飼うための条件
カイヤナイト王国のローナン侯爵が、コナー公爵家がクリソプレーズ王国の暗部を司る家だと把握しているように、クリソプレーズ王国上層部の『汚れ仕事』を請け負う第二王子アンドレアと側近達は、ローナン侯爵家がカイヤナイトの暗部のトップであることを知っていた。
と言っても、ローナン家はコナー家のように、「暗部の仕事なら何でもかんでも」という担い方はしていない。
ローナン家及びカイヤナイト王国情報局の主業務は諜報活動であり、拷問を含む尋問や、口封じという名の暗殺等は、あくまでサブ的な仕事。
勿論、彼らはそれらの専門知識も技術も身につけてはいるが、コナー家の内部にウジャウジャと生息している「拷問大好き殺戮マニア」のように、外部に放てば犯罪者一直線な構成員は、ほとんど居ない。
ローナン家は、コナー家ほど「ヤバい家」ではないと言える。
コナー家の実態を知るクリソプレーズ上層部の者達は、もしも自分が他国人だったとして、コナー家の人間から、「最も厳重な誓約で縛ってもいいから配下にしてくれ」と願われたとしても、決して懐に入れようとは思えない。
コナー家の者の危険さ加減には、高い信頼性があるのだ。
クリソプレーズ王国の国王、もしくは『コナー家の支配者から使うことを許されたクリソプレーズ王族』以外がコナー家を懐に招くのは、死か破滅を意味する。
それ以外の目的で、コナー家の者が誰かの懐に入り込むことなど無いのだから。
ローナン家は、そんなコナー家と比べれば、条件に拠ってだが、懐に入れることに一考の余地はある。
現在、カイヤナイトとクリソプレーズの関係は良好であり、カイヤナイトは非常に健全な国家運営を続ける王の下で平穏な治世が維持されている。
モスアゲートに絡む事情が原因でだろうが、カイヤナイトとクリソプレーズの両王家間で緊密な交流は持たれていない。
しかし、ジュリアンとカイヤナイトの現国王ジェフリー・アシェル・カイヤナイトは従兄弟同士でもある。ジュリアンの生母は、ジェフリーの叔母だ。
二国の関係は、密な交流は無いものの、他のどの国よりも互いに穏便かつ良好と認識されている。
緊急を要する特殊な事情でも起きなければ、カイヤナイトがクリソプレーズへ攻撃、または敵対行動を起こすことは考えられない。
それでカイヤナイトが利益を得られる未来が、全く見えないからだ。
現時点で、カイヤナイトに何らかの特殊事案が発生しているという情報は上がっていない。
また、詳細調査書によれば、イェルトは、類稀なる容姿と才能に手を伸ばし手中に収めようとした数多の権力者や実力者の全てを返り討ちにして断った実績があるらしい。
その実績により、カイヤナイト国王から「敵国や国賊に与することが無ければ一定の自由を咎めない」というお墨付きを与えられ、イェルトの意思を無視して彼を所有し従えようとする者への抵抗は、不敬を含め罪として咎めないことになっていると言う。
お墨付きの効力を簡単に言い直せば、「望まない主従関係の強要への抵抗に限り、殺したり肉体的に再起不能にまでしなければ、ボコボコにしようが心をバッキバキにボッキリ折ろうが、トラウマを植え付けようが、『自業自得』で国の最高権力者(国王)が済ませてくれる」という、大変にありがたい許可証である。
そんなモノを国王が発行出来るほど、現在のカイヤナイト王国は平和であり、イェルト・ローナンが規格外の天才であるという話でもある。
過去にイェルトに「お断り」された者達が受け取った『お断り理由』は、「つまらなそう」「魅力が無い」「面白くない」「興味が持てない」といった意味の広そうな文句から、「顔が変」「なんか臭い」「気持ち悪い」という、深くダメージを突き刺す文言まで様々なようだ。
未だに誰も、イェルトに首輪も手綱も付けることは叶っていない。
カイヤナイトの貴族界では、密かに、「誰がイェルトに首輪を付けるか」で、賭け事が盛り上がっているらしい。
修羅場の途切れないクリソプレーズ王国から見れば、羨ましいほど平和な貴族界である。
アンドレア達の内心の羨望はさて置き、調査書によるイェルトの過去の言動から推察すれば、イェルトは誰彼構わず反発するわけでも、無軌道に暴れ回っているわけでもないし、法やルールを守る意思が無いというわけでもない。
不健全な闇の深さや異常性も窺えないし、返り討ちのやり方は容赦が無いが、日頃から外道な行いをしているというようなことは無い。
他者を惹き付けずにはいられない美貌と、全方位に発揮する天才としての能力故に、周り中から手を出され続け、それに抵抗すれば「暴れる問題児」のように見られるイェルトだが、彼が自ら喧嘩を吹っ掛けに行った記録は無い。
周囲から伸ばされる望まぬ手を叩き落とすのに忙しく、歯牙にも掛ける必要の無い有象無象へ喧嘩を売るような暇など無いからかもしれない。
ともかく、イェルトの起こした過去の問題のほとんどは、『反撃』または『抵抗』の結果であり、首輪を付け、しっかりリードを握ることが出来れば、ある程度の制御は可能であると考えられる。
そして、イェルトがカイヤナイト王国内では自身が望んで従うような主と出会っておらず、見つけることも出来ていないことは、カイヤナイトの貴族界では有名な話でもあるようだ。
イェルトの持つ、「敵国や国賊に与することが無ければ一定の自由を咎めない」というカイヤナイト国王のお墨付きが、どの程度までの自由を認めるものなのかは現時点では測れないが、「関係が良好な同盟国の『剣聖』を主とする自由」まで認めるものであれば、ジルベルトがイェルトを受け入れたとしても、クリソプレーズとカイヤナイトの関係悪化の因子とはならない。
イェルトを取り込めれば、大きな戦力となることは確実だ。
評判や詳細調査書の結果だけでなく、実際に間近で相対してみれば、その只者ではないオーラは歴然としている。
天才の問題児など使い方が難しいと、尻込みする必要をアンドレアは感じていない。
イェルトが「主人」に望んだのはジルベルトであり、アンドレアはジルベルトに対し、『猛獣の飼い主』として絶大な信頼を寄せている。
イェルトが他意無くジルベルトに「飼って欲しい」のであれば、イェルトをジルベルトが「飼う」ことで、クリソプレーズとカイヤナイトやローナン家との間に軋轢が生まれないのであれば、イェルトは是非とも味方に引き入れたい『戦力』である。
「で、どう条件を付ける?」
古狸の駆除された学院の生徒会室は、第二王子執務室ほどの機密内容は無理でも、それなりの重要案件は話し合える場となっている。
ここまで、先程のイェルトとの邂逅と各々の感じ取った印象、人物調査書の深掘り等の情報を共有してメンバー間の認識を擦り寄せ、意見を出し合って、大まかな方向性は「イェルト引き入れ」で決まった。
約一名、私情では納得しきれていない変態犬も居るが、義兄から「子供っぽい態度は新入り犬に見っともないと思われますよ」と窘められて、「ぐぬぅ」と唸っている。
「そうですねぇ。最も強固で外すことの出来ない首輪を付けてもらうのは最低条件じゃないですか?」
アンドレアの問いかけに、義弟の背中を撫でながら無表情に答えるモーリス。
最も強固で外すことの出来ない首輪。それは決して破ることを許されない、最も厳格な誓約を意味する。
幼いジルベルトが『剣聖』を目指すと立てた誓いや、亡命者のバダック、死んだことにして祖国を逃れたリオ、そして、己の人生を自由に選ぶために祖国を捨てると決めたネイサンが、クリソプレーズ王国の『剣聖』ジルベルトに対して忠誠と従属を誓ったものと同じだ。
この場には、その首輪の付いているネイサンも同席しているが、微塵の動揺も無くいつも通りの胡散臭いほど紳士的な笑顔で同意の首肯をしていた。
ネイサンの内心は以下の通りだ。
『全くのノープロブレムでしょう。件のイェルトが山川なら大喜びで即座に飛び付きますよ。瞳孔全開で。むしろ誓約をさせない方が、二国間に軋轢を生じさせて圧を掛けて来そうです。首輪を寄越せ、と』
ネイサンの胡散臭い紳士面から、前世の知己であるジルベルトとクリストファーは、何となく考えていることが予想出来て、早々に誓約の儀式を整えるためのスケジュール調整を算段し始める。
「強固で外せない首輪を付けさせることも含め、『剣聖』とは言え他国人である私が『飼い主』となることを、最低でも保護者のローナン侯爵からは事前に許可を得ておく必要があるだろう」
「許可は当人から父親への説得で得るように、ジルベルト様がイェルト殿に『条件』として告げると良いでしょう。クリソプレーズ王国やアンドレア殿下、ジルベルト様が不利にならぬよう、敵意を向けられぬよう、心の底からローナン侯爵に納得してもらうことが、イェルト殿を飼う条件であり、『御主人様』の側に侍るための試験だと」
事務的な口調で条件の追加を挙げたジルベルトに、ニッコリしれっとネイサンが条件をハードモードに盛り上げる。
見つけただけで簡単に、もう一度飼ってもらえると思うなと、手を尽くして今の立場を手に入れたネイサンとしては、思うところがあるのだろう。
「まぁ、それくらいの交渉力は無いとジルの側に置くには不安だな」
アンドレアもネイサンに賛同する。モーリスやハロルド、クリストファーも同意を示した。
ジルベルトは、種々雑多な思惑で国の内外を問わず狙われ、擦り寄られたり罠を仕掛けられたり攻撃を受ける機会の多い『剣聖』だ。
その側に、「親しい者」として共に在るならば、ジルベルトを狙う隙になることは許されない。
武力でも、言質を取らせない話術や交渉力でも、『剣聖』の弱みにならないだけの自衛の術は持っていなければならないのだ。
カイヤナイト王国情報局長─スパイの親玉─という立場にあるローナン侯爵から、自身の望む形で望む答えを引き出して手に入れる。
ネイサンの出した『条件』は、『剣聖』のジルベルトに飼われて侍る資格がイェルトに有るのかという、誂え向きの試金石となる。
「さて、『サロンで大人しく待つ』という第一試験はクリアしているようだし、そろそろ向かうか。クリストファー」
「『待て』が出来るか試され中なのは分かってるみたいですよ」
アンドレアに名を呼ばれ、肩を竦めて望まれた情報を提供するクリストファー。室外から受け取った、配下の合図を人の言葉に翻訳して伝えた。
サロンで茶を飲むイェルトは、接触せずとも見張らせている暗部の配下の気配は感知しているだろうに、殺気を飛ばす牽制すらして来ていないらしい。
自由奔放な野生児、問題児と噂の彼にしては、随分とお利口な態度だ。
その態度からも、イェルトが本気なのだと覗わせる。
「モーリス」
「はい。個室は押さえてあります」
「よし。行くぞ」
新たな猛獣を飼う条件も決まり、アンドレアは仲間達と生徒会室を出てサロンへ向かう。
飼うのは俺じゃないけどな、と胸の内に呟きながら。