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脳筋、犬になる

 原作では天真爛漫な熱血脳筋騎士としてキャラ付けられていたハロルド・パーカーだが、実際に社交に出る義務を負う年齢に達した貴族が天真爛漫で脳筋な行いを公の場でやらかせば御家を巻き込む大問題になる。

 子供だからで大目に見られるのは社交デビュー前までのこと。デビュー前だろうが、やらかせば親子共々後ろ指をさされ親兄弟の地位も脅かされる場合もあるくらいだ。


 昏倒したハロルドをアンドレア達が冷えた眼差しで見下ろしていると、血相を変えた騎士団長がスライディング土下座の勢いで地面に頭を擦りつけた。

 騎士団長であるランディ・パーカー伯爵は、予定より膨れ上がった来場者に会場警備の不足を感じ、打ち合わせのため息子の側を離れていた。その隙の馬鹿息子の暴走である。

 何があったか詳細は見ていなくとも、第二王子(アンドレア)を庇う位置に立つ専属護衛(ジルベルト)が剣に手を添え、やはり王子の盾になる位置で凍てつく視線を王子側近の宰相嫡男(モーリス)が、地に伏した愚息(ハロルド)に注いでいるのだ。王族に不敬を働いた息子が制圧されたという最悪の状況にしか見えない。


「愚息は如何様にも処罰ください。王国と陛下に忠誠を誓った身でありながら息子の教育も至らぬ不始末、この首ではとても足りませぬが、どうぞ斬り落としてください!」


 帯剣した大男が土下座で首を斬ってくれと申し出る非常事態。和やかな空気は霧散して、御婦人や御令嬢はバタバタと気を失い倒れ始める。

 男性や少年達も青褪め固唾を飲んで微動だにできない静寂が落ちる中、アンドレアがさらりと銀の髪をかき上げ物憂げに溜め息をついた。

 ハロルドがしたことは、その場で斬り捨てられても文句は言えない愚行である。

 当然、ジルベルトもそれを知っているし、(ジルベルト)にはそれができる腕もある。騎士団長の息子(バカ)が多少腕に覚えがあろうとも、剣聖を目指し過酷な修行に身を投じてきたジルベルトの相手ではない。

 ただの参加者に過ぎないハロルドとは違い、ジルベルトはアンドレアの専属護衛だから帯剣も許されているのだ。

 その専属護衛(ジルベルト)が、無礼な闖入者(ハロルド)を斬り捨てなかった。

 ハロルドが敵意を向けたのが(アンドレア)であれば、刹那の躊躇いも無くジルベルトは斬り捨てていただろう。それをしなかったのは、ハロルドがアンドレアには一片の敵意も害意も向けておらず、且つ今後アンドレアにとって有用になり得る存在だから、彼に命を繋ぐチャンスを与えたということ。


 パーカー伯爵の嫡男が自分(第二王子)の側近候補だということをアンドレアは知っていた。

 クリソプレーズ王国では、第一王子の側近の選定には国王が、第二王子の側近の選定には王妃が大きな影響力を持つ。

 第一王子が生まれる前、功績著しく忠誠心に篤い騎士団長の嫡男を第一王子の側近に、という話が陛下からパーカー伯爵にあった筈だ。

 だが、第一王子エリオット誕生と同じ年、パーカー伯爵家に生まれた長子は女子だったのだ。パーカー伯爵家の長女は現在、第一王子(エリオット)の側近の一人と婚約している。

 パーカー伯爵家では、長女の次の子供も女の子が二人続き、後継者となる嫡男が中々生まれなかった。ようやく生まれた嫡男は、意図したわけではないが第二王子と同い年。信頼する騎士団長の待望の嫡男を、本来ならば王妃が主体となって選定する第二王子の側近候補として国王陛下が推薦した。

 陛下の推薦は強制ではなかった。クリソプレーズ王国国王ジュリアン・カマル・クリソプレーズは愚王ではない。国家の最高権力者だからと、代々続く王家の仕来りを捻じ曲げることはしなかったのだ。

 推薦はあくまでも推薦。第二王子側近選定の主体となるのは王妃であり、王妃は候補だけを挙げて本人(アンドレア)に決定権を持たせた。だから国王陛下の推薦であっても、騎士団長の嫡男(ハロルド)は候補でしかない。


 誰が耳に入れたのか、恐らくはパーカー伯爵の政敵の何れかだろうが、失脚を狙い精神が未熟な幼い嫡男に「貴方は第二王子の側近として国王陛下に推薦されているのですよ」とでも囁いたのだろう。そして、「国王陛下の推薦であるのに未だ候補のままなのは専属護衛として側近に決定しているダーガ侯爵の息子のせいだ」とでも唆したのだろう。

 パーカー伯爵が息子の教育を疎かにしたとは思えない。彼の国と王家への忠誠心は本物だ。

 息子(ハロルド)も国と王家への忠誠心は、深く強く骨の髄まで刷り込まれているだろう。

 だからこそ、それが隙となって敵に突かれた。

 伯爵家より上の侯爵家の生まれであるジルベルト。『幻の絶対美人』と噂されるジルベルト。爵位と美貌で実力も無いのに専属護衛の位置に捩じ込んだ奸臣ではないかと、疑惑を持たせるよう誘導したのだろう。


 ジルベルトに敵意を向けて無礼を働いたハロルドに腹は立てているが、ジルベルトの実力を身を以て体験した後まで敵意を向けるとも思えない。

 ここでパーカー伯爵とその息子(ハロルド)を処罰すれば、本当の奸臣の思う壺だ。

 若くして実力で騎士団長の座についたパーカー伯爵は、年上の婚約者を溺愛するあまり婚前から純潔を散らす直前までは手を出しまくっていたのだが、それが無ければ剣聖になっていたのではと、他国まで名が轟く勇猛果敢な天才剣士だ。

 それ故に敵も多い。

 妬みから失脚を狙う小物だけでなく、常に周辺諸国へ侵略の機会を窺っている自称帝国と密かに通じる奸臣にとっても、パーカー伯爵の失脚は国力を削ぐ大きな一手となる。


「パーカー伯爵、頭を上げろ」


 アンドレアは声変わり前の少年らしいソプラノではあるが、厳かに言を発した。

 王族の威厳がはっきりと含まれたそれに、抗うことなく伯爵は顔を上げた。


「伯爵の息子がどのような輩に何の目的で唆されたのか、俺にも想像はつく。諸外国へ名を轟かせる天才剣士の騎士団長の首を(王族)に斬らせて国力を削がせようなど、それを企んだ奴の方が不敬を犯す逆賊だ。伯爵は奸臣の計謀におめおめと乗ると言うのか。そんな馬鹿げたことを俺が許すと思うのか」


 息子と同じキリリと吊り上がった夕陽のように濃いオレンジの瞳から目の幅と同じ滂沱の涙を流し、パーカー伯爵は拳を握って嗚咽を堪える。

 相変わらず暑苦しいオッサンだなと思いながら、アンドレアは説得の意思を載せた言葉を続けた。説得するのは首を差し出そうとしたパーカー伯爵だけではない。周囲の耳目全てに、パーカー伯爵は計謀により失脚を仕組まれた被害者であり、幼い息子は利用されただけだと印象付けることも目的だ。


「伯爵の息子の王家への忠誠心を俺は疑わない。パーカー家が逆賊を育てるような教育を子供に与える筈がないからな。忠誠心や正義感を持つからこそ利用されたのだろう。本来なら許される行いではないが、これを厳罰に処すれば計謀に乗せられた俺が陛下から未熟者と叱責を受けるだろうな。俺も随分と舐められたものだ」


 ニコリと綺麗な笑みを浮かべるアンドレアは、無能で傲慢な俺様王子と誹られていた面影など何処にも見当たらない。

 子供と侮った敵は狩られる獲物に成り下がる『笑顔で苛烈な天才王子』だ。

 王子様らしい笑顔の裏で、凄まじいスピードで処理されるトラブルと血も涙もないと怖れられる決断力。「俺も随分と舐められたものだ」の一文に、アンドレアの本性を垣間見たことのある大人達が、「奸臣終わったな」と血を凍らせた。

 今や、「俺様王子だった頃って可愛かったよな」と懐かしむ者もいるくらいだ。


「伯爵の息子が犯した愚行は俺が預かる。パーカー伯爵については第二王子アンドレアの名に於いて一切の咎め立てを許さん」


「アンドレア殿下!」


 感涙に咽ぶ騎士団長に警備に当たる騎士達も感動に打ち震えているが、アンドレアは「やっぱり暑苦しい」と思っていた。


「ジル」


 ふいに隣を見上げてアンドレアはジルベルトに呼びかけた。ジルベルトは即座に片膝を着いて騎士の礼を取る。


「アレを斬らなかったのはお前の判断だ。お前はアレをどうしたい」


「はい。根性を叩き直し、アンドレア殿下の側近に相応しい男に導きたく」


 やはりな、とアンドレアは頷いた。パーカー伯爵に視線を戻す。


「伯爵。息子の身をジルベルトに預けるがいいな? それを謹慎の代わりとし、此度の愚行の罰を完了する」


 パーカー伯爵が再度がばりと土下座の体勢になり額を地面に擦り付ける。


「はっ! 寛大な御沙汰、感激の極みでございます! ジルベルト殿、愚息の身命は貴殿に預けた! 手段の是非は無い。叩き直していただきたい」


 ジルベルトも綺麗に微笑んだ。


「承りました。パーカー閣下」


 その微笑にアンドレアとモーリスはゾクリとしたが、ジルベルトの主(アンドレア)に対し無礼を働いたのだから自業自得だと、ハロルド救済の意識は浮かばなかった。

 (アンドレア)の身命や誇りに害を及ぼす行為はジルベルトの逆鱗なのだ。国と王家への忠誠心を親から叩き込まれながら、それを見抜けなかったハロルドが間抜けだっただけ。

 大体、ジルベルトが剣聖を目指し誓いを立てたことは公表されているのだ。実力も忠誠心も無い者ができることではないと、少し考えれば分かるだろう。

 忠誠心は疑っていないが、馬鹿では側近として使えない。側近候補の「候補」が取れるのは、ジルベルトにキッチリ調教してもらってからだな、とアンドレアは考える。


 まさか、ダーガ侯爵家でジルベルト預かりとなったハロルドが、一ヶ月後に様子を見に行った時には手遅れな変態になっているとは思いもよらなかったが。


「ジル様! 俺は貴方の犬です! もっと、もっと扱いてください!」


「寄るな変態!」


「ああっ! 音速の華麗な上段蹴り! ご馳走様です! 最高のご褒美です!」


 アンドレアは数年ぶりに後悔というものをした。俺はとんでもない判断ミスをしたのではないか、と。


「アンディ、あの馬鹿、動きは格段に上がりましたよ。妖精の加護も増えたのではないですか?」


「ああ・・・うん・・・」


「学習面も、ジルの与えた課題に嬉々として取り組んでいるそうです。・・・ジルにしばかれるまで寝食を忘れて」


 それ、しばかれるの目的でわざとなんじゃないか。喉元まで出かけた言葉をアンドレアは飲み込む。


「ジル様! 試練を! もっと俺に貴方の試練を! ああっ! 防御結界を焼き払う熱い炎最高です! 俺に貴方の熱をもっと刻みつけてください!」


 成長期とは言え、たった一ヶ月でジルベルトと同じくらいまで身長も伸びて身体も一回り大きくなっているハロルドは、見ていてドン引きする程打たれ強かった。

 物理攻撃でも魔法攻撃でも、幾ら食らっても満面の笑みで立ち上がり、ジルベルトを追い駆けるのだ。


「・・・アンディ、能力的には側近として不足は無いですよ」


「わかってる。だが・・・」


「変態でも忠誠心は問題ありませんよ・・・」


「・・・アレ、俺に対しての忠誠心で成長したと思うか?」


「ジルがアンディに絶対の忠誠を誓っているので問題はありませんよ。・・・多分」


 そっと現実から目を逸らすモーリス。8歳児を変態道に叩き落としたジルベルトの魅力が危険物だったのだ、仕方がない、と己に言い聞かせる。


「俺が調教した方が良かったんじゃないか?」


「王子自ら躾けるのは特別扱いにしか見えないので悪手です。ただでさえ第二王子(アンディ)の側近候補唯一の陛下の推薦なんですよ。父にも聞きましたが、滅多に無い例外だそうです。あまり良くない方に」


「わかってるよ。第二王子の側近を国王が推薦というのは、過去の事例を引き出せば第一王子の邪魔にならないか監視のための間諜であり、邪魔になりそうなら押さえつけるための重しであり、最悪の史実では第一王子への叛意を疑った国王が第二王子を排除するための刺客だ。王家では親子間兄弟間に溝があると見られてもおかしくない事案だな」


 王命で捩じ込まれた間諜を特別扱いで甘やかしていると見られれば、馬鹿か臆病と侮られる。かと言って遠ざければ二心があるから監視を受け入れないのだと飛語されかねない。

 今回の場合は強制力の無い推薦で王命でも何でもないのだが、「国王の推薦」と聞けば王命だと考えない貴族の方が少ない。

 パーカー伯爵に息子を間諜として第二王子に送り込む意図は皆無だし、現在のクリソプレーズ王家は親子間にも兄弟間にも問題となるような溝は存在しない。

 それでも、過去の事例が閲覧可能な状態で存在しているのだから、一挙一動を注視される王族の行動は自由が効かない。


「名指しで無礼を働かれたジルが預かって絶対の忠誠を叩き込み調教するのが最善手でしたよ。あそこまで犬化したなら外に出しても二度と惑わされないでしょうし、アンディが王命に媚びたと侮られることも、臆病風に吹かれて利用されただけの子供を追いやったと誹られることもないでしょう」


「俺も人のことは言えないが、お前の頭ン中って子供らしさが無いよな」


「当たり前でしょう。僕は貴方の右腕となって支えるつもりで自己研鑽しているんですから。お腹が真っ黒な天才王子の右腕が純真な子供で務まりますか」


 読唇術を使われないよう口許をあまり動かさず会話するアンドレアとモーリスは、こんな内容を繰り広げているが表情は無邪気な笑顔だ。双方とも滅多に無いレベルの美少年なので遠巻きに見守る護衛騎士やダーガ侯爵家の使用人からは微笑ましげに眺められている。


「ジル様! 犬と! 犬と呼んでください! ああっ! 氷の矢の冷たさが貴方の視線みたいです痺れます!」


「・・・アンディ、アレ、一ヶ月前は普通に子供らしかったような気がするのは僕の記憶違いでしょうか」


「ジルが図書室に避難することが多いから、図書室で待ち伏せがてら片っ端から乱読して語彙が増えたらしいぞ」


「無駄に脳のスペックが高かったんですね・・・」


 従兄弟同士の二人は無言で微笑み合った。

 犬の調教が終わったらジルベルトを全力で労おうと固く誓いながら。

8歳児達です。

腹黒系天才二人と無駄にスペックの高い変態。前世の記憶持ちが一番普通に見えます。


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