むかしの話2 セシル視点
エリアナとの出会いから二年。僕とエリアナはお互いの家を行き来して、多くの時間を一緒に過ごすようになった。
一緒に勉強もしたし、剣の練習をしたり、もちろんただ遊んだり、まったりお茶を飲んだりもした。
そこで知ったのが、エリアナはとても賢いのだということ。
勉学も礼儀作法も、教えられればすぐにできるようになるし、応用力も強い。貴族の令嬢としてほぼ完璧に振る舞うことができた。
『前世』で一度大人になったことがあるからと、公爵夫人の教育が厳しいのだとエリアナは言っていたけれど、僕は彼女に並んで劣ってしまうのが嫌だった。
だから、僕はエリアナに負けないように更に努力を重ねた。
いつか、エリアナの隣に相応しいのは僕だと言ってもらう為に。
そしてもう一つ知ったのが、エリアナはとても阿呆だということ。
さっきと言っていることが逆じゃないかと思われるかもしれないが、これで合っている。エリアナは賢いけど阿呆である。
これは、女神様の恵みの季節の出来事だ。
その日、エリアナが庭である物を拾った。
「見て! こんな大物がいたの!」
そう言って嬉しそうに見せてきたのは、じめじめした雨の日によく出没するカエル――――小さな緑のヤツじゃなくて茶色の大きいヤツだ。
「⋯⋯。⋯⋯すごいねぇ」
カエルは特に苦手でもないけれど、積極的に捕まえたいとも思わない。とりあえず同調して微笑んでおくと、カエルを手に乗せたエリアナは目を輝かせた。
「そうでしょう! ふふふっ、この子を使ってちょっとイタズラしましょう、セシル!」
「イタズラ?」
楽しそうなエリアナに、嫌な予感しかしない。
「今日、お母様はテラスで読書をしているの。そこに気づかれないようにこのカエルをお母様の近くに置くのよ」
きっと淑女の振る舞いなんて忘れて驚くに違いないわ! とカエルを眺めながらニマニマ笑うエリアナ。
もしかしたら、公爵夫人のエリアナへの礼儀作法の指導が日毎に厳しくなっていることへの意趣返しなのかもしれない。
公爵夫人はエリアナのこの天真爛漫な性格を外に出すまいと必死なのだ。外では公爵令嬢らしく大人しくしてもらおうと、日を追うごとに指導が厳しくなっているらしい。
「怒られるよ?」
「大丈夫よ! 置いたらすぐに逃げればいいの。バレなければ怒られないわ!」
絶対バレると思うけどなぁ⋯⋯と思いつつも、キラキラと目を輝かせたエリアナが可愛いので一緒について行った。
そして案の定、即行で公爵夫人にバレてエリアナと僕は一緒に怒られた。
計画&実行はエリアナだけれど、僕がエリアナが可愛くて止めないことがバレているのだろう。最近は一緒に怒られる。
「おかしいわね。何がいけなかったのかしら?」
何故バレたのかと首を傾げていたけれど、僕からしたら何故バレないと思ったのかが不思議だ。
そりゃあね、いくら緑色のドレスを着ていても庭の緑に溶け込めはしないからね。普通に堂々と近づいて行ったからね。それで本を読んで俯いている夫人の手の付近にカエルを置こうとしたら視界に入るよね。
阿呆なのかな? 超可愛いんだけど。
本気でわからないと頭を悩ませる彼女に、思わず吹き出して笑ってしまった。お腹を抱えて笑い出す僕をエリアナは不思議そうに瞬きして見つめたと思ったら、「好き」と蕩けた笑顔になった。
ああもう、可愛くて仕方がない。
まぁ、こんな感じで、僕の中のエリアナの評価は阿呆可愛いだ。彼女と一緒にいるのはまったく飽きない。すごく楽しい。
だけど、エリアナの魅力を知っているのは僕だけじゃなかった。
公爵令嬢という身分もあり、美人で賢くて、性格は純粋で素直で可愛い。他の男が放っておくはずがなかった。
お茶会では誰かしらは彼女に寄ってきているし、手紙のやり取りをしたいだとか、また会いたいだとか、そういうお誘いが後を絶たないらしい。既に婚約の話もいくつか入ってきているのだとか。
僕は焦った。
こんなにも誰かを欲しいと思ったのは初めてなんだ。他の男とエリアナが一緒にいるのを想像しただけで胸にモヤがかかる。誰にも彼女を取られたくないと思った。
この感情が独占欲と言うのだと、また僕は新しい感情を知った。
「エリアナは気になる子息とかいるの?」
エリアナの父であるレクサルティ公爵が、婚約者選びは娘の気持ちも考慮すると言っていたので思い切って聞いてみると、彼女は困ったように笑った。
「九歳の子相手に恋心は抱けないわ」
自分は精神的には大人だという。同年代の子はただの子どもにしか見えないそうだ。手紙のやり取りやお茶会の誘いも断ることが多いのは、話題が合いにくくて気まずいからだとか。
「⋯⋯じゃあ、僕は?」
胸がザワりとする。僕も彼女からしたら子どもに見られているのだろうか。
よく子どもらしくないと言われる僕だけど、エリアナといる時は年相応だと言われる。それが彼女からしたら恋愛対象外の子どもに見えるのだろうか。
「尊い」
⋯⋯よくわからない返事だったが、僕は特別ということかな?
どうやら恋心を抱けない子どもだとは思われていないようだ。もしかしたら恋心を抱いてくれるかな?
つい嬉しくなって、彼女の前世の話を聞いてから考えていたことを勇気を振り絞って言ってみた。
「僕が王様になるんだったら、エリアナが王妃になるっていうのもいいんじゃないかな?」
エリアナの言っていた通り、母の形見のサファイアの指輪からは王家の紋章が出てきた。
確かにこれを王宮へ持っていけば、僕は王族にもなれるだろう。この国の王位は王族の中からの指名制なので、上手くやれば王様にだってなれる。
「王様が男爵令嬢と結婚するより、公爵令嬢と結婚した方が自然じゃない?」
でも、その時僕の隣にいるのはエリアナがいい。そうじゃないと、王様になる意味なんてない。⋯⋯そう思うのに、やっぱり望むような返答は得られなかった。
「私がセシルと結婚? ⋯⋯ないない」
「な、なんで⋯⋯」
僕の勇気を「あははっ」と笑って否定する彼女。じわりと零れそうになる涙を、強く拳を握ることで耐えた。
エリアナは柔らかな表情で僕へと手を伸ばし――――空中で停止させた。
「⋯⋯だって、私にとってセシルは大好きな人で。未だに目の前にいるのが信じられないくらいの人。まるで透明な壁を挟んで見ているみたいな感じで、近くて、遠い人」
「透明な壁⋯⋯」
前世で透明な壁を挟んだ小さな観劇のような物で僕を見ていたから、今もその透明な壁がある気がするのだとか。空中で止めた手を垂直に下げられると、まるでそこに壁があるかのように感じた。
「私は貴方が幸せになる所を透明な壁を挟んで見ていたいの。私は悪役令嬢だから攻略対象であるセシルを幸せにはできないのよ。だから、ヒロインと結ばれて?」
「⋯⋯」
僕のことは大好きなのに、結婚はできないと言う。エリアナのことが大好きな僕に、エリアナ以外の人と結ばれろと言う。
きっと君は、今自分がどれだけ残酷なことを言っているのか気づいていないのだろう。
その『ヒロイン』って人と僕は結ばれないってわからせないと、君は考えを変えてくれないのだろう。
「⋯⋯わかった。僕、まずは外堀を埋めるよ」
「うんっ! それでこそセシルよね!」
何を勘違いしたのかエリアナは嬉しそうな声を出したけれど、僕が外堀を埋める相手は当然エリアナだからね?
外堀を埋めて、誰もが僕とエリアナを認めて、逃げられないようにして。
そうしたら、透明な壁なんて壊してあげる。そんなもの無いんだって気づかせてあげる。
気づいたところでもう逃がさないから、諦めて君は僕と結婚してくれるよね。
⋯⋯だけどその外堀を埋める途中で、エリアナは第一王子と婚約し、さらに遠い所へ行ってしまったんだ。