モーリス先生の恋愛小説講座
本年初投稿です。
新年早々、胸糞悪い所業の羅列がありますので、ご注意ください。
ちょっと長めです。
クリストファーに依頼していたアデライト王女の余罪に関する追加報告を読み終えて、アンドレアは徒労の溜め息を吐いた。
場所は第二王子執務室。主の様子を見て、手慣れた自然さでモーリスが「本日のアンディスペシャル」を淹れに立つ。
アンドレアの溜め息が重いものや苦いものではなく、徒労を感じさせるものだったので、側近達は、報告書の内容を「深刻なものではない」と判断していた。
深刻なものではないのは、あくまでも彼らにとっては、であるが。
それに、アデライト王女の想像を越えて来た実物を見て、結局はそうなるだろうという予測は、作戦実行中から彼らにはあった。
「王女の病死でも決まりそうですか?」
砂糖で煮詰めた極甘のミルクをカップの半分まで投入したミルクティーを主の前に置いてモーリスが問えば、アンドレアは黙って頷く。
ダーガ侯爵がアイオライト王国筆頭公爵グレイソン卿から依頼されたのは、嫡男のアイザック・グレイソンとアデライト王女の確実な婚約解消だった。
ただし、王女の処刑までは望んでいないと言うことで、アンドレア達は手っ取り早い「『剣聖』を囮兼誘惑者にする」という、側妃腹の替えの利く王女であれば処刑まっしぐらの方法ではなく、回りくどく王女の好みを分析してハロルドに工作員の真似事までさせて、処刑にはならずとも国王でも庇いきれないギリギリの線を攻めたのだ。
これまでアデライト王女は、王族であり筆頭公爵家嫡男の婚約者ではあっても、正式な外交に参加したことも無く、嫁ぎ先も国内貴族であり、学生で未婚でもあったために、クリソプレーズ王国からはノーマークの存在だった。
今回の留学が決まるまでは、国外へ出る予定が一度も無かった王女なのだ。
特別に優秀という評判は無く、政治的な引っ掛かりを覚えるような問題を起こしたという情報も無かった。
自国と関わらない、側妃腹で他の同盟国の王妃になる予定も無い未婚の王女を詳細に調査するほど、諜報員に余裕のある国は、そうそう無い。
だが今回、改めてコナー家から精鋭も含む人材をそれなりの数で割いてもらい、アイオライト王家が揉み消したアデライト王女の過去を洗いざらい調べ上げてもらえば、洒落にならない前科が山程出て来たのだ。
過去のアデライト王女の犯罪被害者の全てが、アイオライト王国民であり、下位貴族か平民であったために、王家主導の手早い揉み消しで表沙汰にならずに闇に葬られていた。
前科のほとんどは、先に掴んでいた元近衛騎士と同様のパターンである。
アイオライト王室も、アデライト王女の気質を把握していたため、王女の起こす問題が政治的な部分まで侵食しないようにと、王女が本気で婚約者の挿げ替えを目論んで暴走出来ないよう、王女の周囲の護衛や近衛騎士は下位貴族で固めていた。
高位貴族の近衛騎士では、王女が既成事実を作ってしまえば婚約者を替えざるを得なくなってしまう。
騎士の側の口も塞げなければ、家格が釣り合うのだから騎士を夫にしてもいいだろうと言う王女の主張を、あの王女に理解させることが困難を極めてしまうからだ。
この場合の「口を塞ぐ」は、当然、口封じで殺すということだ。
高位貴族出身で王族警護に抜擢されるほど優秀な近衛は家の誉れでもある。不審な死を家が黙認することは無く、王室は痛い腹を探られるか相応の対価を払わねばならなくなる。
だから、最初からリスクを減らすために、王室はアデライト王女の周囲に高位貴族の騎士を置かないよう徹底していた。
アデライト王女に政略結婚や王族の義務や自覚というものを理解させる努力は、どうやら随分と以前から放棄していた模様だ。
アイオライト王室のリスク回避策は、一定の効果を上げていた。
アデライト王女が本気になる男には、外見と職種だけではなく身分も必要だ。
下位貴族出身の近衛騎士や、城下へ降りる時に増員する護衛達が、いくら王女の好みに合致した美形であっても、「お気に入り」以上にはならなかった。
言い方を直接的なものに変えれば、「王女からのセクハラはあっても、挿入の強要による既成事実作りは無かった」のだ。
しかし、「本命」には条件の不足する「お気に入り」であっても、アデライト王女は自分がその男性の「唯一」でなければ許せない性質であった。
細かな嫌がらせや脅迫は挙げれば切りのないこととなるので省くが、上がって来た報告でアンドレアが「コレは洒落にならんだろう」と数えたのは、三名の「お気に入り」男性の恋人や許嫁に行った過去の犯罪だ。
一人は子沢山子爵家の五男だった元近衛騎士の許嫁、子爵領の領主館の家令の娘の殺害だ。
子爵領に手の者を送り込み、娘を拉致させて酒と媚薬を無理矢理摂取させ、素行の悪い若者グループが屯する酒場に「壊していい玩具だ」と、金と一緒に放り込んだのだ。
凌辱と暴行の末に殺された娘は、死後も心無い噂で傷付けられ続けた。
彼女は元々身持ちが悪く、素行の良くない連中と親しくしていて、死んだのも、いつものクスリが効きすぎていつもの乱交が激しくなった結果だと、娘の地元の種々の飲食店や、何故か遠く離れた王都の酒場などで、実名まで上げて名誉を傷付けられたのだ。
許嫁の耳に入るほどに声高に流布された悪意ある噂は、アデライト王女の子飼が人を雇って流したものである。
被害者の娘の許嫁だった元近衛騎士は、噂を信じたからなのか、それとも真相に気付いたからなのか、心を病んで近衛の職を辞し、領地の森の奥で一人、小屋を立てて隠者のような暮らしをしているらしい。
二人目は男爵家当主の弟で、アイオライト王国騎士団に所属し、近衛ではなく王都警護の任に就いていた騎士の結婚を約束していた恋人だ。
その騎士は、王都の地理に精通していたためにアデライト王女が城下に出掛ける時に臨時で増やされる護衛の一人として伴われ、外見が王女の好みに合致していたことで「お気に入り」として目を付けられてしまった。
彼の恋人は、行きつけの城下の食堂の一人娘で平民だった。
跡継ぎではなくとも貴族である彼に尻込みする彼女に求婚を受け入れてもらうため、小さな花束を持って食堂に通い詰める騎士の様子は近所でも有名で、彼女が騎士の想いを受け入れてからは近所の人々も微笑ましく見守っていた、仲睦まじい幸せな恋人同士だったと言う。
しかし、王女の命令で王都の隣の都市まで護衛として随行することになり、騎士が王都を離れている間に、「まるで破落戸のような中年貴族」が暴力に慣れた風体の男達を引き連れて騎士の恋人の両親が経営する食堂を貸し切りにし、料理や接客に難癖を付けると、両親に殴る蹴るの暴行を加え出した。
止めてくださいと懇願する娘に、大人しく言うことを聞けば両親の命は助けてやると唆し、中年貴族と男達で娘を凌辱した。
生娘が暴力に慣れた複数の男達に手加減無しで犯されて、適切な治療も行われることも無い状況だ。命が助かることなど無い。
娘への暴力を止めようと命を懸けた両親は、両親を助けるために自ら犠牲となった娘の願い虚しく斬り捨てられた。
王都に戻った騎士が聞かされたのは、食堂に強盗が入って両親と娘は殺された、という話。
碌な捜査もされず、すぐに「行きずりの犯行」と断定した処理が行われ、捜査のやり直しと捜査メンバーに自分も加えてくれと嘆願した騎士は謹慎を言い渡され、謹慎中に失踪した。
アイオライト王室側は彼の行方を掴んでいないが、コナー家の精鋭によれば、彼は裏社会に足を踏み入れ、現在は殺し屋稼業で生きているそうだ。
おそらくアイオライト王室は騎士の行方を深刻視せずに、調査も然程力を入れなかったのだろう。
食堂を貸し切りにした「破落戸らしい中年貴族」は、ニコルを脅迫する際にアデライト王女が口にした人物と同一の者だと思われる。
三人目は子爵家当主の年の離れた異母弟の恋人。
後妻の息子だが、幼い頃から見目麗しく優秀であったため、後継者争いに担ぎ出されることを避け、自ら早期に騎士を目指して騎士団の寮暮らしをしていた彼は、貴族子息であるが苦労人で、騎士見習いとして城下を雑用で駆け回ることも多かった。
そうした城下の雑用の時に職人街で知り合った鍛冶工房の娘とは、幼馴染と言ってもいい間柄であり、年頃になるにつれ互いに異性として意識し合い、若い恋人同士となった。
不幸は彼が近衛騎士の試験に合格し、出世が見込めると彼女にプロポーズしたことから始まる。
試験の合格を告げられた日に彼女にプロポーズして承諾を貰い、幸せの絶頂に居た彼に下った辞令はアデライト王女の護衛。
一目で彼を気に入った王女が彼に恋の話を強請った時に、王女の異常性を知らない彼は、恋人の存在を隠すこと無く話してしまった。
その日から、彼女の父親の工房は立ち行かなくなった。
素材は卸してもらえなくなり、長年良好な関係だった、高価な素材を購入する際に代金を借り入れ、商品の納入後に返済していた金貸しが、彼女の父親の借用書を素性の怪しい高利貸しに売り払い、取り立ての厳しさに仕事どころではなくなったのだ。
高利貸しから「今すぐ金を返せないなら娘を売れ」と迫られた父親は、「恋人と逃げろ」と妻の形見の宝飾品を娘に渡し、騎士団の寮へ向かわせたが、待ち構えていたアデライト王女の手の者が、彼女を真冬の川へ橋から投げ落とした。
ご丁寧に、靴は脱がせて自殺に見えるように橋の縁に揃えて置いてだ。
父親から真相がバレないよう、借金苦で自殺したように細工され、工房で首を括った父親が発見された。
幸せの絶頂から不幸のどん底に転げ落ちた彼を、アデライト王女は親身になって優しく労ったそうだが、常に心ここにあらずといった様子になってしまった彼はミスを繰り返し、近衛の職を解かれると一般騎士に戻り、そこでもミスを重ね、とうとう騎士団を解雇されると、恋人が飛び込んだとされる橋の上に靴を揃えて、ちょうど一年後の真冬の川に飛び込んだ。
上がった死体は、恋人と隣り合って王都の墓地に眠っている。
アンドレアが「洒落にならない」と選んだのがこの三件だったのは、この三件に関しては王女の命令により、間接的ではなく殺人が起きているからだ。
報告書を見れば、人死が出ている件は他にも多い。
しかしそれらは、嘘を吹き込まれた女性が王女のお気に入りから身を引こうと自害したり、自分のせいで親兄弟に迷惑をかけたことを苦にした自殺だったりと、直接ではなく間接だった。
勿論、酷く悪質であるし許されることでは無いが、圧倒的な身分差というものは、「間接的に自殺に追い込んだ」だけでは罪として成り立たなくするものだ。
王女のお気に入りの騎士の周りをうろつく女に、少しばかり注意したら勝手に自ら死を選んだ平民。
情を挟まずに、表向きの事実だけを並べて客観視すれば、そう見られる。
アデライト王女は、お花畑な恋愛脳で一般常識すら怪しい頭の持ち主だったが、身分差の使い方は熟知していた。
では、何処からその知識を得たのか。
ここまで悪辣な手を回せるならば、危険なブレーンが王女に付いているのでは、報告書を読んだアンドレアもそう考えたが、アイオライト王国に飛んだコナー家の精鋭達も同じことを考えた。そして、全力で探った。
その結果、実に脱力するような答えが得られてしまった。
報告書を読んだアンドレアも、徒労感で深い溜め息を吐くというものだ。
「アデライト王女の悪辣な犯行の教科書が、全て恋愛小説だったとは・・・」
「恋愛小説って、そんな危険図書なんですか?」
訳が分からないという顔で首を傾げたハロルドの横で、報告書を読み終えたモーリスが、記憶を手繰るように蒼眼を眇めて列挙し始める。
「『薔薇乙女の怒りに触れるなかれ』、『甘やかな殺意は愛の為に』、『愛を乞う白き獣は毒を纏う』、『月の蜜はお気に召しまして?』、『赤き夕日に染まりし剣』。これらの事件で参考にしたのは、この辺りの作品でしょうね」
「・・・全部、恋愛小説の題名か?」
うんざりした顔で問うアンドレアに、モーリスは少し考えてから頷く。
「一応、恋愛小説の一種ですが、ハロルドに渡した参考書よりも高い年齢層をターゲットにした作品達ですね。性描写と残酷なシーンの詳細または露骨な表現があるものです。今挙げたのは、王女と騎士の話だけではありませんが、身分の高い女性がヒロインであり、ヒロインと結ばれるべきヒーローの周辺に現れてヒロインを不安にさせる女性はヒロインより大分身分が低い、という共通項があります」
「俺達が読んだヤツにも、王女のために善意の第三者が犯罪行為によってライバルの女性を排除する行はあったが、手法を詳細に紹介していた訳じゃなかったぞ」
「大人向けの方だって、別に詳細に犯罪の手法が紹介されている訳ではありませんよ。リアリティの追加のために多少具体的な行動は描かれていますが。大体、そんなものが載っていたら発禁扱いです」
「だよなぁ。と言うか、大人向けってのは、随分と恐ろしい女をヒロインにしてるんだな」
恋愛小説のヒロインなど、男ウケの良さそうな女を主人公にしたものかと思っていたアンドレアが、「理解し難い」という顔をすれば、モーリスが否定する。
「まぁ、そういうダークなヒロインが出てくる話もありますが、極少数ですし、先程挙げた作品は他の大多数と同じく、『ヒロインは何もしないけれどヒロインを愛する周囲の人物が勝手に』犯罪も厭わずライバルを排除する話です」
「じゃあアデライト王女は・・・」
「ええ。物語では『善意の第三者』や『ヒロイン以外には冷酷で残酷なヒーロー』が手を下す部分を自ら演ってますね」
第二王子執務室に微妙な空気が流れる。
「それ・・・虚しくないのか?」
口火を切ったのはアンドレア。
ジルベルトとハロルドが続く。
「愛されてないので自ら演じるしか無かったのでは?」
「アレに善意で犯罪協力する人間が現れるカリスマ性も、愛故に犯罪に走る男が現れる魅力も皆無ですよ?」
他国の王女に対して不敬な物言いをする騎士達を、この場の主も常識人も咎めることは無い。
「まぁ、虚しい部分には目を瞑るとしてだ。詳細な手法も記述されていない犯行を、あの王女がブレーンも無くやり遂げられたと言うのはどういうことだ?」
納得出来ないアンドレアへ、モーリスは淡々と答える。
「普通なら真似したところで頓挫するでしょう。王女の悪事が成功したのは、偏に身分と資金力のお陰です。小説内で記述されている程度の『具体的な行動』でも、王族の希望という大義名分に、一山当てたレベルの報酬がぶら下げられれば、上手く事が運んでしまうこともありますよ。まぁ、普通は、やろうとも考えないでしょうけれど」
「あー、なるほど。後先考えない脳みそツルツル女だからこそ、大胆に自信満々で立ち回れたから、従って協力する犯罪者が沢山居たのか」
ハロルドが、「納得」と言う風に吊り気味のオレンジの両眼をパチリと瞬いた。
相変わらず言うことが不敬だが、この場の誰一人咎めない。
強大な権力の持ち主が、自信に満ち溢れて多額の報酬と共に下す命令は、内容に関わらず人を動かす力がある。それは、国家権力の中枢に居る彼らにも馴染み深い一つの手法だ。
尤も、アデライト王女が「効果的な手法である」という知識や思考の下で行動したとは思えないが。
アンドレアも納得はしたが、憂慮は更に深まった。
「だとすれば、権力者にとっては本当に悪事の教科書になるじゃないか」
「そうかもしれませんね。けれど、王族と平民くらいの身分差が無ければ上手くいきませんし、各国の王室の姫君がアデライト王女の同類である可能性は低いと思いますよ。そもそも、きっちり王族教育を学んだ王女であれば、恋愛小説を参考にせずとも自分より身分の低い女性など、問題提起の隙も作らず容易に消し去れるでしょうに」
「「あ・・・」」
アンドレアとハロルドの声が揃った。
過激で悪辣な「ライバル排除」の記述のある恋愛小説を危険視するまでもなく、王族やそれに匹敵する権力を持つ者ならば、下位の身分の人間など、如何様にも消せるし殺せる。
何なら、法を遵守したまま、正義は己にあるのだと公言しながらでもヤれる。
「物語は所詮物語。架空で絵空事ですよ。それらと現実を混同し、物語をなぞれば物語と同じ結末が得られると思い込み、それを実行してしまうことが問題なんです。物語に罪はありません」
「アデライト王女は、非常に迷惑な読み手だったと言うわけか」
「そうですね。御婦人や御令嬢のお茶会で恋愛小説が話題に上ることは間々ありますが、登場人物やシチュエーションに憧れることはあっても、現実に取り入れて真似をするのは、せいぜいヒロインのあざとい仕草くらいのようですよ」
「お前、なんで御婦人や御令嬢の茶会の様子を知ってるんだ?」
「使用人ネットワークは女性専用サロンの話題も網羅しています」
「「「・・・・・・」」」
事も無げに言い放つモーリスを前に、無言になる三人の男達。
げに恐ろしきは、ヒューズ公爵家執事長の使用人ネットワークである。
「多くの読者は、ああいった小説が現実離れしているものだと理解し、あくまで娯楽として読んでいるのか」
気を取り直したアンドレアが、少し安堵したように言えば、モーリスが現実を突き付ける。
「それはそうでしょう。身分も財力も十分な家の女性というのは、初期状態で恋愛小説のヒロインレベルの容姿を有しています。その外見で小説のような迂闊な言動をすればどうなるかなど、幼い頃から教育されています。物語のように、良い気分になる程度のチヤホヤでは済みません」
「犯罪に巻き込まれるか、政争に巻き込まれるか、家を没落させるか、自分と付き合いのある者を破滅させるか、色々考えられるが、碌な事は無さそうだな」
ジルベルトが嘆息して例を挙げる。
恋愛小説のヒロインの、男の庇護欲を唆るための、「鈍感」「難聴」「ボディタッチ」「全部顔に出る」「ドジ」「物忘れ」等々の鉄板な行動ベースは、リアルに貴族女性が参考にしたら大惨事が起きるだろう。
モーリスが握る情報によれば、マトモに淑女教育を受けていれば、恋愛小説は非日常の架空の世界だからこそ「面白い」と感じるし、有り得ないからこそ「夢のよう」だと憧れるものらしい。
ただし、意中の男性を振り向かせたかったり、婚約者や伴侶と盛り上がりたいと言うような、「ここぞ」と言う時には、普通ならやらない恋愛小説のヒロインのあざとい仕草で演出することもあるそうだ。
案外と男性達の評判も悪くないと言う。
婚約者も伴侶も得る予定の無い、モーリス以外の男達には「へぇー」と気の無い相槌しか打てない情報だった。
「兎に角、普通なら、恋愛小説をそのまま参考にして、小説の内容に過度に影響を受けた言動を実行することは無い、ということだな」
アンドレアが無理矢理まとめた。
先程から「普通なら」という表現が彼らの間で飛び交っているが、真意は「アデライト王女はマトモじゃない」、「アデライト王女の頭がオカシイ」である。
「それで、王女の病死は、どういう運びになるでしょうね」
現在、アデライト王女は国許に身柄を返還されている。
表向きは、「療養の為に留学を切り上げて帰国したが、回復時期が不明であることから婚約は解消し、現在も療養中」となっているが、実際は、はっきりとした処遇が決まるまでは王宮の深部にて軟禁されている筈だ。
グレイソン公爵家嫡男との婚約は無事正式に解消され、元婚約者のアイザックも快方に向かっているらしい。
アイザックの次の婚約者は、他国の令嬢から選ぶ可能性が高いそうだ。
本人は、「恋愛小説の影響を受けすぎる女性でなければ、他の条件は贅沢を言わない」と言っているそうだが、実のところ王族の女性への拒否感が生理的なレベルで深刻らしく、二十歳までにそれが克服出来なければ、後継者の座は弟に譲られることになる。
王族女性に拒否反応を示す公爵家当主では、仕事に支障を来すからだ。
王家が筆頭公爵家であるグレイソン家との縁談を諦められずに足掻いたことで、被害はここまで深刻化した。
グレイソン公爵家の娘を王太子の側妃として召すことが出来れば話は簡単だったのだが、グレイソン公爵家は女性の産まれにくい男系の家系であり、現在もグレイソン家に令嬢は居ない。
アデライト王女の問題行動について、何度もグレイソン公爵家から王家へ相談があったが、アデライト以外の王女と婚約を結び直すとすれば、アイザックが妻を迎えて後継者作りを開始できるのが三十路に入ってからになる。
第二王女は王妃の娘でクリソプレーズ王国に次期王妃として嫁ぐことが決まっており、側妃が生んだ現在13歳の第三王女は別の公爵家に降嫁が決まっている。
アデライト王女から他の王女に婚約者を変更するならば、未だ婚約者の決まっていない現在5歳の第四王女か、同じく現在1歳の第五王女とするしか無いのだ。
アイザックは現在17歳。法的には婚姻可能年齢は15歳だが、現代のアイオライト王国では婚姻は貴族学院卒業後に結ぶのが通例となっているので、第四王女と婚約を結び直せば十四年後、第五王女ならば十八年後までアイザックは独り身だ。
グレイソン公爵家と縁を結びたいのは王家の側であり、公爵家側は特に王家との縁談を望んでいない。
その状況で嫡男に、「王女を降嫁させるから三十路過ぎまで婚姻も子作りもするな」と命じるのは、横暴が過ぎる。
だから、アデライト王女との婚約を維持するために、アイオライト王室は、今まで策を弄して隠蔽を重ね、随分と無茶を通して来た。
しかし今回、他国で王女自ら過去の犯罪行為を仄めかすような態度を取ってしまい、それによって他国の調査員の精査が入ってしまった。
隠蔽出来たままであれば、アデライト王女の地位が脅かされることは無かっただろう。
だが、よりによって第二王女が次期王妃として嫁ぐ予定の同盟国に、第一王女アデライトの犯罪歴が調べ上げられた。
コナー家の精鋭ならば調査の痕跡を消す工作も出来るのだが、ここまで丸洗いされるとは予想していなくとも、アイオライト側も調査が入らないとは考えていないだろうと、痕跡は消さなかった。
隠蔽した者は、罪が実在したことを知っている。
隠蔽を解かれた罪は、「無かったこと」には出来ない。
国を護るために、罪を隠蔽した王は、罪が暴かれた王女を亡き者にするしか無い。
「けど、病死扱いって、楽に死ねる毒を与えるんですよね? やったことを見れば楽に死ねる罪状じゃ無いってのに」
「裁きは必ずしも平等じゃないものです」
不満げなハロルドに、素っ気なく返すモーリス。
ハロルドも分かっているのだが、アデライト王女が嫌いなタイプ過ぎて、王宮の深部で守られて衣食住に不自由することも無いまま、恐怖も苦痛も与えられず、反省もしないだろうあの女が眠るように死ぬだけ、と言うのが面白くないのだ。
だから、戯言のように惨殺されそうな未来を願ってみる。
「どうせなら警備の手薄な離宮にでも入れておいて、殺し屋に転職した元騎士に復讐させればいいのに」
「それは却って王女を喜ばせることになりそうなので、望まない方が良いですよ」
「は? なんで?」
「アデライト王女の所有する書籍リストの中に、『宵闇の王女と慟哭の牙』があったんです」
「・・・それも・・・」
「当然、恋愛小説です。王女への重過ぎる愛で身を滅ぼした騎士の亡霊が、王女を殺しに来るシーンが最大の山場と言われている作品ですが、読者女性達の解釈では、騎士は『殺しに来た』のではなく『迎えに来た』なんですよね。『これぞ偽りなき永遠の愛』と、大層評判なのだとか」
「うげぇ・・・」
ハロルド撃沈。
恋愛小説とそれを愛読する読者達は、とことんハロルドと相容れない存在のようだ。
同じく恋愛小説周辺とは相容れないと確信するアンドレアが同志の肩を叩いて慰めるのを眺めながら、ジルベルトはアデライト王女の異常性を、改めて噛み締めていた。
前世で読んだ異世界転生物の話には、知っているゲームや物語に酷似した世界に生まれ変わって、「自分が世界のヒロインだ」と思い込むことから、万能感に酔い痴れて傲慢に振る舞い破滅するパターンの女性が登場することがあった。
一つの王道ジャンルとして確立するほど、その手の「勘違いヒロイン」が「ざまぁ」される物語は溢れていた。
しかし、アデライト王女は転生者ではない。
この世界の記憶と知識しか無く、モスアゲート王国の第二王子のように、意図的に愚かで傲慢に育つように誘導する教育者が付けられていた訳でもない。
アデライト王女は、全くの素の状態で、あの思考、あの行動、あの精神なのだ。
結局のところ自身も破滅はしたが、「異世界の記憶」や「転生」という、この世界に於ける『異常性』を持つアドバンテージとなる要素を持たずとも、この世界の有能な人々を驚嘆させ、翻弄し、多くの人命を奪い、傷付け、人生を歪め、壊した。
優秀でも無く、教養も知識も乏しいのに、非常識な行動力と身分に即した自尊心と財力を武器に、天才や精鋭さえ予測不可能なトラブルを撒き散らす存在。
その恐ろしさは、一見すると、ただの愚かで夢見がちな恋愛脳の女にしか見えないところだ。
もしも、自国の王族に同様の人物がノーマークのまま存在していたとしたら。
そう考えると背筋が寒くなる。
物語に罪は無い。
本好きなモーリスの言葉を反芻して、ジルベルトは前世の言葉を思い出していた。
アデライト王女に恋愛小説=キチ○イに刃物。
だよなぁ、と。
何れにせよ、本好きのモーリスのためにも、小説を犯罪の参考にする愚か者のせいで小説文化が停滞や衰退することの無いように、そっとアイオライトの方角を向いて祈るのだった。