14.驚いて、困って、喜ぶ
「セシルが手強い⋯⋯!」
「どうしたの、エリアナ?」
「聞いてよ、ダリアー!」
『嫌いな食べ物食べさせよう作戦』と『湖に落として水も滴るいい男を堪能しよう作戦』を失敗した私は、また仕返し方法に悩んでいた。
湖に落とす作戦は、湖に落ちはしたけど(私を引っ張り上げる為に)、彼の水も滴るいい男具合をあまり見れなかったし、すぐに乾かしてしまった。ほぼ失敗だろう。
私はセシルを驚かせたり、困らせたり、私の思う通りに手のひらの上でコロコロしたいのに、気づけば私の方がセシルの手のひらの上でコロコロさせられている気がする。
それを変に思われないように『仕返し』という言葉を使わずにダリアに説明した。
「つまり、エリアナはセシルさんを翻弄したいのよね」
「そうなのよ! でもセシルの方が上手でうまくいかないの」
だいたい、なんでセシルはこんなにも弱点がないのか。幽霊とか怪談も平気だし、虫系や爬虫類も平然としてる。苦手な食べ物までないときた。
ダリアがブツブツと「やだ、いきなりそんな夜の話されるなんて⋯⋯でも、他でもないエリアナの悩みだし、どうにかしてあげないと」とか言っていたが、夜の話とは何だろうか。確かにセシルに仕返しをするのは、彼が仕事から帰ってきた夜が多いけれど。
「そうだね⋯⋯。あっ、いい物があるよ!」
「いい物?」
「うん。ほら、あたし最近ヨルムと恋人になったでしょ? それで、つい、買っちゃったんだけど⋯⋯さすがにまだ使わないし、エリアナにあげるね!」
この前、ダリアはヨルムさんと無事に恋人同士になれたそうだ。
お互いいい雰囲気になって、ヨルムさんから告白してくれたのだとか。
告白の時のヨルムさんは緊張していたのか、強面の顔が更に強ばっていて、ダリアが了承すると嬉しそうにくしゃりと笑ったそうだ。その表情にダリアはまたときめいたらしい。
「えっ、これって⋯⋯」
「セシルさんを驚かせて、少し困らせて、で、その後は喜んでくれると思うんだよね!」
セシルを驚かせて、困らせて、それで喜ばせられるなら理想的な仕返し方法だけど、ダリアが取り出したソレでできる気がしないのだが。
「えぇ⋯⋯。本当に?」
ダリアが取り出したのは、ピラピラな薄手の生地のナイトドレスだ。ネグリジェとも言う。
この世界の女性のスカート丈は短くても脛まであるのが普通だが、このナイトドレスは膝丈くらいまでしかない。上半身も、キャミソールみたいな感じの布面積しかなく、腕やらデコルテやら丸見えなのだが。
「本当に! 普通の結婚してる女性はこういうの着てるから!」
「初耳なんだけど」
「信じてよ! あたしの母もこういうの持ってるの見たことあるし」
「えっ、そうなの?」
もしかして私が知らなかっただけで、これが常識だったりするのかな。平民女性は外では長い丈のスカートで、家の中ではこういうの着てるとか?
確かに、締めつけはなくて楽そうだから、家で着るジャージみたいな感覚で着てるのかな。なるほど、そう思えば着れる気がしてきた。
「夜にこれ着てセシルさんの部屋に行ってみるといいよ。きっと、セシルさんを手のひらの上で転がせるから」
「わかった。やってみるわ」
その日の夜。
私はあのナイトドレスを着て、セシルの部屋の前にやってきた。
薄いピンク色のこのナイトドレスは、小柄なダリアからもらったからか、普通は膝丈なんだろうけれど、私は太ももが半分くらい出てしまっている。腰や胸もピッタリ服がまとわりついて体のラインが出てしまっているが、大丈夫かな。
ミニスカートとか普通にあった前世でも私はこんな露出の多い服着なかったので、なんだか破廉恥な格好をしている気分だ。
⋯⋯これで本当にセシルを翻弄できる? 仕返しになるのかしら?
うー⋯⋯。
やっぱりダメ! 恥ずかしい!
ごめんね、ダリア。私は普通の女性にはなれないわ⋯⋯!
ガチャ。
「あ⋯⋯」
踵を返そうとすると、セシルの部屋のドアが開いた。
私とセシルの視線が混じり合う。
パタン。
あ、閉じた。一瞬セシルの目が大きく見開いたように見えたけれど、驚いた? それか、やっぱり変だったかな⋯⋯!
猛烈に恥ずかしさが込み上げてきて、短いスカートの裾をぎゅっと握ると、再び部屋のドアが開いた。
ガチャ。
「セシ――――」
セシルは私にベッドシーツを頭から被せると、そのまま私の体をぐるぐると包み、最後に取れないように首元で蝶蝶結びで結んだ。
――――この間、僅か二秒である。
「⋯⋯エリアナ、これは誰の差し金かな?」
⋯⋯ダリアの嘘つきっ! セシルは驚いても困っても喜んでもいないわ!
これは、すごく⋯⋯怒ってる!
ぐるぐるみの虫の状態でセシルの部屋に連行された私は、ベッドの上にころんと転がされた。
「で? どうしてエリアナはそんな格好を?」
「え、と⋯⋯これが平民女性の家の中の普通の格好だと⋯⋯」
「そんなわけないよね?」
そんなわけなかった⋯⋯!
「こ、この格好でセシルの部屋に行けば、セシルは驚いて、困って、喜ぶって⋯⋯」
⋯⋯うわー。セシルの笑顔が深まった!
それ、いつもの貼り付けた笑顔に見えて、超怒っている時の顔よね?
あんまり見ない表情のセシルだから、私は眼福だわ――――⋯⋯あっ、すみません、なんでもないです。
「素直で純粋なエリアナに、そんなふしだらなことを吹き込んだのは誰?」
「えっと、ダリアに教えてもらって⋯⋯」
「わかった。僕、今日から彼女を『痴女』と呼ぶことにするよ」
「ダリアと呼んであげて⋯⋯」
小さく擁護してみるも、セシルは怒りの笑顔のままだった。
どうやら今日の仕返しも失敗らしい。
しばらくすると、一つため息をついたセシルが「まったく」と私が転がされているベッドに腰かけたので、少し怒りは収まったのかなと仰ぎ見る。
「やっぱり変、だったかな?」
この格好。彼の言葉から察するに、やっぱり破廉恥な格好だったのだろう。普通の女性はみんなしているとか、やっぱりそんなわけなかったのだ。
「⋯⋯いや、確かに痴女さんの言う通り、結婚してる普通の女性はみんなするんだけど、今のエリアナはしたらダメだよ」
既にダリアが痴女と呼ばれている⋯⋯!
「今の私は⋯⋯?」
セシルの手が巻かれたシーツの上から肩にかかる。
「そう。普通はね、夫が贈ったナイトドレスを妻が着るんだよ。僕らは仮初夫婦みたいなものだから、僕は贈っていないんだけど⋯⋯エリアナは欲しい?」
見下ろす翡翠色の瞳が少し揺れる。
なんだろう⋯⋯期待? それとも不安? そんな感情が彼の瞳から見える。
私は小さく首を横に振った。
「いらない。だって、私とセシルは恋人でも、本当の夫婦でもないでしょう?」
つまり、ナイトドレスは本当の夫婦の夫が贈るものだから、本当の夫婦ではない私たちには必要ない。
表向きは夫婦をやっている私たちだけど、その中身は没落した二人が協力して一緒に暮らしているだけなのだから。
「そうだね」
いつもの笑顔を貼り付けたセシルは、ゆっくりとベッドの上に上がってきた。
怒りは解けたのかなと思っていると、突然ぎゅうっと抱え込むように抱きしめられた。
「セ、セシルっ?!」
いきなりどうしたの?!
バタバタと藻掻くけれど、なにせぐるぐるみの虫状態の私だ、上手く動けない。
ちょちょちょちょ、ちょっと待って⋯⋯!
セシルの胸板が目の前にあって、力強い腕が離してくれなくて、セシルの匂いに包まれて⋯⋯。
これ現実?! こ、混乱してきた⋯⋯!
「ね、エリアナ。君にとって僕はまだ、近くにいるけど透明な壁を挟んでいるような少し遠い人⋯⋯? その壁は、どうやったら無くせるの?」
はわわわわわわ⋯⋯。
頭がぐるぐるする。思わぬセシルの行動にひどく動揺してしまい、言葉の意味が理解できない。
「エリアナ、僕、生きてるでしょう? ⋯⋯心臓の音、するよね? 体温も感じるでしょう?」
憂いを帯びた声のセシルは、音を聞かせるように私の頭を自分の胸に当てる。ドクンドクンと聞こえる心臓の音は、少し早いように思えた。
私の体温もかなり上がっている気がするので、セシルが熱いのか、私が熱いのか、わからないけれど、とりあえずすごく熱い。
「僕は君の目の前にいるんだよ。壁なんてない。触ろうとすればすぐに触れられる距離」
セシルが私の頬に手を当てて、整った顔を近づけてくる。その翡翠色の目を見て、やっぱりセシルはまだ怒っているのだと確信した。
「ねぇ、このまま奪ってあげようか――――」
唇が触れるか、触れないかの距離にセシルの整った顔がきて、私は脳がショートしたように意識が遠のいたのだった。