18.ヘンリック・カーナイド
ヘンリック・カーナイド
この世界の乙女ゲームの攻略対象の一人。彼は生まれは平民だが、遠い先祖に貴族の血を引いているからか魔法の才能があった。それを跡取りのいなかったカーナイド辺境伯に見込まれて養子となり、王立魔法学院へ入学する。
ヒロインと同い歳の彼は派手物好きで、女性関係が緩い所謂チャラ男。
私は学院時代、ヒロインをセシルルートに進ませる為、他の攻略対象のイベント阻止をしてきたわけだが、ヘンリック様はとても面倒だった。
声をかければ「俺に気があるんですか? 可愛い人ですね」と至近距離で話され、ダンスに誘えば「俺のダンスは順番待ちなんです。もう少しお待ちくださいね、子猫ちゃん」と投げキッスされた。私はヘンリック様と話す度に鳥肌が止まらなかったのを覚えている。
ヒロインと結ばれればヒロイン一筋になるヘンリック様だが、ヒロインはフィリップ殿下と結ばれたので、ヘンリック様はひたすらいろんな女性と浮名を流していた気がする。
そういえば、公式ファンブックに書かれていた彼の趣味が魔導具収集だったような気がしてきた。正直、私はセシルの情報なら細かいことまで全て覚えているが、他の攻略対象のことはうろ覚えである。
「⋯⋯イ、イラッシャイマセ」
「ド、ドウモ⋯⋯」
ぎこちなく挨拶を交わした私は、そういえばヘンリック様の家名はこの領地の名前、カーナイドだったと今更ながら思った。
という事は、この魔導具屋さんがヘンリック様の実家で、この恰幅のいいおばちゃんがヘンリック様の実の母親になるのか。
「⋯⋯」
先程おばちゃんが見せてくれた肖像画をもう一度じっと見る。
この肖像画の少年がヘンリック様⋯⋯?
ヘンリック様は派手好きでオシャレや流行に敏感だ。髪型も、毛先を遊ばせてるって言うのかな? セットしてあり、遊び人感がある。
対してこの写真の少年は、おかっぱ頭で親に着せられた服そのままの田舎の少年だ。
私が肖像画と目の前のヘンリック様を比べていると、ヘンリック様がアワアワと動揺しはじめた。
「ちょっ、それは見ないでくださ――――」
「何言ってんだい。あんたが養子に行くからって領主様がご厚意で画家に描かせてくれた物だろう。うちの家宝だよ!」
「そんなの家宝にしないでくれ⋯⋯!」
ヘンリック様が「うわぁ」と頭を抱えた。おばちゃんはそんなヘンリック様を一瞥すると、私に向けて話し出す。
「もう、この子ったらねぇ。王都の魔法学院に通うからって『田舎モンだと思われないように俺は都会の男になる』なんて言ってチャラチャラした格好しはじめてさ。あの髪型も毎日一時間もかけて作ってんだよ。女の子と話すの緊張するからって変な言動も覚えてくるしさ。バカだと思わないかい?」
「ちょっ、母ちゃんやめて。その人にそんな話しないで⋯⋯」
「うるさいよ、まったく。文句があるならあんたのことを一途に愛してくれる女の子でも連れてこいってんだ。あんたは領地の跡取りなんだから結婚はしないと」
「ほんとやめて⋯⋯」
ほほう。
つまりヘンリック様は学院入学をきっかけに田舎から都会へ出てきて高校デビューならぬ学院デビューをしたのか。あの鳥肌が立つ口説き文句は女の子とまともに話すのが恥ずかしい故の言動。
だとすると、ここでオロオロとしているのが本当の彼なのか。
これは――――面白いことを知った。
「では、私はこれで失礼いたしますね。親子水入らずの時間をお過ごしくださいませ」
ふふっと微笑みお辞儀をして店を出る。後ろから「また来てねー」という声と「ちょっ、待っ」という声が聞こえたが、そのまま店のドアを閉めた。
「――――待って、待ってくださいっ、⋯⋯っ、エリアナ様っ!」
肩で息をするヘンリック様は私の行く道を塞いで困ったように眉毛を下げて見つめてくる。
学院での彼が決してしなかった表情だ。学院での彼はいつも堂々と自信たっぷりに振舞っていた。
「ヘンリック様、私はしがない平民でございます。そのように呼ばれる謂れはございません。私のことはエリアナと」
「――――っ、エリアナ、さん」
オロオロと視線を彷徨わせた彼は、一度ぐっと唇を噛むと頭を下げた。
「こ、この事は誰にも言わないでくださいっ」
この事とは、ヘンリック様が本当はシャイで、頑張って自分をよく見せようとしている田舎の子だという事だろう。しかし――――
「私は言い触らすほどの知り合いはおりませんよ。夕食時の話題でセシルに話すくらいです」
私には貴族時代の知り合いはもういないし、連絡も取っていない。同じく没落しているセシルに言って、ほんのり楽しいひと時を過ごすくらいだ。頭を下げる程のことではないと思う。
「それが一番困るんですよっ!!」
何故か彼は頭を抱えた。
セシルとヘンリック様は友人だった。ヘンリック様はチャラ男だが、魔法や勉学に関しては真面目で優秀な人だったし、同じく優秀なセシルと馬があったのだろう。学年は違えどよく一緒にいたのを覚えている。
没落しているとはいえ、友人には知られたくない、という事かな。
「わかりました。誰にも言いません」
そう言うとヘンリック様はホッとした顔をした。そんな彼の顔に人差し指を突きつける。
「た・だ・し、対価は頂きます」
「た、対価ですか?」
ヘンリック様の表情が強ばったのを見て、私はにっこりと微笑んだ。