36.魔王、来たる
「おはよう、エリアナ。良い天気じゃな」
「マオくん?!」
先程セシルと話していた人物が目の前にいて驚いた。二カッと笑うマオくんは相変わらず魔王には見えない、ただの美少年だ。だが――――
「どうしてここに――――きゃっ」
「エリアナ!」
焦ったような声のセシルに突如後ろから腕を引かれると、強く抱きとめられた。そして「うお」と声がするとマオくんが吹っ飛んで行った。
「⋯⋯え? えっ?!」
マオくん、吹っ飛んだ?!
「なんであんなのがここに⋯⋯。とにかく早くここから逃げるよ! どうせすぐに戻ってくる」
セシルが魔法を使ってマオくんを吹っ飛ばしたのだと、やっと理解した。闇魔法は防御の力。それを大きく展開して、マオくんを遠ざけたのだろう。闇属性特化のセシルだからできることだ。
しかし、彼が魔法を使ったことは理解できても、何故マオくんに魔法を使ったのかは理解できなかった。
私の手を引いて家を出ようとするセシルを引き止めた。
「待って、セシル! マオくんは何もしていないわよ? どうして逃げるの?」
「どうしてって――――⋯⋯ん?『マオくん』? 彼がエリアナの言うマオくんなの?」
セシルの勢いが止まった。理解できないという顔で私を見る。
「そうよ? 魔王のマーディ⋯⋯オシュバルツ・オクシェ⋯⋯ツェルネ。略してマオくん。昨日セシルとのこととかもいろいろ話聞いてもらったし、お礼も言いたいのだけど⋯⋯」
「魔王の、マオくん⋯⋯? 話、聞いてもらったの?」
セシルの首が傾げられる。そんなに驚くことだったかな? 目がまん丸のまま見開かれて、眼球が乾かないかちょっと心配になってきたわ。
「だから、マオくんは悪い人じゃないから、逃げなくていいと思うの」
「その通りじゃ!」
再び玄関から聞こえた声に、セシルは私を守るように抱きすくめた。
「いやぁー、ちょっとびっくりしたのう。普通の平民の家にこんなに強い魔法を使える奴がいたとは。びっくりして森まで吹っ飛ばされてしまったわ」
あっはっはっ、と笑うマオくん。森からここまでこれだけ早く辿り着く距離ではないのだが。さすがは魔王様ね。
「すまぬの。驚かせてしまったようじゃ。わしはマーデュオシュバルツ・オクツェルネ。しがない魔王をやっておる。よろしくの、小僧」
マオくんは警戒するセシルをよそに「邪魔するぞ」と家に上がり込んだ。
◇◇◇
「どうぞ」
「ありがとの、エリアナ」
ソファーに座ったマオくんに紅茶を出すと、彼は二カッと笑った。ちなみに、初めてソファーに座ったマオくんは「うおっ、これもふっかふかじゃ!」と子どもみたいに感動していた。
セシルはそんなマオくんを見て少し警戒を緩めたみたいだが、いつでも魔法を使えるように構えているのがわかる。
「なんじゃこの泥水、うまっ!!」
「いや、泥水じゃないから、紅茶だから」
紅茶を飲んだマオくんは驚いて目を丸くする。
客人に泥水を出すってどんな家よ。いくらセシルがマオくんを警戒していると言ってもそんなことはしない。
「紅茶?」
「お茶の葉っぱを乾燥させて、お湯で抽出した物よ。知らない?」
「初めて聞いた。人間はいろいろと発展させておるんじゃのう」
マオくんは森の奥の魔王殿に住んでいるから、意外と人の生活は知らないのかもしれない。
「それで、マオくんはどうしてここに?」
紅茶をぐびぐび飲み始めたマオくんに本題を切り出すと「む、そうじゃった」とカップを置いた。
「エリアナが昨日作ってくれた土のふっかふかベッドが朝になったら固くなってしまっての。困ったのでエリアナの元へ来たのじゃ」
「ああ、私の魔法じゃそんなものね」
特化した属性があるわけでもない私だ。そんなに長時間持つはずがない。朝まで持ったのなら十分だろう。しかし、マオくんは不満らしく⋯⋯。
「それでは困る! わしはもうあのふっかふかな寝床でしか寝れんくなってしまったのじゃ。あの固くて寝苦しい寝床にはもう戻れん。⋯⋯というわけで、わしはエリアナと共にここに住む」
「はぁっ?!」
「そうすれば毎日エリアナにベッド作ってもらえるからの」とルンルン足を揺らす突然のマオくんの宣言に声を上げたのはセシルだ。
「断固反対! やっとエリアナと両想いになれたのに邪魔されてたまるか⋯⋯じゃなくて、魔王なんて危険な奴この家に置けるわけないだろう!」
「わしは危険じゃないぞ? 可愛い魔王じゃ。のう、エリアナ?」
「ん? そうね、マオくんは可愛いわね」
「エリアナは僕の味方をしてよ!」
「あっ、ごめん、つい」
ついマオくんの味方をしてしまったが、セシルの言い分も理解できる。
私はあまり気にならないが、マオくんからは常に魔王らしい禍々しいオーラが出ているのだ。たぶん、セシルもそれで警戒しているのだろう。町の人もそんな禍々しいオーラを放つ子どもが一緒に住みはじめたら驚くだろうし。
「じゃあ、マオくん。マオくんがこの家に住みたいのなら、魔王だってバレるのはまずいからね、人間として暮らしてもらわないといけないの」
「ん? うむ、それはそうじゃの」
マオくんは人の話を聞いてくれるタイプの魔王だ。そして、ちゃんと考慮してくれる。「暮らす前提で話をはじめないで⋯⋯」というセシルの呟きが聞こえた気もしたが、私は続ける。
「じゃあ、まずその禍々しいオーラ消せる? そんなオーラ出す人間いないわ」
「おお、それもそうじゃ」
パッとマオくんの禍々しいオーラが消えた。
⋯⋯そんなに簡単に消せるのね。
「それから、マオくんは見た目十二歳くらいだから、それより歳上の人には『小僧』とか『小娘』とか言わないこと。約束できる?」
「む⋯⋯まぁ、仕方がないのう」
しぶしぶ頷くマオくん。
⋯⋯これはいけるかもしれない。
「そして、タダで置く気はありません。マオくんにも家の家事を手伝ってもらうわ。肉体労働よ。どう? できる?」
魔王のわしが家事? それは無理だ!
と言われるのを期待したのだが、やはりマオくんは普通の魔王じゃなかった。
「肉体労働! 初めての響き⋯⋯! このわしに任せい!」
喜び勇んで引き受けてくれた。
「⋯⋯セシル」
『ごめん』と思いながらセシルを見ると、彼は長いため息を吐いた。
「マオ、僕らの言うことには従うこと。約束できる?」
「できる」
こうして、私とセシルには魔王という見た目十二歳くらいの子どもができた。
第一章『没落令嬢は仕返ししたい』は完結になります。第二章は3/21から開始予定です。
その間、ヘンリック視点の学院での話を前、中、後編で投稿する予定です。