問題児、走る
パパ頑張れ。
クリソプレーズ王国の王都に到着したイェルトは、馬車を飛び降り父親達から離れて駆け出すと、あっという間に保護者達の視界の範囲から姿を消した。
一応、追って馬車から降りた父親も父親の側近達も、捕獲は間に合わなかった。
「あー・・・。侯爵様、どうします?」
「放っておけ・・・。アレ自身はどうせ危険な目には遭わん」
アレを狙って危険な目に遭わせようとした不運な輩が、どのような目に遭わせられるのかは知らないが。
「では、先にイェルト様との合流先の確保を致しますか?」
「そうだな。ホテルの名前は伝えてある。チェックインしておけば、探検に飽きたら勝手に戻って来るだろう」
とても、今年十五歳になる侯爵令息の言われる台詞ではないが、ローナン侯爵達にとっては、悲しいことに慣れたやり取りである。
「式典会場の下見や大使館への挨拶は、チェックインの後だ。アレの帰還先を設置せずに野放しにしている方が、予測不能のダメージを受ける羽目になりそうだからな」
息子の性質をよく理解している父親の台詞は、ローナン侯爵の部下や側近達には「ですよねぇ」と抵抗なく相槌を打たれる内容だが、他国のスパイの親玉の王都入りで、耳を欹てていた各国から王都入りした同業者やコナー家の配下は、「何の暗喩か暗号だろう?」と首を捻っていた。
イェルトの見た目がとんでもなく美少女であるために、尚更ローナン侯爵の話す内容と、先程駆け出して行ったイェルトが合致しない。
どうせ浴びていることは分かっている同業者らの視線を黙殺し、ローナン侯爵は「やれやれ」と首を振って溜め息を吐くと、側近を伴って馬車に戻った。
父親達の溜め息の合唱など、どこ吹く風。
駆け出したイェルトは、視線を走らせながら自身の興味を惹くモノを探し、すれ違う王都の民からの、「うわ、凄い美少女」、「男装の美少女?」、「見たこと無いが何処から来たんだ?」という、溢れる声と感想を「いつもの雑音」として聞き流す。
やがてイェルトが立ち止まったのは、ニコット商会王都本店の前。
一見さんお断りではないが、中に陳列されているのは庶民では支払い不可能な高額商品ばかり。
入り口には商会の護衛が二人立ち、重厚な扉の中に入るには、一定の資産階級以上の者に見える服装と所作が必要だ。入り口に立つ護衛は、それらを見抜く訓練もクリアしている。
実態が野生児とは言え、イェルトは旅装だが高位貴族の令息に相応しい衣装を身にまとい、見た目は絶世の美少女。所作も、わざと平民風を装わなければ、学んだ通りに、見る者をウットリさせる程の品の良さを魅せることが出来てしまう。
難無く店内へ通されたイェルトは、好奇心のままに商品を見て回り、そして確信する。
この商品らの開発者は、同じ世界からの転生者だ、と。
カップ麺に人工毛のリアルで上質なウィッグ、杏仁豆腐にマンゴープリン、虫除け効果のあるアクセサリーにアンチエイジング化粧品。
服飾品のデザインも、この世界では斬新と評判だが、元の世界では似たようなモノを、複数の別々な国の有名ブランドや高級ブランドで見たことがある。
この世界に転生者が自分一人だと思って、前世の商品アイディアをパクって金儲けしてる?
それで腹を立てるような見当違いの正義感を持ち合わせてはいないので、イェルトは淡々と見物して感想を内心に呟きながら店内を進む。
「ん?」
高級感溢れるシルクのクッションに鎮座する、宝石で彩られた芸術品のようなクリスタル細工の小瓶に、イェルトの視線が釘付けになった。
商品名は『虹の橋』。
小瓶の中身をしげしげと見て、イェルトは思わず声を洩らす。
「コレ、どう見ても七味じゃん。しかも七味なのに『虹の橋』って日本人的感覚。レインボー・ブ○ッジだし」
店員を呼んだイェルトは、直ぐ様『虹の橋』の購入を申し付けた。かなりの高級品であるにも関わらず、現金で即金だ。
ニコット商会王都本店のスタッフだけあり、表情に出さないのは流石だが、「この美少女は何者だ?」という警戒心は気配に滲む。
性別の勘違いはいつものことなので、気にしないイェルトは、警戒の気配も一緒くたに無視を決め込んで、その場で即座に、立ったまま、今購入したばかりの『虹の橋』を開封して味を見始めた。
とても、貴族のやることではない。
表情に出さぬ努力はしていても、店員から驚愕と動揺の気配が洩れ出ている。
「コレ、『京吉良吉良』の幻の八番じゃん!!」
大きな蜂蜜色の瞳を更に大きく見開いて、絶叫の如き声を上げると、ふんわりとしたピンクブロンドを鋭く翻してイェルトはニコット商会王都本店を駆け出した。
凄まじいスピードで人の間をすり抜けながら、王都を爆走するイェルト。
その頭の中では様々な思いが巡っている。
あの人は、七味なんて材料を揃えるだけで面倒臭い代物を自分で再現しようとする人じゃない。
あの人の好物を、この世界で再現したのは、あの人に奉仕したい気持ちを持つ人間。
ソレが、他の犬にしろ子供達にしろ、側にあの人が居なければ、思い出だけで面倒臭い事を頑張るタイプじゃない。
だから、『虹の橋』開発者のニコル・ミレットの近くには、絶対にあの人が居る!
イェルトの脳裏を、前世のあの人との出会いから、到底納得など出来ない離別、そして復讐を誓い、仲間を次々と失い、復讐の完遂のために日本を離れている間にあの人に託された子供達を守れず死なせ、ただ独りになって機会を窺い、奴らを破滅させ、混乱に陥った祖国のニュースを聞きながら、大瀑布から身を投げた最期の風景まで、切り替わる場面が流れて行く。
会いたい。
あの人に、早く、会いたい。
会いたい。
先に逝かれて、けれど、自分達にとって「やるべきこと」がある間は後追い自殺は許さないと命じられて、すぐに追うことは許されず、抜け殻になって彷徨っている内に、他の犬があの人は病死じゃなく他殺だったと言い出して、真実を暴いて復讐することが、前世の自分にとって「やるべきこと」になった。
ずっと寂しかった。
寂しくて堪らなかった。
あの人の居ない世界で、独りになっても、「やるべきこと」を終えるまで後を追わずに頑張った。
飼い主は、頑張った犬を褒めるべきだと思う。
イェルトは、王都を爆走しながら一人深く頷く。
あの人に会って、早く褒めてもらいたい。
また、自分の首に首輪を付けてもらいたい。
あの人のモノになって、犬になって、使われて役に立ちたい。
ニコル・ミレットは学院に居る筈だ。
さっさと父親に手続きをしてもらって、堂々と学院の敷地に入り込める立場を手に入れなければ。
クリソプレーズの貴族学院への留学は、下見をして考えるのではなく、もう決定だ。
切望したあの人への手がかりを見つけた今、様子見なんか、もう必要無い。
掴み取って、望むモノを手繰り寄せるだけだ。
現時点で父親を最速で捕まえるには、ホテルか式典会場か大使館か。
多分、自分が離れて単独行動に入ったことで、予定を変更して先にホテルでチェックインをしただろう。
ニコット商会の店を見ている間に、チェックインは終えた可能性が高い。
ならば、現在地は式典会場か大使館へ向かう路上の馬車の中。
視線の先に見覚えのある馬車を発見し、イェルトの可愛らしい蜂蜜色の瞳が獲物を見つけた猛獣の様相で見開かれる。
瞳孔が全開だ。
花弁のような可憐で小さな唇から、似合いの愛らしい舌を出してチロリと舐めて、イェルトは脚のバネを利用して人間離れした跳躍力を披露する。
周囲から叫び声が上がるが気にしない。
馬車の屋根に乗られた気配で「敵襲か⁉」と臨戦態勢になる車内の側近に、ローナン侯爵は「息子だろう」と、遠い目をしながら警戒を解くハンドサインで指示を出す。
臨戦態勢で迎えると、奴は嬉々として味方相手でも襲いかかってくるのだ。
「イェルト、ここはカイヤナイトの王都や我が家の領ではない。お前が馬車の屋根に飛び乗る光景が日常な場所ではないんだ。他所様の土地では他所様の常識に配慮した行動を取るよう気をつけなさい」
走行中の馬車の屋根から逆さまになって車内を覗く息子に、窓を開けて疲れたように言い聞かせる父親。
乗ったのがイェルトだと視認した瞬間、「なんだ」と当たり前の顔で馬車をそのまま走らせる御者も、ローナン侯爵にお説教を受けた方がいいかもしれない。
「はい。父上。最速で叶えて欲しいお願いが出来たので参上しました」
開いた窓からヌルリと車内に入り、体重を感じさせない動作で父の前の席に座ったイェルトの瞳孔は、まだ全開のまま。
コレは、全速力で叶えないと人死が出る。
経験と本能からの警告で悟り、ローナン侯爵は深い溜め息を吐きながら、息子の「お願い」を聞き、馬車の進路を変更する指示を出した。