って負った傷であることなど関係無い。次期国王の正妃を、その位置から引きずり降ろしたい輩からすれば、結果のみが全てだ。


 一夫一妻の国であっても、王太子や国王は後宮を持ち、複数の側妃を迎えることが出来る。

 フレデリカの場合は、同盟維持の為の婚姻であることから、公には廃妃の扱いはされずとも、実質は廃妃に等しい冷遇をされる可能性が非常に高いと言える。


 今回の襲撃事件は、あの利発で美しい姪が、嫁ぎ先で理不尽な目に遭い冷遇される可能性を作ったのだ。

 そして、既に国王である父親から見限られ、元から居た側近のほとんどを失っている(エリオット)の、最後に残った側仕えまで失わせる。


 何故、こんなことに───。


 表情筋は微動だにしないが、深く消沈するレアンドロの心の声が聞こえたのか、ジュリアンは更にレアンドロの心を抉る言葉を放つ。


「お前のせいだよ」


「え?」


 思わず、声を零して目の前の(ジュリアン)の口許を、信じられない思いで見つめるレアンドロに、今聞こえた言葉は幻ではなかったのだと思い知らせるように、いつも通りに笑うような形の口許から、冷淡な声音が流れ出る。


「フレデリカが一生消えない傷を身体に負ったのも、エリオットが唯一残っていた少年時代からの専属護衛を失うのも、既にほとんど屋敷に帰らず父親と顔を合わせることなど滅多に無かった、何の罪も犯していないマルセル・ゴイルの息子モーゼスが連座で処刑されるのも、全部、碌に調査もせずに甘言に乗り、マルセル・ゴイルを副団長に指名して、軍部の大きな権限を与えたお前のせいだ」


 否定、したくても出来ない。

 レアンドロは言葉を発さず、ごくりと唾を飲み込んだ。


「何故、マルセル・ゴイルが信用出来ると思った。何故、自分で調べなかった。何故、疑いを持って監視を付けなかった。

 マルセル・ゴイルが評判の悪い野心家だと、懐に入れて信用して良い人物ではないと、調査官の聞き取りなどせずとも、噂だけでも耳に入るほど()()だったぞ」


 何故、と問われても、答える言葉を、レアンドロは持っていなかった。


「マルセル・ゴイルが襲撃犯に協力した動機は、現在水面下で進んでいる私の側妃が産んだ王女達の縁談の妨害を狙ったものだ。ゴイル伯爵家には王女と釣り合う年齢の息子がおらず、マルセル・ゴイルが一方的にライバル視している家には居る。

 次代のモスアゲート王妃がクリソプレーズ王女であることは、同盟の約定であり覆せないからな。モスアゲートの王太子夫妻か王太子妃が亡き者になれば、クリソプレーズ王国内の縁談を流して未婚の王女のどちらかが嫁ぐことになる」


 まさか、そんなことで。

 胸の内に浮かんだ疑問は、冷ややかな声で直ぐに掻き消される。


「まさか、とでも思うか? お前も調べていれば、疑問など湧かなかっただろうな。

 マルセル・ゴイルは合法の範囲内でのライバル潰しに長けている。縁談妨害は奴がよく使う手だ。

 自身の才覚で栄達するより、ライバル視した相手が栄達する道を塞ぎ閉ざすのが奴の常だった。

 既に王女達の縁談に『合法の範囲内』で妨害行為をしていたが、それでは効果が上がらず縁談話は進んで行っていた。焦りから、ソーン辺境伯暗部の口車に乗ったのだろう」


 返す言葉が見つからない。

 レアンドロは、マルセルの評判など知ろうともしていなかった。

 年上で近衛の隊長格で、伯爵家の当主。前科は当然無く、賞罰の経歴も罰の方は記録が無かった。

 そんな()()()()()だけで、レアンドロはマルセルを信じたのだ。


「何度も言うが、調べてさえいれば、マルセル・ゴイルの評判も、過去の行動も、最近の動きも、簡単に掴めたものだ。お前の怠慢で、人生を狂わされた若者と終わらせることになる若者がいる。お前の存在は、影響力は、発言力は、権力は、()()()()()()()。自覚を持て。遅過ぎる」


 兄王(ジュリアン)のクリソプレーズの眼差しが、叱責と共に苛烈に光ったことに気付き、レアンドロは、「ああ、そうか」と尽きぬ悔恨に沈み、理解した。


 これは、王族の自覚の足りぬ自分(レアンドロ)に現実を教え込む為に、()()()見逃された失態だったのだ。


 その、レアンドロの失態によって、幾多の犠牲が生じることも分かっていて、兄王(ジュリアン)はレアンドロを止めもせず、忠告もしなかった。


 全てはレアンドロのせいだと言いながら、その責任をレアンドロが負うことは許されないのだと()()()()

 何故なら、レアンドロは国王ジュリアンの『唯一の王弟』だから。


 次期国王の第一王子エリオットは、婚約者の年齢が若い為に未婚であり、当然、未だ子もいない。

 次期国王が未婚の内は、第二王子の婚姻も認められないのだから、当然アンドレアにも子はいない。

 更に、アンドレアは、内乱を生まない為にと生涯独身を宣誓している。

 エリオットの妃達に、十分な王子と王女が産まれるまでは、『王弟』のレアンドロが表舞台から消えることは、許されないのだ。


「間もなく先王が王都に帰還する。護衛として同行している先王弟もだ。お前は叔父上から、その性根を鍛え直してもらうといい。父上ではお前を甘やかすからな。ああ、でも、」


 項垂れそうになる頭を俯かせないよう堪えながら、兄王の言葉を聞き入るレアンドロの視線の先で、ジュリアンの口許が意地悪げに言葉を切って歪む。


「ジーン殿に瓜二つに育ったアンドレアが、()()()()()()ジーン殿と同じような苦しい立場に置かれ、()()()()()ジーン殿と同じような終焉を迎えることになるかもしれない現状を見て、父上はまだ、お前を甘やかしてくれるものか、分からないね」


「は・・・?」


 呆然と口を開いたレアンドロに、小首を傾げてジュリアンは、態とらしく意外そうな顔を造った。


「おや。まさか、お前が人生を歪めたのが、マルセル・ゴイルの血縁者とエリオットとフレデリカだけだとでも思っていたのかい? アンドレアの通り名くらいは耳にしているだろう?」


 粛清王子。血腥い王子。血塗れ王子。

 氷血を右腕に、『剣聖』と『剣聖』に次ぐ強さの狂犬騎士を護衛に、血も涙も無い粛清の刃を振るう人でなし。

 マルセルの噂は耳に入らずとも、アンドレアの()()は、レアンドロの耳にも届いていた。


「国内貴族の粛清は全て、アンドレアが主導しているのだよ。許可しているのは勿論、国王の私だけどね。恐怖も逆恨みも憎悪も、表に名前を出すアンドレアが一手に背負っているんだ。お陰で私もコナー家も、非常に()()()()()。けれどその分、アンドレアは今や国王の私よりも多くの刺客を送られて来ているのだよ。それも、国内の、あの子が護っている臣下や民達から多く、ね」


 ギシリ。レアンドロのきつく握りしめた拳が軋む音を立てた。

 アンドレアの()()は聞いていた。それが逆恨みから出た評判であるだろうとも思っていた。

 だが、今、兄王(ジュリアン)から聞くまでは、それを深く考えてはいなかった。


 それは、それでは、まるで──。


 レアンドロは、先王が心から公私に渡って頼りにし、失った後には抜け殻のようになってしまったという人物、先々代国王の異母弟であり、先王の時代に辣腕を振るった宰相であるジーン・クリソプレーズの死に様を、先王弟から何度も聞かされていた。


 統治を行う王の為、軍部を預かる王弟の為、生涯独身を貫き奸臣の粛清に尽力した王族。

 最期は、王の忠臣らによって暗殺された。


 彼らがジーン・クリソプレーズを亡き者とした理由は、恐怖と憎悪の集まり過ぎた一人(ジーン)をクリソプレーズ王国から()()ことで、臣下と民からの国家への負の印象を払拭する為だった。

 彼らがジーンの暗殺に踏み切ったのが()()()だったのは、政策転換期故に動きが活発化した国賊奸臣共に、法に則り連座する形で、悪事に手を染めていない近親者や家人の処刑が重なったからだ。

 法に則ってのことであっても、人の情は割り切れない。国家への、王家への不満や不信感は澱のように溜まって行っていた。


 彼らは、国と王へ忠誠を誓っていたが故に、ジーン・クリソプレーズを排除し、その行為を『浄化』と称した。


 有能であり、独り身。

 たった一人で、王国(クリソプレーズ)の執政に於ける悪名の全てを背負った王族。

 彼が()()()ことは、王家や国家へも向けられ始めた負の感情を祓う、非常に効果の高いパフォーマンスとなった。

 そして、犠牲は(ジーン)一人で済んだ。


 たとえ政策の進歩が停滞しても、王家や国家への不満が噴出して内乱が起きるよりはと、情勢を読んだ忠臣らの暴走を、先王も先王弟も、事前に掴めず許してしまった。

 そして、ジーンを失った先王は、国政への気力と情熱も失ってしまった。


「なぁ、レアンドロ。()()の粛清は、お前さえしっかりと自分の立場を自覚していれば、本来は必要が無かった、起きなかったものなんだ」


 軋む拳を震わせるレアンドロに、言い聞かせるように告げるジュリアンの声は、レアンドロを打ちのめす為に、嫌になるほど優しい。


「お前さえ、ちゃんと考えて、自覚して、疑って、調べていれば、フレデリカは一生残る傷も負わず、エリオットは子供の頃から側に置いていた専属護衛を失わず、罪を犯していないモーゼスは父親に連座して処刑されることも無く、アンドレアは()()()()()を自身の名で主導したと公表し記録されることも無かったんだ。

 元学院長エイダンに纏わる大粛清の記憶も新しい内に、真面目にエリオットの専属護衛を務めていたモーゼスが連座となるのだから、()()()()()アンドレアへ向けられる視線に含まれる感情は、どれだけ負の要素を増長させただろうね」


 お前のせいで。

 お前のせいだ。


 レアンドロの頭の中を、ジュリアンの声で同じ言葉がぐるぐると廻る。


「お前は、責任を取ることも出来ない権力を振るったんだよ。その考え無しの行動で、多くの犠牲者を生んでね。自分の罪深さが理解出来たら、指示があるまで謹慎を続けなさい。退室していいよ」


「・・・はい。御前失礼致します」


 深々と頭を下げて、拳を軋ませ、血の出るほど奥歯を噛み締めたレアンドロは、謹慎を続けるべく自室へ向かい、ジュリアンの執務室を出て行った。

 その後ろ姿は、(ジュリアン)から見れば、消えない傷を心に負って、地の底まで沈んでいるように見える。


「お前が可愛い弟であることには、何の変化も無いんだよ」


 嘯くように呟くジュリアンだが、それは本心だ。

 ただ、ジュリアンには、国の為に切り捨てることを躊躇うモノが、己を含めて何一つ無い。それだけなのだ。


「傷つけ過ぎて嫌われてしまったかなぁ。ジルベルト卿、どう思う?」


 唐突に話を振られ、壁際で佇むジルベルトは、「迷惑な」という内心を綺麗に隠して静かな微笑を浮かべた。今は濃紫に凍えるような蔑みは無い。


「私には、天上の方々の尊い御心の内は分かりかねます」


「おお。()()は違うだろうに、やはり親子だね。しれっと()()()()()()()()を突き放したよ」


 最高権力者が答え難い話ばかり振るな。

 ジルベルトの心の声は、老獪な狐狸貴族どもからも「何を考えているか分からん」と評判な、微笑みの仮面で遮断されている。


 しばらく面白そうな眼差しでジルベルトの仮面を眺めていたジュリアンは、ニヤリと息子(アンドレア)とよく似た笑いを浮かべた。

 それは、大抵、アンドレアが良くないことを企んでいる時の笑いだ。


「国王の名に於いて、ジルベルト卿に許可を出しておく。アンドレアを護るためならば、王弟レアンドロを()()()構わない」


「陛下・・・」


「丁寧な口調と所作で問いたげにしても、綺麗な顔に『何言ってるんだコイツ』と書いてあるぞ」


「・・・」


「まぁ、許可をくれてやるから貰っておけ。必要になるやもしれぬからな」


 その言葉に、ジルベルトは暫し考えると、実に優雅に騎士の礼を執った。


「ありがたく、頂戴致します」


「うむ。良きに計らえ」


 レアンドロも退室し、「借り物」としての任務を終えたジルベルトは、そのまま辞去の挨拶をしてアンドレアの下へ向かう。


 ジュリアンが、王弟(レアンドロ)を苛める許可を「必要になるやもしれぬ」と言った時、ジルベルトの勘がそれを肯定した。

 多分、近い内に、()()()()機会が来る。


 さて、どうしてくれようか。


 すれ違う使用人や騎士達が、うっとりと見惚れる静かな微笑の下で、()()()()()中々にえげつないことを考えながら、ジルベルトは長い脚で歩を進めた。


 モスアゲート王太子ブライアンにとって、フレデリカは、自分が希って『共犯者』になってもらった恩人であり大切な妃です。

 たとえフレデリカの顔面に傷が残ったとしても、正妃フレデリカの冷遇を許すことはありません。


 また、フレデリカの側にも、ブライアンが、自身は国の再生の生贄として死ぬことになっても、白い結婚の妃フレデリカは離縁して生かすつもりでいるので、別れる気も夫を死なせる気も無いフレデリカが、意図的に一生残る傷を負った。という事情もあります。

 表向きの「意図的に負傷」の理由は、襲撃犯と協力者を極悪非道の悪者として追い込む為です。


 フレデリカも、何処かの犬の飼い主と同じように、「一度拾ったら捨てない」タイプの人です。

 思い詰めがちな努力家であるブライアンとの相性は良いと思います。



 何度も「お前のせい」とレアンドロに告げるジュリアンですが、アンドレアがジーンと同じ(実際はそれ以上に)苦しい立場に置かれているのは、本当は自分のせいだと分かっています。

 繰り返す「お前のせい」発言は、レアンドロに立場と責任を自覚させる目的でのものです。


 アンドレアに重いものを背負わせるジュリアンの言動は理不尽に見えますが、背負わされるアンドレアが納得していることであり、ジュリアンはレアンドロと違い、結果を予測した上で罪も責任も自覚してアンドレアを「託す相手」に選んでいます。


 また、レアンドロの不安を煽る為に「ジーンと同じ最期を迎えるかも」と言いましたが、アンドレアには規格外に強い専属護衛が二名居て、次期宰相に内定している側近モーリスの暗躍で雑魚払いもされている事実を知っているので、ジュリアン自身は、実はアンドレアがジーンと同じ末路を辿るとは思っていません。




 お盆休みに下書きを増やせたので、更新速度を少し上げます。

 次回投稿は、8月20日午前6時です。


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