19.奢ってください
「ふわぁぁ⋯⋯」
カップケーキにフルーツタルト、色とりどりのマカロンにガトーショコラ。可愛らしいケーキたちがティースタンドに乗ったアフタヌーンティーセット。
公爵令嬢だった時にはよく食べていたのだが、没落してからは初めての贅沢に心が踊る。
「はふぅ⋯⋯幸せ」
「大袈裟ですね。セシル⋯⋯さんに頼めば連れてきてくれると思いますよ」
「ヘンリック様に奢らせるからおいしいのですよ」
「なんですかそれ」
久しぶりのスイーツに幸せを噛みしめながら口に入れる。この小さな町にもアフタヌーンティーセットを提供している高級喫茶店があったことがまず驚きだった。
「それで、俺に何を聞きたいのですか?」
「あら、さすがはヘンリック様。話が早いですね」
「貴女がわかりやすいのです」
「そうですか?」
私はヘンリック様に聞きたいことがあって、高級喫茶店を指定させてもらった。席は個室になっているので、内緒話をするのにちょうどいい。
「卒業パーティーの日、あの後どうなったのかを知りたいのです。レクサルティ公爵家やエディローズ男爵家にはお咎めはありませんでしたか?」
私とセシルが途中退場した卒業パーティー。私たちはすぐにこのカーナイド領へ来たのでその後の展開を知らない。実家の公爵家へ一度手紙を送ったが、まだ返事は届いていないのだ。
「⋯⋯そのことですか。レクサルティ公爵家やエディローズ男爵家には何も咎はありませんでした」
「⋯⋯そうですか」
私やセシルの家に何も咎は無かったと聞いてホッとした。私のせいで家や跡取りとなる弟に迷惑をかけてしまったかと思った。
「パーティーはあの後、何事もなく終わりました。⋯⋯フィリップ殿下とソフィア嬢が婚約したくらいです」
「フィリップ殿下を後継者にする、とかのお話は」
「ありません」
あれ? そうなのね。
ゲームでは、ヒロインがフィリップ殿下と結ばれると、殿下を王の後継者に指名するという発表があるのだけど。
セシルも一緒に没落したことといい、全てがゲーム通りではないのね。
「⋯⋯エリアナさんは、恨んでいますか?」
「誰をですか?」
「大勢の前で婚約破棄を行ったフィリップ殿下や、貴女の婚約者を奪ったソフィア嬢です」
「まさか」
「え」
私はフィリップ殿下やソフィア様に恨みの感情を持ったことはない。ゲームの登場人物という認識があるからというのも理由の一つだが、一番は⋯⋯
「私は、殿下のことは『婚約者』だとは思っていましたが、それ以上の愛情があったわけでもないですし。お二人が幸せならばそれで良いのではないでしょうか」
私にとってフィリップ殿下は『定められた婚約者』でそれ以上でもそれ以下でもない。婚約者としての情はあったが、ソフィア様に取られて悔しいとか思う愛はなかったのだ。
ソフィア様にはセシルを選んで欲しかったとは思うが、それがヒロインであるソフィア様の選択ならば、この世界ではそれが全てなのだろう。没落必須の悪役令嬢が恨むなんておこがましい。
私は没落は嫌だったし、セシルをずっと見ていたかったから回避しようとしたが、推しと一緒に暮らすという贅沢もしているし、没落先で友人もできたし、想像していたより楽しい没落ライフを送っている。セシルに仕返しするという目標もあるしね。
「私はあの状況に持っていったセシルに仕返ししようと思っても、あの二人を恨むことはないです」
「セシルさんに仕返し、ですか?」
「そうなのです! ここに住み始めてからというもの、家事を完璧にこなして驚かせようとしたり、嫌いな食べ物を使って食事を作って困らせようとしているのですが、なかなか上手くいかないのです!」
「家事⋯⋯? 嫌いな食べ物⋯⋯?」
「ヘンリック様は何か知りませんか? セシルがちょっと驚いたり、困ったりするような仕返しの方法」
「ちょっと驚くか、困る⋯⋯?」
「不幸にしたいわけではないので、怒らせたり、心配させたりはダメです」
そうだ、セシルの友人であるヘンリック様なら、私の知らないセシルの弱点を知っているかもしれない。
そう思って、まだ疑問符を浮かべているヘンリック様を期待の眼差しで見つめる。だが、ヘンリック様はそんな私を見て、何故か吹き出して笑い始めた。
「ぶはっ、あははっ。なに面白いことやってるんですかっ、ははっ」
むむむ。私は本気なんだけどな。そんなに笑わなくてもいいと思う。
「これはセシルさん、毎日楽しいんでしょうね」
ヘンリック様がお腹を抱えているのを横目にケーキを口に運んでいると、ようやく笑いの止まったヘンリック様が目をこする。
「そうでしょうか?」
私は大好きなセシルと一緒で楽しいし幸せなのだが、セシルはどうだろうか。この生活は私にしか得はない気がするのだが。
「そうですよ。⋯⋯俺はあの人の弱点を一つ知っていますが、ソレに手を出すととてつもなく怒るので、エリアナさんの仕返しにはそぐわないでしょう」
「そうですか⋯⋯」
セシルの弱点というのは気になるが、怒らせるのは私の理想の仕返しとは違うからダメね。
それにしても⋯⋯
「ヘンリック様は、そうやって自然体でいる方が素敵ですよ」
「え?」
こうして話をしていて思ったが、学院内みたいに無駄に甘い言葉を吐いてくるよりも、普通に会話して笑いあったりするヘンリック様の方が話しやすいし、親近感が湧く。なにより鳥肌が立たない。
「学院にいた頃はすぐに口説き文句を言われて鳥肌が立つのであまり会話したくなかったのですが、今は話しやすいです」
「⋯⋯酷い言い様ですね。そういえば、今のエリアナさんにはそんなに緊張せずに話せますね」
「聞き上手のお姉様と呼んでくださってもいいですよ」
「田舎のおばあちゃんのような雰囲気があるからでしょう」
「会話をするだけで安らぎを与える、私」
「褒め言葉と捉えたのですか」
「えっ、貶したんですか?」
「褒めました」
◇◇◇
スイーツを堪能した私はヘンリック様と別れて家に帰った。
せっかくなので、今日もらった『不気味な右手』でセシルを驚かせてみようと思う。
この『右手』は、巻かれている包帯は薄汚れているし、所々欠けているし、見ているだけでもかなり気味が悪いのだ。これで触られたら驚くに違いない。
夕食を食べて入浴を済ませた後は、セシルはたいていリビングで本を読む。この本を読んでいる姿もかっこよくて大好きで、私はよく観察をしている。
そんなセシルに近づき、隣に座る。
「エリアナ、どうかした?」
こちらを向いて微笑んでくれたので、「なんでもないの、そのまま読んでいて」と視線を本に戻してもらう。
しばらく本を読む伏し目がちなセシルを観察し、本に集中し始めたかなーというタイミングで、後ろ手に隠していた『右手』を取り出した。
さてさて、どこを触れて驚かせてあげようかな。顔? 腕? 肩? 足?
この右手は何かを掴むような形に指が曲がっているので、ちょうど掴めるとしたら腕かな。顔や肩は掴めなさそうだし、足も大きさが微妙だ。腕ね。よし。
私はそっと、セシルの腕に『右手』を近づけ――――
「⋯⋯なにこれ、こんなの何処で買ってきたの」
「あっ」
――――いつの間にか私の手から『右手』を取り上げたセシルは眉をひそめた。
「もー! なんで気づくのよ!」
「エリアナが随分楽しそうに『にまー』と笑ってたからね。⋯⋯こんなの使わなければ気づかなかったかもしれないけれど」
「⋯⋯? どういう意味よ?」
「そのままの意味だよ。⋯⋯ほら、今日のハグー」
「ぎゃー! 何『今日のハグ』って?! そんなコーナー作った覚えはないわ!」
「んー? ほら、エリアナは『今日の仕返し』ってするから、僕も何かしないといけないかと思って」
「なるほど」
確かに私ばかり仕返しをするのは対等じゃない⋯⋯のか?
今の所素直に仕返しを受けてくれるセシルだけど、セシルにも主張はあるんだろうし、やり返されても文句は言えない⋯⋯のか?
「でもハグはダメ。代替案を所望するわ」
絶対に私がする仕返しよりも、セシルのハグの方が強烈だもの。嫌なわけじゃないけれど、顔に熱が集まって何も考えられなくなるから、ダメ。
腕を前でクロスさせてバッテンを作ると、少し悩んだセシルはまた本を手に取った。
「じゃあ僕はまた本を読むから、隣座って。エリアナも本読んでてもいいし、眠かったら寝ててもいいし、僕を観察するのでもいいよ。ただ、隣にいて」
「それくらいなら⋯⋯」
それならハグと違って私の精神は耐えられそうだが、そんなのでいいのだろうか。いつも通り私が幸せなだけだと思うのだが。
疑問が顔に出ていたのか、セシルはにっこりと微笑んだ。
「僕はエリアナが隣にいてくれるだけでも幸せだからね。⋯⋯少しずつ慣らしていこうね」
何故だか背中がゾクッとしたので、私は薄手のガウンを羽織ると、セシルの隣に腰掛けた。