第二子王子と第三王子
ジルベルトはアンドレア側のカリム護送要員として派遣されたが、勿論「カリム・ソーン」の姿や、何処から見てもモスアゲートの王族である素の姿で連行する訳では無い。
コナー公爵家の血筋の人間は、物心がつく前から適性を見て振り分けられ、専門の訓練を積む。
本家の人間が求められる能力・技術が最も高いのは当然だが、分家の者や、縁戚の中でコナー家に認められ「身内」として取り込まれた者達も、暗部で働くに足る技術が求められる。
しかし、家単位でコナー家の「身内」または配下として認められていても、家人全員がプロとして動けるほどの才能を開花させられるとは限らない。
諜報、工作、暗殺、その何れにもプロとしての適性が見られなかった者は、仲間が潜入する際に姿を貸す『仮面』と呼ばれる役割を担う。
コナー家の抱える『仮面』達は、王城の勤め人、王宮の使用人は言うに及ばず、地方の領主城の使用人、幾つかの商会の雇用人や大きな工房の職人、ホテルやレストランのスタッフから、大規模な農場や牧場の労働者、数種類のギルド職員、金融業者の事務員、他、各地各業界に散らばって、新入りは警戒されがちな場所で、真面目で大人しい為人で根を下ろし、風景に溶け込むことに努めている。
本腰を入れた調査等が必要になれば、調査や諜報の専門技術を持った者が、必要な期間『仮面』の姿を借りて入れ替わるのだ。
今回、カリムをアンドレアの執務室まで護送するに当たり、コナー家の『仮面』を一枚借りることになった。
借りるのは、ゴート伯爵家次男、ライアス・ゴート。宰相補佐官の末席に在り、日々先輩達から下っ端扱いで雑用を押し付けられがちな気弱で大人しい男である。
気弱で大人しいのは、必要に迫られての「設定」でしか無いが。
ライアス・ゴートは赤みがかった茶色の髪で、学生時代から本の読み過ぎで視力を落とし、眼鏡の奥がよく見えないほど分厚いレンズの眼鏡をかけている。
如何にも文官然としたヒョロヒョロの体躯は、身長はそこそこ伸びたが、ダボダボの服も相まって貧相さが際立つ。
加えて気弱なコミュ障で俯きがちの猫背なものだから、人と目が合わないように下ろした前髪がダサい眼鏡に掛かっている。
そんな設定で生活を送るライアスの本来の性格は、自虐ネタを混ぜ込みながら嫌いな人間をディスる毒舌家だ。
自分が『仮面』にしかなれないと判断された時、より汎用性の高い便利な『仮面』になってやろうと練り上げたのが、現在の姿である。
宰相補佐官の職を目指したのは、城内の何処に居ても不審感を持たれにくく、ただの文官では出入り制限のある場所にも、比較的スムーズに出入り許可が下りやすいからだ。
成長と共に猫背キャラを作っていったのは、実際の身長を誤魔化しやすくするため。ダボダボの服で貧相さを演出しているのも、実際の体型を判別しづらくするため。
瞳の色が誤魔化しやすい眼鏡キャラを疑われないように、学生時代から「本の虫」のフリをした。
目が合わないよう俯きがちで、声質の区別が付きにくいボソボソした小声で喋ることに違和感を持たれないよう、少年時代から気弱でコミュ障な人格を装って来た。
つまり、ライアスは負けず嫌いで気の強い努力家だ。コナー家の花形の役目は負えないが、彼は『仮面』を楽しんでいる。
実際、王城内でコナー家の配下が本格的に活動する場合、ライアスの『仮面』が最も使われている。
さて、今回のライアスとカリムの入れ替わりの手順だが、本日の昼前、ライアスは先輩に押し付けられて、王都内をぐるりと移動しなければならない面倒な『河川の水位の定期視察』に行っていた。
そこでライアスは、河岸に引っ掛かる『原型を留めない人間の死体』を発見。
情けない悲鳴を上げて胃の内容物を吐き散らかし、嘔吐きながら這って河から離れて助けを呼べば、そこに現れるのは巡回中の兵団の兵士達。
軽くパニックを起こしているライアスを保護した兵士達は、ライアスが貴族だと知って、所縁のある貴族家であるコナー家に相談。
ライアスは、医師を手配されたコナー家にて落ち着くまで休みながら、事情を聞き取りされる。
しかし、ライアスがコナー家で休んでいる間に兵団の調査によって、死体の出処が『貴族学院の留学生が拠点にしている屋敷である』ことが判明。
ライアスは、貴族学院生徒会長である第二王子アンドレアからも話を聞きたいと要請され、向かうことになった。
筋書きは、こんな感じだ。
兵団が『保護した貴族』を案内するのは、コナー家の王都本邸ではなく、夜会なども催される別邸の方だ。
実は、別邸の敷地の外れに隠された扉から、地下道を通って本邸の敷地の外れの備蓄庫に繋がっている。
この地下道に出入りする扉の鍵は、コナー家の当主と、存在する代には『コナー家の支配者』のみが持つ。
クリストファーは、カリムを同伴して別邸に待機しているライアスと面通しさせ、カリムにライアスの特徴を覚えさせて変装させ、今度はライアスを伴って再び本邸へ戻る。
ライアスは、背筋を伸ばして眼鏡を取れば瓜二つになるゴート伯爵家嫡男イーサンに成りすまして、コナー家本邸からゴート伯爵家のタウンハウスへ帰宅することになる。
前髪を上げて撫で付けて隙無く整え、イーサンが好んで着用するロングコートと気に入りのブランドのブーツを身につければ、他人には区別がつかない。
イーサンは、適性があったので、表向きは祭儀部に所属する文官であり、コナー公爵の直属の配下として働いている。祭儀大臣の公爵のお遣いで、本邸に出入りすることも多く、人目に付いても問題無いのだ。
クリストファーは本邸の正門からジルベルトと共に堂々と馬車で出て、別邸に向かい、ライアスに扮したカリムを拾って王城の第二王子執務室へ向かう。
話が済めば、カリムはライアスに扮したままゴート伯爵家のタウンハウスへ「帰宅」して、クリストファーの指示があるまで人目を避けて待機だ。
ライアスが被りやすい『仮面』ということもあるだろうが、カリムは短い時間で難無くライアスに成り切っていた。
貴族学院生徒会役員として、クリストファーも同行し、ジルベルトに案内されて、ライアスの姿のカリムはクリソプレーズ王国王城の第二王子執務室へ連行される。
執務室に入ってしまえば、余計な目と耳を気にする必要は無くなる。
カリムは赤みがかった茶髪の鬘と分厚いレンズの眼鏡を取り、優美な所作でアンドレアに礼を執った。
それを認めたアンドレアが声をかける。
「クリソプレーズ王国第二王子アンドレア・トュルシ・クリソプレーズだ。貴殿はモスアゲート王国辺境伯子息カリム・ソーンを名乗っていた、モスアゲート王国第三王子クリード・モスアゲートで相違無いか」
「モスアゲート王国辺境伯子息カリム・ソーンを名乗っていたことに相違はございません。しかし、私は他の名を与えられていた事を知りません。長じるにつれ、己の出自や置かれた環境の事情は想像が付くようにはなりましたが、私を『第三王子』と呼ぶ者も、『クリード』という名前で呼ぶ者も、今まで一人も居りませんでした」
「そうか。報告は受けている。ならば、この場では何と貴殿を呼べばいい」
「私は今後、クリストファー様の配下として別人の名を与えられると聞いていますが、この場は便宜上カリムとお呼びください」
「分かった。カリム、顔を上げていい」
顔を上げ、スッと狂いなく芯の通った立ち姿のカリムに、アンドレアとモーリスは内心で唸る。
己が下だと弁えた態度ながら、滲み出るオーラは傲慢ではないが高貴。少年から青年へ成長途上の体躯はバランス良く鍛えられ、表情には知性が、やや吊り気味のモスアゲートの両眼には肝の据わった覚悟が窺える。
所作は隙が無く優美。発声は気品を感じさせ、声色は魅惑的だ。アンドレアの問いかけに対する応答から、頭の回転も良さそうである。
この男を無駄死にさせて構わないと判断するモスアゲート王国の国王に対して、呆れと失望が加速する。
アンドレアは、カリムをどうしても欲しいと言っていたクリストファーの態度に、ひどく納得した。
モーリスも、想像以上のカリムの出来の良さに、無表情を保つが直ぐに言葉が出ない。
ハロルドは、またしても「敵じゃないのに嫌なニオイの人間」が現れて、ムッツリと沈黙していた。
「ここに連れて来たということは問題は無かったんだろうが、ジル、報告を」
アンドレアの言葉に、ジルベルトが進み出て簡潔に伝える。
「事前のクリスの報告通り、カリムにモスアゲート王国への忠誠心や愛国心はありません。カリムは我が国への亡命を希望し、モスアゲート王国にて身につけた技術を以てクリスの配下として我が国のために働くことを承諾。実際の立場はクリス直属となりますが、『クリソプレーズ王国への忠誠』要件を満たすため、クリソプレーズ王国『剣聖』である私に忠誠を誓わせました」
「は⁉ 何でジル様に⁉」
大人しくしているつもりでいたハロルドだったが、思わず反射的に噛み付いてしまった。隣に立っていたモーリスに後ろ襟を掴まれ、冷ややかに窘められる。
「カリム殿の実際の血統は、モスアゲート国王と王妃の間に産まれた正統な王子なのです。例え死んだことにして別人の戸籍を取得しても、本国にもしもがあれば、王位を継ぐ可能性はゼロではありません。他国の王位を継ぐ可能性のある王族に忠誠を誓わせることが出来ないのは当然でしょう」
「それは分かってるが、ジル様じゃなくてもいいだろうが!」
「ジルは『剣聖』だから適任なんだよ。諦めろ」
アンドレアにも嘆息と共に窘められて悔しそうに黙るハロルドに、クリストファーが肩を竦めて引導を渡す。
「俺は表の顔が『ただの公爵家の次男』だから不足だし、モーリスは政治色の強い宰相の息子で次期宰相が内定しているから、王族に誓うのと同等にマズイ。宰相の養子でしかないお前に誓う忠誠じゃ『クリソプレーズ王国への忠誠』の要件は満たせない。『剣聖』は清廉である印象が強く、私欲で力を振るう印象が無い上に、『国の顔』の一人に数えられる公人だ。それにジルはアンドレア殿下に忠誠を誓っていて国を裏切らない保証がある。文句をつける隙が無ぇだろうが」
ジルベルトは『剣聖』だが、結局のところ王族であるアンドレアに忠誠を誓っているので、カリムは間接的に王族のアンドレアに逆らえない誓いを立てたことにはなるが、形式上、国家運営の深い処まで関わる任務を任せるならば、どうしても必要な部分なのだ。
そして、「形式上必要な誓い」だからこそ、相手が王族のアンドレアに直接だったり、次代の宰相に内定しているモーリスだったりは、後々その事実が『負の遺産』になりかねず、表向きの身分が『国の顔』レベルではない人物では役者不足となる。
しかし、大陸共通認識で清廉潔白と見られている『剣聖』は、もしもが起きてカリムがモスアゲート国王になったとしても、誓いを盾に国の簒奪を目論む筈がないと考えるのが常識だろうと言い訳が立ち、誓わせるクリソプレーズ側、誓うカリムの側、双方に保険がかかるのだ。
ハロルドの私情で、この「最善」の処理法に文句を付けて覆すことは許されない。
ハロルドも、それは十分に分かっている。ただ、面白くないだけだ。嫌だからと言って、本気で反抗などしない。
この悶着が目の前で繰り広げられていても、カリムの感情は一つも揺らいでいないことを嗅ぎ取って、益々面白くないだけで、ハロルドは主には一応、忠犬である。
ハロルドが大人しくなったことで、大まかにはクリストファーから聞いていた、カリムの持つモスアゲート王国関連の情報を、アンドレアが直に質問を挟みながら聞き取って行く。
その内容は、モーリスだけではなく、ハロルドも表情を無にして真剣に聞き入るものだった。
嫌なニオイの奴らが急に御主人様の周囲に増えたことは、一先ず置いておき、私情を消して己の役目に全力で集中する必要があると感じたのだ。
嫌なニオイの奴らは、取り敢えず敵ではないし、御主人様を含む自分達への悪意や害意も無い。
だが、カリムが齎す同盟国の内部の腐り様は、主君と義兄が、先日までを上回る激務に苛まれ、体力に自信がある御主人様と自分も相当な無茶を覚悟で当たらなければならない予感ばかりだ。
拗ねてる場合ではない。
「これは・・・こちらの行動計画を練り直す必要があるな」
国王ジュリアンからモスアゲート王国の件を一任されているアンドレアは、クリソプレーズの双眼を鋭く光らせて、重く低い声で呟いた。
「モスアゲートの平民の中なら、うちの『仮面』も用意出来てます。御望とあらば、当家の専門家と何時でも交代可能ですよ」
底の知れない危うさを紺色の垂れ目に揺らめかせて、クリストファーが誘うようにアンドレアに告げる。
「では僕は当家の執事長が誇る『使用人ネットワーク』に何かしら掛かるものが無いか精査致しましょう」
氷のような蒼眼は笑わぬまま、口許だけ緩い笑みの形に吊り上げて、モーリスが主に申し出る。
「あまり使いたくない『奥の手』ですが、我儘も言っていられませんね。父上に息子として甘えて機密でも強請ってみます」
常の静かな微笑から表情を一転させ、艷やかに戯けて色気を振りまくジルベルト。
「命令一つで何でも壊します。事が終わるまで、誰とでも『良い子』で共闘しますよ」
作り物のように穏やかな表情で、ハロルドが主君に誓う。
仲間達を見渡して、アンドレアがニヤリと嗤う。
「ああ。頼りにしているぞ。敗北するのは常に───俺達を敵に回した愚か者共だ」
カリムがアンドレア達に齎した「モスアゲート王国の内部情報」は、本編の次章で明らかになります。
『不穏な学院生活編』は、学院長との闘いが終わる処までとなりますので、この章では情報の内容は記述されません。