とある辺境伯跡取りの学院での話 中編
俺が三年に上がり、エリアナ様とセシル様が最終学年である四年に上がった時のことだ。
ある一人の女子生徒が転入生として魔法学院にやってきた。
男爵令嬢である彼女は領地がとても貧乏で、貴族の魔法学院に通うお金もなく、平民と同じ学校で魔法を学んでいたそうだ。
しかし、最近領地に銀鉱山が見つかり一気に財政が潤ったのだという。なので、本来貴族が通う王立魔法学院に転入してきたということだった。
俺はそのご令嬢の境遇が平民上がりの俺と似ている気がして、貴族としての礼儀作法がなっていないと周りから白い目で見られていた彼女を気にかけていた。しかし、エリアナ様が孤立する彼女を気にかけて声をかけておられたので、もう大丈夫だろうと手を引いた。
これは、そんなある日の社交パーティーのことだ。
その日のセシル様はとてつもなく不機嫌だった。
「どうしたんですか、せっかくの色男が台無しですよ」
茶化したわけでもなんでもない。ただの事実だった。
セシル様は輝く金髪を整髪料で整え、優美な正装に身を包んだ色男と化していた。遠くから見ているご令嬢たちがきゃあきゃあとはしゃいでいるのがわかる。にも関わらず、眉間に皺を寄せて口角を下げた不機嫌顔である。
俺はセシル様と友人になり、気づいたことがある。
セシル様はエリアナ様とは逆に、感情を隠して微笑みを絶やさない方だ。その甘いマスクに寄ってくる女性も多い。
しかし、エリアナ様に関してやエリアナ様に対してはセシル様のその仮面は剥がれ落ちるのだ。
本当に嬉しそうに笑ったり、逆に今のように不機嫌さを丸出しにしたり。
なので、今セシル様が不機嫌なのは十中八九エリアナ様が関わっているのだろう。
「どうしてパーティーのエスコートは婚約者がするんだろうな」
一応表情は笑顔を浮かべたセシル様だが、その声は低く、不機嫌さが醸し出されていた。
セシル様と友人になって、気づいたことがもう一つある。
セシル様はエリアナ様に恋心を抱いている。
友人でも幼馴染みでも、取り巻きとしてでもない、一人の女性として慕っている。
男爵令息が王子の婚約者の公爵令嬢に横恋慕しているのだ。無謀にも程がある。
しかし、セシル様は諦めるとか想うだけとかそんな気配は全くなくて、むしろ『いつか奪ってやる』とか思っていても不思議ではない雰囲気だ。
そんなセシル様はダンスを踊るエリアナ様とフィリップ殿下を見ているようだった。また笑顔が剥がれ落ちそうだ。
「エスコートはできませんけど、ダンスは婚約者でなくとも踊れるのです。誘ってみては?」
もうすぐ曲が終わる。エリアナ様は次の相手を探すだろう。
「どうせ断られる」
セシル様の言う通り、学院に入ってから何度かこういったパーティーはあったが、セシル様とエリアナ様が踊っているのを俺は見たことがない。
セシル様とエリアナ様はその仲の良さから、エリアナ様を陥れたい貴族たちから「王子殿下の婚約者なのにセシル様と恋仲なのでは?」と噂されたりするので、距離を保っていることを証明する為にダンスを踊らないのだと思っている。
「学院内でもセシル様とエリアナ様はどう見てもただの友人だという声が強くなってきているので、今回は踊ってくれるかもしれませんよ?」
「それで慰めているつもりなのか?」
⋯⋯慰めているつもりだったが。気に入らなかったのか軽く睨まれてしまった。
その時、曲が終わりフィリップ殿下に礼をしたエリアナ様がこちらに歩いてきた。
「ごきげんよう、ヘンリック様、セシル」
エリアナ様は今日も美しい。ダークブロンドの髪を綺麗に結い上げ、大輪の薔薇を纏っているようなデザインの真っ赤なドレスを持ち上げて淑女の礼をする。
「ダンスのお誘いにまいりましたの」
その言葉に、セシル様が微笑みの奥で期待に目を輝かせたのがわかった。
「私と踊って頂けませんか、ヘンリック様」
「⋯⋯へ?」
エリアナ様が俺に手を差し出したことで、背筋にひんやりとしたものが伝った。
ちょっ、エリアナ様っ?!
貴女がダンスに誘うべき相手は俺じゃないでしょう?
ほら、ちょっとその手を右に逸らして頂けるとありがたいのですが!
エリアナ様とダンスを踊ること自体は光栄なのだが、ここで彼女の手を取る程俺は空気の読めない男ではない。
いつもの通り「俺のダンスは順番待ちなんです。もう少しお待ちくださいね、子猫ちゃん」と返すとエリアナ様には「うげ」という顔をされた。
よし。
「じゃあ、僕と踊ってよ。エリアナ」
俺が断ったことでセシル様が勇気を出したようだ。エリアナ様に手を差し出すセシル様。
しかし、彼女はその手を見て不思議そうな顔になった。
「セシルには他にダンスに誘うべき子がいるでしょう? 何を言っているのよ?」
⋯⋯貴女が何を言っているのですかっ!
セシル様は唯一貴女とダンスがしたいのです! 友人としてでいいので踊ってあげてください!
残念ながら俺の祈りが通じることはなく、取られることのなかったセシル様の手は下ろされた。
「そう、だね。⋯⋯僕、彼女を誘いに行ってくるよ」
「ええ。行ってらっしゃい」
⋯⋯セシル様、可哀想に。
たぶん普通に会場から出て行ったであろうセシル様。軽々しく「今回は踊ってくれるかも」なんて言ってしまった手前、罪悪感を感じた俺は彼を追いかけた。
会場から出てセシル様を捜すと、数名のご令嬢たちが目に付いた。セシル様も密かにそのご令嬢たちを観察していて、俺が近づくと目が合った。小さな声で「静かに」と言われたので口を閉じる。
数名のご令嬢が眉をつり上げ、一人のご令嬢を取り囲む。そんな状況ができていた。
その取り囲まれている令嬢が、例の転入生、ソフィア・クロムス男爵令嬢だった。
「貴族のマナーもなっていない貴女がよくここに顔を出せたわね」
「身の程を知りなさい!」
「だいたい、そのドレスも流行遅れにも程があるわ! そんなドレスでパーティーに出るなんてみっともない真似しないでちょうだい!」
どうやらソフィア嬢はご令嬢たちに説教を食らっているようだ。一人を数人で取り囲むやり方はどうかと思うが、言っていることはもっともである。
ソフィア嬢は貴族としてのマナーや礼儀作法が不十分だ。今まで平民と同じ学校に通っていたから仕方のない部分もあるのだろうが「できないものは仕方がない」と押し通してしまうので、一部の人から猛烈に反感を買っている。
その奔放さが可愛いと言っている者もいるが、俺はどうにも苦手だ。
「だ、だって⋯⋯」
「――――そこまでにしないか。一人に数人が寄って集って詰め寄るのは、淑女としてどうかと思うぞ」
ソフィア嬢が目に涙を溜め始めたところで、凛とした声が令嬢たちにかけられた。
「殿下⋯⋯。失礼いたしました」
現れたフィリップ殿下を見ると、令嬢たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「大丈夫だったか?」
「はい⋯⋯ありがとうございます、フィリップ殿下」
殿下が心配そうな目を向けると、ホッとした顔になるソフィア嬢。
「君はいつも、あのようなことを?」
「そう⋯⋯ですね、わたしが田舎者でマナーがなっていないのはわかっていますが、やはりエリアナ様のような上流階級の方には怒られてしまうことが多いですね」
⋯⋯なんで今、エリアナ様の名前を出したんだ?
エリアナ様は身分で何か言われる方ではないし、今ソフィア嬢を囲んでいたご令嬢はエリアナ様の友人でもないが?
「このドレスも、流行遅れですかね? わたしの母が昔着ていたもので、思い出が詰まったものだったので着てきたのですが、ダメみたいで⋯⋯やっぱりエリアナ様みたいな流行の豪華なドレスでないといけないのでしょうか」
「⋯⋯確かに、今流行っている型ではないが⋯⋯。少し、時間をもらってもいいか? 私の針子に手直しさせよう」
「えっ、いえ! 殿下にそんなことをして頂くわけには⋯⋯!」
ぶんぶんと首を横に振るソフィア嬢に、フィリップ殿下は柔らかく笑う。
「大丈夫だ。するのは私の針子たちだ。私も着飾った君と踊ってみたくなったのでな。ダメだろうか?」
「いえ⋯⋯、そこまでおっしゃって頂けるなら⋯⋯」
ポッと頬を染めたソフィア嬢が殿下の手を取り、歩いて行った。
「⋯⋯なんです、あれ。まるでエリアナ様が悪いような言い方でしたね」
「彼女はいつもあんな感じだよ」
ソフィア嬢の言い様に眉を寄せると、セシル様からは淡々とした返事が返ってきた。
エリアナ様のことなのでもっと怒るかと思ったが、セシル様は冷静な顔でフィリップ殿下とソフィア嬢の去った後を見つめていた。