脱力からのラストスパート
「あぁぁぁぁ、もぅ、アレ何だよ、アレぇぇぇぇぇ」
頭の中を整理するためにも完璧な外面を装着して第二王子執務室まで到着したアンドレアは、自分の椅子に身を投げ出すように腰を下ろすと机に肘をついて頭を抱えた。
いくら素を出せる面子と場所であっても、ここまでダメージを隠さないのも珍しい。
留守番組のモーリスとハロルドに問うように視線を向けられたが、ジルベルトは苦笑で返すしかない。
歩く間に頭の整理はついても、心情の方は整わなかったようだ。
「モーリス、アンディスペシャルを淹れてやってくれ」
「はぁ。では、飲むキャラメル並みの甘さとテクスチャーのキャラメルミルクティーを淹れますので、少々お待ちを」
アンドレアが主に精神的な疲労時に飲む「アンディスペシャル」は、その時々で出てくる内容が変わる。素材の繊細な味と香りを殺しまくったゲテモノであっても、季節感や旬の味覚を大切にすることで、自分の心との折り合いをつけたモーリスの苦肉の策だが、今のところアンドレアからの文句は出ていない。
「二十年もすれば、アンディもああなるんじゃないのか?」
宥める口調のジルベルトに、国王との面会に行っていたことを知る二人も大凡の処は察した。
場合によっては実父であり国王であるジュリアンを弑する覚悟まで固めて行った先で、「実は深謀遠慮故のことだったんだ」とでも種明かしされて、手のひらの上で転がされる脱力感でも味わったのだろう。
幼い頃から共に育ってきた、家族より長く時間を共有する彼らは、詳細を聞かされずとも、かなり正確に事実を読み取る。
納得して見守るハロルドとモーリスが黙っていると、アンドレアは顔を上げて恨みがましい視線をジルベルトに向ける。
「じゃあ二十年後、ジルはダーガ侯爵みたいになるのか?」
ジルベルトの脳裏を、「え〜? ジル、パパみたいになる〜?」と巫山戯た口調でニコニコする毒針が過り、答えは即座に出た。
「無理だ」
深く頷きながらの返答である。
見た目や学業の成績、忍耐力や出す策のエゲツなさから、智将や頭脳派と思われることの多いジルベルトだが、ハッキリ言って思考は前世から脳筋寄りだ。
自分の中の素質を何処からどう掘り起こして探索しても、「クリソプレーズの毒針」と呼ばれる父のような策士になれる気がしない。
父は盤上遊戯で初手から最後の一手までを笑いながら読み切り、相手に気づかせずに読んだ通りに遊戯が進むよう誘導して勝つタイプのプレイヤーだが、ジルベルトは遊戯盤を置いた卓に大人しく着いているように見せながら、卓の下で相手を物理的にどうにかして敵を居なくするタイプだ。最早プレイヤーとは呼べない。
つまり、真っ当な交渉人が必要な場には向かない人材である。
「ジルとダーガ侯爵は同系列とは思えませんが、アンディと陛下は同系統ですよね」
ティーカップではなく、厚めのマグカップに甘ったるい匂いのドロッとした飲み物?らしきモノを注いで運んで来たモーリスが、アンドレアの前にそっとソレを置いて、無自覚に敗北感を抉る。
アンドレアにも分かっていた。ジルベルトとダーガ侯爵ほど、自分と父王の性質は乖離していない。だが、二十年であの域に到達出来るかと自問すれば、「まだ足りない」なのだ。
第二王子であるアンドレアは王太子教育は受けておらず、そもそもの『最初から知らされるベース』も違うのだが、悔しいものは悔しい。
悔しいからと言って腐るような男ではないので、モーリスが運んで来た『本日のアンディスペシャル』を一杯飲み終える頃には冷静になっているのだが。
「さて、と」
空のマグカップを行儀悪く片手でプラプラさせながら、一息ついたアンドレアは共有しておくべき内容を側近達に告げる。
「カリムの件は諸々了承いただけた。カリムの死体が上がるまで、俺達は他の事に掛かっていて良いそうだぞ。後始末も最高権力者方でやって下さる。存分に動いて構わないそうだ」
「それは・・・良かったですね」
モーリスに言われてアンドレアは少し気まずそうに目を逸らす。
モーリスの「良かったですね」には、雑事に煩わされる事無く大仕事に掛かれることを喜ぶ意味もあるが、父王に失望して大逆を犯す必要が無くなったことに安堵したものもある。
幼馴染み兼従兄弟でもあるモーリスは、アンドレアが国王としての父を尊敬していたことを、他の側近達より感覚的に強く理解しているのだ。父王への失望や弑する覚悟が、見せているほど平気では無かったことにも気づいていた。
理解されていることの何とも言えない擽ったさに、アンドレアは思わず視線を逸してしまった。
誤魔化すように咳払いをして続ける。
「それから、モスアゲート王国の王太子妃として嫁いだ姉上だが、コナー公爵夫人が手塩にかけて一流の工作員に育っているそうだ。大仕事の後始末で頼りにしても良いらしい。計画に入れておいてくれ」
「コナー公爵夫人が手塩にかけた一流の工作員て、色んなことが出来そうですね」
感心したように吊り気味のオレンジの目を見開くハロルド。モーリスは、顎に細い指を掛けて「出来そうなこと」リストを頭の中に並べ始めると、一瞬でリストを完成させて返事をした。
「了解しました。ダニエル第二王子の再利用法に組み込む可能性が高いかと」
「ああ。それで進めてくれ」
アンドレアの許可が出て、モーリスは自分の執務机に幾つかの書類の束を移す。
それを横目で追ってから、アンドレアは他の二人にも視線を回した。
「三日後にはお姫様の到着だ。囮役はミレット嬢に依頼し、受けてもらっている。ここまでは良いな?」
「「はい」」
ジルベルトとハロルドが答える。
ダーガ侯爵の「お願い」を叶えるために、今日から三日後にクリソプレーズ王国の貴族学院に留学して来るアイオライト王国第一王女アデライト姫に、アイオライト国王でも庇いきれない、婚約破棄に至るアデライト姫が加害者となる瑕疵を作る。
話し合いで穏便に済ませられるレベルで国王でも庇いきれない瑕疵を得るとなれば、「国家の最重要人物の誰かへ危害を加えようとした」現場を押さえるのが、最も妥当で速やかに事を成しやすい。
だが、アデライト姫の脳内が如何にお花畑だったとしても、クリソプレーズ国王や次期国王であるエリオット、『剣聖』であるジルベルトへ危害を加えることは考えられない。
その点、ニコルであれば、アデライト姫にとって年下の同性であり、身分も祖父が元平民の新興子爵令嬢だ。考えが足りなければ攻撃はし易いだろう。
少しでもお勉強していれば、ニコット商会の会長であり商品開発者でもある、王家からの庇護を公言されている、コナー公爵家の息子を婚約者に持つ令嬢に危害を加えるなど、あらゆる角度から見て恐ろしくて出来ないものだが、側妃腹とは言え王女でありながら、アデライト姫はコナー家への認識も甘く、「王家の庇護を公言」の重さも正しく理解出来ていないだろうと、第二王子執務室の面々から分析されている。
「で、ハロルド。本当に良いんだな?」
「やらせて下さい」
囮役はニコルに初めからほぼ決まっていたが、囮に危害を加えるところまで誘導する役が、中々決められなかったのだ。
今回、アデライト姫がニコルへ危害を加える理由として用意するのは、「恋愛感情による嫉妬」とする事になった。
「貴重な商品を融通してくれと頼んだが断られた」という理由も候補に上がったが、それではニコル側にも非があったと、身分的にゴリ押しされる恐れがある。
アデライト姫側に完全な非があり、且つ婚約破棄に持って行きやすい瑕疵と言うことで、「アデライト姫が婚約者以外の男性に懸想し、その男性がニコルを慕っている様子を見て、嫉妬のあまりニコルに危害を加える」という場面を作り出すことになったのだ。
ここで、重要になるのは「アデライト姫から懸想される誘導役」なのだが、当初は分かりやすく、ニコルの婚約者であるクリストファーにアデライト姫を誘惑させようかという話が出たが、アデライト姫は17歳でクリストファーは今年14歳だ。
クリストファーもコナー家の本家直系なのだから、世間知らずのお姫様の誘惑くらい朝飯前ではあるが、成功しても、年齢的に「姫の方が勝手に惚れた」と当方が言い張るのが不自然に見えてしまう。
同盟国の上層部は、当然、コナー家の役割を何となくは掴んでいるだろうから、「アデライト姫は罠に嵌められたのだ」と主張されると面倒だ。
かと言って、婚約者のクリストファー以外の男性とニコルを不用意に接触させるのはニコルの醜聞になるし、下手な男を各方面から狙われているニコルに近付ける訳にもいかない。
そこで、近付いても醜聞になり難い職業として、護衛に目を付けた。
しかし、学院でニコルの周囲に居る護衛は、確かに貴族に劣らない見目の麗しい者が揃っているが、全員平民である。「王女の心を惑わした」と無礼討ちされてしまえば「無かった事件」になってしまう。
誘導役の選定に悩んでいると、コナー家のアイオライト王国担当者から上がった報告に、アデライト姫の読書傾向が追加され、どうやら姫の好みは「背の高い騎士様」だと推測された。
アデライト姫が読んでいる本は、ほとんどが恋愛小説であり、内容は「背の高い騎士様と王女様の秘密の恋」に偏っているそうだ。それも、「他の女性には冷たい騎士様が王女にだけは優しい」、「誰にでも優しく見える騎士様だけど実は王女にだけ一途」といった、「王女だけが特別」というシチュエーションばかりだと言う。
そこで、「王家が庇護するニコルを案じる王族のアンドレアが、自分の専属護衛に様子を見に行かせている」という体でニコルの外聞を守り、学院の生徒であり「背の高い騎士様」でもあるジルベルトかハロルドを、アデライト姫に惚れられる誘導役に選定しようというところまで話は詰まっていた。
問題は、ジルベルトは色事御法度の『剣聖』であり、ハロルドが極度の女性嫌いであることだ。
ジルベルトは、その「人外」と称される美貌から、微笑みかけるだけでも誘惑は可能だが、お花畑な王女が「真実の愛なら許される筈よ!」などと現実を無視した桃色発言をしてジルベルトに無体を働こうとした場合、下手をすればアデライト姫は処刑となる。
何しろ、「他国の『剣聖』に身分を笠に着て無体を働こうとした痴女」だ。宣戦布告にも等しい行為な上に外聞も最悪である。
国王でも庇いきれない一発退場事案なのは確実だが、やり過ぎだ。ダーガ侯爵に依頼したアイオライト王国筆頭公爵のグレイソン卿だとて、姫の処刑までは望んでいない。
となれば、残るのはハロルドなのだが、ハロルドの女性嫌いは本人にも制御不能な部分であり、言葉と態度を繕うことは造作もないとしても、湧き出る殺意にすら感じられるほどの嫌悪感は、今までどうにも出来なかった。
けれど、今回、ハロルドは「絶対に失敗しません」と自ら志願した。
最近、ジルベルトの周囲に「面白くない匂い」の男達が増えたことでの焦りもあるが、今後もアンドレアの側近として働く自身の、弱点と数えられる部分を、若い内に克服しておきたいという考えもあった。
ハロルドは、「人外」とまで称される桁外れの美を有するジルベルトや、正統な王族同士の婚姻を数代重ねて生まれたアンドレア、妖精とそっくりな顔のモーリスなど、国内トップレベルの美形達と行動を共にすることが多いので麻痺しているが、彼自身も実は相当な美形である。
今のハロルド自身は知らないことであるが、『一度目』では『剣聖』はハロルドだったのだ。それは、生まれつき持ち合わせた容貌の美しさが抜きん出ていた証明でもある。
女性が嫌いで、好意や熱を含んだ視線を煩わしいとしか思わずに過ごしていたが、面白くない匂いの男達の出現により、「もっとアンドレアの役に立ってジルベルトに認められたい」という思いが強まり、己の武器を増やすために冷静に再考察したハロルドは、自分の外見と職業が、他者を魅了したり信頼を得やすいものだと気がついた。
だから、それを存分に利用するために、今まで「無理だから」と放置していた、無意識に湧き出る女性への嫌悪感の制御に着手したのだ。
成果の方は、綱渡りのような危うさと背中合わせではあるが、必要な場面では綺麗に嫌悪感を消すことが可能となっている。
「反動がヤバそうだが、まぁ、頼んだぞ。ハリー」
「はい」
必要な場面で女性への嫌悪感を全く表出させない反動は、ハロルドの心身を蝕むほどのストレスとなって溜め込まれるのだ。
解消は激しい鍛錬で処理しているが、彼の本質は被虐ではなく加虐を好むものだ。発散の効率は、自身を痛めつける過酷な鍛錬よりも、誰かを叩きのめす手合わせの方が良い。
かと言って、過剰なストレスで理性が飛んだ状態のハロルドとの手合わせを無事に乗り切る騎士や兵士など、そうは居ない。ハロルドは、『剣聖』のジルベルトを抜かせば国内最強の騎士なのだ。
「ジル、フォロー頼んでいいか?」
「鍛錬場、壊れますよ」
「だよなぁ」
ブチ切れ状態のハロルドと、それを抑え込む力を出した『剣聖』の手合わせに耐えられる頑丈さの鍛錬場など無い。
主と御主人様が顔を見合わせて肩を竦める様子を見て、ハロルドは欲望を隠さない笑顔で提案する。
「ジル様がご褒美くれるなら、俺、暴れなくても発散しますよ」
「・・・内容は?」
胡乱げな目で慎重に問いかけるジルベルトは警戒心も露わである。
「一時間ハグさせて匂い嗅がせて下さい」
「うわぁ・・・」
ドン引きの声を洩らしたのはアンドレアだ。
ジルベルトは慣れたもので、短く嘆息した後にキッパリと断言した。
「三分。ゴネるなら私からの褒美は無しだ」
「三分頂きます! 俺、全力で頑張りますからね」
どっちを全力で頑張るんだ。内心でツッコんだアンドレアだが、ジルベルトが納得しているならと口は出さない。
「カリムの死体が上がるのは、いつ頃になるでしょうね」
ケリは着いたか、と書類から目を上げたモーリスがふと口にすれば、「そうだな」と暫し考えたアンドレアの形の良い薄い唇がニヤリと片側だけ上げられる。そして、意地悪げな声で答えが告げられた。
「山からの雪解け水で王都の河川の水位が上昇した頃にでも、浮かんでくるんじゃないか?」
なるほど。準備期間は春までか。
アンドレアの忠実な側近達は、春からの大仕事と、それまでの小事の始末について、各々すべき事を頭に描いた。
ここから本章の終わりまで、一日一話投稿します。