よく考えてみると・・・
「なぁ・・・」
思わずと言った様子で声を発したアンドレアは、執務室内の側近達から注目を浴びると、「いや・・・」と思い直したように首を振って口を噤んだ。
ふと思い浮かんだ現況の元凶を、口に出して仲間達に聞かせることは出来ない。
徹夜続きで脳が疲弊しているとは言え、命も危ぶまれる不敬な考えだった。
不可解なほどに稚拙な対応を繰り返して来るモスアゲート王国と、周辺を揺さぶろうが足下に穴を開けようが泰然とした様を崩さないアルロ公爵の真意が読めず、ある種の膠着状態のまま作戦を進めていたモスアゲート王国の一件が、漸く動く見通しも立ち、ここまでの道程を振り返ったアンドレアは、ふと思ってしまったのだ。
主な職務が自国の貴族の調査と粛清だったアンドレアが、隣の国の事情に深く首を突っ込むことになった最初の切っ掛けは、かつてモスアゲート第二王子ダニエルの手駒だった「リオ」が、本来の身の上を偽った「カリム・ソーン辺境伯子息」の身分証で留学を強制されたことだった。
この時は、まだアンドレアは『クリソプレーズ王家の恥』も、その更に後から聞かされた『ジュリアンとモスアゲート王の偽りの親友関係の真実』も知らないまま、「王族なのだから、国王なのだから、いくら凡庸であれど王族の常識の範囲内の思考で動いた結果なのだろう」と背景を推察しながら、自国に被害を齎さぬよう懸命に働いた。
側近達も、自分に同調して、かなりの無理をしながら動いてくれていたと思う。
多胎児差別のある国で産まれた双子の王子の処遇や、第二王子の影武者として育てられた第三王子を軽々に「殺して構わぬ」と捨て駒にするモスアゲート王に、本心では強い不快感を覚えたものの、自身は若く経験不足な未熟者であり、壮年のモスアゲート王には王なりの考えもあるのだろうと、批判の心は最低限に抑えて側近達と相談して策を練り、対応に当たった。
父王ジュリアンから『王家の恥』を伝えられた時には、モスアゲート王が次期王弟となる筈の王子達の命を容易に捨てられる理由が腑に落ち、モスアゲートという国への不快感と不信感が増したが、己の立場を弁え、粛々と為すべきことを片付けるために奔走した。
勿論、側近達も一緒だ。
その中で、もしも父王が、本気で心底モスアゲート王を「大事な親友」と扱って交流を続けるつもりならば、父であり国王であるジュリアンを誅する覚悟まで決めた。
もしもアンドレアが国王を誅した後で逆賊として裁かれるならば、側近達は必ず連座で共に命を失うのだと、分かっていても、それがどうしても我が国の未来のために必要であるならば、背中を預けられる彼らと共に逝こうと考えていた。
その覚悟を決めた後、ジュリアンから聞かされたのが、モスアゲート王ニコラスとの偽りの親友関係の真実だ。
なんと、モスアゲート王ニコラスが「賢王でなくとも国王としてマトモ」に見えていたのは、全てジュリアンが背後で操作していたからだった。
誰が思いつくんだよ、そんなこと。と、アンドレアは今でも思う。
それなりの規模の王国の王が、いくら『親友』とは言え他国の王の言いなりで政治を行っていて、しかもそれで二十年以上何の問題も表出していないなんて。
有り得ないだろう。
それでも、その時に聞いた話では、ニコラスは「王としては不足でも人として特に問題がある訳ではない」という人物評だった筈だ。
だから、ニコラスが小心者で浅慮で流されやすい人物だとしても、成人した貴族として常識的な思考や教養、それなりの覚悟は持っている前提で、モスアゲート側の動きを測っていた。
モスアゲートを裏から牛耳り実際に統べていると目されていたアルロ公爵が、考える頭の無い人物には見えなかったことも、ミスリードに繋がった。
アルロ公爵以下の他のモスアゲート貴族達も、身分相応の考えを持ちながらアルロ公爵に従い、国を動かしているものと考えてしまっていたのだ。
だがそれらも、今回リオから齎された情報で、間違っていたのではと考えを改めさせられた。
言い方は悪いが、アンドレアを筆頭に、第二王子執務室の面々には、「本当のバカ」や「本当の無能」の考えや行動など想像がつかない。
彼らには「本当のバカ」や「本当の無能」だった経験が無く、また、それが本来、彼らにとって想像する必要も無い事柄だからだ。
アンドレア達が『本業』として相手取るのは、武力や奸計を以て国を破壊せんとするような、知能犯や政治犯、武力メインの相手でも、指揮官クラスの能力は持つ『国賊』だ。
能が無く愚かなだけの小狡い雑魚の掃除は、適応する各部署の上位者がすべきことである。
メインターゲットの粛清のために、雑魚を最後まで泳がせながら纏めて対応する必要が生じる事もあるが、「よく今まで生きて来れたな」と言いたくなるようなレベルのバカや無能は、アンドレア達が真剣に頭を悩ませて対応する相手では無かったのだ。
ジュリアンが『親友役』を務めていたモスアゲート王ニコラスは、側妃の父親で第二王子の預け先でもあるアルロ公爵が、もう何十年も自称帝国とズブズブの関係であることを放置し、「国ぐるみでの同盟裏切り」の状態になっていることまで放置していた点だけを取っても、平均的な下位貴族並の危機意識や愛国心すら備えているとは思えない。
言い換えればニコラスは、「統治する側の生まれとは、末端に連なるとさえ思えない、無責任なバカ」なのだ。一国の王なのに。
ジュリアンから伝えられた人物評は、大幅に下方修正する必要がある。
そしてアンドレアは、最初に聞いた「実際のニコラス」の人物評がジュリアンから聞いたものだったが故に、どうしても、考えてはならない不敬な思いが浮かんで来てしまうのだ。
もしかして、ニコラス王がここまで無能でアホになったのは、父上が完璧に問題無くニコラスを操り過ぎたせいじゃないのか、と。
現況の、「モスアゲートは国ぐるみで同盟を裏切っている」ことにしても、「アルロ公爵は自称帝国の工作員のためにモスアゲートの正規兵を動かすくらい自称帝国とズブズブ」という事実にしても、かなりの長期間に及んでいる。
ニコラスが国王に即位して、在位期間の全てでもある。何なら、国王よりも行動範囲の規制が緩い王子時代からの話だ。
気付かなかった?
知らなかった?
本気か?
それが本当だとして、言い訳になる訳無いだろうが。
ニコラスがジュリアンとの親交を断たれた後のモスアゲート側の動きは、「そっちの国には政治家が一人も居ないのか?」と怒鳴りたくなる滅茶苦茶さだ。
常識も礼儀も無く、知識や教養すら怪しく、その場しのぎの繰り返しをしている。それすら、思いつきで動いて熟考しているとは思えない有り様だ。
ここまで酷いと、モスアゲートの貴族学院の教育レベルを疑う。学院に入る前の家庭教師からして、王族や高位貴族の幼年教育の基準を満たす者が居ない可能性すらある。
取り敢えず、成人して職に就いている貴族として一般的な意思疎通の可能な人間を出して来いと、要望書を出せるものなら出している。
出せばこちらが無礼者の誹りを受けるので出さないが。
この有り様を誰も止めないということは、ニコラス王だけでなく、その周辺人物も同レベルと言うことだ。
ジュリアンのニコラス操縦が、露見しないまま二十年以上も続いたのだから、その間、ニコラス王の周りに侍っていた貴族達の中には、政治や外交の知識を持ち、意見を言える人物が居なかったのだと考えられる。
今まで、モスアゲート王国の運営上、ミスが許されない重要案件は全て、『ジュリアンに頼ったニコラス』が『ジュリアン頼みで』処理していても、それに気付ける者がニコラス王周辺に居ないまま常態化していた。
モスアゲート王ニコラスが『頼りになる親友』という命綱を切られた今は、『権力闘争にだけは懸命で、政治能力皆無な貴族達』に囲まれた、『学生時代から何一つ成長せず、むしろ頼りっぱなしで退化した王』が、王冠を被って玉座に取り残されている。
無関係であれば、「道化にしか見えんな」と笑える光景だが、そこまで堕としたのは自国の王であり、あちらの王が道化であったと知らされるまでは、王として扱わねばと熟慮することで、自分達は存分に振り回された。
そして今は、その道化に堕ちた王の遥かに想像を超えていた無能っぷりのせいで、本来ならば悩む必要のない方向に頭を過重労働させているのだ。
消化できない、モヤモヤとしたモノがアンドレアの中から込み上げる。
長年の同盟裏切り行為や、アルロ公爵と自称帝国のズブズブな関係が放置され、『気付かないこと』にされたのは、ジュリアンの完璧な操縦によって、モスアゲート王国は、ニコラス王が何も見なくても、何も知ろうとしなくても、何一つ努力などしなくても、一見、何の問題も無く維持出来てしまったからではないのか。
ジュリアンが、『完璧な操縦』によって、『完全な依存心』をニコラスに植え付けてしまったからではないのか?
完全な依存心は、自ら思考する意思を失わせる。
モスアゲート王が、せめてクリソプレーズの一般貴族レベルには常識的な思考が出来ていれば、アンドレア達はここまで悩まされることは無かったし、ここまでアホで無責任な無能者が、『国王』などという最高位の身分と立場に座していなければ、アンドレアが対応に当たる必要も無かった。
後始末は国王がやるから、好きに暴れて良いとの言質は取っているが、限度はあるだろうし、結果には、「及第点」ではなく「高得点」の評価を貰いたい。
フラストレーションのままに、暴言を吐くのも攻撃的な態度に出るのも、観客が捌けてからだ。
それまでは現況に耐えねばならない。
それに、アルロ公爵が王国貴族の思考から逸脱した、自称皇族に似た思考や行動指針を持っていることから再考すれば、これまで『カリム・ソーンの遺体』を盗み出す目的でやって来た侵入者や、第二王子執務室への侵入者への尋問内容も方針転換の必要がある。
これまでは、アルロ公爵が、モスアゲートを裏から牛耳るただの悪辣なモスアゲート貴族だという前提で、カリムを留学生として送り込んだモスアゲート第二王子ダニエルの背後には、黒幕として、ダニエルの預かり先であるアルロ公爵が存在していると考えていた。
よって、カリムの死体を盗み出そうとする者やアンドレアの執務室への侵入者にも、アルロ公爵の息のかかった者が含まれていると考え、その方向で尋問内容は組まれていた。
しかし、自称皇族と同類の思考を持つアルロ公爵には、モスアゲート王国への帰属意識も愛国心も無いものと思われる。
アルロ公爵にとってモスアゲート王国が、「自分が現在所有しているフィールド」に過ぎないものだと前提を置き換えてみれば、「今のところそこで欲も満たせていて、今は『自分の尊い血で神に認められた国を染め替える』という遊びの最中だから、他所から邪魔されないように王国という形だけは保全してやっている」、という状態ではないのか。
保全のやり方は、「自称帝国工作員の行動を、モスアゲートに他国の非難を向けさせないよう統率」という、こちらとしては非常に複雑な胸中にさせられるものである。
何しろ、実際にモスアゲートに潜入したリオとイェルトにも、アルロ公爵の指示を受けた”自称帝国工作員”の行動指針は、読めた上に理解の範疇だったのだ。
モスアゲート国王やモスアゲート上層部の貴族達と違って。
詰まる所、今、アンドレア達が物凄く苦労して予想を立てて対策を練らされている、『国を統率する側の人間として酷すぎて、次は何をやらかすか、まるで読めないモスアゲートの国王や貴族達』よりも、自称帝国工作員の方が、余程、『王国貴族の常識』に沿った動きをしているという事実が判明した、という事だ。
いっそ悲しくなる。
恐らくモスアゲート王国の貴族達は、「三代功績無き貴族は例外無く降爵」の国法を悪用し始めた百年単位の昔から、王の教育を意図的に不足させ、操りやすくして利益を貪ろうという野心を実行する過程で、王侯貴族の教育に携わる能力を持つ教育者達を自らの手で葬り去り、自分達まで、高いレベルの教育者から教えを受ける機会を失っていたのだ。
背筋の寒くなる因果の廻り方である。
父上、モスアゲートに留学していた時に、この点には気付かなかったのですか。
当時、既に低レベルな教師しか居なくなっていた疑惑がありますが。
モスアゲート貴族であるアルロ公爵が、「形だけでも王国の体裁を保つ」為の的確な指示を自称帝国工作員に出せたのは、皮肉なことに、生まれた時から身近に居た、自称帝国工作員や密輸商人との関わりのお陰だろう。
奴らの思想はともかく、仕事で多くの国に出入りして潜伏するための知識は、他の王国の一般貴族レベルには達している。
自称帝国工作員の方が、モスアゲート王国の王や貴族達よりも、『王国貴族の常識』を、知識としてだけであっても、必要な場面で使えるくらい身に付けているという、この現実。
あまりの情け無さに、涙が出そうである。
そっと溜め息を吐くアンドレアの脳裏では、元凶が、いつもの飄々とした笑顔で片目を瞑っていた。
無精髭も生え始めた時刻、仮眠室へ続く扉を潜るジルベルトを憧憬の視線で見送るアンドレアにモーリスが言った。
「色と毛質が違うんですから、貴方の場合は『顔の輪郭をボヤッと膨らませる無駄毛』にしかなり得ませんよ」
「無駄毛・・・」
「ええ。無駄毛です」
「・・・」
カッコイイ無精髭は男の浪漫だ、と諦め切れないアンドレア。
そもそも髭が生えて来ないモーリスには、その浪漫は理解出来ない模様。
次話投稿は、6月28日午前6時になります。