あ、コレ、二次元の執事だ
バダック回です。
バダックの性格のせいか、悲惨な境遇に置かれている筈なのに、シリアスな空気が漂いません。
元学院長エイダン排除のキーパーソンとして協力したバダックは、クリソプレーズ王国への亡命を許された。
クリソプレーズ国王ジュリアンが許可し、第二王子アンドレアの庇護下に入っている。
クリソプレーズ王国以外の『剣聖』を有する国へも、フローライト国王の『王命』として、「『剣聖』の拉致または暗殺」の任を帯びた者達が派遣されていた事実も明るみに晒された。
そうした幾つかの国は、連合を組んでフローライト王国との開戦を目論んでいるようだが、クリソプレーズ王国は不参加である。
地理的に、戦勝国となっても旨みが少ない上に、「王家の恥」として隠しながら受け継ぐ歴史の中で、自国の『剣聖』に非道を行った事実を重く受け止める国王が、強大な戦力である『剣聖』を戦の道具扱いし、有事以外は監視付きの軟禁で自由を奪っているような国とは手を結ぼうと考えなかったのだ。
フローライト王国とクリソプレーズ王国は、距離が遠く離れ、国交も全くと言って良いほどに無い。
どれほど縁遠い国かと言えば、『国の色』の瞳を持つバダックが、両眼を堂々と晒して歩いていても、「王の落胤」として注目を浴びることが無いくらいに、クリソプレーズ王国民にとってフローライト王国は遠い国だ。
王族教育を受けた者や外交や諜報に携わる者、一部の教育熱心な家の者以外には、フローライト王国は学んでおくべき国として選ばれていないのが現状である。
そんな「遠い国」が、自国に宣戦布告に相当する無礼を働いてきた。
処刑の際に、エイダンの罪も公になり、クリソプレーズ王国に於けるフローライト王国は、「知らない国」から一気に「敵国」の意識を持たれる国へと変わった。
バダックも、亡命は許されたと言っても、立場は微妙、下手をすれば危うい。
大罪を未然に防ぐ一助となった功績により、国王から亡命を許され、第二王子の庇護下に在ることで、エイダンの大罪の話題が人々の口に上っている間は目立つような攻撃を受けることは無いだろうが、熱りが冷めた頃には迫害されかねない。
祖国を裏切ってクリソプレーズ王国の利となる働きをしたとしても、バダックは「敵国」の人間であり、国と王への忠誠を叩き込まれた貴族や騎士の中には、内容がどのようなものであれ『王命』を棄てて命乞いをしたバダックを嫌悪し蔑む者も少なくない。
バダックはクリソプレーズ王国の『剣聖』ジルベルトに、制約の最も厳しい誓いを以て忠誠を捧げていることを公表され、ジルベルトに出会い心酔したことで祖国を棄てる決意をしたというエピソードも併せて発表された。
それによって、多少は愛国心の強いクリソプレーズ王国民からの棘のある視線は和らいだものの、並みの神経では胃に穴が空くであろう程度には針の筵でもある。
まぁ、バダックの神経も面の皮も、人並み外れて頑丈なのだが。
フローライト王国の後宮で、「人間という生き物」という扱いをされた覚えの無いバダックだ。
針程度の筵など、寝心地極上な羽布団の如しだ。
聞こえよがしの侮辱も罵倒も突き刺す視線も、柔らかなそよ風みたいなものである。
とは言え、熱りが冷めて直接的な暴力を用いた嫌がらせが起こる前に、何とかしなければとは思っていた。
何とかとは、嫌がらせを止める方向の努力ではない。
嫌がらせを受けた際に、うっかりカウンターで殺してしまわないように、自分の殺傷力をセーブする方法を身に付けなければ、という方向である。
ジルベルトが思案したことを、バダック本人も考えていた。
この世界に転生して、まともな教育を一度も受けずに成長したバダックは、フローライト国王の落胤でありながら、王族どころか貴族の所作や教養も身に付いていない。
身分制度の厳格なこの世界では、忠誠を誓っただけでは、王族の側近で高位貴族で『剣聖』のジルベルトの側に侍ることが許されないのだ。
許されなくても側に居る、と強行すれば、自分が排除されるだけではなくジルベルトの評価を下げる。
心証の悪い「敵国」の人間だが、バダックは血筋だけは高貴だ。
母親の身分が低くても、『国の色』を持つ「王の落胤」なのだ。
見た目も、かなり良い方だ。王家の血筋と、王に献上されるレベルの美女の遺伝子が良い仕事をしている。
主に攻撃と殺しにしか使って来なかったが、加護は並みの貴族以上で魔法の腕も悪くない。
騎士のような戦い方は教わっていないが、無手でも武器を使っても、自衛も攻撃も、その辺の護衛には負けない。
基本スペックは十分な筈だ。
ならば、あの人に近づくことを許される者になるために、足りないところを補えばいい。
それと並行して、殺傷力の制御を身に付ける。
どんな立場でジルベルトの側に居る権利を得たいのか、自問自答したバダックは、最終的な答えを持って、自分を庇護するアンドレアに相談し、忠誠を誓ったジルベルトの許可を得て、アンドレアが手配した師事先へ向かった。
バダックが目指したのは、従者である。
護衛など、自分のレベルでは足手まといだ。
間諜になるには、知識や教養が足りな過ぎる。
暗殺は慣れているが、コナー家の存在を聞かされた後では恥ずかしくて手を挙げられない。
第二王子が、日常的に刺客が送られて来るために部外者の給仕を使うことが出来ないと小耳に挟んだバダックは、第二王子執務室付きの給仕を担う従僕を目指すことにしたのだ。
そうなれば、モーリスが給仕や雑用から解放されて、アンドレアの補佐に全力を注げるようになる。
相談を受けたアンドレアも、現在アンドレアの従者のような仕事もしているモーリスも、悪くない提案だと思った。
という訳で、バダックはヒューズ公爵家の執事長ルーデルに師事し、穏やかで上品な笑顔の鬼にシゴキ倒されている。
従者に必要なスキルは、主の身の回りの世話や雑事だけではない。
「主に安全に仕える者」であるために、己の力の制御は絶対不可欠である。
その点でも、殺傷力の制御を身に付けたいバダックにとって、従者修行は実に理に適っていた。
ただ、師匠が当たり前の顔をして「従者の嗜みですよ」と宣うアレコレが、バダックの想定内の「執事」の姿から大きく逸脱したものであっただけで。
まずは、命のやり取りに慣れたバダックの動体視力を以てしても、ルーデルの、「在ってはならない物を隠す」動作や、「汚れを見つけて拭く」動作や、「書類のズレを直す」動作や、「曲がった本の角度を直す」動作がハッキリとは視認出来ない。
だと言うのに、ルーデルが暗器を扱う動作はキッチリ見える。
「何故、暗器を扱うスピードの方が遅いんですか?」
と訊ねてみれば、「本職の方が速いだけです」との回答。
バダックの脳裏に「解せぬ」という一言が、バーンという効果音付きで出現した。
因みに、ルーデルの暗器の扱いは、十分に暗殺者として食っていけるだけの速さと正確さはある。
そして、「主の邪魔にならないように背景と同化します」という目的は理解の範疇だが、気配の消え方が理解の範疇から彼方までブン投げられていた。
見えてるのに見えねぇ!
初めてルーデルの本気の「背景と同化」を見た時の、バダックの心の叫びである。
執事服の美中年の姿は視界にハッキリと収まっているのだが、あまりの気配の希薄さに、見えていることが幻なのでは? と思わせるレベルだったのだ。
一体この執事は何者なのかと、ルーデルに師事した先輩であるヒューズ公爵家嫡男のモーリスに訊ねれば、
「おや、僕が習得出来ず諦めた『究極の従僕スキル』を教わっているのですね。ルーデルにそこまで見込まれるとは、素晴らしい素質があるのでしょう。頑張ってください」
と、妖精そっくりな顔でニコリともせず激励された。
バダックの脳裏に「解せぬ」が、大小様々な吹き出しと共に飛び回った。
どうやら、この世界の「執事」は、バダックの記憶の限りの「執事」とは、服装だけ似ている別物らしい。
勿論、茶葉の種類やら最適な淹れ方やら茶器や食器の適正な扱い方やら、バダックの常識内の執事っぽい仕事も教わった。
茶に限らず、その他飲料に軽食の用意や、関する知識も教わった。
その過程で、攻撃や人殺し以外の魔法の使い方も、随分と身に付いた。
飲食物に関する学びの際には、毒見の学習も必ず同時に行われた。
フローライトの後宮でも毒は身近に存在していたが、ルーデルが執事服のあちこちから取り出す毒の種類の多さと効果の多様さに、バダックは密かに引いていた。
主の身の回りの世話の一環で、衣類や身嗜みの技術や知識も教え込まれた。
整理整頓に掃除も、魔法を使わないやり方でも魔法を併用したやり方でも学んだ。
それらと一緒に、この世界の貴族ならば当たり前に知っている常識やルールも自然に覚えて行った。
ルーデルは鬼のように厳しいし、殺す気かというシゴキ方をするが、基本スペックが高くポテンシャルも高いバダックには相性の良い師匠であったらしく、乾いた大地が水を吸うように、ルーデルの教えはバダックの中に染み込んで一体化して行った。
主の疲れを癒やす必須技術だと、マッサージも学んだ。
疲労回復やリラックス、眠気覚ましのツボなどは必須で文句は無いが、「ここのツボをこのくらいの力加減で押さえると呼吸が止まります」とか、「このツボをこの角度でこの深さまで突けば無力化出来ます」とか、本当に「執事」の必須知識や技術なんだろうか。
疑問を持ちつつも、バダックは師匠の教えるがままに、様々な「一般人は知らねぇだろうなぁ」という急所と、それらの効果的な押さえ方を覚えた。
「貴方の攻撃に必要以上の殺傷力が付加されてしまうのは、貴方の『攻撃を受けて殺されること』への恐怖心が原因です。だから、その恐怖心を克服しましょうね」
にっこりと上品な笑顔で弟子を離れの地下室に連れて行ったルーデルは、見るからに「ヤバいことをする秘密の部屋です」という様相の頑丈な防音仕様のそこで、一切の抵抗を禁止したバダックをボコボコにした。
「決して貴方を殺したり、再起不能な怪我を負わせることはありません。その辺りの加減は習熟しております。本気で力の制御を望むならば、私を信じて受け入れてください」
正直に言って、この修行は、フローライトの後宮時代に数えるのも面倒になるほど殺されかけているバダックが、久しぶりに音を上げそうになったほどキツかった。
反撃の一切を封じられて、命が削り取られて行く実感と己の手綱を離れそうな理性、暴走しそうな深層の暴力的な衝動との戦いは、自ら望んで選んでいる行為だからこそ、狂いそうで、精神がグチャグチャに掻き回されるような感覚は、繰り返しても慣れることが出来ない。
この修行は、生き延びようとする生物の本能と、転生した時から染み付いた「身を護るために反撃して殺す」という日常を、一度リセットして手放す行程だ。
常に死と隣合わせの魔境で、修羅に囲まれて生き抜くことに全神経を傾け必死だったバダックには、それらを手放すことは、即ち「死」である。
それでもバダックは、ルーデルの「修行」を受け入れた。
自分の力を完全に制御出来なければ、何より望んだあの人の側に居る機会を逸する。
バダックが何よりも怖いのは、嫌なのは、避けるのは、悲願叶って再会したジルベルトと、再び引き離されることである。
それ以外のことならば、本能でも自我でも、手放そうが傷付けようが、あの人の側に居る為ならば構わないのだ。
ルーデルの攻撃は執拗で、容赦も無い。
魔法でも、魔法は使わず道具を用いても、魔法も道具も使わずとも、殺さず、残るような傷痕も後遺症も作らず、微に入り細を穿ち、バダックを痛めつけた。
丁寧にバダックの様子を観察しつつ、心を完全に折ることは避け、正気を失わせるまでは手を加えず、緻密に休憩の間隔を計算し、仕事を完遂した。
「乗り越えましたね。おめでとうございます」
冷静に、穏やかに、弟子に手を差し伸べるルーデルが、攻撃の途中から熱を帯びた目をしていたこととか、終わって手を差し伸べている今は少しばかり残念そうな色を目の奥に隠していることとか、バダックは色々と見ないふりをして師匠の手を取って立ち上がった。
無茶苦茶なやり方だと思ったが、この「修行」を終えると、バダックの攻撃における力の制御は、バダック自身が吃驚するほど簡単になった。
魔法だろうが肉弾戦だろうが、武器や暗器を使おうが、反射的に致命傷を負わせることが無くなった。
息を吸うように楽に力の加減が出来るのだ。
驚きながら感謝を述べる弟子を、微笑ましそうに見遣ったルーデルは、更なる教えを伝授した。
「私の持てる技術の粋を、その身で体験した貴方なら、もう分かっていますね?」
「・・・殺さずに『死ぬ思い』をさせる方法を、でしょうか」
虫も殺さぬような上品な顔で、ルーデルが「よくできました」というように頷く。
「ええ。従者たるもの、主の招かれざる客を、しっかりとおもてなしする能力は必須ですからね」
「はい・・・」
師匠に従順に返事をしながらバダックは思った。
ドS、美形、超有能、謎の隠密技術、暗器と毒が仕込まれた執事服、どう考えても拷問のスペシャリスト。
・・・うん。
コレ、知ってるぞ。前世で漫画やらアニメやらで人気が出る奴だ。
この世界の執事って、前世の二次元の執事なんだな!
後宮という閉鎖空間で教育も受けずに生きて来たバダックは誤解していますが、ルーデルみたいな執事が、「この世界の普通の執事」ではありません。
んな訳あるか!
と、ルーデルを知るクリソプレーズ王国の人々から総ツッコミが入ると思います。
ルーデル本人は、単純に、ヒューズ公爵家の執事を担う家に生まれたので、己の職務を極めようと邁進した結果、色々と素質があったために開花して現状、なだけです。
ちなみに、バダックはルーデルの外見を「美中年」と評していますが、ルーデルの実年齢はヒューズ公爵より十歳以上年上で、孫もいます。
加護が多くて(本人的には)ストレスの少ない人生のため、見た目年齢が老けない御人です。