さあ、狸狩りだ
アデライト王女は、元々滞在していた貴賓室の寝室にて、王族にも使用される、強力だが副作用の少ない鎮静剤と睡眠薬を投与され、手の拘束と発声を妨げる口の拘束をされたまま、静かにお休みいただいている。
付き添うのは、クリソプレーズ王国の女性騎士と女性医務官。
付き添いと言っているが、彼女達の任務はアデライト王女の見張りである。
留学中の学院には、アデライト王女の従者が、「王女殿下は御気分が優れませんので、しばらくお休みするそうです」と伝えに行ったので、あまり学業熱心ではない様子も噂として広まりつつある王女が学院を欠席していても、疑念を持つ者など居ないだろう。
王女は連行後、直ぐに薬物によって大人しくさせたが、まともに会話が成立しそうな随行員達は別室にて尋問を行った。
随行員達は黙秘も抵抗もせず、従順な供述と謝罪に終始したため、尋問は、とても紳士的なものになった。
王女の暴走は許してしまったが、最終的にはニコルへ危害を加える命令に背き、ニコルへ両膝を着いて謝罪した随行員達は、自分達の至らなさに言い訳も救済嘆願もしなかったが、尋問から知れた彼らの事情は、正に不運の極みだと感じさせられた。
今回、王女の留学に随行を命じられた者達は、祖国では一度もアデライト王女付きになったことの無い者達だった。
普段は、アデライト王女の母親以外の側妃や、他の側妃腹の王子や王女の護衛や従者を務める、それなりに経験年数の長い者が選ばれていた。
しかし、あまり年配のベテランが側に付くことをアデライト王女が拒み、また、彼らが普段仕えている主である側妃や王子や王女は、常識の通じる、行動の予測がつく人物しか居なかったことが、不運の第一歩。
彼らも、アデライト王女の噂は聞き及んでいたし、「奇行」に走る傾向も強いから気をつけるようにと、注意もされていた。
だが、何事にも限度というものがあるだろう。
アデライト王女の非常識ぶりは、彼らの想像の外側を遥か遠くまで疾走していた。
クリソプレーズ王国への出立の前日に顔合わせをして、道中は随行員以外と関わることも無かった王女を、彼らは、「夢見がちで年齢より幼く、我儘ではあるが、他にも居なくは無い程度の高貴な生まれの令嬢」だと思ってしまった。
彼らは、そこそこの経験年数がある年代のため、アデライト王女と同じ時期に学院に通学していたことも無い。
噂の「王女の奇行」の実態が、噂以上の酷さだなどと、誰も思わなかったのだ。
何故なら、噂の時点で不敬を疑うような酷い内容だったのだから。
噂に僅かの誇張も無く、むしろ、相手は王族だからと遠慮した内容だったなど、本当に「まさか」だった。
その上、「まさか」これから留学する先の同盟国の重要人物の正しい知識も持たず、一般貴族レベルの礼儀や常識すら身に付けていないとは、想像もしていなかったし、過去に揉み消された醜聞程度ならあるだろうと予想はしていても、「まさか」明確な犯罪行為まで前歴があるとは、思いもしなかった。
アデライト王女の「明確な犯罪行為」については、クリストファーにコナー家の人員を割いてもらい、追加調査を続行中だ。
ニコルを害そうとした時の手慣れた様子から、お気に入りだった元近衛騎士の他にも余罪が出ると思われる。
留学先に到着し、随行員達の不運は、雪の坂道を転がる雪玉のように、嵩を増して行った。
国許に王命で定められた婚約者の居る王女が、留学先の国の騎士に一目惚れ。
ここまでは、まだ許容範囲だった。
どうせ、短期の留学を終えれば帰国して、学院を卒業すれば婚約者と結婚するのだ。
青春時代の淡い思い出として、胸の1ページに刻んでくれれば、政略結婚しか許されない身分である王女の慰めになるだろう。
そう考えた彼らは、ハロルドの調査を命じられて、王女の様子に不安を覚えながらも従った。
アデライト王女の実態は知らされないまま、彼らが主君から命じられたのは、「アデライト王女の心身を護り、恥をかかせないこと」だった。
常識的に解釈すれば、「身命を警護し、心細くなるであろう国外において心に寄り添い、王女が淑女の誇りを保てるよう尽力せよ」、となるだろう。
彼らも、最初はそう解釈し、そのつもりで行動していた。
留学初日から、度を超えた「悲劇のヒロインコント」を、同盟国の貴族達の面前で披露するまでは。
滞在する王宮の貴賓室へ戻ってから、やんわりと王女に進言した従者は、罵倒され、扇子で打ち据えられ、「そうやって皆でわたくしを虐めるのね! アイオライトに帰ったら父上に言いつけるわよ!」と叫び、幼い子供のように声を上げて泣かれた。
進言の仕方が、お気に障ったのかもしれない。
虫の居所が、たまたま悪かったのかもしれない。
祖国を離れた心細さで、お気持ちが不安定になっているのかもしれない。
反省した随行員達は、より一層王女に寄り添う努力をしたが、進言は、どのような形とタイミングであっても刺激するようで、王女の「奇行」が更に度を増すために、「今しばらくは、そっとしておこう」と、頭を突き合わせて話し合った結果、王女が留学に慣れて、ある程度落ち着くまでは静観することにした。
王女の奇行を放置するのは、「恥をかかせない」という命令に背くことになるが、部屋に戻ってからのヒステリックな醜態を、他国の貴族の前で晒すことになるよりは、傷も浅いと考えたからだ。
その判断は、悲しいことに、大間違いだったのだが。
まず、王女は別に、祖国を離れた心細さで精神が不安定だった訳では無い。
アレが常態であり、そういう思考と性格の人間だったのだ。
だから、「しばらくすれば落ち着く」ということも無い。期待しては、いけなかった。
それに、王女は人前で従者を打つことも罵倒することも、恥だとは考えていなかった。
脳内妄想により、ハロルドと「幸せな恋人同士」となって機嫌の良かった王女が、その妄想の邪魔をされない限りはヒステリーを起こさなかっただけで、殊勝に人前では我慢していた訳では無い。
随行員達にとっては、不運な偶然である。
早期の内に人前でもヒステリーを起こしていれば、彼らも事の深刻さに気付き、王女が取り返しのつかない暴挙に出る前に、国許へ相談など出来ただろうに。
しかし、取り返しのつかない事態は、悩む間も無く訪れる。
王女が、他国の王族の専属護衛へ、都合伺いもせずに茶会の招待状を送った。しかも、婚約者が居るというのに、二人きりの。
アンドレアから断りの使者が来るまで、随行員達は何も知らなかった。青天の霹靂だ。
どういうことだと使者に訊ねたかったが、王女の表情が人前に出して良いものではなくなり始めたことを察知し、人目から隠すために馬車へ誘導することを優先してしまった。
馬車の中で、王女を刺激しないよう何とか話を聞き出せば、王女は学院の授業中に直筆で王女の署名入りの招待状を書き、授業が終わったら直接ハロルドに渡すつもりだったが、アンドレアの中座に付いてハロルドも中座してしまったために、学院の使用人に金を握らせてヒューズ公爵家に届けさせたと言う。
授業中は、王女の護衛は教室の後ろで待機していたために、真剣に机に向かう王女が授業内容ではなく、茶会の招待状を書いていることに気付いていなかった。
わざわざ従者や護衛の目を盗んで学院の使用人に依頼したのは、直接渡せなかったから、どうせならと、『夕日の丘で結ばれた秘密の恋』のワンシーンを再現したのだそうだ。
王女の機嫌を取りつつ、ようやく何が起きていたのか事態を把握出来る程度に話を聞き出せた頃には、既に日が傾いていた。
王宮に戻り次第、謝罪の使いを送ろうと決めた従者達だったが、先にハロルドが王女が滞在する貴賓室の前に来ていた。
先に「招待を受けられなかった謝罪」を受けてしまい、それを王女が受け取ってしまい、彼らからの謝罪の機会は失われた。
対応が後手に回ってしまったことを悔やんでも、遅かった。
王女が王宮にニコルを呼びつけた、あの日、随行員達は、それでもまだ迷いの中に居た。
今はまだ、初めての国外で羽目を外してしまったりと、不安定な状態なのではないか。
アデライト王女が、元々そういう人物だとは知らない彼らは、自分達の持つ常識や、過去に出会った高貴な方々と接した経験と照らし合わせれば、今の態度が本来の王女殿下とは考えられず、「落ち着いた後の本当のアデライト王女」への期待が、完全には捨て切れなかったのだ。
それは、幻でしかないのに。
彼らは幻でしかない期待を持っていたが故に、まだ王女に寄り添って心身と体面を護ろうとした。
学院内の人目もある場所で、王女はヒステリーを起こし、従者に折檻を加えるところを見られてしまったが、まだ学院内のことであり、目撃者は当主ではなく学生。
これ以上、人前で醜態を晒さなければ、挽回や悪評の収束の可能性は残っている。
そう判断した。
だから、一先ず王女に与えられた貴賓室に下がり、クリソプレーズ王国側の人目が無くなるまでは、王女を刺激しないように従い、穏便に収める道を模索したいと彼らは考えた。
呼びつけることになるニコルには、後で誠心誠意謝罪をし、お詫びとして、ニコット商会かミレット商会からこちら側の予算で許す限りの商品購入を申し出よう。そう考えていた。
だが、守り役の心、王女知らず。
王女の常識と倫理観の欠如具合を、正しく計算出来ていなかった彼らの目の前で、アデライト王女は「アイオライト王国第一王女の名において」、自国に大きな損害を与える発言をし、それをニコルから「聞かなかったことには出来ない」として言質を取られてしまった。
その上、高貴な生まれの王女の口から出たとは思えない、恐ろしく残酷で下劣な犯罪予告。
悪評の挽回や収束の可能性を模索する段階では無かったのだと、気づいた時には、もう遅かった。
クリソプレーズ王国のニコット商会会長、ニコル・ミレットに吐いた暴言、為した狼藉は、撤回の余地を王女自らが潰した。
王女とは言え、ただで済む筈の無い諸々の「終わってしまった事」は、もう彼らではどうしようもない。
祖国のためには、これ以上アイオライト王国の心証を悪化させないよう、本件については何の隠し立ても小細工もせず、聞かれたことは全て従順に答えるくらいしか、彼らに出来ることは無かった。
彼らは、真面目で常識のある忠臣であったがために、王女の破滅に巻き込まれる形となった。
本当に、不運の極みである。
「しかし、ミレット嬢もミレット子爵も、素早い上に容赦が無いな」
ニコット商会、ミレット商会から上げられた報告と、クリストファー経由で上げられた、コナー家のアイオライト王国担当者達の報告書を眺め、アンドレアは呆れたように苦笑する。
アデライト王女の宣言を受けたニコルは、あの日、王宮を出てから即座に動いた。
自分と父親の商会の関係各所に、「ニコル・ミレット」の名で使者や指示を出したのだ。
愛娘の手紙や商会トップの指示を受け取った、父親やニコルを崇拝する部下達の動きは早く、そして容赦が無かった。
アイオライト王国内の、ミレット商会及びニコット商会の関連施設は、即日稼働を停止し、無期限の閉鎖を、アイオライト王国の新聞各社に多額の掲載料を払って大きく告知した。
各種業態の全支店、工房、工場、自社農場、水産加工場、福祉施設に至るまで、容赦無く即刻である。
雇用していたアイオライト王国民も、全員、一定額の退職金は支払い、解雇通告した。
そして、その全ての理由として、こう宣言したのだ。
『アイオライト王国第一王女アデライト殿下から御下命賜りました故に、我ら、クリソプレーズ王国ミレット家に連なる関係商会は、全てのアイオライト王国に於ける事業から、即時撤退いたします』
と。
更に、解雇した者達には、退職金と共に、今までよく勤めてくれた礼と、「我が商会はアイオライト王国第一王女殿下の不興を買い、アイオライト王国からの追放と入国禁止を命じられた」という事実、王族の不興を買った商会の被雇用人のままでは、どんな危険や不利益を被るか分からないので解雇する。
そんな内容で認めた手紙を、従業員全員に渡したのだ。
一体、何人体制で書いたものなのか、全員に手書きで宛名入りで、だ。
従業員の多くは、アイオライト王国の平民である。
字が読めない者でも、他国人であっても彼らにとっては雲の上の存在である「お貴族様」が、自分の名を書いた手書きの手紙をくれた。その事実は、大きな感動をもたらす。
おまけに内容は、自国の王女からの、事前の忠告も無い急な国外追放命令によって自分達が失業したことが分かるもので、追放される商会は、自分達の心配をして、退職金まで包んでくれている。
愛国心があり、自国の王族を敬愛している国民であっても、どちらに心が傾くかなど、一目瞭然である。
全ての事業の稼働を停止して施設を閉鎖し、クリソプレーズ側から派遣していた全従業員を引き上げるのに、かけたのは一昼夜かそこら。
クリソプレーズ側に繋ぎを取れる人間が、アイオライト王国内に、ただの一人も居なくなってから、アイオライト王国の王城へ、ミレット商会とニコット商会の正式な書状は届いた。
撤退理由と報告の書状は、きちんと撤退作業開始と同時に送付されている。
アイオライト王国王城の商業関係部署の職員が書状を受け取った時に、既に手遅れになっていたのは、単純に撤退のスピードが想定以上だったからというだけ。
形式上の筋は通してある。
ミレット家側には、何の責められるべき落ち度も無い。
なにしろ、撤退理由が「アイオライト王国第一王女の命令」なのだ。
最速での撤退は、アイオライト王国及び王家への誠意ですらある。
まるで夜逃げのように、気付いたら煙のように消えられていたとしても、アイオライト王国側からは、文句のつけようが無かった。
ミレット商会、ニコット商会の書状がアイオライト王国王城へ届いた時点では、まだクリソプレーズ王国からの、「アデライト王女の暴挙への厳重な抗議」の使者は到着していない。
アイオライト王国の王城側は事態を正確に把握出来ないまま、それでも、留学中の「あの問題王女」が何かやらかしたことだけは予測が付き、城内は騒然とし、調査と対策のため眠れぬ夜が続いた。
そこへ、クリソプレーズ王国からの、厳重抗議の使者到着である。
使者から齎された情報は、予測より遥かに酷く、国王ですら顔色から血の気が引いていくのを隠せなかったそうだ。
使者は、出来る限り早期に王女と随行員らの沙汰は決めるので、それまで彼らの身柄は預けるとのアイオライト国王の言葉を持ち帰った。
クリソプレーズ王国の次期王妃は、アイオライト王国第二王女のクローディア姫である。
クローディア姫が王妃となった時代に、クリソプレーズ王家の求心力が下がらないよう、今回のアデライト王女の愚行は公にせず、処分も表向きの体裁を繕える余地を残すことを、クリソプレーズ王国側から提案した。
ただし、アデライト王女には、改心が見込める厳しい処分を望む、と。
これは、処刑までは望まないが、既得権益は全て手放させろという要求だ。
王女のまま離宮で贅沢で安全な暮らしを送らせることも、王族籍を離れても、婚約者の家に降嫁して公爵夫人として優雅に暮らすことも許さない、という意味が含まれる。
随行員らについては、クリソプレーズ王国側からは、「真っ当な教育を受けた全ての貴族が想像不可能な域に達していた、アデライト王女の異常性」について述べた上で、深い同情の意を示した。
王女によるクリソプレーズ王国王族の専属護衛に対する非常識な茶会への招待については、先に「止めなかった随行員に対する苦情」を送っていたが、王女の独断専行であり、王女が架空の恋愛物語のヒロインに成り切るために随行員らの目を盗んで招待状を届けさせ、実際に届けたのはクリソプレーズ王国の国民であったことの裏も取れたため、この苦情は取り下げた。
おそらく、随行員らの身柄はアイオライト王国へ返還せず、このままクリソプレーズ王国で預かることになる。
処分も、クリソプレーズ王国側に委ねられることになるだろう。
調査や尋問に当たった者達からの同情も深く、裏取りの結果から情状酌量の余地もあり、経歴も綺麗なものだった彼らには、再起不能となるような処罰は下されないだろう。
「さて、まだアイオライト国王からのアデライト王女への沙汰は届いていないが、ダーガ侯爵の『お願い』は無事に遂げられることになるだろう」
苦笑に緩めた眼差しを厳しく細めたアンドレアに、側近達も姿勢を正した。
「準備は整っている。一気に行くぞ」
「「「御意」」」
三人の声が重なるのを、酷薄に口端を吊り上げて満足そうに見遣った『粛清王子』は、低く愉しげに言葉を発した。
「さあ、狸狩りだ」