茶番の舞台準備
一方その頃クリソプレーズ王国では、的な回。
アンドレア達は、まだリオ達の『モスアゲート土産』を受け取っていません。
イェルトとリオに「取って来ーい」をやった後、飼い主のジルベルトはニコルに首輪を発注した。
中身が山川なイェルトがジルベルトの犬である証の首輪。で、デザイン丸投げ予算はお任せである。
式典の日取りも近付き、ジルベルトは再度帰宅不可能な修羅場に身を投じる多忙を極めている。
首輪のデザインなど自ら手をかけている余裕は無いのだ。
式典の来賓リストは出揃っているが、やはりモスアゲート王国からは王太子夫妻のみの参列となっている。
この時期に参列の意思を翻すことなど、もう出来ないのだから来るには来るのだろうが、未だに『カリム・ソーンの遺体』の引き取りが済んでいない。
ソーン辺境伯領がクリソプレーズ王国との国境の反対側で遠いから、と噴飯物の言い訳が書面で送られて来たが、クリソプレーズとの国境から馬車で二日の王都から、それなりの立場の役人を送ることすらしないのだから、呆れ果てる体たらくだ。
在クリソプレーズ王国のモスアゲート王国大使館には、現在、なんと、貴族の身分を持つ大使が一人も居ない。
基本概念として『王国の責任者』とは国王であるが、国の代表として国外で活動を行う場合、その『王国の責任者代理』となる資格を持つのは、その王国の貴族家の当主、又は、成人した伯爵位以上の家の貴族だけだ。
これは、この大陸の全ての王国に共通する法令でもある。
つまり、現在クリソプレーズ王国のモスアゲート王国大使館には、『モスアゲート王国の代表として言動の責任を負える人間』が、一人も居ないと言う事になる。
犯罪者が、物心がつくかどうかの幼子だけを残して夜逃げしたかの如き所業だ。
カリムの事件後、厳しい取り調べは為されたが、『カリム・ソーンの殺人及び死体遺棄の犯人』らは下っ端過ぎて、こちらが使えるような情報を何も持っていなかった。
そこで、クリソプレーズ王国外務部は、向こうの要求通り、彼らの身柄を返還することに同意して手続きを行った。
下っ端の雑魚でも、流石に国に帰れば命の保証が無いことは想像がついたらしく、尋問官らは「国へ送還しないでくれ」と彼らに懇願されたようだが、こちらに然したるメリットも窺えないので、外務部の手続きが終わり次第、とっととモスアゲート大使館に引き渡したのだ。
その身柄と共に、「付き添いと国への説明のため」と称して、貴族の身分を持つ大使が、全員モスアゲートに引き上げたきり、今もクリソプレーズに戻って来ていない。
モスアゲート王国側の、やること為すことの余りのお粗末さに、第二王子執務室のメンバーは、モスアゲートの次の一手が逆に予測出来ず、想定外の苦悩を強いられていた。
ジュリアンが『親友』として手綱を取っていなければ、ここまで常識が無く政治的判断がまともに下せない状態になるとは、唖然の一言である。
ジュリアンは、モスアゲート国王を「親友」だと嘯きながら、飄々とした態度の裏で、実質二つの国を治めていたのだ。
息子の胸に、またぞろ敗北感が滲むが、今は落ち込んでいる暇など無い。
「ゴイル伯と息子の様子は?」
「父親は我が世の春と言った風情。息子は通常営業で可もなく不可もなく第一王子殿下の護衛任務に就いていますよ」
新騎士団長就任に伴い、王弟レアンドロが団長に着任する式典で、新団長から任命され、ゴイル伯爵は副団長の地位に就くことになっている。
だが、この式典は、アンドレアに言わせれば茶番だ。
騎士団長は、そのまま王弟のレアンドロが式典後も担うが、副団長は、式典で起きる諸々の不祥事を誘導した主犯格として咎を負い、粛清されて居なくなることが決まっている。
表向きの警備計画しか知らされていないレアンドロやゴイル伯爵は、今回の新騎士団長就任式典が、様々な思惑を孕んで仕組まれた舞台であることも知らない。
その二人に限らず、その真実を知っているのは、極少数の仕組んだ者達だけである。
思惑の一つは、モスアゲート王国への揺さぶり。
これから我が国が『遣ること』を踏まえて、モスアゲートに対する内政干渉と取られ得る行為も「やむ無し」と、国際的に認められるほどの、当事者以外の他の同盟国からも「看過出来ない」と思わせるだけの、国交を維持する上で許されざる特大の失態を演じさせる。
失態に紐付けるのは、前回リオがモスアゲートに派遣された際に持ち帰った情報を利用した事件。
少し前から、アルロ公爵が元ロペス公爵から購入していた『商品』が、少人数ずつクリソプレーズに帰国している。
妖精の加護が少なく、魔法が使えず、見た目も地味で目立たず背景として埋没する庶民。
そんなクリソプレーズ王国民を『商品』として購入していたモスアゲート貴族のアルロ公爵は、人身売買で破滅したロペス家の顛末を「対岸の火事」として高みの見物と洒落込み、塗られた泥など物ともせず、今もモスアゲート王国内で踏ん反り返っている。
諸外国の内、「良識ある国」を自認する国家からは距離を取られているが、身分だけは高い犯罪者思考の人間というのは多くの国に存在し、駆逐しても次から次と湧き出るものだ。
元ロペス公爵排除の際に、ついでに塗り付けてやった泥で、いわゆる「良識派」の他国の王侯貴族との縁は切れたようだが、アルロ公爵の資金源は今も尚、尽きてはいない。
モスアゲートからは、式典が迫っても未だに『カリム・ソーンの遺体』を引き取りに来ていない。
雑な工作員の送り込みで、徒に屍の山を築くばかり。
式典には、事前の意思表明の通り、王太子夫妻が参列しなければならない。
自国が追い詰められている状況の中で、アルロ公爵が『商品』として購入した、「目立たず警戒され難い力無き平民」が、人目を忍ぶように疎らに次々帰国している。
状況と情報を知れば、一定以上の教育を受けた王侯貴族ならば、何らかの意図を感じずにはいられない。
今のところ、帰国した『商品』は、全員に監視を付けて泳がせている。
元々暮らしていた街という地の利を活かして、下町や裏通り、スラム街の空き家や廃墟に分散して潜伏しているらしい。
何を起こすつもりかまでは、まだ明確な動きは無いが、彼らがどんな指示を受けていて何を起こすつもりだろうと、彼らには、こちらが用意した事件を、証拠と証人付きで起こしてもらう。
その為に、裏向きの警備計画の準備が進められている。
モスアゲートとの決着をつける為に心血を注いで舞台を整えて来たこの式典を、主導するアンドレアが「茶番」と言ってしまいたくなるのは、この式典が国王ジュリアンにとっては、実弟レアンドロに課した『王族の判断の重さを身を以て知る実施教育』の教材に過ぎないからだ。
息子に任せて整えさせた舞台を使い、ついでに弟の心に消えない傷を付けて目を覚まさせる。
父親の非情な目的が読める上に、「効率的だ」と納得までしてしまう現状には、乾いた笑いが溢れそうだ。
あの父親に、「利用するのに丁度いい」と思わせただけでも、父から「王族として及第点」と評価されたのだと喜ぶべきだろうか。
遠い目になりかけて、アンドレアは思考を執務に戻して固定する。
王族の判断は、時に容易に他者の人生を狂わせる。
それだけの権力が、『王国の王族』には持たされている。
優しさは、美徳だ。
お人好しは、友人が多い。
同情心は、弱者から歓迎されるだろう。
慈悲は、立場が上になるほど求められる。
だが、いかにそれらを持つ者が人間として魅力的であったとしても、王族がその部分を利用されることは、あってはならない。
強大な権力を持つ王族は、近寄る者の、すり寄る者の、媚び諂う者の、縋り付く者の、真意を見極める能力が不足しているならば、いっそ、優しさも同情心も慈悲も切り捨てて、人間らしい情など持たない方がマシだ。
お人好しなど、以ての外。
強大な権力を持ち、発言力の強い王族が「お人好し」であるなど、マイナスにしかならない。
「・・・兄上の新しい専属護衛を水面下で選定中だったな。宰相室からは」
「最新の中立派貴族と国に忠義の篤い貴族家のリストを受け取っています」
「適性のありそうな者を推薦しろ。出来れば中立派より、『王より国が大事』という忠誠心の騎士が望ましいが、使えそうなら中立派からでもいい」
エリオットの側近として唯一残された専属護衛は、ゴイル伯爵の嫡男だ。
彼自身は何一つ罪など犯していない。今後も、裁かれるほどの罪など犯すような大それた人物でもない。
彼はただ、才能に見合わぬ野心を持って王弟を唆した父親の咎を、共に背負わされて粛清の対象となり、命を落とす。
そう、国によって運命を定められている。
「次期国王に専属護衛が居なくなるのは外聞が悪い。急ぎ、式典の前までには揃えろ。新しい専属護衛は、必ずコナー家の息のかかった近衛と当番を組ませて使え。忠誠を誓った騎士は偶に暴走する。監視を緩めるな」
「御意」
指示を出しながら、アンドレアは胸中に苦い溜め息を吐く。
何度経験を繰り返しても、親や祖父の罪咎で子や孫の人生が刈り取られる秩序の維持は、慣れるものではない。
慣れては、いけない。
己を戒め苦い想いを毎度抱えても、アンドレアの『次代の実権者』という立場は、「慣例を違えて慈悲を見せ、甘い処断を下す」という『前例』を作ることを許さない。
甘い前例は、いずれ必ず、国を危機に陥れようとする者共の突く隙となる。
アンドレアが感傷で作った『前例』が、未来のクリソプレーズ王国を崩壊させる穴となるかもしれないのだ。
する気は無いが、そんな愚挙に出られる筈も無い。
だが、王弟は、それに類する『愚挙』を犯した。
「第一王子専属護衛モーゼス・ゴイルは、式典後、当主で父親のマルセル・ゴイルに連座する形で処刑となる。第一王子周辺に次期国王として影を落とすような悪評が立たぬよう、印象操作をしておけ」
「御意」
アンドレアの指示は感情の排された声音で発され、双眸は苛烈な光を宿している。
受ける側近も、主へ気遣わしげな色など決して浮かべない。主の矜持を、深く理解しているからだ。
「我らの敵には、取り返しのつかない失態を演じてもらえ」
ゾッとするほど冷たい音で、少し先の決まった未来を宣言するアンドレアに、彼の側近達は揃って頭を垂れた。
『我らの敵』って?
粛清王子は、身勝手な振舞いで未来ある子や孫を巻き込む老害権力者が大嫌いです。
側近達も、嫌いな理由は主と同じとは限りませんが、血縁巻き込み老害権力者は大嫌いです。