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そろそろ次の幕が開く

 ここまでのまとめ的な内容になり、長いです。


 クリソプレーズ王国第二王子執務室にて、アンドレアは次々と舞い込む報告書に目を通していた。


 新しい学院長として先代王弟のクラッブ前伯爵(クラッブ家は現在侯爵家に陞爵済み)を迎え、二月も後半まで冬季休暇だった学院も、教師職員の大半を入れ替え、生徒の数も若干減りつつも無事再開している。


 三月に入り、先日は最終学年の五学年生らの卒業式も、暗い話題を払拭するように華やかな雰囲気で開催された。

 クリストファーの姉のプリシラらが卒業し、四月初旬の王宮茶会の後からはアンドレア達が最高学年となる。


 バダックが淹れ、モーリスが毒見をしたフレッシュハーブティーを、書類に目を通しながらアンドレアが口に運ぶ。

 ヒューズ公爵家執事長ルーデルの『従者修行』を終え、一昨日から第二王子執務室専属の侍従となったバダックが淹れたのは、この時期は葉だけではなく花も茶として楽しめるハーブで、目の疲れを癒やす効能がある。


 着任後、モーリスから先ずは『アンディスペシャル』の手解きを受けて、口には出さないが「本気か?」という目をしていたバダックだが、順応性の高さを発揮して直ぐに独自の極甘メニューを編み出してモーリスを唸らせていた。


 バダックの居室は他の王城勤めの者と同じく、王城敷地内の宿舎に一室を与えているが、今や敵国の意識を持たれるフローライト王国からの亡命者である上に、方々から恨みを買っているアンドレアの執務室専属という立場では、危険度の高い嫌がらせも日常的に受ける懸念があった。

 しかし、その忠告を聞いたバダックは、


『その程度、フローライトの後宮に比べれば何とも。人間向けの寝床は快適だな、としか』


 と肩をすくめただけだった。

 実際、あまりにも意に介されず、嫌がらせをする方が悔し涙を飲む様が散見されているようで、魔境を生き抜いたバダックの強靭な肉体と精神は、ぬくぬくと育った坊っちゃん達では傷つけられないらしい。


 バダックは、留学用に提出した身分証が偽物であったことと、その微妙な立場から、留学受け入れの事実は取り消され、現在も学院に通学していない。

 祖国でも後宮で虐待され教育を受けていなかったバダックには、祖国の何れの学舎にも入学していなかったために、クリソプレーズ王国の社交界で通用する学歴は一つも無い。


 バダックは、この国(クリソプレーズ)で生きて行くことを決め、侍従の道を選んだ時に、己の血統に関わらず、貴族として社交界に出る未来を捨てた。

 今は、アンドレア達が学院に居る間は、コナー家の監視と共に執務室の留守を守っている。


 コナー家の監視達は、バダックがヒューズ公爵家執事長(ルーデル)の修行を全行程修めたと知るや、すっかり態度を改めて好意的になったらしい。

 どうやら、「所属は違えどヤバい奴の修行を乗り切った仲間」という妙な連帯感かららしいが、コナー家にすら「ヤバい奴」扱いされている執事長を抱えるヒューズ家に、アンドレアは何とも言えない気持ちになった。


「ネイサンがこっち(執務室)にも出入り出来るようになれば、もう少し楽なんだがな」


「あと二年ですね」


 書類の山を捌きながらアンドレアが溢せば、モーリスが相槌のように応じる。


 冬季休暇中に一時帰国したネイサンは、クリソプレーズ王国に戻って来ると、事前の申告通りにアポイントメントを取って相談に来た。


『既に、ある程度の私に関する調査は為されているでしょうが』


 の前置きから始まった報告と相談は、アンドレアにとって利益のある内容だった。


 今回のネイサン一時帰国の理由は、祖国の()()からもたらされた、「父親フォルズ公爵に不穏な動き有り」の情報に対応するためだったと言う。

 ネイサンの説得により一度は立ち消えていた、ネイサンを愛人子爵の養子に差し出す件が再燃したことで、それを完全に消し去る手続きを取って来たのだ。


 父親のフォルズ公爵は、「老いに因る病」で、爵位も宰相職も嫡男に引き継ぎ、余生は領地で療養に充てることになったそうだ。

 その際、父親の過去の公言や直筆の手紙での文言通り、ネイサンが己の人生を自由に選べることを保証し、今後、ネイサンが自分で選んだ、何処の国のどの家との縁を結ぶことも阻害しないという誓約も、前当主と現当主の両名から正式な誓約書に署名させていた。


 現在は、『フォルズ公爵末弟』の身分となったネイサンは、自身の現状を説明し、それらの誓約書を提示しながら自分をアンドレアに売り込んだ。

 その口上は、


『私は、この大陸の現在公開されている全ての国法と各種ギルド規則、抜けは有りますが、入手出来た物については地域法と各国有力家の家法を記憶しています。これは、祖国の()()()や血縁者らも知らない事実です』


 から始まるプレゼンだ。

 それが事実なら、仰天の『商品価値』である。

 そして、それが偽りではないことは、ハロルドの嗅覚と、モーリスが書庫から運んで来た様々な国の法典を参照しつつ即興で行われた口頭試験で判明した。

 ネイサンの『商品価値』は、想像以上に高かった。

 もしもネイサンの()()()が知っていたら、決して血縁者達にネイサンが自身の将来を自由選択出来るような誓約などさせなかっただろう。


 ネイサンの能力ならば、それらがただの知識として丸暗記しただけのものではないことは、彼を知る者ならば容易に想像出来る。


 様々な国の法を知り、それらを複合的に利用することが可能な者は、守るべき法を知る国に安全に紛れ込み易く、潜入や逃亡の難易度を著しく下げる。

 自身に諜報員のスキルが無くても、計画を立案して的確な指示を出すことは可能だ。

 しかも、その範囲は幾つかの周辺国程度ではなく、大陸全土を網羅しているのだ。『商品の産出国』が手放すことに同意する訳が無い。


 ネイサンは、祖国で「法務系の部署の文官を目指す少年」として不審視されない範囲内で、カーネリアン王国の王立図書館が所蔵する各国の法典や法律関係の書物を読み、図書館に無い物は入手ルートを細分化し、ネイサンの手に渡った痕跡は残さず、「ネイサンが手にしたことにはなっていない物」は、読んで記憶し次第、魔法で燃やして物証を消していた。

 かなり器用に緻密な魔法が使えることも、自国(カーネリアン)に居た間は隠していたと言う。


 そこまで自身の有能さを国内で隠していた理由は、「いずれ自分だけの主君を見つけ、自分を使いこなせる主の下で存分に力を振るいたかった」のだと言う。

 そこに、ハロルドが嗅ぎ取れる偽りの匂いは無かったし、ネイサンの隠していた能力まで知れば、アンドレアやモーリスも納得の理由だ。


 ただし、ネイサンを受け入れる前に、彼が選んだ「自分だけの主君」がジルベルトであることで、ハロルドと一悶着はあった。

 尤もそれも、


『アンドレア殿下の下で働くことは非常に魅力があります。私を存分に使いこなしてくださるでしょう。ですが、直接忠誠を誓うのはジルベルト様に致したく存じます。剣聖でありながら正直者の善人とは程遠い処が最高です。実際問題、アンドレア殿()()に忠誠を誓うと祖国から売国行為を疑われて刺客を送られかねませんから、不要に事を荒立てないためにも避けるべきかと』


 というネイサンの流暢な理由付けで、早々にハロルドは言い負かされていたのだが。

 ハロルドでは、ネイサンに口で勝てないらしい。

 ジルベルトを「主君として最高」とする理由が、「剣聖なのに正直者の善人じゃない処」というのは、それで良いのかとアンドレア達は思わなくもないが、それも含めてハロルドが偽りを嗅ぎ取っていないのだから、本当にその理由なのだろうと飲み込むことにした。


 斯くしてネイサンは、自国の利益を最優先に考える『王族』のアンドレアに忠誠を誓うことは避け、二重スパイを疑われるのも本意ではないからと、クリソプレーズ王国の『剣聖』ジルベルトに対し、最も重い制約を受ける忠誠の誓いを立てて自らに枷を付けた。

 全てはネイサンの望み通りだ。


 ()()()御主人様に置いて逝かれたくないのだから、御主人様が、この世の『剣聖』のイメージ通りに正直で善良でなどいられたら困る。

 自己中で冷淡で人が悪ければ最高だと、心の底から思っている。

 故に、ハロルドがネイサンの言葉に偽りを嗅ぎ取ることは無い。


 今のところは『フォルズ公爵末弟』としてクリソプレーズ王国貴族学院に留学生として在籍するネイサンは、学院長が交代したことで新設された「優秀な留学生枠」で生徒会執行部にも参加して、アンドレアのために働き始めている。


 しかし一年後には、アンドレア達学院卒業のタイミングでクリソプレーズ王国の貴族家と養子縁組し、今から二年後、ネイサン自身の卒業と同時に、クリソプレーズ王国の別の貴族家へ、()()()()()()()()()()()()()()婿入りすることが内定していた。

 この内定は、まだ第二王子執務室から外部に出していないが、アンドレアが次代の実権者であるので、横槍は入れられない確定事項である。


 ネイサンの養子先は、現在法務大臣を務めるラムレイ公爵家が筆頭候補に挙がっている。他にも候補はあるが、おそらくこのまま進められるだろう。

 ラムレイ公爵家の継承権は持たない条件での養子縁組の後、ラムレイ家から、以前王族が降嫁または婿入りしたことのある伯爵家以上の一人娘に婿入りし、ネイサンを()()()()()()()()()()()()()()()とする予定だ。


 これで、生国がカーネリアン王国であっても、ネイサンの身柄に対して命令を下す権利は、カーネリアン王国の君主からクリソプレーズ王国の君主へ完全に移行される。

 カーネリアン王国の法でも、クリソプレーズ王国の法でも、「其の国の貴族として其の国の貴族と婚姻を結んだ貴族家の当主」への、身柄を移すような下命権限があるのは、「其の国の国王」だけなのだ。


 婿入り先として、過去に王族が降嫁または婿入りした家を選ぶのは、クリソプレーズ王家と血縁があることで、「他国からの手出しでは簡単に消すことの出来ない家」だからだ。

 王家と血縁のある家への国外からの攻撃は、その国の王家への敵対行為と取られる恐れがある。

 国内の安定に余程の自信があり、自国の方が勝ると断言出来るほど国力差が歴然とした国が相手でなければ避ける行為だ。

 いずれ、ネイサンの能力が祖国(カーネリアン)まで知られた時の保険のようなものである。


 これらの案を出したのはネイサンだが、ネイサンがアンドレアの下で働くために、それが最もスムーズかつ効率的で、後々も問題が起こりにくい遣り方であることは、検証したモーリスも認めている。

 そして、モーリスはネイサンの有能さと、持てる知識の有用性に戦慄した。

 敵に回さず、強力な枷を付けて自国(クリソプレーズ)に、自分達の主(アンドレア)に縛り付けることが出来て良かったと。

 ネイサンがジルベルトを裏切れないならば、ネイサンがアンドレアに仇成すことなど不可能なのだから。


 ネイサンがアンドレアの側近の一人として、誰憚ること無く第二王子執務室に出入り出来るようになるのは、「完全なクリソプレーズ王国貴族」の立場を得る二年後となる。


「アイオライトの今後についてはダーガ侯爵が動いたか」


「ええ。ミレット嬢の反撃を最大限に有効活用して、グレイソン公爵家を『紐付き』にしたようです」


 報告書の束を捲るアンドレアにモーリスが答える。

 バダックは、そろそろ甘みの強い飲み物を用意しようとフレーバーシロップの選別にかかり、ハロルドは終始無言で丸暗記の必要な資料やデータを脳味噌に焼き付けていた。

 ジルベルトは本日も外務部の書庫に籠もっており、この部屋で会話の声を発するのはアンドレアとモーリスだけだ。


「しかし、刷り込まれた常識の差というのは、思った以上に厄介なものなのだな。国王までが、『我が国の王家が庇護する子爵令嬢』の実情を自国の常識のみで測り、誤った解釈をしていたとは」


「刷り込まれた常識とは、無意識下で思考誘導に働きかけるものですからね。

 クリソプレーズに於いては、我々の世代は、生まれた時から軍や暗部は実力主義の傾向が認められていましたが、親より上の世代では、王族が他国の子爵令嬢に狼藉を働いたとしても、両国の王族間で話が終わる、という考えの方が馴染み深いでしょう。我々の世代でも、被害者がミレット嬢でなければ、『子爵令嬢』には泣き寝入りを強いて終わる話でしたよ。相手は同盟国の王族ですし」


「単なる子爵家の娘で、起きた問題が狼藉だけならな。

 王族の名に於いて、自国の経済の発展に大きく貢献した他国の貴族を私情により追放をしておいて、賠償も再進出費用の負担も、追放命令の撤回も、他国の貴族側の潔白の表明もせず、『無かったことにして戻れ』など、相手が平民の商会でも我が国ならやらんぞ」


「アイオライトでは自国の下位の身分の相手に対し、当たり前に日常的に、補償も名誉回復もせずに、命令のみで一方的な搾取をする事態が横行していたんでしょうね。

 ミレット嬢の関係商会はアイオライトでも手広く事業を展開していましたから、彼女を『自国(アイオライト)のもの』とする勘違いや思い込みもあったかもしれませんし」


 モーリスはバダックから受け取った、ベリーシロップのたっぷり入った、渋みの強い品種の紅茶を毒見してアンドレアの前に置く。紅茶の渋みがシロップの甘さを引き立てている。

 呆れたように息を吐いたアンドレアは、一口飲み込んで満足そうに頷くと、再度話すために口を開いた。


「まぁ、アイオライト王族の意識はうちの国(クリソプレーズ)とは随分違うと感じたし、アデライト王女は理解し難い奇妙な生物と感じるほど異常に思えたが、我が国とて騎士団が実力主義を実現出来るようになったのは、たかだか二十年ほど前からなんだよなぁ。それまでは、うち(クリソプレーズ)の軍部も身分重視だったんだろ」


「そうですね。先代王弟殿下の大公様が、かなり強引な手段も辞さずに遣り遂げられたと祖父から聞いています」


「ああ、お前の祖父は大叔父上の側近だったな」


 ヒューズ公爵家は、別名「王家のお世話係」だ。

 癖の強いクリソプレーズ王家の人間に気に入られ、側近に取り立てられることが多い。


 モーリスは、自分は祖父や父ほどは苦労していないと考えている。祖父や父のように主に振り回されることは少なく、仲間も頼りになるからだ。

 本来なら、激務な上に粛清担当という第二王子執務室は相当にブラックな職場なのだが、祖父や父を見ているモーリスは、自分がとてもホワイトな職場に恵まれていると思っている。

 そのまま目を覚まさない方が幸せだと、周りの仲間達は見守っていた。


「まぁ、悪気なく『うっかり』な()()()()にしては、結果が重いことになったがな」


「あちらとしては、想定外の要因が重なったのでしょうね。我が国のミレット嬢への重視の方向性とか、ミレット嬢自身の性格とか。『あちら(アイオライト)の常識』では信じ難い事実なのでしょうから」


 大抵の王国ならば、『国にとって大きな利益を産む子爵令嬢』が存在したとして、庇護し、重要視していても『子爵令嬢』本人の意思など尊重しない。

 ニコルのような能力であれば、王や国家の命令によって外聞は整えて囲い込み、令嬢本人の自由は奪い、監禁して商品の開発を強要し、開発した商品の権利は国が押さえ、利益を搾取しながら飼い殺す方針を取る国が多いだろう。


 クリソプレーズ王国でも、ニコルという稀有な才能を持つ下位貴族令嬢の存在を把握した当初、その案が出なかった訳では無い。


 だが、当時、コナー公爵から、当代で現れた『申し子』が、ニコルを気に入り懇意にしていると国王ジュリアンに報告があったことで、しばらくの様子見をジュリアンが選択したのだ。


 そして様子を見ている内に、今度は『申し子』がアンドレアの側近で『剣聖』を目指す誓いを立てたジルベルトを「親友」と明言し始め、『申し子』を介してニコルとジルベルトも友人関係となってしまった。

 ジルベルトには、当時騎士団長だったパーカー伯爵の息子が心酔し、王子のアンドレアと宰相子息のモーリスも懐いていた。


 子供同士の人間関係と侮ることは、自身も精神成長が早熟であったジュリアンには出来なかった。

 将来、確実に実力者になるであろう『申し子』と『剣聖』候補に、ジルベルトの影響で改心して急成長を始めた王子(アンドレア)宰相子息(モーリス)、ジルベルトの命令ならば何を仕出かすか危うい執着家系の子息(ハロルド)


 ジュリアンは、「様子見」と銘打って古参貴族を黙らせながら、腹の中では、早々にニコルを「監禁・搾取・飼い殺し」の三点セットの対象から外すことを決定したのだ。

 古参貴族共が煩いので、この「腹の中の決定」は公にはしていないが、現在の子供達の成長ぶりを目の当たりにすれば、己の判断は正しかったと、国王(ジュリアン)が過去の自分を密かに褒めていることを、当の子供達は知らない。


 ジュリアンの密かな決断は、影響を及ぼした当人達さえ知らない所で、知らない内に下されていた。

 ニコルの性格が、この世界の王国の下位貴族の令嬢としては、規格外な強かさと大胆さと冷酷さを孕んでいたのは、彼女が異世界の人生の記憶を持つ転生者だったからだ。

 アイオライト王国の上層部が、これらを想定して動くことなど、土台無理な話だった。


 だが、現実は無情である。

 彼ら(アイオライト)にとって想定外の事態は重なっていた。

 クリソプレーズ王家による『ニコル・ミレットという子爵令嬢』庇護の実情は、「飼い殺し」の建前ではなく、「大事に護り、後ろ盾にもなっている」という意味であり、ニコルという子爵令嬢は、相手が誰であれ「攻撃を受けた」と認識すれば、泣き寝入りなどしない性格の令嬢だったのだ。

 しかも、その子爵令嬢(ニコル)は、自分より上位の身分の相手への反撃を実行する才覚も、資金力も、自分の命令を命懸けで遂行する狂信者のような駒達も、潤沢に持っている。


 相手の力量を見誤って吹っ掛けた喧嘩は、負けるのがセオリーだ。


「ダーガ侯爵から『助言』されたグレイソン公爵は、寿命が縮んだらしいな」


 ニコルがアイオライト王国からの使者へ、丁寧な「お断り」の返信を託したとジュリアンから聞いた時点で、ダーガ侯爵は今後の展開を予測して動いた。

 その予測は、アイオライト国王がニコルから手を引かなければ、ニコルは事を大きくして『内政干渉』の疑いまで表出させ、アイオライト王国による他国の商人への不利益強要行為の情報を同業者に流し、アイオライトに経済危機を引き起こすつもりだろうという、かなり正確なものであった。


 経済危機まで起こされてしまえば、ダーガ侯爵がグレイソン公爵との密約で得たメリットが半減してしまう。

 あるいはニコルは、アイオライトに経済危機を起こさせないよう、クリソプレーズの上層部が動き、現アイオライト国王を退位させることまでを織り込んで反撃したのでは、ともダーガ侯爵は考えた。


 そしてダーガ侯爵は、別にニコルに乗せられているのでも構わないと結論を出した。

 これはこれで、更に大きなメリットを得られるからだ。


 ダーガ侯爵は、ニコルの価値と性質を正しく読んでいる。


 今回のことも、年若い令嬢だからと言って、感情だけで反撃しているとは判じていない。

 商人らしくギブアンドテイクの貸し借り無しに安心を覚え、己の立場を過信せず、かと言って過小評価もしていない、従順であった方が『得』である相手には、()()立ち回れる人物だと評価している。

 つまり、ダーガ侯爵がニコルの『反撃』に乗って、ニコルを軽視した()()()達を退場させることが出来れば、ニコルはダーガ侯爵の交渉カードに『今回の一回分』は、使われてくれると判断した。


 ダーガ侯爵の判断は、正しい。


 ニコルの「お断り」の返信に対して、アイオライト国王と上層部が更なる亀裂を生む返信を使者に持たせる前に、ダーガ侯爵はグレイソン公爵と密談の場を設け、薄氷の上に踏み出そうとしている現況を示しつつ()()を行った。


 グレイソン公爵は、アイオライト王太子が外交の場に臨席する際の補佐を務めて来た立場故に、アイオライトとクリソプレーズの「お国柄」や「常識」の差を肌で感じて理解している。

 それ故に、子爵令嬢であるニコルへのクリソプレーズ王家の庇護が、アイオライトが考えているような内実ではないと告げれば、直ぐに折れねばならないことを理解した。


 王家が()()()()()()()『有益な下位貴族の令嬢』であれば、王家へさえ礼儀を尽くし要請すれば、簡単に再び差し出されるだろうという、()()()()()()()()()()が、通用しないのだと気付いたからだ。


 アイオライト国王は、故意ではないが、『同盟国の王家が身分を超えて実力を認め、重き扱いをしている人物』を軽視していることを、態度と行動で、クリソプレーズ王家に知られてしまった。

 まだ、クリソプレーズ王家からアイオライト国王に対し、不快の意を直接示されてはいないが、心象は既に下降の方向なのだと想像はつく。


 クリソプレーズ王家にとって、自国へ大きな利益を齎し続けるニコルと、アイオライトの王族に生まれ、王という身分に在るだけの何らクリソプレーズ王国へ利益を齎すことの無い存在とでは、最初からニコルの方に、価値の天秤が傾いていたのだ。

 だと言うのに、アイオライト国王とその周辺は、「自国の常識」という目隠しをしたまま判断し、行動を間違えた。


 ダーガ侯爵によって、それらをハッキリと理解させられたグレイソン公爵は、「アイオライト王国の危機」と判断し、己の首を懸けて王太子の説得に全力を尽くした。


 幸い、王子時代に外遊経験の多かった王太子の思考は、アイオライト王族としては比較的柔軟であり、以前から妹王女アデライトの愚行と、それを容認して助長していた父王の態度に憤りを抱えていたこともあって、説得は早期に望む方向へ結実した。


 結果、アデライトの『病死』は即日の内に()()となってアイオライト王室から公式発表され、アイオライトの現国王は、「溺愛する第一王女の病死から悲嘆に暮れて床に臥せるようになった」ために、国王の公務も王太子が代行し、並行して王太子の国王即位に向けた準備も進められ、一年後、アデライト王女の喪が明けると同時に、正式に現国王の退位と王太子の国王への即位が成されることが決定した。


 アイオライト王太子の後ろ盾は、王太子が国王に即位した後も筆頭公爵のグレイソン卿であり、新王体制が安定するまで、そのグレイソン卿に力を貸すのは、『クリソプレーズの毒針』と呼ばれるダーガ侯爵である。

 ダーガ侯爵は、ニコルの『ささやかな反撃』を利用してグレイソン公爵に大きな()()を作り、アイオライトの新国王に意見できる立場の筆頭公爵を『紐付き』にした。


 ダーガ侯爵側が交渉カードに使ったのは、()()()()()ミレット家をアイオライトに再進出させる口添えを、クリソプレーズ国王に進言するというもの。

 たとえ条件付きでも、ミレット家がアイオライト王国に再進出したという事実さえあれば、世論はアイオライト王家とミレット家の和解と見做す。

 現国王を抑えることで内政干渉疑惑の危機までは退けられるが、経済危機をも避けるためには、是が非でも「ミレット家との和解」の事実が欲しいアイオライトの新体制側は、条件が相当に厳しいものであっても拒むことは出来ない。


 ダーガ侯爵の提示した条件は三つだ。


・再進出の規模はミレット家に一任すること。


・アデライト王女が下した、ミレット家への国外追放命令の撤回。


・ミレット家が、「罪を犯して国外追放を命じられたのではない」ことを、アイオライト王室が公式に認めること。


 再進出の規模を指定出来ないことはともかく、王族が一度下した命令を撤回し、王室が子爵家に間違いを認めるような発表をすると言うのは、アイオライトのような国では相当な屈辱になるが、受け入れる以外の選択肢は無かった。

 先に、「悪意の無い常識差による思い違い」からだったとしても、内政干渉に取られかねない侮辱を相手国(クリソプレーズ)にしたのは、アイオライト側なのだ。


「ミレット嬢、クリストファーからダーガ侯爵とアイオライトの『交渉』結果と、陛下からの『この条件で手を打たないか』という伝言を聞いて、()()()貴族的に微笑んで、『御高配ありがたく存じます。勿論、謹んでお受け致しますわ』と言ったらしいぞ。玩具にしてた獲物を、息の根を止める寸前で満足して解放した肉食獣に見えたと、コナー家の裏ボス(クリストファー)が遠い目をして言っていた」


「・・・クリストファーが()()()()()を出したまま訪れても、平然と試作品の菓子を口に突っ込んで、『お疲れ様、お帰りなさい』と言って来るらしいですからね。(はな)から並の神経のご令嬢じゃないんですよ。ニコル・ミレット嬢は」


「よく『下位貴族』ってだけで、あの女傑(ニコル・ミレット)に喧嘩売ろうと思えたよなぁ」


「ええ、まったく」


 主従が頷き合ったところで、タイミング良く扉がノックされた。

 バダックが、視線によるアンドレアの許可を得てドアを開けると、入って来たのは祭儀部の高位文官、ウォルター・コナーだった。

 コナー家の男の特徴である、内面には全く似つかわしくない優しげな垂れ目を伏せて、綺麗な所作で一礼する。

 そして、次の舞台へ物語を進める『小道具』の完成が報告された。


「第二王子殿下、『カリム・ソーンの死体』が、王都第三水門付近に上がりました」


「ご苦労」


 うっそりと細められたクリソプレーズの両眼に、苛烈な光が灯る。


 ここから、大舞台の開始だ。

 森の国の闇を暴いた奈落の底には、どんな亡者が犇めいているのやら。

 アンドレアは、「室外持ち出し禁止・最重要機密」の資料に指を滑らせて、端麗な唇を歪めた。


 ここまでで「幕間・二」は終了です。

 人物紹介を挟んで、次章は本編「森の国決着編」となります。


 しばらく怪我で打ち込み作業が出来なかったため、今後は下書きストックゼロの自転車操業となりますが、週一更新は出来るように頑張ります。


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