王妃の努力
フレデリカが搬送された部屋に入ると、寝台にフレデリカ本人がクッションを背に上体を起こし、寝台の側の椅子には、フレデリカの実母であるクリソプレーズ王妃アイリーンが座っていた。
アイリーンの隣には、王妃の相談役であるコナー公爵夫人アリーチェが立って従い、壁際には、王妃付きの専属侍女数名と王妃の専属護衛が控えている。
モスアゲート側の人員は居ない。
王宮医師によるフレデリカの手当は済んでいた。
傷は、骨や腱までは達していないが、襲撃者の殺意の証明と、事件の悲劇性を高める演出の為に、それなりに深い。わざと最適な深さの傷を負ったのは、フレデリカの判断でもある。
モスアゲート王国への輿入れ前にコナー公爵夫人から受けた教育の成果は、薄れることなくフレデリカの身体と意識の奥まで染み付いていた。
ジルベルトを伴ったアンドレアが挨拶を述べると、アイリーンが手を振って室内から侍女と王妃の専属護衛を下がらせた。
護衛は扉の外で警護中の近衛騎士らと共に、余計な者を部屋に近付けぬよう目を光らせる指示を受けている。
「姉上が『コナー公爵夫人の優秀な生徒』だと父上に聞いた時は、驚きましたよ」
身内として話を聞くから、言葉や内容を選ばず腹を割って話して欲しい。
言外の意思をフレデリカは正確に汲み取り、やや複雑な笑みを浮かべた。
「やっぱり、貴方がこの場へ来たのね」
王太子になるべく育てられた兄王子の、能力が不足していた印象は、フレデリカには無かった。
だが、エリオットは側近運に恵まれなかった。
そして、ただでさえ凡庸な自身の側近らを、使えるように育て上げることも、完全な支配下に置いて制御することも出来なかった。いや、能力的には可能だった筈なのに、諦めて放置していた。
フレデリカは、この場に現れたのが弟王子だけであり、エリオットは同席を許されていないことから、次代のクリソプレーズ王国の実態を悟った。
王位を継ぐのはエリオットだが、父王から権力を継ぐのは、アンドレアだ。
フレデリカは、アンドレアがジルベルトに用意された椅子に腰掛け、継ぐ権力に相応しい王者の風格を纏いながら、話を聞く姿勢を取るのを見てから口を開いた。
「では、私自身の話をする前に、モスアゲート王国王妃であるグラシア様の、輿入れから始まった孤軍奮闘の話を聞いてちょうだい」
現モスアゲート国王ニコラスの正妃は、元カイヤナイト王女であるグラシアである。
グラシア妃は、ジュリアンも高く評価するカイヤナイトの現国王ジェフリーの実姉だ。
「グラシア様は、私がモスアゲートに輿入れして最初に挨拶に伺った時、歓迎の抱擁をしながら私の耳許で囁いたの。『この国で外の常識が通じるのは、王太子ブライアンだけと心得て身を護りなさい』と」
アンドレアのクリソプレーズの双眸が、僅かに見開かれる。
モスアゲートの惨状から、王妃は既に懐柔済みか洗脳に近い状態にあるか、正気でも、自衛の為に口を噤んでいるか何も行動を起こしていないものと考えていた。
だが、フレデリカの話を聞けば、少なくとも懐柔や洗脳が進んだ状態とは思えない。
「グラシア妃は、あの国に輿入れ後も、正気を保ったまま、異常な状況を察し、それと戦う気概も失わなかったと言うことですか」
「ええ。戦い抜く為に、敢えて独りになることを選んで、次にマトモな王族が身内になる時まで、国の崩壊を最悪の事態と定め、最悪の事態以外の状況ならば機を待つ為と甘受しながら、独りで戦っていたの。カイヤナイト王国の王族として生まれた矜持と、モスアゲート王国王妃としての王国民への責任、そして、神慮に適わんと、この大陸から『石の名を戴く国』の一つであるモスアゲート王国を失わせない為」
元カイヤナイト王国第一王女だったグラシア妃は、流石、あのジェフリー王の実姉だと驚嘆する、誇り高く強い心を持つ才女だった。
フレデリカによって続けられるグラシア妃の話を、アンドレアは『王族の覚悟強き先達の経験談』として、喰らいつくように聞き入った。
グラシアは、当時王太子だったニコラスに嫁いで来た当初から、モスアゲートの王宮内に何処か歪な空気を感じていたそうだ。
貴族達は尊王の姿勢を見せているし、王宮が荒んだ雰囲気を醸している事も無かったが、「ここは何かがおかしい」という感覚が、どうしても拭えなかったと言う。
グラシアは、先ずは、カイヤナイトから付いて来ていた侍女にそれとなく相談したが、結婚前の女性は神経が過敏になるものだと宥められた。
しかし、グラシアは、侍女の言葉より自分の感覚を信じた。
『この感覚が正しかった場合、今、動かなければ手遅れになる』。
そう判断し、即座に自身のキャラクター性を『無邪気な王女』に作り上げ、以降、そのように振る舞いながら行動した。
尊王の姿勢は見せながら、心の底では王族を侮っている貴族達が多過ぎる。
歪な空気の正体を、そう読んだグラシアが最初に行ったのは、結婚の式典までの間の、祖国との交流が密であり、カイヤナイトからの口出しを避けたければ、例えフリだけでも『同盟国から嫁いで来た正妃』を尊重する姿勢を見せなければならない内に、「カイヤナイトでは第一子は母親が育てる伝統がある」と、当時の国王と王太子を言い包め、両名から、『グラシアが産んだ第一子の教育権を母親であるグラシアに認める』内容の契約書に、署名と正式な印璽を貰うこと。
実権が何処にあろうが、国王と次期国王である王太子の、正式な署名と印璽の在る契約書の効力は覆せない。
いくら次期王妃とは言え、この署名と印璽が易々と手に入ったことで、「この王宮は、この王国は、おかしい」という、グラシアの危機感は益々募った。
結婚の式典には、カイヤナイト王国からは当時王太子だったグラシアの実弟ジェフリーが参列することになっていた。
グラシアは、「嫁ぐ姉から弟への手紙なの」と、豪華な封筒に飾りのように幾つも封をした契約書の控えをジェフリーに渡し、感涙にむせぶ花嫁を装って弟に抱きつき、頬への口づけに見せながら、「これをカイヤナイトで厳重に保管し、私にもしもの事があったら開封して中を確認して」と小声で伝えた。
そして式典後、ジェフリーがカイヤナイトに帰国する際に、祖国からグラシアに付いて来ていた数名の侍女を全員、共に連れ帰ってもらった。
グラシアが、自身のキャラクター性を『無邪気な王女』に据えたのは、強引に要求を通すのに使い勝手の良い個性であり、オーバーリアクションで本心や小さな仕草を隠しやすく、短文であれば直接内密に言葉を伝えやすいからだった。
それに、「ここは敵陣である」という意識で覚悟を決めたならば、『聡明な王女』より『無邪気な王女』の方が、油断を誘い動きやすくなるだろうという見通しもあった。
グラシアの想像を超えて、周囲は『無邪気』どころではない無知や非常識揃いだったのだが。
結果的に、聡明さを出さずに無邪気に振る舞うことは、成功であり必須であったと思われる。
恐らく、『聡明な王女』と認識されていれば、脳に作用する薬物を盛られていただろう。
リオが『カリム・ソーン』だった頃に得ていた情報では、モスアゲートの王城や王宮では、政敵に薬物を盛るのが常態化しているという話だった。
グラシアが産む『第一子』が、王子であるか王女であるか、産まれるまで分からなかったが、「第一王子を母親が育てる伝統」などとは流石に言えなかった。
そもそも、カイヤナイトに「第一子を母親が育てる伝統」など無い。もし祖国へ問い合わせられたとしても、弟や両親はグラシアの意を汲んで口裏を合わせてくれるという信頼が在るから打てた博打だ。
グラシアは当時のカイヤナイト国王の正妃が産んだ第一子であり、実際に母親の元で育てられていた。その事実を、さも「そういう伝統がある」ように利用したのだ。
第一子であるブライアン王子が産まれた時、グラシアは契約書を盾に、「だって約束したもの。伝統を守らせてくれるって言ったもの」と、少女のように嘆いて見せた。
モスアゲート王室を取り仕切る貴族らに、「第二子からは国が選定した教育係に任せる」と約束することで、ブライアンを手元に置いて保護することに成功し、『子供を産んでも子供気分の正妃』と、それまで以上に侮らせることにも成功した。
正妃の産んだ第一王子は、王位継承権第一位だ。
侮ってはいても、次々と順調に、同盟国の王妃となる王女や、健康な王子を、他国から来たグラシアに産まれては面白くなかったのだろう。
他国に攻め入る気概は無いが、国内に於ける権力闘争、実力行使による蹴落とし合いは、モスアゲート貴族の日課のようなものだった。
ブライアンを出産後、グラシアは避妊薬を盛られるようになった。
グラシアは祖国にいた頃、離宮に自身の実験室や調合室を持つほど、熱心な薬学の研究者だった。
王族教育の一環で、毒物や薬物の知識と耐性も付けている。
盛られた避妊薬は、非常にポピュラーな物だった。
グラシアは何を盛られたのか気付いていたが、『無邪気な王女』として甘んじて状況を受け入れた。
国内貴族からニコラスの側妃を娶る為には、グラシアが子を産めないという事実が必要なのだ。
ついでに、グラシアからブライアンを取り上げられなかった鬱憤も晴らしていたのか、下剤が盛られることや、吹き出物が出るような軽度の有毒植物を食材に使われることもあったと言う。
有力貴族の娘が後宮に上がってからは、下剤や有毒植物を用いた嫌がらせは止んだ。
だが、後宮に有力貴族の娘達は入ったものの、互いに毒や薬でも盛り合っているのか、どの妃にも懐妊の兆しが見られない。
ニコラスは足繁く後宮に通っているにも関わらずだ。
誰もニコラスの第二子を懐妊することの無いまま時は過ぎ、子を成していなくとも、側妃の一人であるアルロ公爵の娘、メイジー妃が王宮でも権勢を振るうようになった頃、ニコラスが数年ぶりにグラシアの寝室を訪れた。
良くない予感はしていた。
だが、正妃が夫を拒むことなど出来はしない。
グラシアは、結婚しても子供を産んでも『無邪気な王女』なのだ。
寂しかったと少し拗ねて見せて、ニコラスが差し出した奇妙に甘い果実酒を、疑いもせずに口に含んで飲み込んだ。
舌に載せて、直ぐに分かった。
グラシアにとって、未知の薬が酒に混ぜられている。
即死する類の毒ではなさそうだが、『未知の薬』を拒絶する本能が薬を吐き戻そうとする身体の反応を、必死で抑えた。
結局、混ぜられた薬は、身体に害を及ぼす毒ではなく、媚薬の類だった。
だが、何故わざわざ、不仲である訳でもない正妃に媚薬を盛る必要がある?
何も考えていない素振りで夫に甘えて照れながら、グラシアは薬の味や匂い、特徴を記憶に刻んだ。
答えには、第二子と第三子を同時に産んだことで、辿り着いた。
大陸の東側では、女性は財産であり、多胎児を瑞兆とする国も存在する。
祖国で薬学の勉強中に聞いた事があった。そちらでは、非常に高価ではあるが、多胎児を懐妊しやすくする媚薬を調合出来る薬師が居るらしい。
それは、国が違えば、社会的に殺すほどの効果を上げる『毒』にもなり得る『薬』だ。
やられた。と、グラシアは思った。
だが、立ち止まることは出来ないし、悩んでいる暇も無い。
メイジー妃が権勢を振るう王宮で、産んだ後の双子を隠すのは、もう無理だった。
約束通り『国が選定した教育係』に双子を渡せば、『尊血派』に両方とも殺される事になると思った。
グラシアは、『無邪気な王女』の思い付きを装って、「折角同い年でそっくりな王子が二人居るのよ? 片方をもう片方の影武者にしたらいいんじゃない? 影武者を持ってるって物語の偉い人っぽいわ」と提案した。
駄目押しに、「懐妊したことはお父様達も知っているし、とってもお喜びだったわ。死産だったなんて報告したら、どんな反応をされるか、私、不安だわ。怒られてしまうかもしれないもの」と言えば、小心者の夫は、グラシアが産んだ子供達を無かった事にすることを止めた。
第二子として産まれた王子にする方を、アルロ公爵に預けることを勧めたのもグラシアだ。
懐妊の切っ掛けになった例の薬を、「よく効く精力剤」だと言って、ニコラスに差し入れたのはアルロ公爵だと、懐妊が分かった時に聞いていたグラシアは、アルロ公爵の狙いを、「グラシアをこの国で蔑まれる『獣胎の女』とすることで王妃の権威を地に落とし、正統な血筋の王子を完全に母親から切り離すこと」だと読んだ。その場合、切り離した王子の生死は、問わずである可能性が高いと思われた。
ならば、国王の「無かった事にしない」という決定で当面の命は繋がることになった王子達の片方は、アルロ公爵に身柄を預けることを公にしてしまえば、貴族達も簡単に王子を殺せないとグラシアは考えた。
薬のお陰で産まれた王子達の「王子として育てる方」を、「子供が出来た感謝の気持ち」として、薬を差し入れてくれたアルロ公爵に預けよう、とグラシアが言えば、「いい考えだ」と、ニコラスは直ぐに同意した。
影武者にする方は、「とにかく王都から遠い土地に預けましょう」と提案した。
土地の指定も預ける家の指定も、グラシアはしなかった。
そして、双子の教育には一切口を挟まぬよう耐えた。
どちらの王子も碌な育てられ方はしないことは、初めからグラシアも分かっていた。
だが、生きてさえいれば、人生をやり直すチャンスはゼロではない。
手元で護り育て、真っ当な王族として成人したブライアンに、同盟国から本物の王族教育を施された王女が輿入れし、ブライアンが国王として即位するまで、命さえ繋いでいられたら、希望は残されると考えた。
ブライアンと双子には、七つの歳の差がある。
ブライアンの即位が双子の成人前までには叶わなくとも、せめて学院卒業の年齢以前であれば、情勢によっては矯正施設への収容等の刑罰に等しい処遇を与えることになっても、ただの無知や非常識の範囲に数えられる失態で抑えられていれば、その先の長い人生で、やり直しは、きっと図れる。
そう、思った。
ジュリアンがニコラスから伝えられていた、双子の王子が産まれた時の『最善手』と宣った彼らの処遇は、確かに本当に、その時、その人に取れる『最善手』だった。
ただし、グラシアに限る。
ニコラスが自慢気に親友に事後報告した『最善手』は、そもそもニコラスが考案したものでは無かったのだ。
後付の言い訳などは、ニコラスが考えた内容だったのかもしれないが、グラシアの話によれば、ニコラスは当時、産まれた双子と双子を産んだグラシアを、汚物を見るような目で見て、「アルロ公に無かった事にしてもらおう」と言い放っていたのだ。
策など考案する訳が無い。
この時、グラシアの夫への情は完全に消滅した。
それまでは、何処かニコラスも被害者と見て同情していた部分もあったが、それすら消え失せたと言う。
グラシアは、『夫から忘れられた正妃』になるよう、メイジー妃や他の側妃に夫の気が向くよう誘導し、公務等で表に出ない時は、化粧も美しく装うことも止めた。
双子を産んだことで、既にニコラスの気持ちはグラシアから離れていたから、側妃達への寵愛の誘導は容易だった。
国王の足が完全に王妃の部屋から遠のいた頃からは、身支度が簡潔になるのだからと、側仕えの数も減らして行った。
王宮内では、ブライアンに対するお手本のような『愚かな母の溺愛』が人目に晒されるようにし、「王太子も母親に似そうだ」と、傀儡の王を望む貴族達に期待させた。
王太子は産んだが、年齢と共に容色も衰え王の寵愛も移ろった王妃。
そう囁かれることは、グラシアの期待通りだった。
他国から嫁いで来たグラシアは、最初から、国内の権力闘争にしか興味の無いモスアゲート貴族達にとって、媚びても旨味のある妃では無かった。
息子にしか興味の無い、老いて醜くなるばかりの哀れな女。
王宮に出入りする者達に、そう認識させることに成功した頃には、監視やモスアゲート王家の『影』すら、殆ど人員をグラシアに割くことが無くなった。
王宮に於いて、『侮られ哀れまれる女』であることを隠れ蓑に、グラシアはブライアンの教育に一層尽力した。
警戒を呼ばぬよう、ブライアンを出産後は祖国との私信のやり取りを最低限にしていたが、双子の出産後は、祖国からの詮索によって隠蔽目的で双子の命が断たれぬよう、ほぼ不通とした。
計画的に不遇な状況に身を置いたモスアゲート王宮で、グラシアが『愚かな母の溺愛』に見せかけながら手塩にかけて育てたブライアンが、『覇気の無い昼行灯』の演技も板に付き、母親が全力で護らずとも自衛が出来るようになった頃、ブライアンの正妃の輿入れまでの布石として、グラシアは次の行動に移った。
王族が婚姻で祖国を離れる場合、輿入れする国への危険物と見做される物の持ち込みは禁じられているが、石の名を戴く王国の王族に限り、『祖国の王家に伝わる自決用の秘薬』の持ち込みだけは許されている。
これは、瞳の色が、『その王国の国の色』の者のみに致死毒として作用するよう調合された、苦しまずに死ぬ事が出来る毒薬であり、製法が失われていない王家では、王位を継がない直系王族の中から『秘薬の薬師』を選びながら、口伝で受け継がれている国が多い。
この『秘薬』の持ち込みが許されているのは、輿入れ先の王族には効かない毒だからだ。
因みに、モスアゲートとクリソプレーズの各王家では、既に秘薬の製法は失われている。
モスアゲートで何時の時代に失われたのかは判然としないが、クリソプレーズではレオナルド王の時代から『秘薬の薬師』の存在記録が無くなっている。
レオナルドの代は、死因が『戦死』と明記される「悲劇の王弟ジャスティン」以外のレオナルドの姉弟妹も、没年不詳死因不明で早逝しているので、恐らく次代へ製法を受け継ぐ前に、当時の『クリソプレーズ王家の秘薬の薬師』だった王族が亡くなったのだろう。
グラシアは、カイヤナイト王家の『秘薬の薬師』でもあった。
国を出る時に、ジェフリーの下の弟に製法は伝えているが、グラシアも作り方を忘れた訳では無い。
薬学の研究者であり、『秘薬の薬師』でもあるグラシアでなければ考え付きもしない方法だが、グラシアは、持ち込んだ『カイヤナイト王家の自決用の秘薬』を、監視からも監視対象として忘れられた王妃の私室で、こっそり魔法で分解し、全く別の効能を持つ薬に作り変えた。
新たに作り出された薬の効能は、「極微量で悪夢を数日〜三週間程度見せる」ものだ。
グラシアは、これを、「話し相手になって」や「偉い人は私とは話してくれないのよ」などと哀れっぽく、役職の付いていない外交官を誘い、手ずから淹れた茶に混入しては飲ませ、中身の無い愚痴を彼らに聞かせて帰すことを繰り返した。
ダーガ侯爵が気になった、『寝不足で顔色の悪い外交官』は、グラシアに盛られた薬によって齎された悪夢で、眠れない夜を繰り返していたのだ。
その頃のグラシアは気付いていた。
この国の貴族は、他国に出ることも、他国の貴族と対面することも、好まないし望まない。
彼らは欲深く野心家ではあるが、閉じられた世界で生きようとしていて、国外への興味が限りなく低いのだ。
よって、モスアゲート貴族の中では、外交官や大使の仕事は人気が無い。
そして、グラシアの手が届く範囲に存在する、他国の上層部の人間と最も接触の機会が多いモスアゲート貴族は、外交官だけだった。
グラシアが悪夢を見せる薬を盛るターゲットに、外交官を選んだのは、そこが理由だ。
この世界にも行灯は存在しています。
デザインは洋風かエスニック風。
次話投稿は、7月19日午前6時です。