28.相談させてください
チリリン。
そんな鈴の音がして、店から出てきた人物と目が合った。
相手は顔をしかめたが、私は逆にニマリと笑う。そんな私の反応を見た相手は顔を青ざめさせ、私に背を向けて走り出した。
「あっ、待ってくださいよ! ヘンリック様!」
「嫌です! 追いかけて来ないでくださいっ!!」
私は走って逃げるヘンリック様を追いかける為走り出した。平民の服って動きやすくていいわよね。
「なんでそんなに足が速いんですか! 貴女本当にご令嬢でした?! 馬とかじゃありませんか?!」
「前世は馬かもしれませんね」
異世界の普通の女の子だったけど。
私はヘンリック様を捕まえ、また高級喫茶店の個室に連行したところだ。
ふっ。公式で運動オンチのヘンリック様が公爵令嬢でありながら刺繍をほっぽって庭を駆け回った私に勝てると思わないことね!
「勘弁してくださいよ⋯⋯。最近、俺とエリアナさんが二人で会っているって町で噂になりつつあるらしいんです」
「噂になると何か困るんですか?」
ヘンリック様は私と仲が良い事をやたらと隠したがる。当然、喫茶店店員には口止めしてるし、外を歩く時もキョロキョロと周りを気にする。
ヘンリック様自体は町民とも仲が良いようで、よく話しかけられている。町娘の私と一緒にいてもそこまで気にしなくていいと思うのだが。
「大変困ります。ですから、今後はやめて頂きたい」
「考えておきますね」
「考慮してくれない返事ですよね、それ」
だって、この事を相談出来るのはヘンリック様だけなんだもの。申し訳ないが彼を逃す気はない。
「で? 今度はなんですか? セシルさんとは上手くやっているんでしょう?」
「だんだん対応が雑になってませんか?」
「自業自得ですよ」
最初はちゃんと背筋を伸ばして、紳士らしくキチンと話を聞いてくれていたのに、今は頬づえをついた状態でダランと話してくるのだが。
まぁ、私はもう貴族じゃないし、気楽だからいいけどね。
「そう、前回の『甘える』ってことなのですが、実はまだ実行できていないのです」
「えっ? そうなんですか?」
そう、前回ヘンリック様に相談させてもらって、私はセシルのことが推しとかではなく、男性として好きだと気づいたので、仕返し兼セシルの反応を見るために甘えてみると言うことだが、私は甘え方がわからず実行できていない。
「甘え方がわからなくて⋯⋯。手始めに触れていいか聞いて、手のひらマッサージしたのですが、それはとても喜んでもらえました」
「えっ、それだけですか?」
私が力不足だったからだろう、ヘンリック様はとても驚いた顔をした。ボソリと「それだけであんな上機嫌に⋯⋯?」と言っていたが、何の話だろうか。
「はい。なので、経験豊富そうなヘンリック様に男性への甘え方を教えて頂けるとありがたいのです」
「⋯⋯経験豊富なわけないじゃないですか。エリアナさんが一番よく知っているでしょう?」
「それはそうですけど⋯⋯。ほら、前に女性に甘えられたようなことを言っていたではありませんか!」
「アレですか⋯⋯。アレは甘えるというか⋯⋯とにかく、エリアナさんの参考にはなりませんよ」
「聞かせてください」
ヘンリック様は、その言動故に軽く火遊びをしたいような女の子が寄ってくるらしい。たいていは「女の子がそんなことを言ってはいけませんよ」とか言って躱すそうだが、執拗な人もいるそうだ。ベタベタとボディタッチが多かったり、虫がいたと抱きついてきたり、「お願いしたい事が⋯⋯」とやたらといろんな用事を頼まれたりもあったそうだ。
「俺の言動もおかしいことは認めますが、彼女は俺の上をいきますね。なんの好意もない方にベタベタ触れられることほど不快なものはないですよ」
ヘンリック様も、女の子に話しかけられる度に「可愛いね」とか言っているからね、勘違いしたのかもしれないわね。
確か、ゲームでヒロインがヘンリック様を攻略する時もそんなやり方をしていたわね。虫を怖がったヒロインをヘンリック様が「虫なんかが怖いの? 可愛いね」と言ってくれたり、元平民の貴族という身分の彼は他の貴族から下に見られやすく、いろいろとお願いをして、彼の自尊心をくすぐるのだ。
⋯⋯ん?
「それ、嫌だったのですか?」
「当たり前じゃないですか。俺はこう見えても女性とは清い付き合いをしていますし、なんでもお願いされるのは同じ貴族なのに下に見られているようで不快でした」
⋯⋯あれ?
ゲーム内の彼は女性にもベタベタ触れていたし、元平民であることを悲観していたと思ったけどな。
⋯⋯あっ。そう言えば思い出した。
ゲームでは、ヘンリック様が学院に入学してすぐ、悪役令嬢エリアナが多くの生徒の前でヘンリック様を元平民だと貶めるのだ。それで彼は友人はできず、寄ってくるのは火遊びをしたい女性たちばかりという学院生活を送っていたはずだ。そこで分け隔てなく接してくれる優しいヒロインに惹かれていく。
なるほどー。そう言えば、私そんなことやってないわ。むしろヒロインのイベント阻止の為にガンガンヘンリック様に話しかけに行ったわ。
学院内でヘンリック様が元平民だと知られてはいたけれど、特に何も無かったな。セシルとかも仲良くしてたし。
「まぁそんなわけで、虫を素手で掴んだり、なんでも自分でやってしまうエリアナさんの参考にはならないと思います」
そうね。私、虫平気なタイプの令嬢だし、今更虫に「きゃっ」とか言ったら白い目で見られるに違いない。
身支度ですら自分でやってしまって使用人に「私たちに仕事をさせてください」と怒られるという令嬢だったしね。そのお陰で今使用人がいなくとも生活できるわけだけど。
「ボディタッチというのはどんな感じですか?」
「無駄にやたらと触れてくる、とかですね」
「⋯⋯それも私にはできそうにありませんね」
セシルに触れるのはすごく緊張するのだ。
手に触れただけでもドキドキが止まらなかったのに、会話中にやたらと触れるとか無理だわ。心臓が爆発する。
想像しただけで顔が熱くなってきた。自分の頬を手で押さえると、ヘンリック様が苦笑した。
「先程の話を聞く限り、無理に甘えようとしなくても今のエリアナさんのペースでいいと思います。セシルさんは貴女から逃げたりしませんしね」
セシルに甘えるのは私にはまだ早い。そう結論づけて私とヘンリック様は喫茶店を出た。
⋯⋯そう言えば、ヘンリック様はヒロインであるソフィア様をどう思っていたのだろう。
ふとそんなことを思った。
やはりヒロインは攻略対象と仲良くなるのか、たまに一緒にいる姿を見かけていたから。先程ヘンリック様が挙げた甘え方をソフィア様がやっていた所は見たことないが、あれはもしかしたらソフィア様のことだったのだろうか。
「ヘンリック様、一つ聞きたいのですが⋯⋯」
人の往来のある外なので、耳を貸してもらおうとヘンリック様の袖を引く。
「⋯⋯? なんですか?」
そっと背伸びをして顔を近づけると、横から腕を引かれて、誰かにぶつかった。
「わわっ⋯⋯セシル?」
「⋯⋯ヘンリック、これはどういう事だ?」
あ、あれ? なんかセシル怒ってる?
いつもより低い声に、翡翠色の目は鋭く細められてヘンリック様を見据えている。掴まれた腕も力が込められていて、ちょっと痛い。
突然のセシルの登場と怒りに戸惑っていると、その怒りを向けられているヘンリック様は顔を青ざめさせた。
「ち、違います! 誤解です! これはエリアナさんに無理やり誘われて⋯⋯」
何が誤解なんだろう。まるで妻に浮気が見つかった亭主みたいな文言ね。でも、私が無理やり誘ったのは事実だ。
「セシル? 私がヘンリック様を誘ったのよ? なんで怒ってるのかわからないけど、あんまりヘンリック様を怒らないであげて?」
いつも穏やかなセシルが怒っているのはなかなか迫力があって怖いだろうなと思い、ヘンリック様を庇ったが、今度は私が怒りの目を向けられた。
あれ? 私にも怒ってる?
「じゃあ、悪いのはエリアナだね」
「え? そうなる? ちょっ⋯⋯セシル?!」
怒りのままのセシルが私の手首を掴んで歩き出した。
どういう事?! と思ってヘンリック様を振り返ると、彼はこの国の祈りのポーズ、右手で胸の前で十字を描き、お辞儀をしていた。
⋯⋯なんで祈ったの?!