プリンセス破滅
思ったより長くなったので、二話に分けます。
続きは明日投稿します。
段々、王女のヤバい本性が出てきます。
護衛や従者を引き連れたアデライト姫が、クリソプレーズ王国王宮内の、留学中の滞在場所として与えられた貴賓室へ戻ると、扉の前で悩ましげに佇む赤髪長身の騎士が居た。
大きな手に可憐で小さな花束を握るその騎士は、現在アデライト姫の胸中を熱く切なく占める想い人、ハロルド・ヒューズであった。
折角もっと親しく共に過ごしたいと、二人きりの茶会の招待状を送ったと言うのに、横暴な彼の主に断られてしまっていた。
その理不尽な仕打ちに傷ついて、気晴らしに城下に降りて遊び回り、戻って来たら想い人が自分を訪ねて来ていたのだ。
アデライト姫の気分は、天に昇らんばかりに浮上した。
「ハロルド様っ。わたくしを訪ねてくださったのですね」
護衛も置いて、いそいそと近付いて来た姫の問いには答えず、ハロルドは安堵の笑みを浮かべて騎士の礼を執ると、小さな花束を差し出した。
「栄誉あるご招待に応じることが叶わず申し訳ありませんでした。せめてもの私の気持ちです。受け取っていただけますか?」
差し出されたのは赤いリボンで束ねられた菫。
アイオライト王国の王族女性を象徴する花である。
アデライト姫の脳裏に、お気に入りの恋愛小説、『黒騎士と白百合の王女』のワンシーンが思い起こされる。
王女を表す花を、騎士の色のリボンで束ねる意味は、「貴女を抱きしめたい」だと小説では解釈していた。
アデライト姫が見上げた先の、ハロルドの髪は赤色だ。
姫の頬が桃色に染まり、アイオライトの瞳はウットリと潤む。
「ハロルド様・・・このリボンは・・・」
受け取った花束を胸に抱きしめ、ハロルドの自分への愛を言葉でも確かめようと、問う姫の言葉の途中、ハロルドの纏う空気が急に鋭くなり、アデライトは声を失う。
不安げに見つめるアデライト姫の視線の先で、ハロルドは斜め上に視線をやって一度瞬きをすると、姫に向けて再度騎士の礼を執った。
「申し訳ありません。主に呼ばれたようです。御前失礼致します」
挨拶の後、踵を返す直前、アデライト姫は確かに見た。
ハロルドが、想いの丈を込めた切ない瞳で自分を見つめたのを。
細く嫋やかな手を想い人へ伸ばしても、翻る騎士のマントは幻のように遠くへ去って行く。
それはもう、いくら脚が長いと言っても、歩いているとは思えない速度で、ハロルドは遠ざかり、あっという間にアデライトの視界から消え失せた。
「ハロルド様・・・」
手の中に残された菫の花束だけが、ハロルドの訪いが幻ではなかった証。それを抱きしめながら、情念を込めて紡ぐ愛しき人の名前。
アデライト姫は、すっかり自分の世界に入っている。
姫の世界では、ハロルドと姫は相愛の恋人同士。
ハロルドには横暴な主という障害が、アデライトには心の通わない政略だけの婚約者という障害のある、ドラマチックに燃え上がる恋である。
アデライト姫の耳には、もう、国から随行して来た臣下達の忠言など届かない。
破滅への足音も、聞こえることは無い。
一方、仕事を済ませたハロルドは第二王子執務室へ帰還していた。
別に呼ばれた訳では無い。アレは演技だ。
報告を済ませたハロルドへ、アンドレアが胡乱げな表情で問う。
「お前、ジルに向けるヤバいヤツじゃない、マトモな切ない表情なんか出来たのか?」
「バッチリです。山籠り修行の時に毒蛙を食って激しく腹を下し、清潔なトイレが恋しかった気持ちを再現しました」
「・・・そうか」
「大丈夫です。俺にはあの女が、豪華な壁紙や扉で装飾された清掃の行き届いたトイレに見えてますから」
「・・・そうか」
微妙な表情で、言いたいことを飲み込むアンドレア。
隠し通路を通って、アデライト姫の反応を先に報告に来た、クリストファーから借り受けた『目』からも、ハロルドの「切ない瞳」が姫の琴線を掻き鳴らし、戻れない境地まで恋情を燃え上がらせたと聞いている。
それが、毒蛙で腹を下した時に恋しく思ったトイレへの感情。
そう言えば、姫からの招待状も汚物扱いしていたな、コイツ。
頭を振って余計な思考を追い出して、アンドレアは仕上げの指示を各自に出す。
何はともあれ、アデライト姫に黒いリボンの常識があって良かった。小説と同じ「瞳の色」でなくとも、「髪と同じ赤いリボン」を「ハロルドの色」と思い込んで受け取ったようだ。
「作戦は最終段階に入る。ミレット嬢に演じてもらうのは、『夕日の丘で結ばれた秘密の恋』と『貴き薔薇に剣を捧げて』で、いずれでも、ヒロインである王女の恋の障害となる、“騎士の幼馴染みの少女”という役どころだ。物語では王女が動かずとも善意の第三者が介入し、騎士は王女の元に戻るが、アデライト姫はソレを期待しない程度には、都合の良い現実感を持っていると思われる」
善意の第三者。
小説の中では、彼らは「善意によってアクションを起こす善人」として描かれているが、やっていることは犯罪に他ならない。
『夕日の丘で〜』の方の「善意の第三者」は、王女に心酔する、改心した元・街のならず者。
過去の伝手を使い、王女の心を乱すお邪魔虫─騎士の幼馴染みの少女─をヤクザ者達に拉致させて、人気の無い廃屋に連れ込み、少女に横恋慕のみっともなさを罵り、泣いて謝らせ、遠くの街へ引っ越しさせる。
拉致に脅迫に暴行に強要。ならず者は「元」なんかじゃない。現在進行系だ。
『貴き薔薇に〜』の「善意の第三者」は、騎士の幼馴染みの少女の義理の兄。
義理の妹のせいで傷つき涙を流す王女に心打たれ、血の繋がらない義妹を監禁して凌辱。本人の意思を無視して無理矢理署名させた書類も提出し、義妹と婚姻を結んでしまう。
「これでもう、お前はあの騎士に合わせる顔が無いだろう。俺は、あの、貴き薔薇のようなお方を守ることが出来たのだ」とは、クズ性犯罪者である義兄の台詞だ。
夢見がちで非常識、頭の中に花畑がとっ散らかっていそうなアデライト姫だが、気に入らない相手の排除には、何故か現実的な手段を用いる。
悲劇のヒロインコントも、事情を知らない相手には、強烈な攻撃だ。
公衆の面前で王族から冤罪をかけられて、「この人に泣かされたんですぅ」とやられるのだ。生きた心地がしない。
現在クリソプレーズ王国の貴族学院でパニックが起こっていないのは、同じクラスに在籍する自国の王族が、同級生達を咎めること無く静観しているからだ。
アンドレアが、クリソプレーズ王国を代表する形でアデライト姫に謝罪することも無い。
だから、生徒達は下手に騒ぎ立てずに粛々と、アデライト姫が帰国する日を指折り数えて待っているのだ。
周囲からちやほやされるために、意中の男性の気を惹くために、気に入らない人間を攻撃するために、アデライト姫は、これまでも日常的に悲劇のヒロインを気取って来た。
しかし、自分と恋仲の騎士様との間に割り込もうとする女が現れたとしたら、アデライト姫の排除行動は、もっと過激で積極的なものに進化すると予測される。
揉み消され済みで、アデライト姫が関与したという証拠は無いが、状況を見れば限りなくクロであろうという一件があるのだ。
約三年前、アデライト姫お気に入りの近衛騎士が、婚約者との結婚を機に近衛の職を辞して市井に降りた。
近衛騎士はアイオライト王国子爵家の三男で、婚約者は平民の商家の娘。二人は幼馴染みだった。
彼は婚約者の家に婿入りして、貴族籍を抜けている。
アデライト姫は三年半ほど前に彼を専属護衛に望んだが、本人が頑なに辞退。
結婚を機に逃げるように城から下がった近衛騎士に、当時は様々な憶測が飛んだ。
そして、元近衛騎士が結婚した一年後、彼が婿入りした商家は、彼の婿入り後から何故か急に、仕入先との取引停止や金融業者の貸し剥がしなどに遭って商売が立ち行かなくなり、王都から姿を消した。
アデライト姫が、昔の誼で元近衛騎士に手を差し伸べようとした時には、既に一家の行方は分からなくなっていたと言う。
ダーガ侯爵の『お願い』を受けて、アンドレア主導で放った我が国の優秀な調査員による追跡調査では、元近衛騎士は妻を連れてアイオライト王国を出て冒険者として稼いでいるらしいが、王都は出たものの国に残った妻の両親は、辺境地の村で慎ましく暮らすも心労が祟り、既に二人とも亡くなっている。
アデライト姫は、無知で非常識で愚かで、幼児の如く欲望のままに振る舞うが、地位と権力を持ち、その使い方を悪い方に覚えている成人した王族だ。
アデライト姫の意思一つで使える資金は莫大で、その権力は、言葉一つで反抗心を削ぐ強制力を有し、彼女の立場は、与する者の悪行を正義に掏り替える類のものである。
実態がどうであれ、同じ国の同年代の貴族同士ならば、「幼馴染み」と見立てることに無理は無い。
ニコルが王女にとって、恋物語の王女の邪魔をする幼馴染みであると認識したならば、必ず排除に動く。
三年前に、アイオライト王国王都の商家を一つ潰したように。
まぁ、詰めが甘くて、妻を排除して元近衛騎士を取り戻す計画は狂ったようだが。
「ハリーとミレット嬢の特別な親密さを目撃させ、嫉妬心を煽ってやれば、アデライト姫は必ず動く。俺とジル、クリストファーは『目撃者』を担う。モーリスは関係各所との調整。ハリー、成功は、お前の演技にかかっている」
「心得てます」
ニヤリと口端を吊り上げるハロルドのオレンジ色の瞳は、暖色なのに冷え冷えと残酷な光を宿している。
この「嫌な仕事」が終わったら、御主人様からのご褒美が待っているのだ。
やる気百倍である。
次の日、貴族学院にて、アデライト姫は苛ついていた。
愛しのハロルド様に話しかけて愛を確かめ合いたくても、横暴な主のせいで近寄る隙が無いのだ。
いつも以上に授業にも身が入らず、チャンスを窺いながら迎えた放課後、じっとりと見つめた先で横暴な主はアデライトの愛しい人に、とんでもない命令を下した。
「しばらく放課後は、生徒会じゃなくミレット嬢のところに直行してくれ。頼みたい会計の仕事があってクリストファーを数日は借りることになる。その間、お前がミレット嬢を護れ」
許せない。
ハロルドを専属護衛として縛り付けているのが、王族であり男性だから、アデライトは我慢していたのだ。
それなのに、たかが貴族の娘ごときの護衛にアデライトの恋人を使うだなんて!
激情のあまり、アデライトは心に浮かんだ言葉の羅列を、声に出さずとも言葉のままに唇を動かしてしまっていた。
読唇は、アンドレアも側近達も得意とするところである。アデライト姫の内心は、彼らに丸裸にされていた。
アンドレア達の狙い通りの感情を昂らせているアデライト姫の目の前で、ご褒美を懸けたハロルド渾身の演技が炸裂する。
「了解しました」
ニコルを護れというアンドレアの命令を受けて、ハロルドの唇から溢れた声色の歓びが隠せない甘さと、満足そうに緩められた普段は吊り気味のオレンジの瞳。
最近は、アデライト姫への殺意無き真っ当に紳士的な態度で、ハロルドの異常行動に慣れてきていた同級生達も、この変化球には騒めいた。
普段の言動が変態犬で、女性への殺意めいた波動が垂れ流しでも、ハロルドは滅多に居ないレベルの美形なのだ。
それが、こんな表情で、こんな声を出されると、今更ながらにガツンと痛感させられた。
同級生達は、「ハロルド卿って、そう言えば実は物凄く美形だったな」と再認識して感心しただけだが、ハロルドが普段『変態犬』として人生を送っている現実を見たことの無いアデライト姫が受けた衝撃は、方向が違う。
惚れた相手の、胸がトキメキでキュンキュン痛過ぎて死にそうなくらい魅力的な声と表情を、引き出したのは自分ではなく、自分より下の女なのだ。
憤死しそうだ。
許せない。
悔しい。
妬ましい。
許せない。
わたくしのモノなのに。
わたくしは王女なのに。
許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない──────
アデライトの唇の動きを読んでいたアンドレア達は、正気を失いつつある呪詛のような姫の内心を、平然と眺めている。
ジルベルトに至っては、「友人も居ないから本ばかり読んでいる王女と聞いていたが、モーリスのように読書量に見合った語彙が有る訳じゃないんだな」などと、緊張感の無い感想を抱いていた。
不勉強な王女であっても、大ヒット商品を次々と開発し、近隣諸国富裕層の流行を生み出す「ニコット商会」会長である「ニコル・ミレット」という人物のことは覚えていた。
ただし、正しい認識ではなく。
アデライト姫の知識の中では、「ニコル・ミレット」は成金新興貴族の娘で、爵位も低い子爵令嬢だ。
金儲けと高位の身分の人物への媚売りに長け、築いた財を自国の王家に上納する代わりに庇護を受け、財力をチラつかせ、下位貴族の娘でありながら公爵家の次男との婚約を取り付けた、強欲な阿婆擦れ。
社交もサボりがちな引き篭もり令嬢で、珍しくもない茶色混じりの劣った金髪に、鮮やかさの感じられない薄い黄緑のぼんやりした目の娘。
王族は、学院入学前の常識や教養を身に付ける教師にも、国一番の優秀な者に恵まれる筈なのだが、アデライトの知識は非常に偏っている。
彼女は、自分が知りたくないことは覚えない性質を持っているからだ。
だからアデライト姫の持つ「ニコル・ミレット」に関する知識は、きちんと教師に教えられた内容では無い。
アイオライト王国の王城メイドの無責任な噂話や、アイオライト王国社交界の、ニコルを妬んで悪意ある風評を流す貴族達の会話を盗み聞いた内容を、「真実」として頭の中に蓄えたものだ。
自分よりも、身分も年齢も下の女が、成功者と讃えられるのも、美貌や才能を褒められるのも、───幸せであることも、認めたくない。
アデライトの心の底に在り続けるその願望は、「アデライトの中のニコル」を貶めることで、直接ニコルと関わること無く、これまで慰めてられて来た。
けれど、もうそれだけでは気持ちは治まらない。
わたくしと関わらない遠くで、卑しい成金として、いい気になっているだけなら見逃してやったものを。
アデライト姫の唇が歪んで動くのを、アンドレア達は細かい指示を打ち合わせる体を取りつつ、視線も送らず観察している。
これは、今日中にでも動きそうだな。
アンドレアが、モーリスに視線で指示を出す。調整は、最短で。
「では、僕は先に生徒会室で準備をしています」
主に一礼して教室を出たモーリスが向かうのは、学院の使用人待機室を経由してから、言葉通りの生徒会室。
使用人待機室には、ヒューズ公爵家の執事長が待機している。
何の変哲も無い指示に聞こえる合言葉をモーリスが口にすれば、王城の宰相執務室にいるヒューズ公爵に、執事長が「始動。最速調整」と、アンドレアの依頼を伝えに行く手筈だ。
アンドレアが、聞かれても問題の無い会話を交わしながら、ハロルドとジルベルトにハンドサインを送る。
意味は、「開始」。
ハロルドは、二学年Bクラス、ニコルの待つ教室へ。
アデライト姫が尾行出来るよう、昨夜とは打って変わったゆったりとした足取りで、けれど、姫の神経を逆撫でするために、どこか浮かれたような足取りで。
アンドレアとジルベルトは、一旦生徒会室へ。
クリストファーと落ち合い、『目撃者』となるために、アデライト姫がニコルを脅迫、または危害を加えるための密室を、こちらが用意した部屋以外は、たまたま使用中や防音不備などの不都合が生じるような工作を。
ニコル直属の護衛や、コナー家から派遣された護衛従者や侍女にも話は通してある。
ロペス公爵を切り捨て、賄賂や汚職に忌避感の無い雑魚どもも間引かれて、少し前ならば学院内のそこかしこに放たれていた学院長お抱えの密告者は、もう学院内を網羅出来るほどの数は居ない。
現在行われている、アデライト姫を罠に追い落とす仕上げの手回しくらいならば、学院長室で踏ん反り返っている狸の耳に入ることは無い。
アデライト姫退場の最終場面の舞台に選んでいるのは、王宮の或る一室。
さあ、破滅の舞台へご招待だ。
いい演技を期待している。
ジルベルトを伴って生徒会室へ向かうアンドレアの、この国の正統な王族の証であるクリソプレーズの瞳に灯る苛烈な光を、長い銀の睫毛が惑わすように隠した。
ニコルへの表情演技について、ハロルドに訊いてみたアンドレア。
「お前、ミレット嬢に対する特別感の演出で、一体何の感情を再現したんだ?」
「ああ、アレですか。以前、俺だけ『現地調査が必要だ』って一人で王都から地方に出された任務があったでしょう?」
「ああ。期間二十日取ったのに倍速で移動して十日で戻って来たやつな」
「当たり前でしょう! 二十日もジル様に会えないなんて、俺の理性を殺す気ですか!」
「死ぬの理性だけかよ」
「俺、身体は頑丈なんで」
「だよな! で?」
「十日間、強行軍で休まず眠らず水浴びすらしなかったんで、帰還後初の入浴時の感情の再現です」
「あー・・・それはミレット嬢と会える歓びや充足感が凄まじそうだな・・・」
ミレット嬢は風呂か。トイレよりはマシなのか?
首をひねりつつ、聞かなきゃ良かったと思ったアンドレアでした。