視点を変えて見えるモノ
「なぁ・・・」
アンドレアの零した声に、第二王子執務室内の者達は、今度は注目だけではなく声を出して応じた。
「どうしました?」
「アルロ公爵が、王国貴族の常識の範疇での『単なる悪辣な大貴族』ではなく、自称皇族と同類の思考を持つ人物ならば、『カリム・ソーンの遺体』を盗み出して、カリムの件に於ける責任の所在を有耶無耶にしようとすると思うか?」
アンドレアの問いかけに、作業中の側近達の手が一度止まった。
バダックが、すかさず全員分の飲み物と軽食を用意する。
「そうですね・・・」
流れるように、アンドレア用のリフレッシュブレンドの温かいハーブティーとドライフルーツ入りの焼菓子の毒見を済ませると、モーリスが顎に左手人差し指の第二関節を当てて思案しながら言葉を紡ぎ出す。
「少なくとも、ここまで必死に消耗戦の如く人員を送り込んでは来ないでしょうね。アルロ公爵の手の者が含まれていたとして、極少数だと思われます。アルロ公爵は、遊びや稼ぎの邪魔さえされなければ、モスアゲート王国など、どうなっても構わないと考えているのではないでしょうか」
「俺もそう思います。この前アンディ様が、自称皇族の精神基盤となる思想の話をしていたでしょう。神に成り代わるとか全人類の上位者とか? そんな思想で、国中の貴族が近親相姦になる未来を目指す『外道な種蒔き遊び中』の野郎が、せいぜい現国王のメンツが潰れて、王の首を挿げ替えれば誤魔化しようのある問題に、労力を割くとは思えません」
アンドレアが『知るに足る器』であると判じられるまでは伝えない方針なのだろうが、最近よく父王から、本来であれば王位を継ぐ者のみに口伝で教えられるであろう、特大の危険機密を小出しで伝えられる。
アンドレアは、最新で伝えられた「自称帝国が同盟国から『封鎖』という形で敵対警戒されている表沙汰に出来ない理由」となる『自称皇族の思想』を知らされたのを機に、側近達やクリストファーとは、これまでに聞かされた『王家の恥』や、『モスアゲート国王との偽りの親友関係の真実』の話も含めて共有することにした。
王族の実兄と共有することは出来ないが、どの話も、アンドレアが独り善がりの解釈をしたまま次代で実権を握る状況になることは、国家を危機に陥れかねないと判断したからだ。
同盟締結時、同盟各国の首脳陣が、自称帝国を武力行使等の直接的な手段で滅ぼさずに『封鎖』という消極的とも言える対抗手段を採ったのは、自称皇族の思想が外部に広まることを忌避したからだった。
自称皇族達の掲げる、『我々は神に成り代わる人間である』、『我らは遍く皇家の血筋以外の人間らの上位に存在するものなり』という思想、そして、臣民への自称皇族の思想を是とする洗脳教育は、神の擬人化さえ禁忌であり『神は自然であり世界そのものである』という、この世界の宗教観に真っ向から敵対するものであり、神、世界への冒涜だ。
しかし、絶対的存在を冒涜し、既存の意識や常識へ敵対する思想というものは、ある種の麻薬のように甘美であり、特に現状に不満を持つ者達には抗い難い魅力を感じさせ、縋りつけば「何かが変わるかもしれない」と惑わせる。
戦時中は平時より愛国心が高まる傾向にあり、複数の国で包囲する形となった自称帝国との戦争では、厳しい戦況の区域はあれど、敗戦の色は常に敵国側にあった。
だから戦争が終わるまでは、『負けが見える敵国の思想』に、勝者となる自国を愛する国民が染まる危険性は少なかった。
しかし、戦争が終われば人々の関心は、国より個、日々の生活へ向けられる。
戦勝国ではあっても、同盟各国が戦争で受けた傷は十分に深く、戦後から動乱期にかけて、多くの国民の心は不安定であった。
そこに、「何かが変わるかもしれない」と思わせる、それまでの概念を打ち壊すような思想へ言葉巧みに誘われたら、ユートピアを夢見て自国を裏切る者も出るやもしれない。
そして、その数は、少なくはないと予想された。
その事態を許せば、戦後復興や国力回復は遠退き、国は荒廃への途を辿ってしまう。
戦勝国が敗戦国の王族の血統を絶やすことは、その戦争に関わらなかった国からも当然だと受け入れられる。
しかし、敗戦国の民を根絶やしにすることを容認する『その戦争に関わらなかった国』は、まず無い。
だが自称帝国では、終戦時には、自称皇族の思想を是とする洗脳教育が全国民に浸透してしまっていた。
自称皇族のみならず、敗戦国の、物心がつく年齢以上の国民全てを、その思想を他国の人間に洩らす前に殺し尽くすことは、不可能であり、もし可能であったとしても、自称帝国との戦争に関わらなかった他の国々から大いなる批判を浴びることになっただろう。
それらの国々から、これ幸いと『正義の鉄槌』の大義を掲げて侵略を仕掛けられる恐れもあった。
もしも、新たな戦争を無傷の国から仕掛けられた場合、何れの戦勝国も、当時の疲弊した国力では防ぎ切れる見通しは無かった。
そこで当時の戦勝国の首脳陣らは、自称帝国を包囲する地の利を活かし、包囲する国々の側から自称帝国との国境を全て封鎖する同盟を締結し、自称帝国の人間が身分を問わず『国外』へ出ることが叶わないようにした。
国の封鎖によって緩やかな自滅を狙いつつ、いずれ、同盟各国の国力が完全に回復した折には、改めて話し合いの場を設け、同盟の内容を再考する密約も交わしていた。
モスアゲートが玄関口となっていたことで、自称帝国の緩やかな自滅は、目論見通りには行かなそうだが。
同盟内容の再考が公式文書で記録されず密約であったのは、平穏とは言えないであろう国力回復までの間に、自称帝国と密通する王族が現れることを警戒したからだと言う。
時が来るまでは同盟の維持を厳格に守り、その場に臨席した各国の王から『伝えるに足る者』へ、口伝で繋ぐ約定だったそうだ。
因みに、当時のクリソプレーズ国王は最悪の暗愚レオナルドだったが、その会談の場には王太子だったフェリクスも臨席していた為、無事に子孫へ必要な話が伝わっている。
「こちらで保管しているのが『カリム・ソーン』の復元遺体である限り、アルロ公爵にとっては重視する必要の無いものだと、私も思います」
ハロルドに同意したジルベルトの意見に、アンドレアとモーリスも頷く。
こちらからモスアゲート側に通達しているのは、あくまでも「カリム・ソーン辺境伯子息の損傷の激しい遺体が河から上がったが、修復が済んだので引き取りに来てほしい」という、後ろめたいことが無ければ躊躇う必要など無い話である。
こちらが遺体を「カリム・ソーン」と言っている限り、長い時間河川の水流に揉まれて復元が必要なほど原型が損なわれた状態ならば、入国及び留学の際に使用した、「辺境伯子息」という身分が偽りであった動かぬ証拠となる、『国の色』の眼球は失われている筈なのだから、そこまで必死に『無かったこと』にしたがる理由は、少なくともアルロ公爵には無いだろう。
アルロ公爵はモスアゲート第二王子ダニエルを預かってはいるが、ダニエルの行動に責任を持つ立場であるのは、当然、王族であり親である国王である。
アルロ公爵は、ダニエルが「カリム・ソーン」をクリソプレーズに送り込んだことにより国外で発生してしまった不祥事について、「王子殿下の行動を止める権限は私には無かった」と申し立てれば、責任追求もそこで終わらせられる。
アルロ公爵は、モスアゲート王国最大の政治派閥『尊血派』の首領だ。
だが、初代『尊血派』の主義を踏襲してはおらず、現代の『尊血派』を教導しているのも、己の欲を満たす道具として使い勝手が良いからであると思われる。
現代の『尊血派』は、獣の特徴を持つ者を下賤と蔑み、排除もやむ無しの言動を肯定しているが、アルロ公爵自身は、別に双子で産まれた第二王子ダニエルが王となろうが、特に感慨は持たないだろう。
アルロ公爵の中で『尊い血』と言えば、建国王の血ではなく己の血だ。単なる自分が所有する一フィールドの王の顔が、誰に代わろうと揺らがない。
神に成り代わる人類の上位者である自分以外の人間は、多胎児で産まれようが一人で産まれようが、アルロ公爵より下位の存在であることに違いは無いのだから。
アルロ公爵の思考は、モスアゲート王国貴族のものではなく、自称皇族と同様。
だとすれば、要らなくなって捨てるまでの間自身の所有フィールドが適した形を保っているならば、不祥事で国王が交代する事態を忌避したいだろうか。
遊び場さえ壊されないならば、モスアゲートの現国王が失態を演じて失脚しようが、醜聞に塗れて諸外国から後ろ指を差されようが、関心を寄せる暇も惜しみそうだ。
むしろ、現国王ニコラスの失態が公にされる事は、赤子の時からアルロ公爵が手元で洗脳している第二王子が夜会に参加できる年齢に到達しているのだから、ついでに、『教育に手を出せていない王太子』という不安要素を殺して、他国の王族出身という要素が目障りな王妃を、現国王と纏めて玉座から蹴落とせば、アルロ公爵にとっての『遊び場の邪魔者』を一掃出来る好機ともなる。
「大前提として、我々は、『第二王子ダニエルの命令でカリム・ソーンとして留学した、隠された第三王子』の処遇を巡り、クリソプレーズ国王とモスアゲート国王の間に密約が交わされたことを、モスアゲート国王の側妃の父親であるアルロ公爵は知っているものとして、対応を考え動いて来ました」
「そうだ。その大前提は、一度破棄するべきだろう」
「はい。モスアゲートの『尊血派』の全員がアルロ公爵の本心を知っているとは、流石に思えません。ニコラス王も、アルロ公爵に逆らえずとも、頼りにして何でも相談する仲ではないのかもしれません」
「信頼できる『相談役』は、父上が独占していた可能性もあるからな」
ニコラス王とジュリアンの間で、「カリム・ソーンは、実は双子で産まれたために第二王子の影武者として辺境伯に育てさせた第三王子」という情報が公開され、ニコラス王は、カリムの正体が第三王子であるにも関わらず、「カリムが留学先で良からぬことをしたら殺して構わない」という内容の『モスアゲート国王の承諾』を出していて、「事が終わったら国として正式な謝罪と詫びの品を寄越す」という密約を、国王間で交わしていることを、アルロ公爵は関知していない、ということも有り得るのだ。
アルロ公爵は、こちらが、『カリム・ソーンは、実はモスアゲートの第三王子』だと知っていることも、第二王子と第三王子の出産時にニコラス王が取った行動を知らされていることも、把握していない可能性がある。
だとすれば、尚更、アルロ公爵が『カリム・ソーンの遺体』を、正式に引き取る前に盗み出して事件を有耶無耶にしたい動機は無くなる。
「政治派閥が一枚岩ではないのは当然ですが、『尊血派』は、もしかすると、『派閥を道具として使うだけのアルロ公爵』と『獣の特徴さえ無ければ、王家の血を尊ぶ者』に分けられるのでしょうか」
「教育を不足させ、統治者や指導者としては君臨させたくなくとも、『国の色』は『神の御業』で護られ受け継がれると、石の名を戴く王国の貴族ならば共通認識で刷り込まれている。玉座に飾る『国の象徴』としては、『尊い血』を持つ者でなくてはならない、とは考えていそうだな」
「石の名を戴く王国の貴族として生まれても、自称帝国とズブズブの関係で育って自称皇族みたいな思考回路になる貴族も居ますけどね」
「例外中の例外・・・だと思いたいですね」
「他にも居たらコトだ。その方向でも探らせる。差し向ける間諜のレベルは敵国対応で構わん。モーリス、宰相室の『仮面』を通じて繋ぎを取ってくれ」
「はい」
一礼して出て行くモーリスを、普段その程度の雑用であれば承っている専属侍従のバダックが不思議そうに見送っていると、アンドレアの顔が不意にバダックに向けられた。
「バダック」
「はい」
即座に、この部屋の主に向き直り姿勢を正す。骨の髄まで叩き込まれた従僕教育の賜物だ。
「ここの『招かれざる客』で命を残している者は何名だ?」
「リオの留守中に生け捕りした者は、面通しが済むまで意識を奪って拘束してあります。それらが九名。それ以前に捕えた者の中で、薬の耐性が強く明らかに専門の訓練経験のある者は、まだ聞ける話があるかと、リオに託して三名ほど保存をお願いしております」
モスアゲートから帰還し、報告書を上げたばかりのリオは、本日は休息日で第二王子執務室番から外れている。
モスアゲートから入国管理施設のゲートを通過し、クリソプレーズへ入った後、イェルトを迎えに来た馬車にはリオと入れ替わったダミーが乗り込み、風貌を隠したリオは、単身最速でクリソプレーズ王都に報告に戻ったのだ。
復帰は丸一日後となる。
今まで捕えた侵入者の中には、ここへ送り込まれた時点で遅効性の致死毒を含まされている者や、拘束された時点で自動的に自害できる仕掛けを自身に施している者も居た。
全てを話の聞ける状態で『生け捕り』に出来る訳では無いが、それでも十分な数は確保出来ているようだ。専門の訓練経験のある者ならば、抜き取り甲斐のある情報を持っている期待も持てる。
「『カリム・ソーンの遺体』の保管場所の侵入者はどうだ?」
「こちらの八倍に上る人数が昼夜を問わず訪うそうですが、生存者の人数についての連絡は私は受けておりません」
バダックが頭を下げると、ジルベルトが後を引き継いだ。
「クリスの話では、長期間かかる実験に適した個体は、敢えて正気を失わせず生かしているそうです。ウォルター殿がツヤツヤの顔で新しい器具を発注しているところだとか」
「・・・届いたら実験が再開されるのか。コナー家嫡男は相変わらずだな」
頭のネジの飛んだ拷問マニア。
ウォルターの近況を聞いた者達の脳裏を、共通の文言が過った。
気を取り直し、アンドレアは考えていた指示を出す。
「では、バダック。新しい尋問内容を作成するからウォルターに届けてくれ。まだ正気で生きてる奴が居るなら何か出て来るかもしれん」
「承知致しました」
口が軽くなる薬を使っても、尋問の内容が「誰に頼まれた?」のように曖昧なものでは、具体的な情報は中々得られない。相手が訓練を積んだ者であれば尚更だ。
今までは、侵入者への指示系統のトップに居る黒幕を、「アルロ公爵」と推定した尋問内容で情報の抜き取りを図っていたが、今後は、『カリムの遺体奪還』についてはアルロ公爵の関与を切り捨てた方向での尋問に転換する。
更新された尋問内容を手にバダックが第二王子執務室を出て行く時、入れ替わるように国王ジュリアンの侍従長が、アンドレアへ入室の許可を求めて来た。
次話投稿は、6月30日午前6時です。