色気虫と野生児の観光旅行・往路
モスアゲート王国に接地するクリソプレーズ王国の領地は、ニーバー伯爵領とコロン男爵領である。
ただし、そのほとんどはニーバー伯爵領であり、出入国管理に関する施設も在るのはニーバー伯爵領の方だけだ。コロン男爵領とモスアゲート王国の国境は未開発の低い山林であり、獣と山賊を防ぐ目的で分厚く高い石壁によって封鎖されている。
ニーバー伯爵家は武門の家で、王家への忠義も篤い。
次代は王子達と息子の年齢が合わず候補から外れたが、専属護衛として王子の側近に召し上げられることの多い家門だ。
クリソプレーズ王国には「辺境伯」の爵位が無いが、その爵位がある国ならば、ニーバー家の役割はそれである。国境にて目を光らせ、不埒な輩が忠義を捧げるクリソプレーズ王国へ入り込まぬよう兵を鍛えて守っているのだ。
尤も、接地しているのが内実はどうあれ現在は同盟国であるために、大っぴらに国境の警戒に強い態度で当たることはしていないが。
コロン男爵は、田舎に小さな領地を持つ、目立たぬ貧乏貴族という印象だ。
貧しさ故か、気の弱さ故か、ほとんど王都に出て来ないと聞く。中央での役割も与えられていない。
イェルトとリオは、出入国管理施設のゲートを抜けてモスアゲートに入り、入国後に借りた貴族用の貸馬車の車内で窓から外を眺める。
二人は、「カッコイイ男娼のお兄さんを侍らせて旅行を楽しむ貴族のワガママ放蕩息子」の体で行動していた。
一人で街をふらついていたイェルトが、街中で目に付いたリオをナンパしてカフェでお茶をする内に意気投合。
最近モスアゲート王国から帰国したという話を聞いて、「留学先の制服が出来上がるまで暇だから旅行でもしようかな〜」と貴族の気まぐれ的に思い立ち、「おにーさんが案内してよ。お金はボクが出すからさ」と強引に雇い入れ、そのまま高級ホテルに滞在する父親の元へ引っ張って行き、旅行の許可とお小遣いを強請る。
までの小芝居も、ちゃんと目撃者の目を意識して済ませてある。
「何か気付いたか?」
まるで睦言のような表情と距離感で、リオがイェルトの耳許で囁く。内緒話のように口許は手で覆っているので、外の視線から唇は読ませない。
返すイェルトも小悪魔的な艶めいた笑いを溢してから、口許に手を添えてリオの耳に囁いた。
双方とも内心は大層気色悪い思いをしているが、それが表出することは無い。
「国境、ニーバー領側には犯罪者臭のするヤツが不自然に少ない。モスアゲートに入った途端、犯罪者としか思えない視線がこれだけ増えるんだから尚更。犯罪者共には別の出入口があると考えた方がいい」
「コロン男爵領か。封鎖されてるのと接地面積の少なさでノーマークだったってな。俺は行ったことは無いが、モスアゲートでは、あの山林は山賊の根城だと言われてる」
「愚兄の命令で山賊討伐してたんじゃないの?」
「命令されたのは別の山の山賊だからな」
イチャつく恋人同士にしか見えない空気感で囁き合っている内容はコレだが、遠目からでも色っぽいムードがムンムンしているので、覗きの視線は鋭さより厭らしさを増していく。
「この覗いてるヤツらさぁ、すぐ仕掛けて来ると思う?」
「どうだろうな。最高級品として目は付けられてるだろうが」
「あぁ、やっぱり強姦目的じゃなくて人身売買の商品として目を付けられてたんだ」
モスアゲート王国に入国してから直ぐに、クリソプレーズ側では全く感じなかった種類の視線が急激に増えた。
纏わりつく視線も値踏みの視線も慣れっこなイェルトだが、個人的な愉しみを目的とするものなのか、商品の値踏みなのかの判別は自信が無かった。
人身売買目的の人間ですら、イェルトを冷静に「商品」としてのみ見詰める者は居ないせいだ。
見れば、どうしても欲しくなる。売れば最高値が付くと分かっているが、自分でも触れて味わって愉しんでみたくなる。
イェルトの美貌は、特に元から欲の強い者には、理性を飛ばす効果があるほど蠱惑的なものなのだ。一度目のジルベルトと同様に。
だが、イェルトが一度目のジルベルトのように、それを悲観することは無い。
元来の性格もあるが、ローナン侯爵家の産まれであるイェルトは、幼い時分から、ハニートラップを仕掛ける側の訓練と教育を受けていたのだ。
寧ろ、この外見は、自他ともに大いなるアドバンテージだと認められている。
「じゃあ、王都観光前に邪魔されないように直行だね」
今回の主目的は、クリストファーの命令でモスアゲート王都に潜入したリオが、前回の潜入で違和感を覚えつつも入れなかった場所の調査だ。
前回の潜入時、他国からの出稼ぎ男娼としてモスアゲート王都まで入り込んだリオは、娼婦の流通に不自然さを感じていた。
男娼の流通に関しては、量も質も「こんなものだろう」と感じられたが、娼婦となると、若く美しい、特に高貴な色と呼ばれるような貴族に多い色合いの女性が妙に少なかったのだ。
通常であれば、娼館の目玉となる「元貴族令嬢」や「元貴族の若奥様」や「父親が貴族の娼婦の娘」が、並以上の価格帯の娼館ならば一人は居る筈である。
特に、王都の花街ならば、それを目当てにした観光客が国内の地方や国外から訪れ、財布の紐を緩めて大きく金を落としてくれる。
目玉商品の居ない娼館には、羽振りのいい客は滅多に訪れないのだから、一人も抱えていない期間が長くなれば店は廃れる。
だと言うのに、現在のモスアゲート王都の花街には、高貴な色の若い娼婦を抱える店が無い。
居ても三十路を大きく超えた大ベテランか、熟女を好む客向けに仕入れられた没落貴族の未亡人や、失脚した中年の貴婦人くらいのものだ。
男娼には、若く質の高い「高貴な色持ち」が不自然ではない数で流通しているのだから、どうしても不審さが目に付く。
王都に暮らす庶民や、仕事や観光で訪れる平民らの間では、「貴族客しか入れない最高級の娼館に、上玉は全部集められてるからお高い花に会えないんだ」という噂が実しやかに流れているが、貴族しか入れない娼館の噂を確かめた平民は居ない。
リオも前回、平民の身分証で入国したために潜入は叶わなかった。
目的の娼館の警備はリオにとっては然程でもないので、忍び込むならば可能だったが、王都内はモスアゲート王国の暗部が放たれ、常に民や他国人を監視していることを知っていたリオは、目立つことを避けた。
だが今回は、貴族の身分証で入国した侯爵令息のイェルトと一緒だ。
高位貴族の同伴者としてならば、リオも件の娼館に堂々と入場出来る。
下位貴族ならともかく、高位貴族相手に、「護衛も従者も店外に置いて一人で入って来い」とは店側も言えない。
イェルトは、今年十五歳になる十四歳。閨教育を受けて娼館遊びに興味を示してもおかしくない年頃の、成人間際の男性貴族である。
羽目を外しがちとなる親から離れた旅行中、供に付けた男娼の案内で花街を目指すことも、供の男娼が、自身は入ったことが無くても最高級の娼館を貴族のボンボンに紹介することも、何一つ怪しまれる要素は無かった。
「馬車、ずっと同じ視線に追われてるね」
クリソプレーズとの国境からモスアゲートの王都までは、馬車で二日とそれほど遠くない。モスアゲートの王都は、地形の関係で国土の中央には無いのだ。
国境から王都までは街道も整備されており、途中の宿場町も人が多く賑やかである。国の威信にも関わるのだから、この辺りの治安は比較的良好に保たれている筈だ。
しかし、国境を超えてモスアゲートに入国してからずっと、同じ目的の人買いであろう複数の視線が、移動するイェルト達に付き纏っている。
それも、雑魚っぽい視線は篩いに掛けられながら、だ。
「まぁ、国自体が腐ってるからな」
視線の主達は、一日目の宿場町では手を出して来なかった。深夜の宿の寝室でさえ。
入国初日で行方不明では、「まだ早い」とでも考えているのか?
だとしたら、そう考える理由は?
犯罪決行直前のヒリつく高揚感は、未だ視線に微量しか含まれていない。
リオの予想が「当たり」を引いていれば、恐らく、決行は、王都に入って一定以上の日数が経過してから先だろう。
国土の中央に存在していなくとも、モスアゲート王国では王都が最も人口が多く人の出入りも激しい。
目立つ容姿のイェルトの目撃情報が、様々な立場や国籍の人間から十分に集まるだろう日数をカウントした後で、リオごと拉致して「誘拐犯は同伴者の男娼」だと噂をバラ撒き印象付ければ、有象無象はそれが真実だと思い込む。
後からまともに捜査する気のある調査員がイェルトの母国から派遣された時には、そうした有象無象らが無自覚に捜査を撹乱するだろう。
この国の捜査機関となる軍人らには、最初からマトモな捜査など期待していない。
その間に、イェルトは手遅れになって消息を絶つ手筈になっているのではないか。
モスアゲートの上層部が腐り切っていることを知っているリオは、機会を見送り未だ仕掛けて来ない現状から、この『人買い』は、国の庇護下にあると予測を付けていた。
「国の庇護下にある人買いが動くなら、仕掛けて来るのは王都を出た後だろうな。王都で他国の、それも同盟国の高位貴族が男娼ごときに拐かされ、それを未解決事件とすれば、国が侮られる」
王のお膝元、最も治安維持に力を注いでいる都市で、観光旅行中の他国、それも同盟国の高位貴族を拐かされ、犯人は平民の男娼一人だと言うのに、捜査も進まず救出も出来ずに手がかり一つ見つけられない。
そんな事態になれば、国王のみならず、国際的に執政の上層部全てが無能の誹りを受けるだろう。
国交の在り方や訪国をマイナス方向で再考するだけで済ませる、という穏便な国ばかりでは無い筈だ。
その程度の国ならイケるだろうと、内部からの崩壊を工作し、侵略を目論む国も必ず出る。
「下手すりゃ強い人買い組織は全部、国の庇護下の可能性もある。お前を狙ってるのがそいつらなら、弱小人買いは牽制されて手を出せねぇだろ。勝負は王都からの復路、目撃者の現れない状況を作り出して、この馬車を襲撃するんじゃねぇか」
イェルトの小さな頭を抱き寄せて、ピンクゴールドの髪に口許を埋めるようにしながら囁くリオ。
イェルトの側も、桜色の爪が整えられた指先を花弁のような唇に当てて口許を隠し、クスクスと笑いながら応じる。
「馬車で二日しか無い国境と王都の間の街道を、短時間でも封鎖出来るなら、国家権力も背後で動いてるとしか思えないよね。まさか封鎖せずに目撃者を皆殺しじゃぁ、後始末が大変過ぎるしねぇ」
王都と国境を繋ぐ街道は、道幅も広く整備されていて、夜間でも馬車の往来が完全に途絶える時間は長くない。昼間ならば尚更。
通行するのは、護衛を大勢引き連れた豪商の商隊や貴族の一行も少なくない。皆殺しなどすれば、露見しない訳が無い層である。
盗賊団の襲撃にでも遭ったことにするなら話は別だが、その手を使うつもりならば、既に幾度かチャンスがあったのに仕掛けて来ていない。
最初から「ならず者の襲撃」の形を取るならば、別に入国初日だからと遠慮する必要だとて無い。
宿の寝室なら目撃者の心配も無いと言うのに、宿泊した宿屋でも仕掛けて来ていない。
リオが人買いの動向を、「平民の個人を誘拐犯に仕立て上げ、国に疑惑を向けられないよう工作するつもりだ」と予測したのは、国境からここまで追跡して来ている、複数の同じ視線の持ち主らの姿勢が、単なる人買いとしては不自然だからだ。
高貴な血が混じっていれば基本的に美形が生まれるようなこの世界でも、イェルトは別格の輝きを放ち目を惹く美貌の持ち主である。
恐らく、多くの美しい「商品」を扱った経験のある人買い達でも、見たことの無いレベルの美形だろう。
つまり、仕入れられれば「値を付けられないほど高価な最高級品」になることが確実な「商品」だ。
それなのに、幾度もあったチャンスを見送りながら、未だ手を拱いている。
まるで、拉致の現場となる国への非難が最小限になるよう気遣うかの如く。
犯罪組織がそこまで国の体面を気遣うことなど、両者が手を組んでいなければ有り得ない。
「本当に、腐った国だよなぁ」
甘い雰囲気を垂れ流しながら、ピンクゴールドの奥の可愛らしい耳に口付けるように嗤うリオ。
「仕掛けて来た奴ら、どこまで殺していいと思う?」
頬を上気させてリオの胸に顔を埋めながら、強請るような仕草で問うイェルト。
外からの視線には、不埒にイチャつく放蕩者にしか見えていないことだろう。
リオにとって、心にも無い色事めいた空気を作るなど前世からの十八番であり、イェルトにとって、自身の体温や脈拍を自在に変化させることなど朝飯前だ。
もうすぐ、モスアゲートの王都に入る。
せいぜい、予測した思惑に乗って、彼方此方と観光してやろう。
リオとイェルトは熱い眼差しで見つめ合い、甘く唇を弛めて微笑んだ。