母と娘の再会準備
前世の息子と再会したジルベルトは、前世の娘との再会が叶うであろうニコル・ミレット男爵令嬢の茶会デビューまでの間に、クリストファーと話し合いを重ねて下地を築き上げた。
今後、ニコルやクリストファーと問題無く会うことが認められる下地である。
ジルベルトは、主と仲間が認めるなら他に問題は無いという認識で、クリストファーは自分が所属する陣営がジルベルトとニコルを敵視しなければ問題無いと考えていた。
ジルベルトは、アンドレアとモーリスに前世のことを話すつもりは無いが、嘘偽りを彼らに告げることを容認できなかった。ハロルドは、まだ『仲間』ではなく変態犬枠なので、反応を気にしていない。
よって、クリストファー・コナーが屋敷に侵入して対面を果たしたことを、アンドレアとモーリスには報告した。
「第二王子側近の『剣聖候補』へ独断で探りを入れに来たクリストファー・コナーに気に入られた」
という、諸々をすっ飛ばした「嘘じゃない話」だが。
コナー公爵家が、国王と、王子であれば立太子が内定している第一王子の陣営だというのは、この国の貴族であれば誰もが知っている話だ。
代々、コナー公爵家の当主は国王に、嫡男は王太子に忠誠を誓う。
だが、クリストファーは次男であり、今のクリソプレーズ王家には王位継承権を巡る派閥争いは無い。
自由な次男が、第一王子と争っていない第二王子の側近を気に入るということも無いとは言い切れないのだ。
第一王子は『完璧王子』、第二王子は『天才王子』と噂され、第一王子の陣営は第二王子を警戒はしているが、アンドレア本人が常に兄を立て「自分は次代の王である兄上を支える立場だ」と公言し、特に暗部を司るコナー公爵の前では、「王となる身に血腥いイメージを付けさせはしない。汚れ仕事は俺が引き受ける」と笑顔で宣言している。
まぁ、コナー公爵への宣言は、アンドレアを侮り、従順な国の駒にすべく力を押さえつけようと考えていた公爵への牽制でもあるのだが。
アンドレアが愚かで傲慢な『俺様王子』であった頃に傀儡として担ぎ出そうと企んでいた輩は、騎士団長失脚を狙った茶会の件で首謀者と共に処刑された。
運良くその時は処刑を免れた者も、『天才王子』では制御など手に余ると鳴りを潜めた。
アンドレアの有能さに次代の王位を狙えるのではと、第一王子の陣営で旨みのある位置に潜り込めなかった者共が密かに期待をしているが、それを見越したアンドレアが態と己に血腥いイメージを色濃く付けて回っているので、「優秀な第二王子に王位を」などと言い出せない土壌が仕上がっている。
年齢が一桁の時分から、「天才」と称される能力のほとんどを、反逆者の排除で発揮している王子を「次期国王に推す」などと発言すれば、国内に於いては血の独裁政治を、他国へは侵略戦争でも企むつもりかと、疑惑の目で見られてしまう。
それを狙っての流血のイメージを纏わせた『笑顔で苛烈な天才王子』なのだ。老獪な貴族の大人達を手のひらで踊らせる現在9歳の王子様は、私欲の亡者共に利用されて国を乱す気など毛頭ない。
コナー公爵家が国王直下で国の暗部を司ることは、王族の男性と国の上層部だけが知っている。
ジルベルトはアンドレアの側近という立場上知っていて問題は無いが、知る筈の無い立場の人間が前世のゲーム知識からうっかり事実を口にしてしまったとすれば、監視下に置かれ、場合によっては消される。
クリストファーも、ニコルには口止めしていた。
だが、それぞれの現在の立場上、クリストファーがジルベルトに興味を持つことも、ジルベルトがクリストファーの調査に理解を示すことも不自然ではない。
だから、まずは先にクリストファーとジルベルトの関係が良好であり、主に害が無いか見極めるためにも今後も秘密裏に会うことの許可をアンドレアから得た。
ジルベルトが懐柔されてアンドレアを裏切るという心配を、アンドレアは一抹すらしなかった。
ジルベルトが傷つけられないか、それだけを案じていたが、実力差が歴然としていることを納得がいくまで説明し、許可は出された。
コナー家の正体を知らない人間にとって、クリストファーは茶会デビュー前の幼い貴族の子供であり、親しく交流しているわけでもないダーガ侯爵家に表立って訪ねることはできない。
まだしばらくは、クリストファーが夜陰に紛れてジルベルトの屋敷に侵入する、という手法で会うことになる。
クリストファーと会ったことは毎回きちんと主に報告し、「ライバル出現⁉」とキャンキャン纏わりつく変態犬を蹴り飛ばして「ご馳走様です!」と悦ばれる月日を重ね、ジルベルトは次の段階に準備を進めた。
ニコルとはクリストファーを介して伝言を送り合っているジルベルトは、まだ公表されていないニコル名義の商会が次に売り出す目玉の新商品の情報を握っていた。
元から、ミレット男爵家の娘個人名義の商会、『ニコット商会』に興味は持っていた。
カップ麺に虫除け効果のアクセサリー、日焼け止めクリーム、人工毛を用いた安価なウィッグなど、この世界には今まで存在しなかったが需要は相当に高い商品を発案し、開発まで幼い娘が携わっていると、王家の調査員からも聞いていた。
男爵家の幼い令嬢でありながら個人資産もかなり有していると目され、権力づくで手に入れようと問題を起こす者が出始めていたので、「汚れ仕事は引き受ける」と宣言したアンドレアの許へ事案が回って来てもいた。
ニコルが世に出した商品は、厳重に特許申請もされていて、国内外の誰も勝手に類似品や偽物を売り出すことはできない。
じわじわと国外にも有用性を認識されている数々の商品は、クリソプレーズ王国でしか買い求めることができず、それによって王国の国力をも高めていた。
茶会デビュー前の令嬢であることを理由に、ニコル本人の登城はミレット男爵が拒んでいるが、王族達も当然ニコルに興味を持ち会いたがっている。
特に王妃殿下は、王家を出し抜いて無理矢理ニコルを手に入れようとするなら国家反逆罪を疑うくらいの勢いだ。
虫除けと日焼け止めは貴婦人の救世主だったというのもあるが、下手をしたら国家予算並みの黄金の卵を産む可能性を秘めた鶏を囲い込むことは、国家転覆の用意のためと取られても仕方の無い状況なのだ。
───ニコル本人は、囲い込みを避けるために財力と影響力を蓄えているつもりなのだが。
ニコルが男爵令嬢である限り、そのままでは王家がニコルを囲い込むことはできない。
クリソプレーズ王国の法では、側室を持つことが許されるのは王と王太子のみであり、王位を継ぐ者の正妃は必ず同盟国の王女であることが定められている。
王太子以外の王子は王太子のスペアとして、王太子が無事に婚姻を済ませるまでは婚約者すら持てない。
そして、王太子の側室や王子妃となれるのは伯爵以上の血筋の令嬢のみという決まりだ。
王太子以外の王子が持つことを許される『公妾』は貴族家出身の令嬢であることが条件であり、『公妾』であれば夜会等への同伴が可能。
しかし、国王や王太子が伯爵令嬢より下の身分の妾を持つことは許されない。王位を継いだ者の娘は、同盟国へ正妃として嫁ぐ可能性が高いからだ。
また、王太子以外の王子の平民の妾は社交場への同伴は許されないため、公妾と区別して『愛妾』と呼ばれる。これも当然、国王や王太子は持ってはならない。
公妾にしろ愛妾にしろ、正式な妻と認められることは無く、予算も付かない。王子が私費で養わなければならないのだ。
そして、正妃や側室といった正式な妻以外との子供が王族として認められることは無い。公妾や愛妾が産んだ子供は、父親の存在しない子供として登録される。
男爵令嬢のニコルは、立太子が内定している第一王子の側室にはなれないし、第二王子の正妃にもなれない。
王家に囲おうとしたら、アンドレアの公妾として日陰の身を強いた上に、産んだ子供も私生児扱いだ。
成人する頃には莫大な資産を築いているであろうニコルが同意するとは思えない屈辱的な立場であり、王命で無理矢理アンドレアの公妾にキープすることもできなくはないが、外聞は非常に悪い。新興男爵家とは言え財力の高いミレット男爵が、下手をしたら国を捨てて娘と亡命する可能性すらある。
そうなれば、国家の損失は計り知れない。
国に縛り付けておくために、国内の王家に忠誠篤い貴族と婚姻を結ばせる王命を出すことも可能だが、ミレット男爵と、その父親の辣腕商人である前男爵が溺愛するニコルを王命で弄べば、やはり国を捨てる未来が予測される。
ミレット家は新興貴族故に王家への忠誠心は元々さほどではなく、成功を収めた商人故の身軽さや、他国との人脈により生活基盤を変えることに躊躇いも多くない。
ましてや、黄金の卵を産む鶏を連れての亡命となれば、例え同盟国でも、「非はそちらにあるから人道的な立場で保護した」という大義名分で、諸手を挙げて受け入れるだろう。
身分が足りていたとしても、王太子の側室となれば商品開発などの自由は無くなる。
だから、条件が整えば、アンドレアの正妃にと考えた王妃の側近もいたが、それにはミレット男爵を伯爵位まで陞爵する必要がある。
ミレット男爵家は、ただでさえ前男爵が爵位を買うまで平民だった新興男爵家だ。娘のニコルが国力増強に大いに貢献するような商品を世に出していても、数年内に伯爵位まで引き上げるのは、予想される国内貴族からの反発が大き過ぎる。
陞爵して反発を抑えられるのは、子爵位までだろう。だが、子爵家の令嬢では正妃には届かない。
高位貴族の家に嫁ぐために、家格の低い家の娘が上の家の養女になってから嫁入りする話は多い。しかし、王族との婚姻は、生まれた家の身分が条件となるのだ。
現在のクリソプレーズ王家は、国の利益のためとは言え、ニコルの保護者であるミレット男爵を陥れてニコルを孤立させ、王命を以ってアンドレアの愛妾に落とし、監禁して新商品を開発させ続けることは考えていない。
そういった案を進言する臣下もいるが、自称帝国に対する同盟国の間でそんな遣り口を王家が主導、もしくは黙認したことが知られれば、クリソプレーズ王国は同盟国からの信を失う。
手に入れたい対象の保護者を陥れて命も名誉も奪い、対象は罪人として拘束連行し、劣悪な環境で監禁しながら死ぬまで搾取するのは、自称帝国の皇族がよく使う手だ。
様々な思惑が絡まり合うことで保たれているニコルの平穏な生活だが、彼女の茶会デビューに合わせてハニートラップを仕込む家はかなり多い。
おそらく、アンドレア達の茶会デビュー以来の騒動が起きるだろう。
そこで、ジルベルトは提案した。
既にクリストファーに密かにニコルと繋ぎを取ってもらっていることを報告し、自由さえ保証されるなら国を出る意思も王家への叛意も無いとの言質も取っていることを伝え、その証として未発表の新商品を王妃殿下に献上することにした。
新商品は、アンチエイジング化粧品が、クレンジングから洗顔石鹸、保湿化粧水、美容クリームまでライン使いできるセットだ。
この世界にアンチエイジング化粧品というものは、クリソプレーズ王国の上層部が知る限りでは、存在していない。
発表されれば莫大な金が動き、ニコルの名は更に広く知られ、金目当ての者や美に執着の強い人間達からどのような狙われ方をするのか、嫌な想像もつく。
「王妃殿下が新商品を気に入られたら、ニコル・ミレット嬢の茶会デビューの際、新商品献上に対する褒美代わりに、ハニートラップを仕掛けようとする者達を牽制する護衛を付けていただきたい」
「牽制か。適任者に心当たりがある。母上はニコット商会の熱烈なファンだ。気に入らないわけがないだろう。護衛への根回しは先に済ませておく」
迷い無く提案を受け入れたアンドレアが鷹揚に頷くと、ジルベルトは更に続けた。
「クリスの話では、彼女は誘拐や暗殺を目論む相手への正当防衛が可能な能力は持っているそうだ。この正当防衛を王家が咎めないことで、ニコル・ミレット嬢が王家の庇護下にあるとの認識を広めるんだ」
「まぁ、王族として囲い込むのは不可能に近いからな。若さを失い始める女性の妄執を突いた『アンチエイジング』という新しい概念の化粧品の発案・開発者など、王妃を筆頭として王家の庇護下に入れて厳重に守ることは、実に自然だ。陛下の承認を取り付けるのも容易だろう」
「クリスの茶会デビューが済んだ後は、クリスをニコルの護衛に付け、私が非番の日は直接様子を見に行く」
「ちょっと待ってください!」
話をまとめに入ったジルベルトに、ハロルドが挙手して声を上げる。
ジロリとジルベルトに睨まれ、怯えながらうっとりするという器用な真似をしつつ不満を洩らした。
「ジル様は俺を愛称で呼んでくれないのに、何故『クリス』呼びなんですか! それに、非番の日に女性を訪ねるなんて外聞に関わります!」
呼び方への不満はともかく、『剣聖候補』であるジルベルトが特定の女性と懇意にすることが、彼の失脚を狙う者のいいネタになることは事実だ。
「クリスは友人だからな。私が訪ねるのは護衛のクリスが同席の時のみだ。むしろ、剣聖を目指す誓いを立てた第二王子の側近の私だからこそ、王家が庇護する令嬢の安否を確認する訪問が正当化される。彼女の安全は王家の意思であると周知できるし、剣聖を目指すこととハニートラップを仕掛けることは両立不可能だからな」
ジルベルトの外見なら、顔と甘い言葉だけで堕とすことは可能だ。
しかし、その気になった女性と全く触れ合わずに生涯縛り付けておくことは無理だ。それが可能なプロもいるだろうが、第二王子の側近や剣聖を目指す自己研鑚の片手間にできることではない。
「・・・俺もついていきます」
「君とジルの非番が重なることはありませんよ」
さらりと事実で突き刺すモーリス。
側近候補の「候補」が取れたハロルドの役割は、ジルベルトと同様に専属護衛だ。片方が非番の日に、もう片方も休みということは有り得ない。
「じゃあせめて俺も愛称で呼んでください!」
ジルベルトは暫し思案した。「ハロルド」という名前の愛称って何だったっけ? と。
「どう呼んで欲しいんだ。ハリーか? ハルか?」
「是非とも『犬』で! ぐはぁっ! 足癖の悪いジル様最高です! ご褒美ありがとうございます!」
この変態を娘に近づけてはいけない。いや、変態だからむしろ、そういう意味では安全か?
一瞬悩んだが、やはり変態は近づけない方向で決定した。
「ジル様、貴方だけの呼び方が欲しいです。貴方の命令なら何でも聞きます。だから一般的な愛称ではなく、どうか貴方の犬を呼び付けてください」
(成人男性にされた時も背筋が寒くなる懇願だったのに、9歳児にされると更に酷いな。)
過去を思い起こして遠い目になりかけたが、今後の利益を考えたジルベルトは即断した。
「おい、犬。私の主への忠誠は違えていないな?」
「はい!」
犬と呼ばれて即座にジルベルトの前の床に『お座り』ポーズで控えたハロルドが、目をキラッキラと輝かせて大きく頷く。
「そうか。そのまま精進しろ。私は主に絶対の忠誠を誓い、主を同じくする仲間を大切に思っている。その『仲間』の中に犬、お前も入れてやろう」
「無上の喜びです!」
「私が大切にする者が害されることを、私は許さない」
「当然です! 俺も貴方の手足となり敵を殲滅します!」
「では、私が大切にする友人を、お前も大切にできるな?」
「はい! ・・・ん?」
お座りポーズのまま首を傾けたハロルドに、ジルベルトが優しげに微笑みかけて告げる。
「クリスは私の友人であり、ニコル・ミレット嬢は私の友人候補だ。安心しろ。私に性欲は無い。才能のある人間との会話は楽しそうだと、クリスから伝え聞いて考えているだけだ」
涙目で口をパクパクさせるハロルドに、微笑んだまま威圧をかけるジルベルト。
「私に『はい』と答えた犬が、それを撤回するのか?」
「う・・・滅相もございません」
「では、何も問題は無いな?」
「はい・・・」
ジル、とうとう変態犬のご主人様になることを受け入れてしまったんですね。
理知的な蒼い瞳を細めて見守るモーリスが、内心でそっと同情の涙を流した。
アンドレアは、ジルベルトの非番の日は、ハロルドの仕事を死ぬほど詰め込んで引き止めておこうと決意した。
登場の度にハロルドが勝手に暴走します。
ここに出てくる『公妾』、『愛妾』は、クリソプレーズ王国における地位や役職のようなものであり、本来の意味合いとは少し異なります。