天才と紙一重
新章開始です。
実生活とのバランスを取りながらになりますが、週一更新を目指します。
ニコルの屋敷のいつものサロン。
ここでクリストファーが頭を抱えているのも、見慣れた光景となっていた。
今日は「婚約者同士のお茶会」名目で訪問中のクリストファーが、ジルベルト不在の状況で落とされた爆弾発言に、もう、何から何処から突っ込んで説教を垂れるべきか非常に悩ましいという状況である。
「・・・とりあえずだな」
「ん?」
「『できちゃった。てへ』じゃねぇよっ‼」
「あたっ」
デコピンをくらって仰け反るニコルに溜め息を吐き、クリストファーは冷静になるために冷めた紅茶を一気に呷る。
そして、超多忙中につき、ニコルの元気そうな顔を見ただけで帰ったジルベルトを恨めしげに思い出す。
ジルベルトが帰った後で、「そう言えばさぁ」と切り出したニコルが、ジルベルトの依頼で研究開発を手掛けていたブツが、完成したけれど、多分ジルベルトも想定外なヤバいレベルで完成してしまったとクリストファーに自白したのだ。
前世の母の好物や得意料理を再現するための研究を進める内に、何故か色々ヤバい物質が抽出や精製出来てしまい、魔が差してソレらを混ぜたら、「なんかファンタジーな代物が出来ちゃった、てへ」らしい。
なんでそうなる、どうしてこうなった、と叫びたい前世の兄。
この、ちょいちょい常識を忘れてトンデモ思考に傾いて行く前世の妹が、最初から反省の色を多少なりとも見せているということは、本気で、物凄く、誰が見たってヤバい代物が出来上がっているということだ。
詳細など聞きたくないが、物凄く聞きたくないが、放置する訳にはいかない。
もう一度深い溜め息を吐き、クリストファーは、「で?」と顎をしゃくった。
現物の提出と詳しい説明を促されたニコルが取り出したのは、銀製の見事な細工物の手のひら大の丸い缶。
蓋を開けると、内側は厳重に中身が銀に触れないよう布張りがしてある。
缶の中身は、仄かに発光しているかのような不思議な色合いを持つ、緑色の丸薬。微かにハーブのような香りが立ち上った。
「コレは、ジルベルト様に依頼されていた、『暗殺者人気ダントツの第二王子殿下の毒殺対策に効果的な解決法』に使えると思うブツに仕上がっていて、名称は『巌窟王への誘い』と命名しました」
目を逸らしながら差し出されたブツと、その名称で、ニコルと同じ世界の前世を持つクリストファーには、ソレの効力が概ね想像できた。
前世の子供時代に読んだ小説に登場した薬と、似たものだ。
「コレを一定期間飲み続けると、毒が効かない身体になる、ってとこか?」
「そう。大体、一月半てとこ。一粒から始めて三日後から四粒、十日後から九粒、十五日後から十三粒、二十三日後から二十粒、三十日後から十日間は三十粒。一日空けてもう一回三十粒飲んでも気分が悪くならなければ完了。気分が悪くなるなら二十粒のところからリスタート」
「人体実験は?」
「済ませてなければ『出来上がった』なんて言わないわよ。うちの志願者の犠牲の上に、用法用量の調整が完成してるから」
ニコルの言う「うちの志願者」とは、ニコルに恩を感じ崇拝する狂信者達のことだ。
口が固く忠誠心は重く、人体実験の果てに命や健康な身体を失うことになっても、己をニコルに捧げることに歓びを感じる狂気的殉教者である。
それを知っていて、何一つ心を痛めること無く平気で人体実験に使えるニコルの『人でなし度』とその傾向は、前世の母より父に似ている。
クリストファーも、コナー家の支配者として人体実験に躊躇いなど持たないが、使うのは裏切り者や罪人だ。
ニコルの遣り方に思うところが無いでは無いが、狂信者達は偽り無く殉教を歓んでいて、生き残った狂信者達が殉教者達を本気で心底羨ましがっているのだから、口出しの必要は無いと結論付けることにしている。
一応、ニコルの言い分としては、「私のために死ぬことを本気で歓ぶ人間以外は、味方なら殺さないわよ」らしいので、双方納得の関係性ではあるのだ。他人が気にしても仕方ない。
「成功して生き残った実験体は?」
「この屋敷の家令。若い執事が一名。この屋敷の警備隊長と私の直属護衛の中の二名。若い執事は実家のミレット家に修行名目で派遣中。あの家も毒や薬を盛られることが多いから、実生活で継続実験してる感じ。始末した方がいい?」
「いや、その人数と内訳なら構わない。むしろ、毒物無効なお前の私兵や、ミレット家に交換不要な毒見役は必要だろ。どの程度まで毒が効かないんだ?」
ニコルにとって、『特別』以外の人間は、本当にどうでもいい存在なのだ。「始末した方がいい?」の声音にも、僅かの気負いも感じられない。
受け流して、今後の実用計画を立てながら問うクリストファーに、ニコルは「そうねぇ」と華奢な指先を小さな顎に宛てながら、平然と実験結果を述べていく。
「クリスから提供してもらった毒は全部致死量与えたけど無事よ? 他にも、食品系の研究で有毒植物や有毒生物から抽出していた毒の濃度を高めた致死毒も平気。化粧品の開発段階で鉱物から除去するために抽出した毒も、致死量超えても大丈夫。経口摂取、吸入、塗布、粘膜からの摂取、直腸からの摂取、塗布した凶器で傷付ける、蓄積毒の継続摂取。この辺は、生き残ってる実験体は全クリアね」
クリストファーが、アンドレアに差し向けられる毒対策のためにニコルに提供したのは、コナー家の支配者として入手出来る全ての毒だ。
それらを致死量与えられて無事ならば、現存するほぼ全ての毒物は効かないだろう。
注意警戒を怠ることは出来ないが、「良い防具を手に入れて防御力が大幅にアップした状態」くらいの安心感は得られる。
大人の妖精の加護で毒物が完全に効かないジルベルトにも、小部屋に招く度に様々な毒を味見させて種類を身体で覚えさせている。
アンドレアだけでなく、第二王子執務室のメンバー全員が『巌窟王への誘い』で強い毒耐性を得て、毒見役の側近がジルベルトのように毒を実際に味わって覚えることが出来れば、盛られた毒から犯人へ到達するスピードは格段に速くなることだろう。
「ソレ、作ろうと思えば同じ物がこの先も作れるのか?」
「うん。あ、でも作れるのは私だけ。前世の知識を使って魔法で作ってるから」
「それはよかった」
クリストファーは安堵とともに頷く。
そんなヤバいブツを作れる者が他にも居るならば、そっちは始末しなくてはならなかった。
この世界の魔法は、自分に加護を与えている妖精から力を借りて、明確かつ具体的な成功イメージを持ち、現象を起こす正確な指示を口にすることで発現する。
ニコルに加護を与えている妖精は大人で、知能も言葉の理解力も高く、ニコルの前世の知識には、「自身が売る化粧品に開発から携わる実業家」だったが故の専門知識がある。
ニコルが魔法で行っている「有効成分の抽出・精製」と「成分の最適化・融合」は、この世界の人間では再現が出来ず、現在も最高級のエイジング化粧品はニコルが一人で作り上げていた。
一先ず、ニコルの身柄を奪われないよう護っておけば、効果のヤバ過ぎるブツが敵勢力の中にバラ撒かれることは無さそうだ。
思考を終えたクリストファーは、実用段階へ向けてニコルへ指示を出す。
「とりあえずコナー家でも実験するから、今あるヤツの半量は俺に渡せ。同じ物が完成したら、また半量は俺が持ち帰り実験する。それで問題が無ければ第二王子執務室には、俺が提出する。コナー家の俺との共同制作で、俺の指示の下で研究、実験を繰り返して開発されたことで報告を上げる。いいな?」
「うん。助かった。ありがとうクリス」
クリストファーが、コナー家の支配者である自身の立場を絡めて国に報告を上げるのは、功績横取りの意図など微塵も無い。
ニコルもそれを分かっているから、前世から好き勝手に暴走する度に尻拭いや後始末をしてくれるクリストファーには感謝しか無い。
わしゃわしゃと髪を乱して困った妹の頭を撫でながら、愚痴をこぼすようにクリストファーは問いかける。
「しかし、何でまた、ここまでヤバいブツが仕上がったんだ?」
「うん、それなんだけどね。前世でお母さんが『太らないフライドポテト』って作ってくれたじゃん?」
大人しく撫でられながら答えるニコルに、クリストファーも前世の記憶を手繰って思い出した。
前世で妹の京が小学校高学年に入った頃、細身の上に未だ成長期で全く必要が無かったにも関わらずダイエットに興味を持って熱中し始め、きちんと栄養を摂らせることに母が腐心していたことがあったのだ。
最初は正攻法で攻めていた母は、直ぐに気がついた。
それらしく言い包めれば、娘はハイカロリーな物でも安心して口にすることに。
今ニコルが言った「太らないフライドポテト」も、母の晩酌のツマミ用の鶏皮を揚げた後の旨味たっぷりな油で揚げた、通常よりもカロリーの高いであろう、ただの美味しいフライドポテトだ。
まさか、転生した今でもまだ、本気で母の言葉通りに、アレが「太らないフライドポテト」だと思っている訳ではあるまいが・・・。
「アレさぁ、材料が『秘密のイモ』だから太らないんだって、お母さん言ってたじゃん? だから、再現しようと思って『秘密のイモ』の開発を研究してたんだよね」
・・・思っていたようだ。
どうやら前世の妹は『特別』な相手に対しては、思った以上におバカだったらしい。
クリストファーは片手で目を覆って項垂れた。
ニコルは前世から頭は悪くない。能力もあれば才能もある。他人なんか疑う以外の対象じゃないと言わんばかりに猜疑心も強い。
だが、その反動なのか、『特別』である前世の母と兄、特に前世の母には一抹の疑念も湧かせないほどに絶対の信頼を置いている。
その指向は、母からの洗脳があった訳ではなく、娘の側からの強い依存に由来していた。
前世でニコルは、我儘を言ったり反抗することはあっても、母の言葉は「全部本当」だと受け止めていた。
それが、どんなに荒唐無稽な話、例えば、「コレは秘境で密かに育てられている、食べても太らない『秘密のイモ』なんだよ」というような、兄ならば一切信じないような内容であってもだ。
「・・・お前、マジか。『秘密のイモ』が架空のものじゃなかったと仮定してだが、どうやって作る気だったんだ?」
「え? ほら、お母さんの親しい人の中に冒険家の人もいたじゃない? だから、あの人が写真集で出してた『秘境』の気候や植生を思い出して、土壌はそこからの想像だけど一応それも再現して、あとは手に入るあらゆる芋類を虱潰しに交配してる。まぁ、その途中で出て来た成分が『巌窟王への誘い』の主原料なんだけど」
「・・・・・・」
クリストファーの頭の中で、「馬鹿と天才は紙一重」という言葉が乱舞したが、賢明な判断で口からは溢さなかった。
しばしの沈黙の末に口を開いたのは、一応フォローになる言葉を、蓋をしていた前世の記憶から掘り起こしてからだ。
「・・・まぁ、あの人なら、怪しげな秘境から怪しげなブツを持ち帰って母さんに貢いでても、不思議は無ぇ気がするもんな」
クリストファーの脳裏に蘇ったのは、前世の母の幼馴染みだと言う冒険家の男性との初対面のシーン。
母の声に呼ばれて居間に行くと、平然とお茶を飲む母と、天井の角に忍者のように張り付いて、驚く自分をジッと見下ろすガラス玉のような目をした小柄な男、というシュールで忘れられない光景だ。
彼に関しては、忘れられない光景ばかりだが、常識的な人生を送るために忘れようと、前世で母の死後は記憶に蓋をしていた。
今回、ニコルのフォローのために蓋を外したのが、何だか一緒に危険物の封印でも解いたような気分になり、微妙なソワソワ感がクリストファーを包んでいる。
そのソワソワ感をぶち破るように、ニコルが勢いよく同意を示した。
「でっしょー⁉ あの人なら絶対、非常識で不可思議なブツでも用意出来そうじゃん!」
勢いのあまり、貴族令嬢として最低限の仮面も外れているニコルに、外した蓋から溢れた記憶のままにクリストファーも相槌を打つ。
「あー、お前、あの人のこと人外とか物の怪の類じゃないかとか言ってたしな・・・」
「だって、蛇の威嚇音出しながらヌルヌル歩く人間なんか居る⁉ ピョン、じゃなく、シャッと飛び上がって身長以上の高さのブロック塀に音もなく飛び乗るのが人間だと思える⁉」
「いや、まぁ、ジャングルから生還したらワイルドになってたって母さんは言ってたけどな・・・」
普通や常識人を目指していたらしい前世の母の感性も、フォローの難しい残念さなのだが、その幼馴染みは母と違って「普通」も「常識人」も目指していなかったので、それはそれは『変わり者』だった。
多分、『変わり者』では済まされない身体能力も備わっていたと思う。
「あの人、こっちで何になってるのかな・・・」
思わず溢れたクリストファーの言葉に、前世の母の幼馴染みの人外っぷりを列挙していたニコルがピタリと口を閉じて固まった。
「あ、悪い。フラグっぽいこと言ったな。もうすぐ再会するんじゃねぇ?」
危険物の封印を解いたかのようなソワソワ感の原因が腑に落ちて、肩を竦めて予告発言をしたクリストファーに、クワッと目を見開いたニコルが挙動不審に首を振りながら手を伸ばして歩み寄る。
その姿は、ドレスを着た美少女という外見も相まって、ホラー映画の呪われた人形のようだ。
「え? え? この世界って魔王とかいたっけ? 魔物とか魔獣とか居ない世界観だよね? 何? あの人まさか人間枠で転生してるの? おかしくない?」
「怖ぇよ、お前。てか、ソレ、再会した本人に言えるか?」
クリストファーの指摘に立ち止まって、美少女台無しの劇画めいた表情になり、髪を掻き乱すニコル。
ボサボサになった髪が、ホラー感を更にアップする。
「ヒイィッ⁉ だって、私達もれなく前世より能力アップして転生してるじゃん! あの人が身体能力アップして魔法も使えたら、どう言い訳したって人類じゃないでしょう⁉」
「いや、お前どんだけあの人苦手なんだよ。ジルが居るんだから、少なくとも敵勢力にはならねぇだろ」
どれだけ人外めいた存在に転生していても、という不吉な予告は、前世から彼を苦手とするニコルの精神安定のために、口からは出さなかった。
クリストファーの予感としては、彼は『剣聖』同様の加護は得ていなくとも、第二王子執務室の天才達に匹敵する能力は持って、この世界の何処かに居るんだろうと、根拠がある訳では無いが感じている。
「まぁ、全員揃った方がいいんだよ」
これから情勢が動くことになるモスアゲート関連の諸々は、調べが進むほどにヤバさが加速しているのだ。
その辺りはニコルには言えない情報も多いが、最近のジルベルトの常軌を逸した多忙さから、詳しい背景は知らないニコルでも、「ジルベルト様が無条件で信じられる仲間は増えた方がいい」とは思っている。
ジルベルトが無条件に信じられる仲間、と言うのはハードルがとんでもなく高い。
ジルベルトの足手まといにならないほど有能で、懐に入れても後悔しないと断言出来る信頼関係を築ける相手など、そうそう居ないのだ。
だが、ジルベルトの前世の犬であれば、条件は不足なくクリアしている。
クリストファーは、ふと思いつく。
転生した時期は、どうやら皆同じだが、転生先の人物の年齢は、前世で死んだ順番に年上→年下となっている。
まだ再会していないジルベルトの前世の犬、最後の一人である冒険家兼写真家は、転生先で大人しく雌伏しているようなタマではない。
クリストファーより年下で、「天才」もしくは「奇人変人」として名を馳せる者が在れば、その人物は、彼の転生先である可能性が高いのではないか。
「探してみるか・・・」
「え? 何?」
「いや、独り言」
ニコルを誤魔化しつつ、クリストファーは国外の「若き天才」のリストを検索する。
そして、一人、有力な候補に思い当たり、鋭くなった紺色の垂れ目を俯いて隠した。