留守番中の会話
アンドレアと側近達が登校中の第二王子執務室で、留守を預かる第二王子執務室専属侍従のバダックは、「招かれざる客のおもてなし」という一仕事を終えて軽く首をコキリと鳴らすと、天井を見上げて言った。
「おい、リオ。そっちが終わったらコイツらの面通し頼む」
現在、モスアゲート関連の最重要機密がてんこ盛りな第二王子執務室番は、『コナー家の真の支配者』の『右腕』であるリオが主に担っている。
クリストファーからの指示で動いているため、王都を離れる任務中は他の配下に代わるが、派遣されていたモスアゲートから報告のために一度帰還したリオは、それ以降ほぼ第二王子執務室に張り付くことになった。
それは、モスアゲートの間者が第二王子執務室に侵入する頻度が異様に上がっているからだ。
「上からのヤツはどうだった?」
音もなく天井から降りてきたリオに、バダックは訊ねる。
気配で二人、敵意が近付き無力化されたことを察知していた。
「野良の影崩れだった。最初から遅効性の毒を仕込まれていて多くを語る前に死んだ。吐かせた直の雇い主が真犯人かも分からん」
国の暗部に仕える者の足抜けは許されない。
だが、様々な理由で逃げ出そうとする者は当然存在する。
ほとんどが追手に仕留められるのだが、逃げたのが始末に時間と手間と金をかけるのは割に合わないほど下っ端の場合、一定期間逃げ切れば、次に見つかるまでは放置されるのが、何となくその手の業界の共通認識となっていた。
逃亡者が、価値の高いネタを握っているわけでも、敵に寝返ってマズイほどの能力を持っているわけでもなければ、同業者の追手になれるような実力者へ与える任務としては、リソースが勿体ないからだ。
そうして運良く追手から一旦逃れた「元暗部」は、当然人目に付く仕事など出来ない。
食っていくためには、「表に出ない仕事」を請け負うしかない。
だから概ね前職を活かした仕事に就く訳だが、一定期間で見逃される程度の能力しか無い奴など、権力者がしっかり囲って庇護下に置くことは無い。
碌な情報も与えられず、アルバイト的に盗みや殺しの実行犯として使い捨てられるのが大方の末路である。
その手の輩を総じて『影崩れ』と、元同業者は呼ぶ。
天井裏からの侵入者二名は、どちらも『影崩れ』で碌な情報は持たず、目的は第二王子執務室から「重要と思われる書類」を盗み出すことと、第二王子が触れるであろうペンや執務机の引き出しの取っ手に毒を塗り、棚の中の茶器や茶葉等に毒を盛ることだった。
雇い主は、「さる高貴な御方」の側近を名乗る、赤い髪に青い目の三十代くらいの中肉中背の男。
「マジで碌な情報持ってねぇ雑魚だな。毒の種類は?」
「コレ。一応お前も確認するか? 毒物訓練も受けたんだったよな?」
「俺のは『侍従修行』の一環程度だけどな」
渡された小瓶を受け取って言うバダックに、リオの唇がムズムズと歪む。
バダックの受けた『侍従修行』の内容をクリストファーから聞かされたリオには、それが、たとえ元の世界から見れば異世界であっても、「一般的な侍従修行」ではないことが分かっているのだ。
しかし、バダックの師匠であるルーデルは、本当に執事でしかなく、心の底から弟子に教えたのは「侍従として必要なスキル」だと思っているので、外野は何も言えない。
「うぇ、コレ、その辺の藪ん中で捕れる毒虫から絞っただけのヤツじゃねぇか。毒を買う金も渡さず自前で用意させたのか? コイツらが持ってた毒は精製されたソコソコ上物だったぜ」
小瓶を外から眺めた後に、栓を開けて匂いを嗅いで顔を顰めたバダックは、扉と窓からの侵入者を無力化して取り上げた小さな容器をリオに渡す。
どちらの侵入者も無力化の後、バダックに剥かれて全裸で縛り上げられ転がされていた。全裸だが、目と口だけは布でしっかり覆っての拘束だ。
「服のあちこちに暗器。装飾品は暗器かケース。空洞部分に丸めた紙なら合計六枚くらい入んじゃねぇ? 他にも服の下に万能ワイヤー巻いてたし懐中時計も仕掛け付き。まぁ、プロだろうな」
「なるほどな。コイツらはソーン辺境伯の屋敷に商人として出入りしていた。動きが闇稼業臭いと思っていたが、やはりプロだったか。国の暗部ではないと思う。忠誠は辺境伯にあった」
「へぇー。お前の死体が上がったから検分に来いっつったら、この手の随分増えたんじゃねーか?」
「ああ。準備やら用意やらが整い次第向かうと時間稼ぎしてる間に、有耶無耶に出来れば、とでも考えてるんだろうな」
「まだモスアゲートから出発してねぇんだよな。式典には招待してるんだから、逃げようが無ぇのにな」
「同盟国の王族が軍部のトップに就く式典に、正式に招待されて応じておいてドタキャンしたら、それはそれで面白いけどな」
バダックが剥いで仕分けた、侵入者達が身につけていたアレコレを検分しながら、リオは前世から気心の知れた仲間と会話を続ける。
二人が今の立場になってから、互いに気安く言葉を交わすところを見られても、周囲からは、「似た境遇で実力の高さも並んでいるから意気投合したのだろう」と、怪しむこと無く放置されているのが有り難い。
天井裏の死体は配下に回収させたし、ネズミ捕りを仕掛けてから降りてきた。
まだしばらくは、天井裏に戻らなくても良いだろう。
「死体安置所も、蛆やネズミが湧いてるらしいじゃねぇか」
「懲りないよな。事件性のある貴族の死体の安置所なんて、コナー家のヤバい奴らの本拠地みたいなもんだってのに。少なくとも同盟国の暗部の上層部なら分かってるだろ」
「コナー家に喧嘩売ってんじゃねぇ? モスアゲートの暗部って豪胆だなぁ」
殺り合えば勝てる自信はあるものの、バダックは身を以て「コナー家のヤバい奴ら」の異常性を体験している。
出来れば関わりたくないし、恨みを買って粘着されそうな喧嘩など売りたくはない相手だと思っていた。
それは、クリストファーの『右腕』としてコナー家の内部に居るリオも同じだ。
二人とも、殺人も拷問も平気にならざるを得ない立場に転生はしているが、性癖はごく普通であり、残虐性の高い仕事が快楽に繋がる神経も持っていない。
現在、『カリム・ソーンの死体』が安置されているのは、王城祭儀部が管理する低温に保たれた塔の地下だ。
塔の管理責任者はウォルター・コナー。コナー公爵の嫡男でクリストファーの兄、そしてクリストファー曰く「頭のネジの飛んだ拷問マニア」な男である。
喧嘩を売りに侵入した奴らを、待ち構えたウォルターが有意義に使う未来を想像すると、幾許か食欲が落ちるというものだ。
幾許かで済む辺りが、二人とも今の人生に身体も思考も馴染んでいる証拠なのだが。
「あ、そうだ。お前、カイヤナイト王国の情報局長の次男は知ってるか? ジル様が『調べたいが時間が無い』って言ってたぞ」
「ああ・・・クリス様から聞いた。ジルベルト様が知りたいのは、おそらくイェルト・ローナンが野生児かどうかだ」
「あー・・・そういうことか。で?」
「俺が知ってるのは、イェルト・ローナンは伝説レベルの天才で、制御不能な問題児、という評判くらいだな。詳細はクリス様も収集してるから、近い内にジルベルト様に渡るだろう」
「天才で制御不能な問題児って・・・当たり臭ぇ」
最後の方は、リオ以外に聞こえない小声で唇も動かさず呟くバダック。応じるリオも、溜め息でバダックの呟きに同意を示した。
「そうだ。今、コナー家でやってるクリス様とミレット嬢が共同開発した新薬の被験体、実用前に、お前も指名される」
「ああ。薬の話は聞いてたから、俺が先だと思ってた。コナー家の次がいきなり実用は、ちょっとな」
今まで存在していなかった効果の全く新しい薬を、元スラムの住民とイカレた暗部のコアメンバーの次に、王侯貴族として生きて来た本命に飲ませるのは不安が大きい。
バダックもスラムの住民と大差ない食生活だった期間も長いのだが、加護の多さに起因する体質は王侯貴族と類似点が多いだろう。
リオも、ニコルが開発した『巌窟王への誘い』を服用することになっているが、始めるのはバダックと同じタイミングで、とクリストファーから指示されている。
リオは、祖国で課せられていた訓練により普通の王族よりも毒耐性は高いが、純王族の血統で加護も一般的な高位貴族より多いことから、アンドレアの安全性を高めるために、他の被験体より詳細なデータを取られながらの服用となる予定だ。
「ん、ソイツらもうすぐ目ぇ覚ましそうだな。覚醒前に自白剤ブチ込むか? それとも起きてから痛めつける系?」
「コレ打っといてくれ。お喋り上手になる麻薬だから。ネズミがもう二匹近付いた。一度上に戻る」
「おー。そう言や今日のネズミ捕りは、どういうヤツなんだ?」
「魔法と物理の複合。後でやり方教える」
「サンキュー。トラップとかは師匠、教えてくれなかったからなぁ」
普通、侍従スキルでトラップの製作や設置は必要ない。喉まで出かかったが、リオは飲み込んで天井裏に姿を消した。
天井裏でネズミ捕りに掛かって藻掻く、性懲りもない奴らの手下の相手をする仕事が待ってるからだ。
第二王子執務室の中では、リオから手渡された「お喋り上手になる麻薬」という、物騒でしかない薬物の入った細いガラスの管を揺らして、バダックが全裸の侵入者達に歩み寄る。
師匠の教えの通り、音も気配も無いくせに、優雅な足取りで品の良い笑みを湛えながら。
「さて、今日のプロは、どれくらい耐えられるかねぇ?」
天井裏では一人分の生命反応が消えた気配。そして、一人分の恐怖の感情。仲間の気配は乱れ無く淡々としている。
バダックは、フローライトの瞳を慈しむように細めて「今日のプロ達」を見下ろす。
その瞳の奥の冷酷さは、彼の師匠に非道く似ていた。