見ーつけた
予想通り連休ゼロのGWでしたが、思ったよりも残業が少ないので、現在は下書きのストックを増やしています。
安心出来るくらいストックが増えたら、もう少し更新頻度を上げますが、今しばらくは、このペースの連載となります。
シーンが緊迫する頃には、あまりお待たせせずに次話を投稿出来るよう目指します。
所変わってクリソプレーズ王国王立貴族学院。
先日クリストファーから受け取った『イェルト・ローナン詳細調査書』で、「十中八九アイツだろう」と蟀谷を抑えていたジルベルトは、クリストファーの配下から齎された『王都入りしたイェルト・ローナンの奇行』の追加報告で、「もう絶対にヤツだ」と確信し、放課後までに届けられた追加報告の「この学院に留学する手続きを済ませ、既に学院内を見学中」の内容で、当日中の再会を覚悟した。
(一応、こちらの立場を慮って『穏便な再会』にしてくれるといいんだが。まぁ、アレが私が困ることをすることは無いだろうが、人目が無い場所へ移ったら色々全部受け止めねばならんだろうな。)
表情は常の静かな微笑。鼻が利く犬にバレないよう、心の内も凪いだままで、ジルベルトは思考し学院内の回廊を歩く。
本日最後の授業の場となった教室から、生徒会室への移動のためだ。当然、主と仲間達も一緒であり、ジルベルトはアンドレアの護衛中でもある。
生徒会室には、今日の午後は取っている授業の無かったクリストファーとネイサンが先に到着している筈だ。
昨年度は選択する授業の時間をある程度寄せていたアンドレア達だが、学院長交代劇で教師も職員も大幅に人事が刷新されたために人数が縮小され、時間割は選択の自由度が減っている。
この辺りの課題は、新しい学院長が豊富な人脈から相応しい人物を見極めて解決していくことだろう。
アンドレア達は今年度で卒業だが、後輩達は高い能力を持つ指導者の下、伸び伸びと学ぶことが出来れば良い。
クリソプレーズ王国の未来を担う若者達が、その実力と才能を存分に育てられる環境を整えられることは、王族のアンドレアにとって大きな喜びだった。
アンドレアは、「イェルト・ローナンが学院内を見学中」の報を受けて側近達に幾つかの指示を出していた。
イェルト・ローナンとの接触が発生した場合、先ずはハロルドが「敵意」や「害意」の匂いをチェック。
問題の有無を、予め決めておいた合図で他のメンバーと共有。
合図の結果に関わらず、モーリスとハロルドは続けて周囲への警戒。
この警戒は、双方向のものとする。つまり、この一団への攻撃の警戒と、この一団から周囲へ向かって攻撃に類する現象が発生した場合の、周囲の被害を最小限に留めるための警戒だ。
現代、稀であるほど健全な国家であるカイヤナイト王国が、同盟国であるクリソプレーズで情報局長の息子を使って敵対行為を仕掛けて来る可能性は、かなり低い。
しかし、「イェルト・ローナン」は音に聞く天才であり、且つ問題児だ。敵意も害意も無くとも、その突飛な行動が周囲に危険を齎す可能性はゼロでは無い。
詳細調査書を見る限り、イェルト・ローナンは、「天才ではない者」への配慮や想像力が乏しいタイプの天才なのだ。
イェルトから周囲への配慮が期待できないならば、カイヤナイトとの良好な現在の関係を保つべく、こちらで配慮する必要がある。
その間、ジルベルトは集中してアンドレアの警護。
イェルトの出方や接触方法にもよるが、基本的に彼との応対はジルベルトが行う。
「学院内平等」の理念があっても、初対面の王族に不躾に声をかけるのは避けるべき行為である。
イェルトのローナン家は侯爵家。カイヤナイト国内での影響力や受け継ぐ血の伝統を考慮すれば、家格が同等であり、少々若者らしい対話が為された場合でも問題が最も起き難いのは、彼らの中ではジルベルトのダーガ侯爵家になる。
これは、中々の破天荒ぶりを発揮すると評判のイェルトに、「クリソプレーズ王国で王族や公爵家に無礼を働くという国際問題を起こした」という事実を作らせないための措置だ。
現在、クリソプレーズ王国には、新騎士団長就任式典への参列のために、同盟国や関係国から多くの来賓が訪れている。
その中には、カイヤナイト王国へ思うところのある国や要人も在るだろう。
アンドレアはホスト国であるクリソプレーズ王国の王族として、そういう手合に、「カイヤナイト王国情報局長の息子が不始末を起こした」というネタを手土産に帰国させる訳にはいかないのだ。
特に今回は、式典を建前や舞台装置として、複数の目的を持った『事』を起こそうとしている。
今回の『事』に不要な火種は、燃え上がる前に機会を摘んでおかねばならない。
接触が挨拶だけであるのか、今後に繋がる目的での動きであるのかは、上げられた報告だけでは読み切れない。
ただ、いくら「破天荒な問題児」の評判で核心を包もうが、このイェルト・ローナンの留学は、あまりに性急過ぎる印象を拭えない。
事前の話では、カイヤナイト王国ローナン侯爵家から学院に届けられていたのは、「次男イェルトの留学の下見の打診」だった。
それが、ローナン侯爵一行が王都入りした当日に、イェルトの奇行の報告が上がった直後には、本人が下見もしない内に、「次男イェルトの留学と学院内見学の申請」を、ローナン侯爵当人が学院へ直接申し入れに来たと言う。
早馬の先触れから半刻も経たぬ訪問に、侯爵が非礼を詫びながらの申請だったそうだ。
他国の貴族が別件で王都を訪れた際に、「ついで」で留学手続きも済ませる事例は過去にもあったので、ギリギリ非常識扱いはされないやり方だが、手続きのために改めて訪れる経済的余裕が無い貴族が取る手段と認識されているため、爵位の高い貴族は避けるのが暗黙の了解と言える。
カイヤナイト王国内でも裕福な侯爵家であるローナン家が、経済力を侮られるリスクを取ってでも最速で留学手続きを終えることを優先したということは、何か、そうしなければならない理由があった筈だ。
難しく考えるアンドレアには、「息子の本気全力の『お願い』を最速で叶えずチンタラしてたら災厄が起きる」という、父親の経験則からの選択結果だったことは、まだ分からない。
近い将来、行動を共にするに連れ、思い知ることになるだろうが。
移動するアンドレア達一行の視線の先に、中庭の樹木を見上げるピンクゴールドのふんわりとした髪の少年が佇む姿が現れる。
華奢にも見える、ほっそりとした肢体も、その髪の色と同じく「イェルト・ローナン」の調査書に記された通りのものだ。
ピンクゴールドの揺らめきの間から窺える横顔は、調査書の文字により「息を呑むほどの美貌」と伝えられてはいたが、実物を目の当たりにした衝撃は、想像を遥かに上回っていた。
アンドレア達はイェルト・ローナンについて、確かに「とんでもない美形」と報告を受けていたし、姿絵も入手して彼の造形は確認済みである。
だが、文字の羅列や生命無き平面の絵などでは、イェルトの美しさを見たことの無い他者に伝えるには、全く以て不足であった。
そう言えば、ジルベルトの姿絵も「よく描けているがコレジャナイ」という感じを受ける代物しか存在しなかったな、と彼らは思い出す。
ジルベルトを見慣れたアンドレア達であるから、イェルトを見て魂を抜かれたように惚けることは無いが、彼らは顔にも態度にも出さず、心の底から驚嘆した。
ジルベルトに並ぶ「人外の美貌」が、ジルベルトの他にも世の中に存在していたという現実に。
イェルトの美しさは、ジルベルトのそれと、方向は重ならない。
だが、およそ人間が想像し得る「美しい人間」の、理解と限界を超えているところは、双方同様で重なるものであった。
まるで、羽ばたきで甘い夢を運ぶ御伽噺の幻の蝶のような、ピンクゴールドの長い睫毛を震わせて、樹上を見上げていた蜂蜜色の眼差しが振り返り、ひたりとアンドレア達へ定められる。
その、甘い色合いと愛らしくも完璧な曲線を描く大きな瞳には似つかわしくない、ガラス玉のような命の温もりを感じない眼差し。
(ああ。当たりだ。)
その眼差しを受け、イェルトの中身が、はっきりと前世の知己であることを認識し、ジルベルトは理解する。
(木を見上げて止まっていたのは、「ここで登ったら問題になる?」「登らず優雅に飛び乗るなら貴族的にセーフ?」とか考えていたに違いない。)
ガラス玉によく似た眼差しが、アンドレア達を順番に通り過ぎ、ジルベルトに据えられた刹那、黄金の熱が灯った。
身体ごと完全に振り返ったイェルトの可憐な唇が、音も無く「見ーつけた」と呟く。
ハロルドの身体の中心を、気に食わない悪寒が貫いた。
けれど、近付いて来るイェルトから感知する匂いには、敵意も害意も一片も込められず、伝えられるのは、一切の混じりっけの無い歓喜。
私情は挟まず「問題無し」の合図を送るハロルドだが、アンドレアを背に前に立つジルベルトに向かって真っ直ぐに足を進めるイェルトの前に飛び出して、叩き斬りたい衝動に駆られる。
ハロルドの直感と本能が告げているのだ。
イェルトは、『敵』では無いが、自分にとっては『最悪の邪魔者』だと。
だが、ここで私情に走る訳にはいかないことも、忠犬はよく分かっている。
自身の衝動と闘い任務を遂行するハロルドと、ジルベルトに強い興味を持ったらしいイェルトを取り込めた場合の利益を計算しつつ任務を遂行するモーリスと、外交用王子様スマイルの下で、自身の『剣聖』に惹き寄せられる「他国の天才児」を注意深く観察するアンドレアの視線の先、中身が分かり、この後言われる台詞も大凡の予想がついているジルベルトの前に立ち止まったイェルトは、いつも花弁に例えられる小さな唇の両端をニイィと吊り上げてから開いた。
「ようやく逢えた。ボクの御主人様。ボクを拾って、飼って?」
姿に似合いのボーイソプラノ。
背の高いジルベルトを見上げる様子は、強烈にあざといが否定しようも無い絶対的な可愛らしさ。
紡がれた台詞がどのような内容であっても、常人であれば思考もせぬまま蕩けた脳味噌で頷いたことだろう。
「即答出来ぬ案件故、サロンでお待ち願えるか」
まぁ、このメンバーの中に常人は一人も居ないのだが。
ジルベルトの返答に、気を悪くした風も無く蜂蜜キャンディのように甘く瞳を蕩かすと、イェルトは優美に貴族の所作で礼を執った。
「はい。では、生徒会役員の皆様、後ほど改めてご挨拶させていただきますが、この場は失礼いたします」
魅せることを意識すれば、イェルトの動作は一つ一つが舞の如く芸術的に洗練され、羽でも生えているかのように軽やかなもの。
それは、王族の所作を見慣れているアンドレアと側近達の目さえ奪うほどの完成度。
歩み去る後ろ姿を見えなくなるまで見送って、アンドレアが詰めていた息を吐き出すように呟きを零した。
「あれが、カイヤナイトの天才児か」
「想像の枠を超えて来ましたね」
「・・・」
「変態犬枠はお前だけだから物騒な気配を仕舞え」
無言で思い詰める気配のハロルドを、宥めるジルベルトの言葉こそが、新しい犬を拾う気がある事実を告げるトドメなのだが、どうせ拾うことになる未来は変わらないのだから、ジルベルトには誤魔化す気など無い。
「取り敢えず、生徒会室に行きましょう。クリストファーも交えて相談した方が良いでしょう」
モーリスの提案に異を唱える者は無く、鼻に凶犬らしい獰猛な皺を刻んだ不機嫌全開のハロルドを従えて、アンドレア一行は生徒会室へ足早に向かった。