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続・プリンセス破滅

 王女の妄想が迸り、長いです。


 護衛や従者を引き連れてハロルドを尾行()けていたアデライトは、二学年Bクラスの教室の外から視界に入れた光景に、手にした扇子を折らんばかりに撓らせた。


 教室の中では、迎えに来たハロルドに少しばかり驚いた顔を見せたものの、すぐに親しげな笑みを振りまく卑しい略奪者(ニコル・ミレット)が、アデライトの恋人(ハロルド)に手を取られて席を立つところだ。

 今すぐその手を離せ斬り落としてやると、叫びたい衝動に駆られるが、元々少ない理性と分別が尽きかけている今でも、保身の本能から、人目のあるこの場所で、叫び、下賤な売女(ニコル・ミレット)を斬り捨てるよう護衛に命じるのが不味いことだけは理解している。


 ハロルドがニコルに向ける表情は、アデライト姫に向けていた紳士的なものとは、まるで違う。

 今のハロルドの、甘い熱を孕んだ満ち足りた眼差しと、姫へ向けた、何処までも騎士らしく抑えられた態度の温度差は歴然としている。

 アデライトへ向けた視線からだって、確かな情を感じ取ってはいたが、一目で惹かれたものの、所詮手に入らないと諦めた高嶺の花へ向けたものだったのかもしれない。


 アデライトの都合の良い妄想は加速する。


 親愛に溢れた遠慮の無い優しさを手近な女(ニコル)に与えているハロルドは、成金の売女(ニコル・ミレット)に誘惑されて、簡単に手折れる()()()に迷っているに過ぎないのだ。

 愛しい人(ハロルド)は何も悪くない。

 ハロルドは今は公爵家の養子だけれど、生家は廃絶した伯爵家。きっと、金の力で惑わされたのだ。


 嗚呼、なんて可哀想なハロルド様。

 わたくしが救って差し上げなければ。


 アデライト姫は声に出さずに呟くと、従者に学院の個室サロンを押さえるように命じた。

 商談と偽って売女(ニコル)を呼びつけ、立場を弁えさせて、逆らうようなら排除するのだ。

 ()()に応じて弁えると誓ったとしても、()()()()()痛い目は見てもらうつもりだけれど。

 そう。例えば、『貴き薔薇に剣を捧げて』の、王女(ヒロイン)を悲しませた騎士の幼馴染みの末路くらいには。


 身分の低い成金新興貴族でも、貴族令嬢の末席に連なるならば、既成事実を作られれば嫁ぐ外無い。

 国許には、()()使()()()、貴族とは名ばかりの、常に金に困っている破落戸が居る。

 ()()()()()の時には、それを呼び寄せて密室に二人きりで閉じ込めてしまえばいい。


 アイオライトの瞳を昏く濁らせ、妄想で「可哀想なわたくしの心」を慰めていたアデライトは、戻って来た従者の返答に、思わず扇子を打ち据えた。


 学院の個室サロンは、本日全て使用中である、と。


 個室は予約制なのだから、当然こういう事態は想定の範囲内の筈なのだが、姫の八つ当たりは止まらない。

 従者が一言説明する毎に、彼の顔を扇子で打つ。


 現在、個室サロンを使用しているのは、最高学年の公爵令嬢を中心とした、高位貴族だけを集めた交流茶会である。

 茶会の主催者は、五学年Aクラスのプリシラ・コナー公爵令嬢。

 いくら王女とは言え、既に正当な手続きを経て開催中の、高位貴族ばかりを複数集めた茶会を無理矢理中止させ、追い出してサロンを乗っ取ることなど出来ない。

 自国(アイオライト)でならば強行したかもしれないが、ここは他国(クリソプレーズ)だ。苦情が上がれば、揉み消しは難しい。


 晴れない気分のまま従者の鼻や唇から血が流れるまで打ち続け、「こんなことをしている場合ではないわ」と、移動を始めた悪辣な売女(ニコル・ミレット)哀れな羊(ハロルド)の尾行を再開する。


 学院の廊下で従者を血が出るまで打ち続けた王女を、クリソプレーズ王国の貴族学院の生徒達は、「関わりたくない」と、遠巻きに眉を顰めて眺めていたのだが、高貴な女性が()()()()()()従者や侍女に扇子で折檻をするなんて、「誰も気に留めない普通のこと」だと考えているアデライト姫は、隣国貴族からの嫌悪と軽蔑の視線に気付かない。


 アデライト姫は、自国(アイオライト)でも、重要な外交の場に臨席したことが無かった。

 他国からも招待客が参加する大規模な夜会では、王族席で保護者(母の側妃)の隣から勝手に移動することは止められていたし、晩餐会も側妃の王女は参加義務が無いからと、まだ一度も呼ばれたことが無い。

 だから、自分の言動が他国の人間からどう見られるのかを、しっかり考えて省みる機会も無かった。

 機会が無くともマトモな言動が出来る王女は、アイオライト王国でも他国でも、いくらでも居るだろうが。


 アデライト姫は、自国(アイオライト)()()()()()()()()()行動が、他国で問題視されるなどとは考えもしない。

 実際は、自国(アイオライト)でも問題にならなかった訳ではなく、王家の威光が及びやすく、王女の起こす問題は揉み消し易かったに過ぎないということも、アデライト姫の思考の片隅にすら存在していない。


 留学中に借り受けている、クリソプレーズ王家が所有する馬車でニコルの馬車を追うアデライトは、憎悪に燃え滾る視線を前方の馬車に注ぎながら、爪を噛んで次の策を考える。


 前の馬車には、下賤な雌犬(ニコル・ミレット)美しい宝石(ハロルド)が、有り得ないことに二人きりで乗っている。

 アデライトは、もう、発狂しそうだ。

 頭の中で、ぐるぐると雌犬(ニコル)の殺害方法を何通りも思い浮かべるが、一向に気は晴れない。


「あの雌犬を、王宮に呼ぶわ。商談だと言って。わたくしが滞在する王族用の貴賓室じゃなく、もっとグレードの低い客室は今、使われていないわよね」


「はい、そう伺っておりますが、他国の王宮の部屋を勝手に使用するというのは・・・」


 険のある声で前に座る従者に問えば、戸惑った様子で逆らわれ、アデライトは激高する。


「黙りなさい! 王族が賓客として滞在する滞在先の王宮で使っていない空室を使うだけよ! 咎められる訳が無いでしょう! その生意気な口を閉じなさい! 愚か者!」


 扇子で強打され、目を伏せて口を噤む従者は、先程学院の廊下で血を流すまで打たれた従者とは、また別の従者だ。

 権力者の暴力という手段で反論を封じたアデライト姫は、一方的に命令を下す。


「王宮の空いてる客室の使用人控室。そこを使うわ。客室は幾つかあるでしょう。一番、人目につかなくて、声が外に漏れない部屋を選んでちょうだい。雌犬の案内はうちの国の者がするのよ。平民の護衛は、わたくしが同じ空気を吸うのが嫌だから部屋には入れない。もしもハロルド様が、横暴な主のせいで雌犬の側から離れられないと仰っても、『女性同士の商談を貴方に聞かれるのは恥ずかしいわ』とわたくしが言えば、紳士なあの方ならば、きっと扉の外で待機してくださるわ。いいわね。分かったら、さっさと雌犬の馬車を止めて王宮に来るよう伝えなさい」


 瞼の上を扇子の骨で切り、片目を開けられない従者は、馬車の窓から騎馬で並走する姫の護衛を呼び、王女殿下からの命令を告げる。

 チラリと従者の顔の傷に目を遣った護衛は、「かしこまりました」と頭を下げて、命令を遂行すべく馬車を離れた。


 アデライト姫の護衛が、ニコルの馬車に騎馬で並走する、コナー家から派遣された護衛に近付き声をかける。

 護衛との交渉の後、ニコル側の護衛が護衛対象の馬車の窓をノックした。

 アデライトの位置からは見えないが、護衛は馬車の中の人物と二言三言、言葉を交わしている。

 やがて、馬車を離れたニコル側の護衛がアデライト姫の護衛の近くに寄り、何事かを告げた。

 アデライト姫の護衛は、軽く頷くと、こちらに戻って来た。


「進路を王宮に変更するそうです」


 馬車の窓から、瞼を腫らした従者に告げた護衛に、アデライトは声をかけた。


「ハロルド様は、何か仰られて?」


「はっ。平民の護衛を外で待たせることになっても、今日は自分がいるから問題ないだろうと」


「そう・・・」


 あの薄汚い雌犬(ニコル・ミレット)を、そうまでして主に忠実に護ろうとするのは気に食わないが、もしかしたら(ハロルド)は、アデライトの意図に気付いて協力するつもりなのかもしれない。

 早く救い出して欲しくて、雌犬(ニコル)を排除しやすいように、()()()()()()()()()()()護衛である自分だけを残し、雌犬(ニコル)に忠実な卑しい平民護衛を、事が成るまで遠ざけてくれるつもりなのでは?


 そうよ!

 そうに違いないわ!

 待っていて、ハロルド様っ!

 すぐにわたくしが救って差し上げますわ!

 貴方はわたくしを諦めなくていいのよ!


 妄想王女を乗せた馬車は、クリソプレーズの王宮へ向かう。

 ニコルの馬車も。


 一方その頃、別ルートで王宮に先回りする王家の馬車の中で、アンドレアはクリストファーからの報告を「ウワァ」という顔で聞いていた。

 アデライト姫よりも後から学院を出たのに、早駆けではなく馬車で先回りが可能な理由は、アデライト姫がニコルの馬車を追うことを見越して、ニコルに王宮から離れるように遠回りしてもらっているからだ。


 クリストファーは、分かりやすく馬車に並走する護衛以外にも、素人には認知出来ないような隠密の専門家にも影からニコルを護らせている。

 その一人が、カーテンで隠しもしていないアデライト姫の醜態と命令を、馬車の窓越しに視認してクリストファーに報告して来たのだ。

 従者の顔を瞼を切る程に殴打しただけでも引くが、読唇で見取った命令は、カーテンも閉めず、扇子で口許も隠さず、言い放って大丈夫な内容では無い。


 配下からの報告をアンドレアに伝えながら、クリストファーの甘く可愛らしい顔立ちに浮かんでくる冷笑は、アンドレアでさえ背筋の寒くなるものであり、同じ車内で沈黙を守るジルベルトの、いつもの静かな微笑が凍える温度を纏わりつかせているように感じられる。


「・・・処刑は避けて欲しいらしいぞ?」


 別に、あの王女がどうなろうがどうでもいいが、一応、アンドレアは釘を刺す。

 この二人が任務に支障を来すような暴走をするとは考えていないが、この二人にとってニコルがとても大切な人間であることは、よく知っていた。


「勿論ですよ」


「分かってます」


 ニッコリ。

 血の繋がりは無い筈だし、顔立ちが似ているということも無いのだが、何故か同時に向けられた笑顔は二人ともそっくりだった。

 薄ら寒い疑問を抱いたままのアンドレア達を乗せた馬車は、王宮に到着する。


 待っていた宰相補佐官の一人、コナー家の『仮面』の一人であるライアスに指示を与え、第二王子(アンドレア)のプライベートエリアから、隠し通路を使って客室エリアへ。

 臣籍降下した元王族の大使が滞在する際に使われる客室の中で、最も奥に設えられた、公爵位以上の元王弟の滞在を想定した部屋。

 この部屋は、一見他の客室より奥に位置し、広めの間取りとなっているだけに見えるが、実際は各部屋の監視が可能な空間が造られている。

 その空間から監視可能なのは、リビング、寝室、使用人控室の三部屋。流石に浴室やトイレは除外している。


 アンドレア達が監視用の空間に落ち着き、気配を消し去った頃、アデライト姫の従者の一人が青い顔で客室に忍び込んで来た。

 命令に従うも地獄、従わぬも地獄、主次第で下の者の幸福度は変わってしまう。主の地位や権力が高ければ高いほど、強ければ強いほど、その傾向は確固たるものになるだろう。

 愚かな王族に従わされて命を懸けさせられるなど、不運の極みと言えよう。


 不運な従者は、客室から続く扉を潜って使用人控室へ。

 顔色が良くなることは無い。

 何も喋っていないが、顔色と表情から内心を推し量るならば、相応しい台詞は、「どうしよう、王女殿下の指定通りの部屋を見つけちゃった」だ。

 心底困り、苦悩に満ち溢れた表情である。


 従者は重い溜息を吐くと、使用していない部屋の家具に掛けられている埃除けの布を外して丁寧に畳み、部屋の隅の棚に置くと、項垂れて自分の爪先を見つめながら出て行った。


 程なくして、アデライト王女御一行様とニコルが部屋に入って来た。

 ハロルドは室内の何処にもいない。扉も完全に閉じられている。

 意中の男性(ハロルド)に見られる心配が無いと思っているからか、王女は初めから苛立ちも不機嫌さも隠していない。


「そこに座りなさい」


 王女が、王族らしい傲慢さで床を扇子で示す。

 困惑を表して佇むニコルに、ヒステリックな叫びをぶつける。


「下賤の身で王女のわたくしと同じ高さに座る気なの⁉ 図々しい! さっさと(そこ)に座るのよ! 這いつくばりなさい!」


 困惑の表情のまま、「仕方がない」といった風情でニコルは床に腰を落とすが、這いつくばりはしない。そんな必要は、本当に無いのだから。

 しかし、王女は納得しない。


「なんって生意気なの⁉」


 振りかぶった扇子を、ニコルに打ち据えようと振り下ろした。

 真っ青になる侍従や護衛達を余所に、ニコルは床に腰を下ろしたままヒョイと避ける。

 避けられて体勢を崩した王女が蹌踉めくのを、護衛がサッと手を伸ばして支えるが、怒りにわなわなと唇を震わせる王女は、それを振り払った。


「何故避けるの⁉」


 叫ぶ王女に、怯えも無く冷静に、ニコルは答える。


「私が怪我でも負えば、大事になってしまいますから」


 本当は、大人の妖精の加護により物理攻撃無効化常時展開となっている事実を知られないためだが、もっともらしく言ったニコルは、王女の護衛や従者を見渡して訊ねる。


「貴方がたは、()()をご存知ですよね?」


 王女様は知らないようだが、と言外に含んだ問いかけに、問われた者達は蒼白の顔を伏せた。肯定の意が汲み取れる。

 だが、王女には彼らの行動が理解できない。


「どれだけ性根が腐っているのかしら! わたくしの従者達まで脅すなんて、恥を知りなさい! お前のような生意気な恥知らずが売る物など我が国には必要ありません! アイオライト王国第一王女の名において宣言します! お前とお前の親の商会と我が国は取引せず、関係者と商品の我が国への入国も禁じます!」


 王女を取り巻くアイオライト王国人の護衛や従者の口から、絶望や恐怖の色に塗れた「ひいっ」という悲鳴が漏れる。

 それらを無視して、興奮状態の王女にニコルは淡々と応じる。


()()殿()()の名において、となれば、私も聞かなかったことには出来ませんが。よろしいのでしょうか」


 悲痛も露わに唇を噛みしめる護衛や激しく首を横に振る従者も居るが、彼らには発言権も決定権も無い。

 ニコルは王女にのみ、問う。


「なぁに? 今更謝っても遅いわよ?」


 王女には、ニコルの問いの意味が、まるで通じていないようだ。

 慌てたニコルが、ようやく立場を理解して、王女の発言の撤回を願っているのだと()()した。

 だから、この期に及んでまだ落ち着き払っているニコルが気に入らない。

 怯えて泣き叫び、己の愚かしさを後悔して平伏し、慈悲を乞うて謝り縋るという()()()()()を表さない、厚顔無恥なニコルへの王女の憤懣は益々募り、その憤りのままに、断罪し、沙汰を下そうとする。


「たかが成金子爵の娘のくせに、立場も弁えず、王女であるわたくしの恋人に懸想するような汚らわしい雌犬に、慈悲をかける必要など最初からありませんでしたわね。よろしい。()()()()()の折に与えるつもりだった罰だけれど、この場でお前に与えてやるわ」


「罰、ですか?」


「ええ。お前は貴族とは名ばかりの金に困っている中年男に既成事実を作られて、クリソプレーズ王国公爵家との婚約を破棄してアイオライト王国に嫁ぐのよ。入国禁止の我が国へ嫁いだら、直ぐに捕らえて投獄するわ。監獄の中で拷問と辱めを受けながら、この世に生を受けた身の程知らずを反省なさい!」


 もう、何も言えず呆然と立ち尽くす、アイオライト王国から王女に随行した護衛と従者。言われた言葉をしっかり理解するために、無言で咀嚼しているニコル。

 奇妙な静寂の中で、興奮して言い切った王女の荒い息遣いだけが音を成している。

 やがて、何の表情も浮かべないニコルが、辺りを見回して首を傾げた。


「この場には、『貴族とは名ばかりの金に困っている中年男』は居ないようですが?」


 この場において、王女以外は、ニコルの()()()()()を正確に把握しているようなのだが、興奮冷めやらぬ王女は、カタカタと震えている自分の守り役達の姿が、きちんと見えていないらしい。

 王女は高い身分である己の優位を疑わず、自分が指先一つ振るだけで人生を摘み取ってしまえる卑小な存在(ニコル・ミレット)を甚振る愉悦で、醜く歪んだ唇から見合った言葉を放出する。


「そんなもの、わたくしがそう言えばそうなるのよ。今この場に居なくても、わたくしが帰国したら()()()()()()にするわ」


「私はクリソプレーズ王家の許可無く国外へは出られませんが」


「卑しい商人風情が王家の威を騙るなんて不敬だわ。そうね、不敬な害虫を駆除しましょう。同盟国の王女として、友好の証にもなるわ。きっとお父様にもお褒めいただける」


 うっとりと、ここではない何処かを見つめるアデライト王女の澱んだアイオライトの両眼は、異様な熱に浮かされて、既に正気は残されていない。

 アデライトが思い描いているのは、汚い害虫(ニコル・ミレット)を駆除することでクリソプレーズとアイオライトの両王国の王家から感謝と称賛を浴び、愛しい騎士様(ハロルド)からも救いに対して感謝され、愛を捧げられて手を取り合い、双方の国から祝福されて結ばれるハッピーエンドだ。

 望み通りの幸福な結末に導くために、自分(ヒロイン)は、凛として命令を下さねばならない。


 アデライト王女は、今にも崩れ落ちそうな、死人の如き土気色の顔で震える護衛達の様子を一顧だにせず、扇子でニコルを指し示して彼らに命じる。


「この者の手足を斬り落としなさい。そうすれば鞄に詰めて我が国に運びやすくなるでしょう。殺してくれと懇願しても許さず、長らく生きて苦痛と屈辱を感じさせるのだから、斬るのは手足だけ。首を落としてはなりません」


 先程まで興奮のままに叫んでいたアデライトだが、命令は王族らしい冷徹な傲慢さを滲ませ、厳かに下した。

 だが、誰一人、王女の命令を実行するために動きはしない。

 ニコルも、変わらず怯えも不安も見せぬ落ち着きぶりで、静かに王女を見上げるばかりだ。

 しばらくの沈黙の後、気の短い王女は感情を爆発させ、ヒステリックに叫んだ。


「早くしなさい! わたくしの命令が聞けないの⁉」


「申し訳ございません‼」


 一人の護衛が片膝を着き、王女に頭を下げた後、ニコルに向き直って両膝を着いた土下座の形になる。

 そして、叫んだ。


「申し訳、ございませんでしたっ‼」


 ハッとしたように、他の護衛達、そして従者達が土下座の護衛に続いて同じ姿勢になり、同じ言葉を叫ぶ。


「「「「「「申し訳ございませんでした!!!」」」」」」


 現状に理解が及ばず、物凄い表情になって口をパクパクさせている王女が何か言葉を発する前に、監視用の空間からアンドレアとジルベルトとクリストファーが現れる。

 土下座を崩さない者達は、薄々事態を予測していたのか、驚きは無い。ただ、もう自分達の命は諦めた諦念だけが背中に漂っている。


「どういうことよ⁉」


 クリストファーに手を取られて立ち上がったニコルを目にした途端、怒りが言語を取り戻させたのか、王女が叫んだ。

 クリソプレーズの瞳を冷たく眇めたアンドレアが、瞳と同じ温度の声で答えを与える。


「我が王家にて庇護を公言しているミレット嬢の護衛を命じたハロルドから、ミレット嬢がアイオライト王国第一王女により害される危険を感じると、報告があった。王族の横暴を収めるには、公爵家養子では荷が重いからな。この部屋は後ろの小部屋から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようになっている。ハロルドの報告通りのことが起きていたな」


 アンドレアの言葉に、全て見られていたのだと土下座衆は察したが、王女だけはそうは思わない。

 王族のアンドレアならば、必ず王族の自分(アデライト)の味方をする筈だし、言葉の重みも信頼度も、下位貴族の小娘なんかより王女のものが価値が高いのだから、主張が通るのは自分の方だと疑っていないのだ。


「アンドレア様? 何か誤解があるのでは? わたくし、何一つ責められるようなことはしていませんわ。まさか、王族が下位貴族の不敬を咎めることが悪だなどと仰いませんわよね?」


「そうか。アデライト殿は()()()()()()()()()()()()()()()と。そう言うのだな?」


「ええ、勿論」


 この王女の返答に、自分達の命はとっくに諦めている土下座衆の心臓が、キリキリと痛む。

 アンドレアの問いは、アデライトに対する発言の撤回の最後のチャンスだったのだ。

 これでもう、王女はアンドレア達に聞かれてしまった、ニコルに対する数々の暴言や脅迫、行った暴挙に()()()()()()()()()()を明言してしまった。

 この瞬間、命までは奪われるものか分からないが、アデライト王女の未来から、明るい光が消えてしまうことが決定したのだ。


「何一つ間違っていないと言うが、ミレット嬢の手足を斬り落とし、勝手に我が国から拐かし、我が国の王命にて成った婚約を無断で破棄し、貴国の貴族と入籍させようとしたのは、どういう了見であるか聞かせてもらいたい」


 アンドレアから冷ややかに問われても、アデライトは悪びれない。

 悲劇のヒロインコントでは、あれほどオドオドと「庇護欲を唆る、か弱い女の子」を演じていた王女だが、本質に気の弱さなど持ち合わせていない。弱いのは頭だけだ。

 堂々と、支離滅裂な己の正しさを主張する。


「ですから、誤解ですわ。金品で権力者や殿方の関心を買おうとする卑しい商売女に、相応しい罰を与えようとしただけですの」


「ほぅ? ()()()()()()()()()()()()()()()とは、誰のことかな?」


「そちらの王家の庇護というのは、一応本当に公言してらっしゃるみたいですけど。公爵家との婚約を、金品を差し出すことで強請りましたでしょう? わたくしのハロルド様にまで下品に摺り寄って。だから、男を求めて伸ばす汚らわしい腕と、男を求めて徘徊する厭らしい足を斬り落として、反省の機会を与えようとしましたの。この国では、どれほど金品をばら撒いたのか、彼女を甘やかす人間が多いようなので、わたくしの国にて処罰を請け負って差し上げようとしたのですわ」


 アイオライト王国の王女が、クリソプレーズ王国の王家も貴族も国民も、並べて侮辱している発言になるのだが、アデライトが自分の発言の問題点に気づくことは無い。

 アンドレアも、それを一々親切に教えてやる義理も無いので、そこは放置だ。

 だから、アデライト王女の心を完全に折るための、切っ掛けの言葉を発する。


「ハロルドが、アデライト殿の、とは、どういうことだ?」


「あら、専属護衛のことですのに、お気づきになっておりませんの? わたくしとハロルド様は、想いを交わし合った相思相愛の恋人同士ですのよ」


「だ、そうだが。ハロルド?」


「身に覚えが御座いません」


 急に耳に入った、この場に姿の無かった筈の愛しい人の声に、アデライトは振り返った。

 アンドレア達が現れた隠し部屋とは反対側、正規の扉が何時の間にか開いている。そこに、困惑と不快を滲ませて眉を寄せた赤髪長身の騎士が、腕を組んで佇んでいた。


「ハロルド様っ」


 こんな場合だと言うのに、ハロルドの出現に喜色を表すアデライトへは目もくれず、ハロルドは主に()()を報告する。


「私は忠誠を誓うアンドレア様の御命令通り、同盟国の王族女性に失礼があってはならないと、制御困難である自身の女性への嫌悪感の一時的抑制に全力を尽くしていただけに御座います。ご婚約者のおられる同盟国の王女殿下に懸想など、有り得ません。それ以前に、私にとって女性が嫌悪の対象であることはアンドレア様もご存知の筈です」


「そうだな。お前には随分と無理をさせた。湧き上がる生理的な反応を無理矢理抑え込むようなものだ。相当に辛かっただろう。私も、よもやそれを自身への恋心だなどと()()を受けるとは思いもしなかった」


 ハロルドがアデライトに感じさせていた特別感は、主の命令による『我慢』でしかなかったと、相思相愛の恋人だと思っていた男は明言した。

 そして、その主はそれを肯定した。

 けれどアデライト王女は納得出来ない。


「で、でも! ハロルド様はわたくしを、あんなに切ない眼差しで見つめていたではありませんかっ!」


 悲痛な悲鳴。しかし、アンドレアがバッサリとそれを切り捨てる。


「生理的な反応を無理矢理抑え込むのだ。切ない顔にもなろうものだ。品の無い例えとなるが、腹を下した時に排泄を禁じてトイレに行かせないようなものだぞ? ハロルドの『切ない眼差し』とは、そういった類のものだろう」


 実際、アデライトをトイレ扱いしていたハロルドの言をヒントにした言葉の凶器だが、品の無い例えが貴族らしい言い回しより却ってこの王女には分かりやすかったのか、酷くショックを受けた様子になり、腰を抜かしたようにストンと床に崩れ落ちた。


「そんな・・・まさか・・・だって・・・じゃあ、あの小娘は・・・?」


 呆然と呟く王女に質問の意図がある訳では無いと知りながら、アンドレアは更に言葉の凶器を振るう。


「私の専属護衛とミレット嬢の婚約者であるクリストファーは、子供の頃からの親友だ。その縁で、ミレット嬢とも付き合いが長く、妹のように大切にしている。まあ、彼女にだけは接し方が違うのだから、()()()()()ではあるだろうな」


 クリストファーと親友であるアンドレアの専属護衛は、ジルベルトなのだが、名前を出していないので何も嘘は言っていない。

 聞いた側が、アンドレアの言った『専属護衛』がハロルドのことだと認識するのは自己責任だ。

 ニコルを自分の専属護衛にとって『特別な女性』とわざわざ表現したのは、それが一番王女(アデライト)が求め、手に入れられなかったものだからだ。つまり、嫌がらせであり、更に心を折るための攻撃である。


「嫌よ、嫌、違うの、嘘だわ、違う・・・」


 ブツブツと繰り言を言う王女を冷たい眼で見下ろして、アンドレアは決定事項を告げる。


「アデライト殿の身柄は当国にて預かり、軟禁させてもらう。国許には我が国から厳重な抗議を、正式な書状にて使者を立て行う。その際、使者には第一王女の随行員の一部にも同伴してもらう」


 土下座衆は、その決定を慈悲と受け取り、床に額を擦り付けて、更に土下座を深くする。


 本来ならば、アデライト王女のしたこと、しようとしたことは、クリソプレーズ王家だけではなく、クリソプレーズ王国の国家に対してまで喧嘩を売った、政治的犯罪として裁かれてもおかしくはない。

 同盟国の王族でなければ、扱いは、即投獄即拷問、そして処刑だっただろう。

 だと言うのに、更に、女性として尊厳を守れる『軟禁』の扱いだ。

 クリソプレーズ王国が、同盟国であるアイオライト王国を尊重しているからこその扱いであり、クリソプレーズ王国次期国王の正妃が、アイオライト王国の第二王女(クローディア)であることが決まっているからこその、温情ある措置だ。

 当の問題を起こした王女(アデライト)は理解していなくとも、守り役として随行した者達には、深い感謝と共に理解されている。


「連行しろ」


 アンドレアの命令を受け、ハロルドが廊下に向けて指示を出すと、騎士達がゾロゾロと部屋に入って来る。何故か全員、頭部に顔の判別が出来ないよう布袋を被っていた。


「これ以上、そちらの王女が()()をしないよう、こちらも()()させてもらった」


 完全に馬鹿にしたような口調で告げたアンドレアの言葉に、アイオライト王国側の者達は何も反論出来なかった。

 連行する騎士に王女(アデライト)好みの外見の者が居れば、お花畑な王女の脳内では、連行されて軟禁後も、妄想ロマンスが繰り広げられかねない。

 これは、「ご褒美」ではないのだ。


 ブツブツと意味無く言葉を零すアデライト王女の口を、布袋を被った騎士が布を巻いて塞ぐ。

 抵抗を封じるために、手枷をした上で腕と胴体を合わせて幅の広い柔らかな布で縛った。拘束による痛みは無い筈である。

 罪人の拘束としては、最大限に気遣われているが、貴人女性に大してここまでの身体拘束をすると言うのは、相手が重罪かつ凶悪犯罪者である場合だ。


 自国の王女(アデライト)がクリソプレーズ王家にとって、どのように認識されているかを悟り、随行員達は己の力不足に項垂れる。


 彼らは、アデライト王女の()()()()()()()()()()()()()()()()と自国の王より命じられていた。

 その解釈が、正解には至らず、迷いのある仕事ぶりが後手後手に回り、王女が破滅に向かうことを止められなかった。


 今でも何が正解だったのか分からない彼らは、深い悔恨に重くなる足取りで、騎士達に連行されて行った。


 アデライトは何も考えずにニコルを王宮に連れ込んでいますが、クリソプレーズ王国では許可無き者は王宮に入ることは叶いません。


 王宮で働いている訳でもない普通の子爵令嬢では、申請しても許可が降りることもありません。


 ニコルは、何年も前から多くの王室御用達の商品を開発・納入している『ニコット商会会長』であり、王妃の『お気に入り』でもあることから、既に顔パスで出入許可されているので、衛兵に止められることもありませんでした。



 アデライト王女や随行員達がどうなったのかは、後日投稿される話の中で出てきます。


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