100部目投稿記念閑話;自分のヤバさを自覚した日
ジルベルトの前世、「素良」の生い立ちです。
明るい話ではないです。
児童虐待や異常行動などが地雷となる方は、避けた方が無難かと思います。
想像すると少しホラーっぽい要素もあるかもしれません。
素良は自分が「普通の家」に産まれたのだと思っていた。
父親は大卒公務員で役所勤め。母親は父親より二つ歳下で、短大卒の公立高校事務員。二人は仲人のセッティングした見合いで出会って結婚し、結婚式から約一年後に長男である兄が誕生。
素良は長女で、兄とは学年が一つ違う。
当時、女の子の名前として「そら」という読みも、「素良」という漢字も、珍しく感じられるものだった。
母の名前が「素子」、父の名前が「良太」だったことで、「両親から一文字ずつ貰った素敵な名前」などと誤解されることも多かったが、実際は名前を考えるのが面倒臭かったというだけの理由だ。
素良は、「ウッカリ」出来てしまった子供だ。
長男である兄は、父方、母方どちらの祖父母の方でも「初めての男孫」で、まだまだ「嫁の価値は男を産むこと」という風潮の強い時代、それはそれは両家集まっての大フィーバーだったらしい。
で、その大フィーバーな宴会で、赤ん坊をジジババに任せて羽目を外して酒盃を重ねた両親は、避妊を忘れて盛り上がり、長男の懐妊から一年も待たずに二人目の懐妊となってしまった。
兄が四月生まれであれば、素良は兄と同学年になるところだった。
長男妊娠中の悪阻が非常に重く、出産も相当に難産であった母は、妊娠も出産もトラウマとなっていて、腹に宿ってしまった二人目は彼女にとって「不本意の塊」でしかなく、辛くても産まれて出会えるのを楽しみにしていた長男の時と異なり、「嫌なことを無理強いする恨む対象」という思いが腹と共に育っていった。
仕事柄もあり、世間体を重視する両親は、嫌でも不本意でも、経済的に無理なわけでもないのに中絶するという選択も出来ず、嫌々産んでみれば祖父母にとってはもう珍しくもない女孫で、ガッカリした顔をされたのも全ては第二子で長女の素良のせい、という結論が捏ね上げられていた。
世間体が大事な両親が素良に「外から見て分かりやすい虐待」をすることは無かった。
ただ、無関心であり、疎ましさを隠そうとしないだけで、「適当に食べてなさい」と言って食事を与えないことはあっても、それで勝手に家の中の食料を食べても怒られることは無かった。
幸か不幸か、素良は賢く冷静な子供だった。
育児休暇中の母が、丸一年も離れていない兄にかかり切りになる乳幼児の時期も、ほぼ泣かない手のかからない子供だった。そして、笑いもしないので不気味だった。
三歳になっても幼児言葉すら発さないために、知能に問題があるのではと、夜な夜な両親が「どう世間に隠せばいいか」や「どうしたら世間様に悪く言われず施設にやれるか」などを話し合っていたが、その頃既に、素良は自分が話さないだけで、周囲の大人達の言語を問題なく理解していた。
話さないのは、どうやらマズイのだと考えて、言葉を理解している様子は隠さなくなったが、丸一年も離れていない兄に比べて、あまりにもオツムの出来が良く大人びている様子は、可愛いげが無く、更に兄にとっては嫌悪感を増大させるものだった。
落ち着きがあり、親から放置されていても困った様子も見せずに、一人で起床し、子供用の布団を上げ、着替えて歯を磨いて顔を洗い、自分の食事を用意して食べて片付け、兄が飽きて捨てた絵本や文字ドリルや計算ドリルで学習し、腹が空けば適当に何か食べて片付け、疲れれば自分で布団を敷いて昼寝をし、室内に飽きれば外に出て家の周りを散策し、という具合に、「お前達など必要無い。視界にも入っていない」とでも言うように平気で過ごす素良は、物凄く気味の悪い幼児と思われ、両親や祖父母の心は益々離れ、兄から向けられる嫌悪感は憎悪へと進化していった。
幼子も五歳位になると顔立ちがハッキリしてくるが、素良は両親のどちらにも似ていなかった。勿論、両親双方によく似ている兄ともまるで似ていない。
ゴツい顔付きの父、平面的な顔立ちの母、双方の特徴を存分に継いだ兄と比べ、素良の繊細で儚げな整った面立ちは異質に映る。
世間体第一の両親は、元から少なかった素良の外出への同行を極力避けるようになった。ちょっとした熱や怪我では病院にも連れて行かないレベルでだ。
素良の顔立ちに、祖父母からのプレゼントで兄が気に入らなかったからと下げ渡された、男児用の服は、全く似合っていなかったが、「着る物が無いわけじゃないのだから」と、素良には女児用の下着すら買い与えなかった両親の意図した所では無いものの、コレが幼少期の素良を性犯罪から守ってもいた。
髪も家でハサミで適当に短く切って、センスの悪い色柄の男児服に身を包む「素良」という名前の子供は、大分大きくなるまで、近所の住民からは女の子だと認識されていなかったのだ。
とはいえ、「綺麗な顔をしていれば男の子でも可」という変態も居るわけで、素良は逃げ足が早く、隠れんぼの得意な子供になった。
素良が七歳の時、乳児期以降、普段は一人で自宅で留守番となっていた、電車で二時間ほどの父方の祖父宅への集まりに連れて行かれた。
家庭内に口出しせずで、児童を守る法律がガバガバだった当時でも、多分バレたらヤバい未就学児の放置だが、素良は何も困ることも無く、両親も当然の顔で数日間、素良一人で放置していたので、これも普通だと思っていた。
珍しく外出に同行させられたことを不思議に思っていたら、どうせ小学校に入学して外に出ているのだから、という理由と、祖父の兄である大伯父の米寿祝いを兼ねた快気祝いで「親戚一同」が招集されて仕方がなかったかららしい。
ちなみに、小学校に入学しても、素良の服は相変わらず兄の「要らない服」であり、ランドセルは従姉が六年間使ったお下がりだった。
鬱陶しいくらい世間体を気にするくせに、長女の格好を整えようと思わない矛盾に、「変なの」くらいは思うようになっていた。
祖父宅で、初めて対面した大伯父は、素良の顔を見て凄まじい形相で瞠目し、凝視して来た。
顔立ちがハッキリしてからは初めて会う祖父も、何とも言い難いような複雑な顔をして見詰めて来た。
何事かと思えば、素良の顔は、祖父と大伯父の叔父に当たる「久二」に生き写しのようにそっくりなのだと言う。
ただ今は亡き先祖と顔が似ているだけにしては大仰な反応だが、「子供に聞かせる話じゃない」と、二人とも言葉を濁した。
しかし、口が重かったのは酒を飲むまでだった。
素良は自分が「酒の失敗」によって望まれずに出来てしまって産まれたことを聞かされていたし、両親とも自宅で晩酌をすれば素良本人の前で赤裸々な本心を溢していた。
どうやら親の親や親戚も同類のようで、酔ってしまえば「子供に聞かせる話じゃない」話をペラペラと大声で喋っていた。
子供心に素良は、この家の人達は酒を断った方が良いんじゃないかと考えたものだ。
祖父と大伯父の昔話によれば、まだこの辺りが村と呼ばれ、家長の権限が絶対的だった時代に、久二は父から命じられた縁談を断り、罰として今も庭に在る蔵に閉じ込められたらしい。
久二は食事を運んで来た下男を殺して逃げようとしたが、村人達の協力によって再び捕らえられ、蔵に戻された。
何日かして、久二から受けた傷が元で下男が死に、久二は駐在に引き渡されることになった。
しかし久二は蔵の中で首を吊って死んでいた。
その後、久二の父や捕獲に協力した村人の幾人かが発狂死して、祟りだ呪いだとしばらく騒ぎになったらしい。
祖父と大伯父は久二の死体をチラッと見ただけだが、逃げて捕まる時に抵抗して殴られでもしたのか、掛けられた浴衣の下は傷だらけだったそうな。
祖父と大伯父は「お前は祟る顔だ」だの「人を狂わせる血が濃く出た」だの怪しい呂律でがなりながら、素良を無理矢理あぐらの上に乗せて腹や足を撫で回した。
気持ち悪くて抜け出ると、「今日は一緒の布団で寝るぞ!」と怒鳴られて、「あ、この人達の要求は他所で会う知らないおじさんの性犯罪者と同じだ」と気付いた。
それでも素良は、自分が普通の家で産まれた普通の環境の子だと思っていた。
言語理解が早かった素良は「虐待」という言葉は既に知っていたが、その言葉と「性犯罪者」を結び付けるには未だ世界が狭く、親が自分を守ってくれないことも、いつもの当たり前のことだったので、それが世間一般では問題になることも知らなかった。
放置されていても素良は、困ってもいなければ辛さを感じたことも無いし、大人のすることを見れば真似が出来たので、自分の世話も大抵は自分で出来た。
痛くも寒くもないし、飢えもせず、布団も着る物もあるのだから、自分の環境を「虐待」だと思ったことなど、当時は本当に無かったのだ。
何しろ当時は、「ネグレクト」という言葉など見たことも聞いたことも無い時代だ。
けれど、流石に親戚の性犯罪者に好き勝手されるのは嫌だったので、隙を見て宴会場となっている部屋から逃げ出すと、毛布だけ持ち出して、庭の蔵へ向かった。
祟りだの呪いだの言うくらいだから、蔵に隠れていれば、わざわざ来ないんじゃないかと子供の浅知恵で考えた結果だ。
冬ではないものの朝晩は冷え込む季節に、温度の低い蔵に毛布に包まる程度で七歳児が無事でいられるものだろうか。
大人になってから考えると不思議だが、その時の素良は、小さな明り取りの窓から月明かりだけが差し込む暗く冷たい蔵の中で、薄い毛布一枚を身体に巻き付けて棚の陰に寄りかかり、風邪もひかずに温々と安眠していた。
夜が明けて、目を覚ました素良の前に、棚の上から何かがゴトリと落ちて来た。
普通の子供なら泣き叫ぶところだが、素良は肩を一瞬震わせただけだった。
表情一つ動いていない。
落ちて来た物体を検分してみれば、それは古い人形で、磨かれた白木で造られた身体部分の関節は球体で動かせるようになっていて、頭部は指で弾くと陶器のような音がした。西洋人を模した物なのか、瞳は深い緑色の綺麗な石が使われていた。
汚れているし、顔の塗料は剥げている所もある。髪もボサボサで、服は着ていない。
どう見てもホラー要素の強い不気味人形なのだが、素良は深い緑色の人形の瞳に魅せられた。
それから素良は、お腹が空いて蔵から出る気になるまで、人形の汚れを手近な布で拭いて磨き、髪を手櫛で可能な限り梳いて整え、ガラクタの詰められた籠や箱を漁って人形に着せられるサイズの服を探して着せてみた。
見違えるように立派になった人形を片腕に抱えて、素良は上機嫌に蔵を出た。
誰が見ても表情は動いていないが、生まれて初めての高揚した気分を素良は感じていた。
自分の物など一切持っていない素良は、今までそれを疑問に思ったことも無く不満も無かったが、自分の前に落ちて来た、深い緑色の瞳が綺麗なこの人形は、自分のモノだと認識していた。
これが、素良の人生初の「執着」であり、その後は執着を持たぬよう自身を戒めて生きたために、最後の執着でもあったかもしれない。
無表情の顔の整った七歳児が不気味な人形を抱えて歩いている。
大人達は見て見ぬ振りをしたし、歳上の従姉達も不気味な人形など触りたくもなかった。
だが、素良の実兄は、憎悪する妹への嫌がらせになるのなら、気持ちの悪い古い人形に触るくらい平気だった。
兄から「おい、それをよこせ!」と怒鳴られても無視をする素良は、実力行使に出られても返り討ちにするのも容易だった。
小さな内は女子の方が身体の成長が早いこともあり、七歳八歳くらいでは、体格が同レベルなら男女で力の差が大きいということも無い。加えて素良は、何につけても基本スペックが兄より高かった。
泣いて敗走する兄だったが、「大人の召喚」という素良には使えない大技を使うことが出来た。
大人と子供の力の差は歴然としている。
素良の手から、深い緑色の瞳の人形はアッサリと取り上げられ、兄の手に移動させられた。
表情を変えず、文句も口にしない素良だったが、この時、頭の中では今まで感じたことの無い何かを処理することに忙しかった。
素良が通常通りの無表情で泣きも喚きもしなかったので、「つまんない」と早々に兄は人形をポイと廊下に捨てた。
素良は、誰も居なくなってから人形を拾い、足の向くままに裏の竹藪を抜けて、少し離れた崖の際に立った。
人形を、じっと見る。
取り敢えず、邪魔になる服を剥いた。
崖下に捨てようとしたが、軽くて風が吹けば言うことをきかない。
少し考えて、足下の石を幾つか包んで袖を結び、崖下に捨てた。
関節の球体部分は、元々脆いのか古いせいなのか、子供の力でも引き抜けばバラすことが出来た。
右腕二つと右手。
左腕二つと左手。
順番に、崖下に投げ捨てる。
左脚二つと左足。
右脚二つと右足。
崖下に投げ捨てる素良の表情には何も変化が無い。
胴体を崖下へ投げ捨て、残った頭部を両手で自分の顔の前まで持ち上げて、素良は深い緑色の両眼を覗き込むように、じっと見詰める。
その表情に変化は無く、何の感情も浮かんでいない。
やがて何かに納得したのか、小さく一度頷くと、素良は両手で人形の頭部を崖下に投げ捨てた。
茶碗を割ったような音が、聞こえた気がした。
踵を返して、何事も無かったように素良は道を戻る。
きっと、自分は「普通」じゃない。
素良は初めて自覚した。
同じ親から産まれた同じ種類の生物である筈なのに、兄を「自分と同じ生き物」だと思えないのだ。
まだ短い人生を、記憶の限り振り返ってみても、素良が兄を「自分と同じ生き物」だと捉えていた事は一度も無かった事に気付いて、驚いた。
そんな兄に自分のモノを取り上げられた時、言いようの無い冷たく重苦しい感情が膨張して喉の奥から迫り上がって来た。
一度でも「自分以外の誰か」に取り上げられた自分のモノは、その形のままで在ることを許せない。
執着していたのに、綺麗だと思ったのに、気持ちはとても高揚したのに、スッと、氷点下よりも、向ける感情の温度が一瞬で下がった。
人形をバラバラにして崖下に投げ捨てたことに、後悔は無く、無惨な姿を見ても気持ちが揺れることも無かった。
自分のモノなのに誰かの手に落ちたのだから、その瞬間からあの人形の運命は決まっていた。
けれど、素良が本当に「自分はヤバい」と思ったのは、もしも自分に力があったら、誰かの手に落ちた自分のモノだけでなく、その誰かも、自分のモノと同じ運命を辿らせるだろうと自覚したことだ。
ウッカリ何かに執着してしまえば、殺人犯として追われて生きる一生になりそうだ、と思った。
そんな人生は面倒そうだし嫌だなぁ、とも思った。
だから、この日から素良は「普通」を目指すことにした。
兄に召喚された大人達が素良から人形を取り上げて兄に与えた瞬間に、何かがプチリと切れた気がした。
それは、自分が生まれ育った家庭を、自分の周りの大人達を、「これが普通なんだ」と思い込む心を繋ぎ止めていた、細い綱だったのかもしれない。
素良は「普通」を目指すために、何から取り掛かろうかと考えながら、竹藪に足を踏み入れる。
誰にも見られていないその表情は、薄っすらと笑みの形に肉の移動が起こっていた。
人形、何だったんだろう・・・。
大人しく生きていた素良の中の、危険な寝た子を起こした過去の出来事でした。
この素良の気質をマイルドにして受け継いだのが息子の海都で、素良の気質は薄めて継いだものの、素良の契約結婚相手である父親の異常性を濃く引いてしまったのが娘の京です。
素良は、自分の出来が良い自覚はありますが、天才だとは全く思っていません。早熟なだけの、所謂「二十歳過ぎたらただの人」という認識です。
実際、凡人が努力しても到達できないような所まで能力を伸ばすことは、素良には無理でした。
素良が転生したジルベルトが超人的で、天才達と並び称されるところに居るのは、『ジルベルト』という器のスペックが元々物凄く高かったからです。
ハイスペックな器に転生した素良の持つ素質、「根性」や「痛みや恐怖に鈍感」といったものが、『剣聖』となるのに相性が良かったようです。
次回投稿から、また本編の続きに戻ります。