息子に尊敬される父親
お待たせしました。
まだ両手は使えませんが、怪我前に下書きまで済んでいた部分を片手で修正し、投稿を再開します。
先日クリストファーを訪ね、例の小部屋で、新たに浮上したモスアゲート王国に対する疑惑と、『仮面』の他にも「リオ」となったカリムをモスアゲートに放った旨を報されたジルベルトは、自分が集める情報の方向性が決まった。
クリストファーによれば、クリソプレーズ王国の娼館生まれの「リオ」は、モスアゲートで男娼として一稼ぎする為に入国したと言う。
本人とかけ離れていない本物の身分証さえ持っていれば、成人ならば娼婦や男娼も「労働者」の枠で入国審査は容易に通過する。
特に、出入国者の多い日の平民労働者の審査など、目の粗いザルのレベルだ。記録は残すが、有事の検問でもなければ、そんなものだ。
余程怪しげな風体や、目立つ不審な動きでもなければ止められることは無い。
春を鬻ぐ目的の若い男が、洒落めかして色眼鏡を掛けている程度では、気にも留められない。
もしも入国後に過去を洗われたとしても、クリソプレーズの王都から姿を消した昨春までは、「よくある娼館生まれの不良少年の生き様」以上のネタは出て来ないし、本物がウォルターに処分されて消えた後は、「王都から離れた港のある都市で、夫が遠方に買い付けに出ている商家の夫人のツバメとして怠惰に暮らしていたが、帰宅した夫に叩き出されて王都に逃げ戻り、贅沢が忘れられずに一旗揚げようと、酒場で出国を息巻いていた」というストーリーが用意されているだけだ。
当然、出国前に「リオ」は下町の酒場で「リオのストーリー」を裏付ける行動を取っている。
また、「王都から離れた港のある都市」も実在する都市であり、その都市には、コナー家の息のかかった平民向けの商家がある。
ストーリーを作り、「リオの過去」を手配したのは、前世でスパイ映画や密偵が活躍する時代劇を好んでいたクリストファーだ。
よくもまぁ、見てきたように架空の人物像や人物背景をスラスラ用意できるものだと感心するジルベルトだが、第二王子執務室で作戦立案時に同じ感想を同僚達から抱かれていることに本人は気付いていない。
特殊な職業に就いていなくとも、架空の物語が身近に氾濫していた前世の記憶は、案外と諜報作業でアドバンテージとなり得るらしい。
ともあれ、ジルベルトは集める情報の方向性が決まったことで、父親への「お強請り」の内容も決まった。
モーリスに協力してもらい、『美食の領』と呼ばれるヒューズ公爵領から取り寄せた年代物の最高品位の蒸留酒を携えて、父の書斎を訪れる。
ノックの後に応えで入室を促され、扉を潜ったジルベルトは、灯りを反射して煌めく蒸留酒の瓶を掲げて誘った。
「よろしければ、久しぶりに一緒に飲みませんか。父上」
この時間に屋敷の書斎に居るならば、急ぎの仕事は抱えていない。
それを踏まえて誘ってはいるが、一応、「よろしければ」とお伺いを立てる。
学生の身でありながら、しばらく父より多忙であった息子の誘いを断ることは無いだろうという予想の通り、『毒針』の面影をフニャリと溶かして満面の笑みになった父親は、直ぐ様執務机から立ち上がってソファに招く。
「嬉しいな〜。ジル君と飲むの久しぶりだね〜。パパ寂しかった〜」
相変わらず、ジルベルトと二人きりの時は、威厳の欠片も無い巫山戯た口調である。
「わぁ〜。これまた凄いお酒を飲ませてくれるんだね〜。ヒューズ公爵領の限定品じゃない。この年代のは更にプレミア付きだよね。無理しなかった?」
「友人に借りは作りましたが、必要な無理でしたよ。それ、父上への賄賂ですから」
肩を竦めて冗談めかした口調だが、ジルベルトの言葉は大臣職にある父親へ向けるにはかなり際どく、そして、実は冗談でも無い本気である。
ダーガ侯爵ブラッドリーは、息子が何を望んでいるのか正確に読んだ上で、楽しそうに「ふふ」と笑った。
「そっか〜。賄賂か〜。でもね、陛下から、外務部で抱える情報は、要求があれば何でも、第二王子殿下には提供して構わないってお達しが来ててね、パパが『外務大臣』として賄賂まで貰って第二王子殿下の側近のジル君にあげて、喜んで貰える機密って、多分無いと思うんだ〜」
いそいそと、植物を模した紋様を彫って金で彩ったクリスタルのグラスを二つ用意しながら、軽い口調で固い内容を話す父親を前に、ジルベルトは酒瓶の栓を抜きながら暫し考え、「そういうことか」と具体的な要求を口にした。
「では機密は求めません。父上だけが持つ、父上の勘に引っ掛かった、『報告』の形で国に上げるには不確かな、けれど見過ごせない、そんな話を貰えませんか?」
「あはは〜。流石ジル君。いいよいいよ〜。パパ、何でも喋っちゃう〜」
酒好きならば心の踊る音を立ててグラスに注がれる、金に近い琥珀色の強い酒。
父と息子はグラスを掲げて縁を合わせ、芳醇な香りを愉しんでから、一杯目は一気にグラスを空けた。
これで、この場の「お話」は全て「酔っぱらいの戯言」になる、暗黙の了解だ。
「じゃ、まずは軽〜い所から。パパ、外務大臣になってから、同盟国の外交官と会うことが、とっても多くなったじゃない? それで他の国の外交官と比べて変だな〜って思ったのがね、モスアゲートの外交官の人達って、いっつも寝不足なのか、顔色の悪さと目の下のクマさんを隠してお化粧してるんだよ〜」
確かに、「軽い所」に聞こえる話から始まった。
『毒針』と称されるブラッドリーとの会談前に、部署内が徹夜続きになることは可笑しくは無いし、肝の小さい人物ならば、緊張で眠れなくなることもあるかもしれない。
だが、ブラッドリーが『毒針』と渾名されて各国から警戒されるようになったのは、外務大臣に就任して、ややしばらくが経過してからだ。
会う度に「いつも」、顔色や隈を隠さなければならない外交官が、「人達」と言うほど複数の人数で居る。
それは、引っ掛かりを覚えるような事態だ。
同盟国の外務大臣が臨席する外交の場というのは、国の威信も懸かっている重要な場面であり、僅かの無礼も失敗も許されない。
外務大臣が臨席する『外交』の場で、『外務大臣』より下の立場である『外交官』が、目に付くほど何人も、見苦しい顔を並べるなど侮辱と取られても反論出来ない。
「次は、ちょ〜っと危険度の上がったお話〜。パパさぁ、去年モスアゲートにお仕事で行った時にね、向こうの外務大臣一家がお家に招待してくれて、もてなしてくれたんだけど。そこで紹介された大臣の娘さんが、パパもう気になって気になって、おもてなしの内容、全然覚えてないんだよね。あはは」
危険度が上がる宣言に、息子が構える暇があるように、導入部分を緩い口調で取ってから、「酔っぱらいの戯言」だとしても外部には決して洩らせない内容が飛び出した。
「その娘さん、髪の色の系統は父親で、瞳の色の系統は母親なんだけどねぇ、パパには、どーっしても、その二人の血を引いた娘には見えなくてね? でもさぁ、モスアゲートの外務大臣のお家には、養子も養女も居ない筈でねぇ。紹介された娘さんも勿論、実子だよ。パパびっくり〜」
息子もパパの話のヤバさにびっくりだよ。
顔には出さずに内心でツッコんだジルベルトは、黙って父と自分のグラスに酒を注ぎ足す。
父が「ありがと〜」とグラスを持つのを眺めてから、平静を保つために、強い酒を口に含んで味わった。
ブラッドリーの主観のみの話だが、ジルベルトは、この父の人間観察眼に、絶対に近い信頼を置いている。
些少の違和感も見逃さず忘れず、小さな小さな穴から攻撃を突き通して相手の護りを崩し、ブラッドリーの望む結末への道を辿らざるを得なくするのが、この男の交渉のやり方だ。だから、『毒針』と呼ばれているのだ。
そんな父が、髪色と瞳の色に両親の系統を持つ、「実子」と紹介され、公式にも実子となっている娘を、「どうしても実子には見えない」と断言している。
確証も無く国に報告として上げることは、決して出来ない内容だけに、より一層「見過ごせない違和感」である。
貴族の血統を偽ることは大罪だ。
その疑惑を、他国の貴族に持っている。
そんなもの、とても公には出来ない。
だが、ブラッドリーが、そこまで言うならば、恐らく、実際に、モスアゲート王国外務大臣の娘は、両親どちらの血も引いていない「他人」なのだろう。
そんな事実があるのだとすれば、『真相』は、どういうパターンが考えられるのか。
思考の海に沈みかけたジルベルトの耳に、「危険度の高い話」の続きが、「まだそれだけじゃないよ〜」と巫山戯た口調で届く。
「ちゃ〜んと正面から紹介された外務大臣の娘さんは、パパ、どーっしても両親の血を引いた子に見えなかったんだけどね、他にも『見かけただけ』なモスアゲート貴族の一家がさぁ、パパ、何だか気持ち悪くって。だって、パパには『え、嘘でしょ』って思っちゃうような、本当の家族に見えない一家が、一つや二つじゃないんだもん。でも、ぜ〜んぶ『実子』ってことになってるけどね! びっくり!」
ジルベルトは頭を抱えたくなった。
それが事実なら、モスアゲート王国の貴族制度は崩壊している。
しかし、ブラッドリーが、その眼で見て抱いた違和感と、事が大き過ぎて燻らせて寝かせている疑惑は、ブラッドリーの観察眼の信頼性から、妄想とは片付けられない。
そこまで「両親のどちらとも血が繋がっていない他人」が実子として認められている家が多いなら、確実に国王もグル、もしくは、国王には国内貴族家の血統に関する情報は開示されておらず、届け出や認可も国王はノータッチなのか。
国法的に、国王が完全にノータッチの形は取れない筈だから、国王に情報は開示されず、その辺りを牛耳っている何者かの手を通過した書類を、「チェック済みだからサインと押印だけしろ」と渡された国王が、サインしたり玉璽を押したりしている、という形だろうか。
これは、クリソプレーズ国王ジュリアンの『親友役』の真相や、クリストファーが抱いた、「過去にも、もしかしたら王位を継ぐ王子の中にさえ、故意に愚かに育つよう教育された王族が居るのではないか」という疑惑を超えて、酷くキナ臭い話になって来た。
「あはは〜。ジル君、飲んで飲んで〜」
こんな、とんでもない疑念を一人胸の内に燻らせながら、そんなものは毛の先ほども窺わせず朗らかに笑うブラッドリー。
父に注ぎ足された酒を呷り、ふぅと一息吐いて前髪を掻き上げるジルベルトを、慈しみの眼差しで見遣ったブラッドリーは、「オマケのとっておき」と前置きして話題を変える。
「ジル君は、外務部の資料室の奥に、鍵のかかった資料庫があるのは知ってるよね?」
「はい。古い資料の中でも、外務部の資料室から持ち出しが禁じられている資料を保管する部屋ですよね」
「そうそう。そこにね、建国時代までは遡れないけど、三百年分いくかどうかくらいかなぁ、モスアゲート王国貴族の爵位の変遷を記録したものがあるんだ。あの国は、正しく運用されていれば、とっても素晴らしい制度があるよねぇ」
正しく運用されていれば。
モスアゲート王国には、たとえ公爵家であっても三代続けて功績が無ければ降爵されることが、国法で定められている。
だから、同様の法律の無い国に比べると、貴族の爵位の変遷は多く、また、爵位を落とされるような失態を犯さずとも降爵となる場合もあるため、降爵の理由が一つ一つ詳細に公表されないことも多い。
正しく運用されていれば素晴らしい制度は、正しく運用せず、悪党が我欲のために利用しても、素晴らしい効力を発揮することがある。
元々が制度としては「素晴らしい」と評価を得るような、分かりやすく、運用しやすい形に出来上がったものなのだから。
「外務部の資料庫に、近い内に伺います」
「うん、来て来て〜。大歓迎だよ〜」
おそらく、過去のモスアゲート王国貴族の爵位の変遷に不審点が見つかる。
それが、どれくらいの数に上るのかは未だ不明だが、クリストファーが抱いた疑念や、以前カリムから聞いたモスアゲートの内部腐敗情報から推測するに、相当な数が見つかる気がする。
極上の酒を飲み干しながらジルベルトは気が付いた。
(あれ? また徹夜地獄になるよな・・・?)
眼の前には、一人で抱えていた物騒な疑惑を息子と共有して、ニコニコ上機嫌な父。
(まぁ、いいか。体力には自信がある。)
自分が、この父を超えられる日は来るのだろうか。
過った想いは、瞬時に幻と消えた。
父の得意分野で超えることなど、考えても仕方ないと気付いたからだ。
今夜、何より「敵わない」と思わせられたのは、特に国を指定してネタを強請った訳でも無いと言うのに、ピンポイントでモスアゲートのヤバい話を深く掘り下げて語った所である。
今生の父への尊敬の念は、自身が政治や貴族の暗躍に関わるほどに、強まるばかりだ。
やがてジルベルトが持参した酒は空になり、ブラッドリーがキャビネットを操作して隠し扉の奥から秘蔵の酒を出して来る。
父と息子の酒盛りは、夜が更けるまで、まだまだ続くのであった。