色気虫と野生児の観光旅行・復路
目的の娼館は、イェルトを伴えば呆気ないほど簡単に迎え入れられた。
そんな娼館側の態度から、貴族以外を入場禁止にしているのは、何かを隠す思惑からではなく、単に価値を高めるための規則であると二人は推察した。
娼館内でも、通常の風俗店を超えた不穏な気配や異質な空気を感じ取ることが出来なかったのだ。
この娼館は、黒ではない。
そして、この娼館にも「高貴な色を持つ若い娼婦」は居なかった。
イェルトがワガママな貴族の坊っちゃん風に「どうして?」と訊けば、申し訳無さそうに、「入荷が無いのですよ」と答えた館主にも裏を感じられない。
一番の上玉と紹介された娼婦は、若い美人の部類ではあるが、髪と瞳がくすんだ茶色で二十代半ばといったところ。聞けば、母親がこの娼館の娼婦で、父親は客だった貴族の誰からしい。
彼女は、色が地味だからここに残ったのだと言う。
どういうことだと金を握らせれば、声を潜めて「根も葉もない噂ですが」と前置きし、「何処かの大貴族か王族様が、明るく華やかな色の若く美しい娘を買い占めて密かに囲っているのでは、と言われています」と言った。
同じ茶系の色合いでも、貴族は金の混じった輝きがあったり、艷やかなチョコレートブラウンやマホガニーブラウン、淡いミルクティー色や鮮やかな紅茶色を持つ。
また、髪が茶系であっても瞳は花や宝石のような彩りを持っていたり、瞳は茶系でも髪色が見るからに貴族的であったりする。
平民にもカラフルな髪色や目の色を持つ者は少なくないが、発色の鮮やかさや色の質が異なるのだ。
ただ、それはほぼ都会に限られた話でもある。
都会では、数世代内に娼婦や男娼でも、没落貴族や市井に降りた嫡男以外の元貴族でも、遡れば兎に角「貴族の血混じり」が居るのが珍しい訳では無い。
貴族が足を踏み入れないような田舎で見られる平民の髪と目の色は、大体がくすんだ茶色だ。
娼館で「一番の上玉」として紹介された彼女は、顔立ちは貴族に並べる造作で産まれても、纏う色が典型的な平民のものであったために残されたのだろう。
娼館には、人買いや国の暗部の息がかかっている様子が無かった。
昨夜は娼館に泊まったのに何も仕掛けて来なければ、出された酒や料理にも、毒も薬も仕込まれていなかった。
用心棒くらいは高級娼館の当然として抱えていたし、花街色街の稼ぎ頭の店なのだから、裏社会の者とも通じていないことは無い様子だ。
だが、それらを含めても、その店は「ごく真っ当な娼館」であった。
馬車で王都を流しながら、イチャつくバカップルを演出しつつ、リオとイェルトは認識のすり合わせをする。
「アレは、息はかかってないね」
「だな。養殖場として目は付けてるだろうがな。館主や上級の娼婦は何かあるとは気付いていそうだな。命が惜しくて突付かないといったところか」
「噂が本当なら、突付けば大貴族か王族に敵対するかもでしょ。好奇心で死んでも構わない、とかじゃなきゃ知らん顔するんじゃない」
それにしても、「高貴な色の若い娘」ばかり、王都一の高級娼館にすら商品を卸させない程に集めている資金潤沢な権力者の存在がチラつくとは、どうにもキナ臭い話だ。
ジルベルト経由でクリストファーが聞いた、外務大臣『毒針』の感じた「違和感」が、薄ら寒く現実味を帯びてくる。
「ねぇ色気虫」
如何にもな「貴族のお忍び観光スポット」を梯子して人目を集め、「チョット不良っぽい気分を味わえるスリリングなお店」の並ぶ辺りを目指す馬車の中、甘えるように胸元にすり寄って口許を隠すイェルトが声をかける。
「なんだ」
小さなピンクゴールドに彩られた頭を抱き寄せるように撫でて、頭頂部に口付けを落とすフリで俯いたリオが応じる。
「お前、自称帝国の工作員と対面したことある?」
サラリと飛び出した息を呑むほどヤバい単語に、一瞬だけ動揺が表出しかけるが、甘い空気で幾重にも包んで誤魔化し切り、リオは否定する。
「いや。実際は見たことがあるのかもしれないが、コレがソレだと誰かに教えられたことは無い」
「ふぅん。ボクは家の教育の一環で、捕えたそいつらと何度か直に対面したことあるんだけどさ。ここの王都、ソレと同系統の奴らがゴロゴロ居るよ。普通に紛れ込んでる。クリソプレーズには居なかったし、カイヤナイトには少なかったのに。ちょっと街を流しただけで、すぐ目に付くくらい居る」
「まじか。モスアゲート王都の入れ替え済み『仮面』から、即で話の吸い上げが必要だな。・・・考えられるのは、国ぐるみでの同盟への裏切りか。うわぁ、やりそう。簡単に想像出来たわ」
「生かせる王族が居なければ、国として終わりだね」
「腐ってる腐ってるとは思ってたが、超えて来たな」
「これはちょっと、ボクでも想定外。頭抜けた愚か者の思考って、ホント読み切れないよねぇ」
私欲を満たしたい、権力の座のトップに君臨したい、国を意のままに操り我が物としたい。
そんな望みを抱いた『国王には成れない者』が、王を傀儡とすべく弱き愚か者になるよう導かんとするまでは、まぁ使い古された手法と方向性だろう。
クリストファーは、モスアゲートにもそういった事が起きていると予想し、ジルベルトが精査した外務部の禁帯出過去資料によって、予想は強い疑惑となっている。
近代、モスアゲートの国王が、自国の貴族達によって、意図的に愚者になるよう教育されている可能性は、非常に高い。
ここまでは、「取って来ーい」をする側もさせる側も、想定内。
だがそこで、国そのものが解体されかねない愚を、暗躍中の貴族らが自ら犯すとなれば、「何がしたいんだ、お前ら」と理解不能に陥る心持ちである。
積み重なる疑惑や、奴らが積み重ねている小手先の愚策を見れば、望んでいるのは、「自国の破滅」や「身を置く国家の滅亡」ではない筈なのだ。
自国の王を愚かに育てる謀の、透ける動機は強い権力欲と金銭欲だ。
だと言うのに、折角、傀儡に出来る愚者に育てた『正当な王』を無事に戴いている今、寄生して甘い汁を吸う為の『国』が無くなってしまっては意味が無いではないか。
大体、国の滅亡は、王族だけでなく、貴族も一蓮托生なケースが多い。現在、王を愚かに育てて暗躍しているモスアゲート貴族達も、同盟裏切りによって国が滅亡するならば、仲良く諸共心中になるだろう。
甚大な被害を出した規模の大きな戦争を切っ掛けに締結された同盟。それへの裏切りは、同盟国である、モスアゲートと同規模か、もしくは上回る国力の王国を、一度に四国も同時に敵に回すことになる。
安穏と逃げ切れるものではない。
仮に命だけは残されたとしても、身分と財産を維持することなど、決して認められることはないだろう。
その程度の未来さえ、想像する頭が無いのか。
それとも、例え国が滅びても、自分達だけは、築いた富を抱えたまま生き延びて、栄え続けることが出来る保証でもあるのか。
「この話だけでも、かなり大きな『土産』になるな」
「帰り道で仕掛けて来た『人買い』が、ビンゴだったらどう持ち帰る?」
「普通に国境超えるのは駄目だろう。本職に入れ替わった『仮面』に渡して、コロン男爵領側から密入国してもらおう」
モスアゲートに入り込んだコナー家の『仮面』は、現在その殆どを戦闘や魔法にも長けた本職との入れ替えが済んでいる。
二人がモスアゲートに入国してからずっと利用している、この貴族用の貸馬車の馭者も、本職に入れ替わった『仮面』だ。
モスアゲート最大の貸馬車組合に数年前から在籍し、真面目に勤めて信用を得た『仮面』は、「貴族用」を任されるまでに出世していた。
他にも何人か、街を出ての移動が不自然ではない職の『仮面』に繋ぎを付けて、先にコロン男爵領に隣接する山林に向かわせておこう。
王都内の自称帝国工作員と疑わしき人間の数や潜伏状況も、本国に急ぎ伝える必要も出ているから丁度良い。
モスアゲートに入国する際、イェルトが国境で感じた違和感は、既に馭者を介してクリソプレーズに届けている。今頃、コロン男爵領にも調査の手は伸びているだろう。
国境間の受け渡しも、コロン男爵領に送られた調査隊の手足を使えばスムーズに済みそうだ。
クリストファーの『右腕』として権限を持つリオは、頭の中で算段をつけると、馭者席へ、ノックのリズムで指示を出す。
「聞きたいこと聞き終えるまでさせないけど、自害したら最悪首だけ持って行ってもらう感じ?」
「そうなるだろうな。と言うか、自称帝国の工作員て、何か証になるモノを持ってたりしないのか?」
「上の方のヤツなら自称皇族の紋章入りの物品を下賜されて持ってたり、あとは揃いの墨を入れてる一族が居たりはするけど、確実に全員がそうって訳じゃないよ」
「なら、何も無いヤツは首だな。どうせ最終的には、一人も残さず刈る」
刈るのは敵の命。
報告に戻られることは、避けなければならない。
目撃者は一人も残せない。
聞くことを聞いたら、相手が自害せずとも命は貰う。
理想は、一番情報を持っている奴を、お喋りだけ出来る状態にして密入国組に引き渡し、クリソプレーズに「持ち帰って」貰うことだが、相手がただの犯罪者ではなく国家絡みのプロなら難しいだろう。
現場で聞き出すことを聞いたら、本人照会が可能なブツを採取して渡すことになるものと予測される。
「いつ、王都を出ようか」
「こんな、お誂え向きな裏通りを流していても、雑魚にすらエンカウントしないんだ。バックにお国が付いてるのは、もう決まりだ。急いで怪しまれるリスクを上げるより、『パパから貰ったお小遣いが無くなっちゃった』くらいのタイミングまで遊び回ってろ」
「ワガママな問題児だから、好奇心いっぱいにウロチョロして、引率役の男娼を振り回すんだね?」
「そうそう。俺は困った顔してついて行くだけな」
「ウッカリ偶々マズイ所に入っちゃったりしてねー」
「王都は出られる範囲でな」
「分かってる」
キャッキャウフフな雰囲気で不穏な打ち合わせを済ませた二人は、軒先で淫靡な匂いの香を焚く店の前で馬車を降り、リオのエスコートで色彩の剥げかけた扉を潜る。
キャーキャーとはしゃいだ声を上げながらアダルトグッズを手に取るイェルトと、ニヤニヤと口許をだらしなく歪めながらそれを眺めるリオ。
国境から付き纏う視線から読み取れる感情は、侮蔑と呆れと苛立ち。
あと、数日後。
自分達が、命を刈り取られる側に回ることなど、視線の主らは何一つ気付かず想像もしていない。
揉み手で奥から出て来た店主に商品の説明を受けながら、リオとイェルトは、期待に湧き上がる殺意を胸の内で宥めていた。
リオにとっての『本国』とは、御主人様の属する国なので、何の引っ掛かりも無くツルッとクリソプレーズ王国を「本国」と思ってます。
モスアゲートで工作員の技術を叩き込まれると同時に、「モスアゲートのために尽くせ!」という暴力教育も為されていますが、前世の記憶があったお陰で洗脳もされませんでした。
結果的に、モスアゲートはクリソプレーズという他国のために優秀な工作員を育て上げた形になっています。