表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/196

母と娘の再会

 ニコルは初めて参加する茶会の準備に追われていた。

 クリソプレーズ王国では、毎年、王宮庭園の春咲きの薔薇が見頃になる時期に、その年最初の茶会が開催される。

 個人的なものに制限は無いが、大規模なものや公的な意味合いのある茶会は、この『今年最初の王宮茶会』より前に開催することはマナー違反だ。

 春から年末まで開かれるこの手の茶会は、昼の正式な社交の場であり、貴族家の子供は8歳になると参加する義務が生じる。

 その年最初の王宮茶会の頃に満8歳になっていなくても、年内に8歳の誕生日を迎えるなら参加は可能だし、満8歳となるまで参加を見送ることも許される。ただし、8歳からの社交参加は貴族の義務なので、辞退できるのは誕生日の前日までだ。


 ちなみに、夜会等の夜の社交への参加は義務ではない。王都で夜会が開かれるのは、王家主催の例外を除き夏以外の季節になる。夏は王都から離れる貴族が多いためだ。

 夜の社交への参加資格は、「茶会で社交デビューを済ませた15歳以上の貴族」である。

 夜会で婚活したければ、義務を放棄せず茶会デビューを済ませておく必要があるのだ。


 ミレット男爵は、ニコルの茶会デビューを誕生日のギリギリまで引き延ばそうと考えていたが、クリストファーやジルベルトと打ち合わせた結果、ニコル自身は今年最初の王宮茶会でデビューすることが一番安全だという結論に達した。

 愛娘の意思を尊重する父親が否定をすることもなく、ミレット家に届いた招待状に、娘の参加も表明した。

 その情報はネットもテレビも無い世界とは思えない速さで王都を駆け巡り、ニコルを手に入れようと狙う家々は、選りすぐりの少年や青年達をハニートラップ要員として参加者に潜り込ませた。


 ニコルは、兄がクリストファー・コナーに転生していたのは僥倖だと思った。母がジルベルト・ダーガに転生していたことも心強い。

 自分の転生先は、所詮は男爵家だ。王族の側近になれるような家柄や、国の暗部を司るような特殊な家とは違い、学べる事柄や手に入る情報は、自分の自由や安全を守るのには心許ない。

 元が平民の商人の家であるから手に入る情報や人脈も無くはないが、王侯貴族が支配する王政の国で、自分よりずっと高い身分の人間に対抗する武器になるほどではない。


 ニコルが世に出した商品の数々は、想定以上に富と名声を得てしまった。

 こんなに早く、ここまでの注目を集める予定ではなかったのだ。

 クリストファーから、既にニコルを王家が囲うための方策を話し合う会議が行われたことや、現行法では難しいため、一旦は諦めたが完全に諦めているわけではないこと、王家が囲わないのであればと手ぐすねを引く家が山ほどあることを聞いた。

 ヒロイン以上の妖精の加護を授かっているのはヤバいだろうと、自衛と趣味を兼ねて始めた金儲けだったけれど、酷似した世界だからと言って全てが原作と同じ認識で進んでいくわけではない。

 それに気づくのが遅かったのだ。


 クリストファーから伝えられる話を聞けば、ジルベルトに転生した母は、原作など参考程度に今の世界をしっかり生きていることが窺えた。

 対して自分は「乙女ゲームの世界に入った」という意識が強く、それこそゲーム感覚なところも多かったように思える。

 外に出る機会もほぼ無く、家人と親戚以外はクリストファーとしか会ったこともないという言い訳もあるが、原作知識をチートとして使えるという思い込みがイタイと自分でも思う。

 前世で結構いい歳まで生きてたくせに、家の外にも現実世界が広がっていることを自覚するのが遅すぎたのだ。


 自分で言い触らさなければ簡単に知られることのない妖精の加護の量よりも、貴族の中で最も低位の男爵家の小娘が()()()()()()()()()()()()で開発した商品を世に出して大儲けする方が、どれだけ危険なのか。

 乙女ゲームの世界だから、『妖精さんにおねがい♡』の世界だから、何より注目されるのは妖精の加護だという思い込みを外せば、秒で分かったことだろうに。

 だから前世でも兄から「才能と残念の両立」と揶揄されていたのだと思い出す。


 しかし、自分で作ってしまった状況は、もうどうしようもない。

 幸い、同盟国との関係や国内貴族のバランスなど様々な思惑が絡み合ったことで、8歳になる年まで平穏な生活を送ることができた。

 クリストファーとジルベルトが味方となり動いてくれたお陰で、当面は「王家から囲われる」ことはなく「王家の庇護下に入る」ことになり、他の国内貴族や他国の人間からは守ってもらえることになった。

 その実現のためには、まずは茶会デビューを打ち合わせ通りに成功させなくてはならない。


 クリストファーとジルベルトを介して王妃殿下に献上した未発売のアンチエイジング化粧品セットは、ガッチリ王妃殿下の心を掴むことに成功した。

 王妃殿下からの褒美という形で、此度の王宮茶会では王族が直々に選定し命令を下した護衛がニコルに付く。高位貴族が用意したハニトラ要員とて「邪魔だ」と言えない類の護衛だ。

 今回の茶会に参加する王族は、王妃殿下と第二王子アンドレア殿下だ。

 王妃殿下への挨拶の際、(王妃)息子(アンドレア)に耳打ちし、アンドレアの命令でジルベルトがニコルを王妃殿下の前までエスコートするという演出がなされる。

 王子の側近で剣聖を目指す専属騎士をエスコート役に選び、王妃殿下が挨拶を受け取るだけではなく「お褒めの言葉」や「お気に入り宣言」をすることで、ニコルが王家にとって『特別』であることを印象づけ、「ニコルに手を出したら王家に喧嘩を売ったと受け取るよ」と思わせる筋書きだ。


 群がる、多分イケメンで身分もあるハニトラ要員。それらから、お姫様のように守る護衛騎士。エスコートは、通常なら絶対に女性のエスコートをしない剣聖候補(ジルベルト)。トドメに王妃殿下からの特別扱い。

 総合して、茶会に参加するご令嬢方にどれだけ嫉妬されるか知らないが、同性からの嫉妬(そんなもの)など前世から慣れている。

 ニコルが厄介だと考えるのは、あらゆる()の使い方を熟知した、国や世界を動かすレベルの野心を抱く人間の本気だ。

 最大の野心が、せいぜい「身分の高いイケメンと結婚すること」な少女達からの嫉妬など何の痛痒も感じない。

 大体、ニコルが出した商品の大半は貴婦人に熱狂的に歓迎された代物だ。ニコルに危害を加えて二度と商品が手に入らないような事態になれば、少女達は凄まじい母親の怒りを買うだろう。


 王家の庇護下に入ったことが目に見える形で周知されれば、ある程度はふるい落とされる。少なくとも王家に物申せる力を持たない家は、堂々と言い寄れなくなる。

 こっそり手を出してくる相手は、反撃しても正当防衛がクリソプレーズ王家から認められることが内示された。

 それでも断れない相手から婚約の打診が来たら、最終手段として、「クリストファー・コナーと婚約していたが公表していなかっただけ」ということにする。

 コナー公爵の次男の婚約者ならば、他国の高位貴族が略奪することもできない。

 (クリストファー)は、「次男は後継者を作る義務も無いし、そもそも俺、女と婚約だの結婚だの無理だし。お前()と形だけ婚約や結婚するのは俺にもメリットがある」と笑ってくれた。

 クリストファーと婚約という案を出したのは(ジルベルト)だった。

 息子(クリストファー)が前世と同様にゲイであること、次男という立場、(ニコル)を守るという点で最も信頼できる人間であるからと、出された提案をクリストファーが快諾したのだ。

 ニコルやクリストファーに本当に添い遂げたい相手ができたら、互いを解放する約束だ。


 王宮茶会当日、ニコルはとても目立っていた。

 それはもう、下手したら王族以上に注目されるほどに目立ちまくっていた。

 前評判からして、野心や欲の強い大人達からの関心は凄まじかったというのに、公の場に姿を現したニコルが、想像だにしなかった美少女だったのだ。


 春の日差しを受けて輝くツヤツヤの金茶の髪は、緩く柔らかなウェーブを描いてお人形さんのような愛らしい顔を縁取っている。

 そのお人形さんのような顔は、春の新芽を思わせる初々しい黄緑色のパッチリした瞳と薔薇色の頬を持つミルク色の肌が、それが作り物ではないことを主張して、幼い少女でありながら危うげな色香を放つ。

 貴族令嬢らしい品のある笑みを浮かべる小さく可憐な唇が、庭園の薔薇の見事さに驚いたのか僅かに開かれる(さま)に、ゴクリと唾を飲み込む者達が周囲に音を聞かれなかったかと視線を巡らせた。

 どんなにつまらない外見でも、黄金の卵を産む鶏として()便()()手に入れるよう各家から命じられて来た貴族令息(ハニトラ要員)達は、これなら嘘のお世辞を並べる必要もなく、楽しい仕事になりそうだと、笑顔の下に下卑た欲望を潜ませた。


 ニコルの着るドレスは、家格を考慮して華美さは無いものの、今最も勢いのある商会の主らしく品質は最高級だ。

 レースやフリルを控えた分、瞳と同じ黄緑色のシルクオーガンジーの生地を薔薇の花びらのように少しずつずらしてふんわりと重ね、生地には極小粒のパールを花芯とした小さな花が刺繍されている。リボンの数を控えた分、右肩から左胸へ大きなリボンを一つだけ斜めに配置したデザインは、ふんわりしたスカート部分とのバランスも良く、美しい髪や愛らしい顔を際立たせていた。

 アクセサリーも一見控えめで身体の大きさに合わせて小ぶりだが、見る者が見れば使われている石が希少なミントガーネットであることが分かる。

 太陽の光を浴びて、チラリと涼やかで透明度の高いグリーンからピンクやオレンジの煌めきを覗かせる宝石が、新芽からやがて咲き誇るであろう美しい花を連想させて、まだ少女のニコルが女性へと成長した暁には大輪の花のような美女になることを予感させた。


 この茶会にミレット男爵が隠す娘が参加するという情報と同時に、王妃殿下の采配により王族が直々に選定した護衛がニコルに付けられるという話も貴族達は握っていた。

 まさか護衛の一人が騎士団長であるとまでは誰も予想していなかったが、それほど王家はこの男爵令嬢(ニコル)に本気なのだと知らしめる結果となっている。

 伯爵位であろうと、ランディ・パーカー騎士団長は、クリソプレーズ王国の騎士総てをまとめ上げて頂点に君臨する王国最強の軍人であり、国王陛下が信頼し、武においては最も頼りにしている男だ。爵位や家格が上という程度では、睨まれてしまえば無事では済まない。

 貴族令息(ハニトラ要員)達は意気込んだものの、節度のある距離と言葉でしかニコルを口説くことができず、内心歯噛みしていた。


(前世でも告白されたり口説かれたりは結構経験あるけどねぇ。恋に溺れた経験は無くても、そういう役を演じたことはあるし、恋人がいたこともあるし。けど、この状況はなぁ・・・。)


 ニコルは、騎士団長を筆頭に護衛の騎士達が威圧をかける中で近寄ってくる少年や年若い男達を無難な挨拶で躱しながら、前世でもうんざりしていた状況を思い出していた。


(接待で母の知人以外が経営するホストクラブに連れて行かれた時みたい。あとはあれだ、売れない役者が仕事欲しさに色仕掛してくるやつ。そこそこ外見が良くて、それを自覚して自慢にしてるタイプの男が(こちら)を下に見て自信満々で口説いてくる感じがそっくりだよ! すっごい萎えるよ!)


 ()()()箱入りな8歳の女の子なら、うっかり頬でも染めかねないシチュエーションかもしれない。

 だが、ニコルは前世でオバサンと言われる年齢まで生きた記憶があり、職業は女優兼実業家。元々の気質と家庭環境(父親と祖母)のせいで人間不信と男性不信の気も強い。

 今生と規模は違えど、元の世界でも二足のわらじの仕事で成功して財を成していたから、おこぼれに与ろうと面従腹背ですり寄る人間は掃いて捨てるほどいたのだ。その手の輩の気配には敏感だし、警戒心も強く持っている。

 ハニートラップでニコルを懐柔することの困難さを、狙う貴族達はまだ知らない。


 いよいよ王族が入場し、全員がそれぞれの立場に相応しい王族への礼の姿勢を取る。

 挨拶に並ぶ貴族の列は身分の順で、ニコルの順番はほとんど最後だが、それが却って注目されやすいので演出も活きる。

 騎士団長以下護衛の騎士を伴って王族方へ近づくと、ふと何かに気づいた体でこちらに視線を寄越した王妃殿下が扇で口許を隠しながらアンドレア殿下に何事かを囁き、笑顔で頷いたアンドレアは専属護衛のジルベルトに指示を出した。

 今日は側近揃い踏みなので、ジルベルトが少しの間側を離れてもハロルドもいる。

 主の指示通りニコルを迎えに来たジルベルトが、エスコートのために腕を差し出して優しく微笑んだ。


「ようこそ。ニコル・ミレット男爵令嬢。私はジルベルト・ダーガと申します。ここからは私が王妃殿下の下までエスコートいたしましょう」


 茶会に参加する少女達のみならず貴婦人達からも悲鳴が上がる。

 剣聖を目指す誓いを立てたことで女性が近づくことを許さないジルベルトが、主の命とはいえ女性をエスコートするのだ。しかも普段公の場で貼り付けている静かな微笑ではなく、慈しむような優しい微笑みを向けている。


(お母さ・・・あ、怒られる。ジルベルト様呼びに慣れなきゃ。いや、名前呼びが既に特別扱いなんだけど。じゃなくて、やりすぎだよ! 自分の顔面が凶器だってもっと自覚して! 悲鳴を上げた女性達が何人か倒れてるから! あと凄い嫉妬の視線が突き刺さってるよ! ジルベルト様もしかして普段は笑わないとか? エスコートだけでも十分特別感伝わるからオプション付けないで! ただの嫉妬は慣れてるけど恋に狂った奴の嫉妬は殺意直結だから面倒なのよ!)


 ニコルの内心の恐慌など露知らず、ジルベルトは漸く叶った娘との再会に喜びを噛みしめていた。


(相変わらずセンスが良くて美容意識も高いな。今生でも可愛い。変な虫は付けたくないが、過労死や栄養失調など招かないよう、しっかり支えられる人間を側に置いてほしいな。)


 意識して放っているわけではないが、ニコルに優しい視線を注ぎながらこんなことを考えていたせいで、通常なら人前に晒さない優しい表情ながら「この娘(ニコル)に手を出すな近寄るな」オーラが騎士団長の頬を引き攣らせるレベルの威圧となって放たれ、令息達の大事な玉がヒュンっとなった。


 ジルベルトのその態度に、アンドレア達は表情に出さず吃驚していた。

 モーリスは、「え? 一目惚れですか? 女性に興味があったんですか?」と疑問符が脳内を乱舞し、アンドレアはジルベルトの忠誠心を疑うことは無いが、自分以外の人間に心を奪われているように見えることにモヤモヤする。ハロルドは鬼のような笑顔を浮かべた瞬間にモーリスに足を踏まれ顔を取り繕ったが、ご主人様(ジルベルト)が、ぽっと出の女に優しい顔を見せている悔しさを拳を握り歯軋りしながら耐えている。


「おい、ハロルド。歯軋りが聞こえたらマズイから自重しろ」


「ですが、ですがっ」


「ハロルド、ここは『待て』ですよ。ジルに褒めてほしかったら『待て』です」


「ですがっ」


「ハロルド、これはジルが君に与える新たな試練かもしれませんよ」


 唇をほとんど動かさず、自分達だけに聞こえる小声での会話。

 モーリスがハロルドを上手い具合に扱うことに、アンドレアは何とも言えない感覚が腹の中をモニョモニョと動いた。その台詞で恍惚としながら期待を込めて耐えるハロルドもアレ(変態)だし、モーリスのやり方はジルベルトが後から尻拭いする羽目になる類のものだ。

 主と仲間達の腹の中がカオスな状態になっていることには気がつかず、ジルベルトはニコルをエスコートして王妃殿下の御前に導いた。


 全ては事前の計画の通り恙無く行われた。

 演出の効果は絶大だった。

 ニコルは王家にとって特別な存在であり、男爵令嬢といえども扱い方を間違えば築いてきた全てを失うかもしれない。そう、参加した面々に強く深く印象付けることに成功した。

 成功しすぎて「さわるな危険」の劇薬扱いになり、友人もできなくなるのだが。多分、ニコル本人は気にしないから問題ないだろう。

 そして効き過ぎた劇薬は、ごく一部の人間にニコルに対する『憎悪』という強い執着を生み出してしまい、王家が出した「正当防衛容認」が仕事をすることになる。


 自業自得ではあるが、ニコルが平穏な人生を送ることは、おそらく多分もう無理だ。

 どうしてこうなった、と頭を抱える(ニコル)(クリストファー)が生温かい目で見下ろすのは、生まれ変わっても不変の真理であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] >>生ぬるい目で見下ろす 生暖かい(なまあたたかい)目 がいいかも
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ