手のひらの上感
パパ独擅場。
国王ジュリアンへの謁見申請は直ぐに受諾された。
内密の話だろうと、最初ジュリアンの私室へと招かれたのを、「護衛を伴いますから」と第三謁見室を指定したのはアンドレアの側だ。
アンドレアはジルベルトを護衛に伴い、人払いの済んだ第三謁見室で国王ジュリアンと対峙する。
親しげに招き入れたジュリアンに対し、アンドレアには親子らしい温かみのある空気は一切無い。
「私の一存で事後承諾での報告となりましたが、留学生『カリム・ソーン』の一件、陛下に顛末報告のため参上致しました」
アンドレアが慇懃に頭を下げると、壇上の玉座から息を吐くような苦笑が落とされた。
普段の一人称が「俺」のアンドレアが今口にした「私」は、敬愛や礼儀から使ったものではなく、アンドレアが公的な場で親しくない相手に向けた言い方の「私」だ。そして、最初は私室に招くつもりだったのだから、「父上」と呼ぶことを許される場面であるのに、他人行儀に「陛下」と呼ぶ。
分かりやすく突き付けられた宣戦布告に、嬉しさと面白さ半々ながら、一抹の寂しさを感じたからだ。
「やれやれ、随分と嫌われたものだ。いや、嫌悪と言うよりも、失望か」
玉座の肘掛けに肘をついて、緩く握った拳に傾けた頭を載せ、ジュリアンは、いつものように飄々と語りかける。
「まぁ、種明かしをせずに事に当たらせたのだ。お前が期待通りであればこそ、こうなることは予測していた。事が事だけに、自力である程度まで到達できない者には、種明かしなど出来んからな」
父王とよく似た輝きを放つクリソプレーズの瞳を眇め、用心深くアンドレアは訊ねる。
「では、この場で種明かしをしていただけると?」
「ああ。だから、その、捨てるつもりのゴミを見るような目で父を見るのを止めろ」
「おや、そんな目になっていましたか。ただ、父上が本当に心の底からモスアゲート国王の親友であろうとするならば、私は国の未来の為に、貴方を手に掛ける覚悟を決めていただけですよ」
ニッコリ。理想の王子様のような笑顔で応じた息子に、ジュリアンは快活な笑い声を上げた。「愚王という判断が確実に出来たら殺すつもりだった」と息子に言われたのだが、ジュリアンの笑い声は、息子が難関の試験で満点を取ったと報告を受けた、普通の父親のように聞こえる。
「ああ、嬉しいな。やはり、お前に我が国の未来を託す判断は正しかった」
明るい笑顔を見せたジュリアンは、一転、真剣な面持ちと威厳ある声色となり壇上から告げる。
「では、報告を聞く前に種明かしをしよう」
そして、一瞬でいつもの飄々とした風情に戻る。
この掴みどころの無さは、対面する度に軽い敗北感を与えるもので、表には出さないが、アンドレアは少々苦手だった。
「私が現モスアゲート王国国王ニコラス・ギャビン・モスアゲートと『親友』になったのは、先代クリソプレーズ王国国王であった私の父からの無茶振りな課題に起因する」
思いもしなかった「種明かし」の内容に、アンドレアの双眸が僅かに見開かれるが、動揺までには至らない。
王族には曲者や食わせ者が多い。先代国王は、このジュリアンの父親だ。絶対に一筋縄ではいかない、捻くれた複雑怪奇な性質を持っている。
なるほど、と納得がいった辺りでジュリアンの「種明かし」は詳しい背景の説明に入る。
「私が、丁度お前くらいの頃、父上に呼び出され言われたんだ。『戦乱の時代の真実を紐解き、モスアゲートへ赴いて自身が次代の王として成すべき事をせよ』とね。私の場合は『モスアゲート』というヒントが出されていたけれど、お前ほど早く真実を解くことは出来なかったよ。お前は優秀だね」
肩を竦めて笑いながらジュリアンは言うが、内容は笑い事ではない。
「私は『戦乱の時代の真実』に辿り着き、留学の形を取ってしばらくモスアゲートに滞在することにした。先ずは、次期モスアゲート国王となる王太子の器と人格を見定めることが必要だと考えたからね。
ニコラスは所謂『人格者』というやつでは無いが、別に悪党という訳でもなかった。ただ、彼は凡庸な小心者で、王としての器は無いと判断できた。
当時のモスアゲートには次期王弟となる王子がいなかった。もしかしたら、実際には産まれていたのかもしれない。彼処はああいう国だからね。ダニエルとクリードは『片方を産まれなかったこと』にされたけど、それが『両方』や『全員』だった世代もあったかもしれないからね」
ジュリアンは軽い口調で、穏やかな微笑すら浮かべて話しているが、口調に反してモスアゲートの内情を推測する声音は冷たい。
確かに、一夫多妻が当然の形となる国王であるのに、モスアゲートの国王は代々、他の王国の国王と比較して子供の数が少ない。王太子のスペアとなる王子が存在しない代も、ニコラスの時だけではなかった。
ニコラスには、公式発表では長男で王太子のブライアンと第二王子のダニエルがいる。
しかし、もしも双子の王子が産まれた時に「両方を産まれなかったこと」にしていたら、ニコラスの息子は長男のブライアン一人となっていた。
モスアゲート王国は、王族が国王を支える形の為政を、アウロ公爵のような主義を掲げる臣らが許さず、以前から、血族の味方を持たない国王を傀儡とする政治形態を執って来たのでは、という邪推も出て来る。
だとすれば、現国王のニコラスが小心者で保身的であることに、人の情けでは同情もするし納得もしなくはないが、玉座に在ろうとする者として同情の余地は無く、信用や好意を向けることも有りはしない。
ジュリアンは冷たい声で、軽い口調で、微笑みを浮かべながら、自らが次期国王として祖国の為に果たして来た「モスアゲート国王の親友」という役目の内実を語る。
「彼は王の器に無い小物で、支えられる身内も無く、周囲に頼れるブレーンも居なかった。彼が『国の顔』になれば、他国から侮られ、食い物にされるのが目に見えるようだった。小心者で浅慮故に、流されやすく軽々にその場の判断をしがちだからね。それで自国が危機に陥ったら、過去を盾に我が国に寄りかかるだろうことも予測出来た。
それを避けるために、私はニコラスの『親友』という立場を築くことにした。不安や悩みを『相談』したくなるような、信じられて頼りになる『親友』だ。
私はニコラスが即位するまでに、彼が私に『相談』した時には私の『アドバイス』を受け入れられるまでの立場を確立した。
甲斐あって、今までニコラスが外交上の失態を犯したという情報は出ていないだろう? 重要な判断は、ほとんど私に『相談』していたからな」
清々しい笑顔で『親友』の無能さを皮肉るジュリアンに、アンドレアも、後ろで控える護衛のジルベルトも、無言で冷静な表情ながら脳内は言いたいことが色々と飛び交う。
国際的な評判でも諜報担当からの調査報告でも、現モスアゲート国王ニコラスの人品為人に瑕疵は無いのだ。
ニコラス王の一般的な他国上層部からの評価は、「賢王」と呼ばれる程ではなくとも、ごく真っ当な問題の無い為政者であり国王である。とされている。
強調のために繰り返すが、諜報部を使って調査に当たらせてさえ、だ。
それが、全て、この、清々しい笑顔で玉座から見下ろす掴みどころの無い我が国の王の暗躍によるものだったとは!
今までずっと、コナー家からの報告でさえ「モスアゲート国王の為人に問題無し」だったのだから、ジュリアンは腹心であるコナー公爵にすら、現モスアゲート国王との『親友関係』が背後から操作する目的でしか無かったことも、内実も伝えていないと言うことだ。
コナー公爵が持っている情報は、全て『真の支配者』であるクリストファーも把握しているのだから、今回アンドレアに協力しているクリストファーから話が出なかったことが、それを証明している。
先代国王と、『クリソプレーズ王家の恥』を知る先代王弟は、ジュリアンとニコラスの本当の関係も知るところだろうが、「王族にしては優し過ぎる」と言われるジュリアンの実弟は何も知らないだろう。
この飄々とした風情を滅多なことでは崩さない王は、二十数年に渡る長い間、それほど重い事実を同世代の誰とも分かち合わず、一人で背負い、一人で誰にも疑わせず暗躍し続けたのだ。
息子には、父としても男としても、一国を担う実権者としても、見上げる玉座の先から敗北感が伸し掛かる。
だが、自国の王に、父親に、失望しなければならないよりも、ずっと良い。
アンドレアのクリソプレーズに、父王への尊敬の念が蘇り、彩りを煌めくものにする。
それを嬉しげに、慈しみの温度を同じ色の瞳から眼差しに乗せて見下ろし、ジュリアンの言葉は続く。
息子に対する眼差しの温かさと乖離するほど、モスアゲートの内情を断じる声は温度が感じられない。
「十五年前、いつもなら難しい判断は下す前に必ず私に『相談』していたニコラスは、双子の王子への処遇を私的なものと考え、私に『相談』するまでも無い問題だと捉えて『彼なりの最善策』を実行し、フォローのしようも無い状況になってから事後報告して来た。意気揚々とね」
現モスアゲート国王の評価がジュリアンの暗躍によって保たれていたものだと知れば、十五年前の双子王子の処遇の判断にはジュリアンが関わっていなかったからこその、「ニコラス王らしくない」と思わせるものだったことに納得だ。
今までの「ニコラス王らしさ」は、全てジュリアンが、そうなるよう誘導したものだったのだから。
真っ当な人品為人の王であれば、他に取れる策を講じること無く、同盟国から嫁いだ正妃の産んだ王子達の命を、自身のツケ払いに消費しない。
王だからこそ非情な判断を下すことが必要な場面はあるが、国の未来を想うならば、自身の力不足や甲斐性の無さを贖うのは、未来に可能性を持つ王子達の命ではなく、伸びしろに期待の持てない王の進退であるべきなのだ。
ツケを払わない、または臣下や民の命で贖おうとする下の下の策よりはマシではあるが、ニコラス王の『最善策』は、ジュリアンやアンドレア達から見れば、下の上、国の内情を加味して仕方の無かった部分もあると同情しても、せいぜい中の下の策だ。
ジュリアンは薄く笑いを浮かべて冷ややかに言の葉を落とす。
「カリム・ソーン留学に際してニコラスから密書が届いた時、思ったよ。ようやく『時は来た』とね」
今度こそ、クリソプレーズ王国史上最悪の愚王レオナルドの犯した『隠された罪』を、完全に葬り去らねばならない。
ジュリアンは、『次代の実権者』であるアンドレアにヒントを与えて実動させ、自らは何も動きを見せずに、水面下で進む処置を見守っていた。
親友が何も警戒せずに、「親友なら今までと同じように、良い感じに問題を解決してくれる」と信じて待機するように。
「アンドレア。王である私が、先祖の尻拭いを王子であるお前に押し付けるのだ。後始末は私がすべき事。存分に、思うまま動くがいい」
「御意」
報告する予定だったクリード王子の扱いや、コナー家配下の兵団兵士らによる、「カリムの護衛」と称するモスアゲート王国貴族の捕縛や尋問も含め、外交面は国王と、その世代の実力者達に丸投げして構わないと許可が出た。
苛烈な光を宿した瞳のままに頭を下げたアンドレアの上から、「そうそう」と温かみを戻した声音で言葉を繋がれて、嫌な予感と共に頭を上げた王子は、国王の実に愉しげな表情を目にして予感が当たることを確信する。
「『種明かし』が出来たら教えようと思っていたんだ」
まだ何か、アンドレアの敗北感をグサグサと刺激する「衝撃の事実」めいたモノが出て来るらしい。
「お前の実姉のフレデリカがモスアゲートの王太子妃として嫁いでいるだろう? あの娘には、『嫁ぎ先で何が起きようとも、祖国を忘れず努めよ』と申し渡している。あの娘はコナー公爵夫人にコナー家の教育を最高レベルで叩き込まれて、一流の工作員に仕上がっているんだ。お前が少々無茶をしたところで心配は要らない」
「・・・そうですか」
少しばかり反応は遅れたが、絞り出すような声ではなく平然とした調子で応えることが出来たアンドレアは、内心ではガックリ項垂れている。
ジュリアンの正妃がジュリアンの即位と共に王妃の位に就いた時から、王妃の「話し相手」としてコナー公爵夫人は指名されて王宮に通っていた。
同盟以降、王妃とは同盟国である他国から嫁いで来るものとなり、その「話し相手」には国内の高位貴族の夫人が指名されることが通例となっていた。
コナー家の役割を知る立場の者達からは、他国から嫁いだ王妃の相談役兼監視を目的とした指名だと考えられるし、そうでない立場の貴族達からも、公爵夫人が王妃の「話し相手」というのは自然に受け入れられる。
その通例や常識を捉える意識を利用して、ジュリアンは、いずれモスアゲート王国の王太子妃として嫁ぐことになる王女が産まれた時には「コナー家の教育」を施してもらう為に、コナー公爵夫人を王妃の側に常に居ても不審感を抱かれない地位に置いていた。
同盟国の王妃となるために嫁ぐ王女は、同じように同盟国から王妃となるために嫁いで来た母から、「同盟国の王妃教育」を受けることになっても不思議は無い。
専門の教師を付ける国もあるが、同盟国間で王女を次期王妃とするため輿入れさせることは、何も初めてでは無いのだ。「経験者」である母親から学ぶことは少なくないだろうし、効率的でもあると、国王の判断は支持された。
斯くしてジュリアンの思惑通り、モスアゲート王国へ輿入れ予定だった王女フレデリカは、王妃のプライベートエリアに通い詰めながら、王妃教育と並行して「コナー家の教育」を叩き込まれることになったと言う。
アンドレアは今更ながら、実姉とは言え、ほとんど会ったことも話したことも無いフレデリカとの共有時間の少なさの理由を知った。
王女の公務の傍ら、王妃教育と「コナー公爵夫人が考えるコナー家最高レベルの教育」を叩き込まれていたら、次期国王よりも余暇の無い多忙さだっただろう。
公務と学習と鍛錬の傍ら、クリソプレーズ王国の汚れ仕事に奔走していた多忙なアンドレアとすれ違いが生じるのは当然だ。
同じ親から産まれただけの、他人よりも関わりの無い人だと思っていたが、この父王をして「一流の工作員」と言わしめるほどの研鑽を積んだ姉とは、もしかしたら、話してみれば気が合うのかもしれない。
「姉上にも後始末の一端を担っていただけるのですね」
言葉に混じりそうになる溜め息を噛み殺しながら、アンドレアが淡々と訊けば、「姉は頼りになって良かっただろう?」と、見限った兄との関係性を揶揄するような笑えない冗談をウィンクと共に投げられる。
引き攣りそうになる頬を宥めて余裕の王子様スマイルを保ち、「ええ、まったく」と返すアンドレアだが、父王という壁は思った以上に高く厚いようである。
きっと、父上の面の皮と同じくらい分厚い壁だ。
心の中で独り言ちて頷きながら、今後の作戦を練るために、アンドレアは護衛を伴って第三謁見室を辞去し、仲間達の待つ第二王子執務室へ向かった。
クリストファーが「コナー家の申し子」でありながら、『一度目』で兄のウォルターによって壊れるまでの虐待を受けてしまったのは、コナー家の女主人であるコナー公爵夫人が王命により王宮に詰めていて、家内の問題に気付くのが遅れたためです。
コナー公爵夫人が王女の教育に全力で取り組んでいる間に、クリストファーの状態は手遅れとなり、ウォルターは次期国王であるエリオットの最も信頼する側近となっていて「罰として処分」する訳にもいかず、ウォルターの一人勝ちとなっていたのが『一度目』の状況です。
本来であれば、「申し子」であるクリストファーを、国の為ではなく私利私欲で損なったウォルターは、コナー家の家法によって処刑となる筈でした。
ウォルターは、それを知っていたので、避けるために両親に気付かれる前に「次期国王の最側近」に昇り詰めました。
ウォルターも、「申し子」のような天才の素質は無くとも、優秀な「次期コナー公爵」ではあったので。
コナー公爵が『一度目』で壊れてしまったクリストファーへの殺処分命令を出したのは、天才の素質を持って生まれながら嫉妬により身内に損なわれ、実力を出せず生き続ける生からの解放という、親の愛情や慈悲からでもありました。
勿論、コナー家から大罪人として歴史に名を記す者が現れる前に「存在を消す」意味もあります。
今のクリストファーも『一度目』のクリストファーも、「コナー公爵家に家族の情など存在しない」と思っています(いました)が、実は両親とも「申し子」のクリストファーのことは、期待も込めて、とても気にかけています。クリストファーは全く気付いていませんが。
クリストファーを虐待していない今生のウォルターとプリシラへも、一般的な貴族家庭とは同質でなくとも親としての情があります。