26.ヴェグデルの残したもの
「おお⋯⋯わしの神殿とは少し趣が違うのう」
「何だか宝探しみたいでわくわくするわね」
「足元悪いから気をつけてね」
私たちは今、クォート領にある洞窟に来ている。
海辺にあるこの洞窟の奥は、ヴェグデルが封印されていた神殿になっているらしい。
ガチャ。
ガガガガガ、ガコン。
石の扉が音を立てて開いた。
「ここの鍵で合っていたみたいね」
「彼はエリアナに何を託したのかな?」
「見当もつかんのう」
ヴェグデルが倒れる直前、彼は私の手に何かを握らせてこう言った。
『⋯⋯ありがとうございました。そして、よろしくお願いします』
何のお礼なのか、そして何をお願いされたのか、わからないまま彼は消えてしまったが、私の手の中には小さな鍵がひとつ入っていた。
セシルが調べてくれたところ、ヴェグデルの封印されていた神殿の中、棺の置いてあった場所の端に、人が一人やっと入れるような小さな扉が見つかっていたらしい。
その扉は強い魔法で閉ざされているらしく、魔法でも腕力でも開かなかったのだとか。
この鍵はその扉の鍵ではないかと予想したのだ。
それは見事に大正解で、鍵を差し込んで回すと、扉は自動で開いた。
中は広々とした部屋のようだった。
神殿というより、個人的な書斎の雰囲気に近い。
簡易的な机や、魔導具のようなものがごろごろと置かれている棚、それからベッド代わりなのだろうか、奥に棺のような物が見える。
「ヴェグデルの第二の寝室とか?」
「なるほどの!」
マオくんが寝具や睡眠環境にこだわるので、ヴェグデルも人間に見つからずに安眠できる環境でも作っていたのかな。
「面倒だから突っ込まないよ。⋯⋯この部屋は随分と魔導具や魔法の痕跡が多いから、あまり物に触れないように注意してね」
セシルが警戒するように部屋の中を見回す。
確かにセシルの言う通り、この部屋には見たことのない魔導具らしきものや、先程の扉のように魔法がかけられた物が多いようだ。不用意に触れると怪我をする可能性もある。
「ヴェグデルは魔法で細々した物を作り出すのが好きじゃったから、やはりヴェグデルの趣味部屋ではないかの?」
マオくんが転がっていた宝石のような赤い石を持つと、石がボッと燃え上がり、マオくんは「熱っ」と魔法で鎮火させていた。
⋯⋯今、結構大きな炎が上がったけれど、「熱っ」で済むのね。人間が持ったら腕焼け落ちるくらいの炎だったわよ。さすがはマオくん。
「⋯⋯とにかく、余計な物は触らないこと」
そう言って私の手を握るセシル。
⋯⋯これ、アレよね。手を握って行動を制限することで、落ちてる物に触らないようにされてるわね。
小さな子どもの行動を制限するには有効な手段よね。⋯⋯うん。私は小さな子じゃないけれど。
「今の流れだとマオくんの手を握るべきだと思わない?」
「僕が手を握りたいのはエリアナだけだよ?」
あっ、普通に『何当たり前のこと言ってるの?』ぐらいの感じで返された。うん? そういうものなのかな。こういう時には恋人の手を握るものなの?
まあ、いいか。
「まずあの棺を調べてみましょう」
奥の棺を指さすと、セシルもマオくんも頷いた。
この部屋の中で一番異彩を放っているのがあの棺だ。うっすら瘴気も出ている。
「随分といろんな魔法で固めてあるのう」
人間の私たちの目にはうっすら「魔法かけられてるかなー」程度が見えるくらいだが、マオくんには何の魔法がかかっているかまでハッキリ見えるそうだ。
「物理耐性、火耐性、水耐性、風耐性、土耐性、腐食耐性、酸耐性、魔法転移」
「中の物を守ってる?」
「そのようじゃのう」
物理攻撃と四大魔法の耐性を付けられているという事は中の物をよほど大切にしていたのだろう。
「魔法転移ってことは、この棺に向けて魔法を使うと別の場所に使った魔法が移動するの?」
「いや、これは別の場所で使われた魔法をこの棺の中で受けておる方じゃ」
「⋯⋯なんで?」
「さぁ?」
外側を大事に魔法で固めて攻撃を受けないようにしているのに中に別の場所で使われた魔法攻撃を入れているの?
ヴェグデルは何がしたいんだろう。
「わしの記憶が確かならば、この魔法転移の対――――つまり、魔法を送る方はヴェグデルの入っていた棺にかけられておったはずじゃ」
ヴェグデルが封印中に受けた魔法がこの棺の中に転移してくるようになっていると言う。
「封印中に人間の攻撃を受けないようにしていたのかしらね?」
だとすると移動された魔法がこの中でどういう形になっているのか、開けたら暴発とかしないのか、一抹の不安が胸を過ぎる。
これ、安易に開けない方がいいんじゃ⋯⋯。
「⋯⋯開けてみようか」
「えっ?」
セシルはあっさりとそう言った。
「たぶん、危険な物じゃないと思う。⋯⋯ヴェグデルが封印中に人から受けていた魔法は、光魔法のはずだから」
「あ⋯⋯そっか」
そういえば、バルツ教団の人が言っていた。
魔王 (ヴェグデルのことだ)の体を使って実験して、欠けたら光魔法で回復させていたと。
封印が解けたヴェグデルは回復したとは思えないくらい体中ボロボロだった。光魔法がほとんどこちらに流れて来ていたからあまり効いていなかったのだろう。
確かに光魔法なら害はないわね。
うんうんと納得して頷いている私とは反対に、マオくんは唖然とした顔で固まった。
「⋯⋯開けるよ」
セシルはマオくんをチラリと見ると、棺の蓋に手をかけた。
「――――待っ」
マオくんの制止が聞こえたけれど、もう蓋を開けた後だった。
「⋯⋯やっぱり」
「⋯⋯わぁ」
棺の中身を見て、思わず感嘆の声をあげてしまった。
棺、だから当然なのかもしれないが、その中には人が眠っていた。
穏やかな顔で眠っている少女は、薄い橙色の太陽のような長髪にまだ幼い顔立ちをしている。簡素だが可愛らしい桃色のワンピースを纏ったその体に、左腕が無いのがやたらと目に付いた。
白い百合に囲まれて、光魔法の残滓なのかキラキラ輝く中に横たわる少女は神聖で美しかった。
「これって、人形⋯⋯じゃないわよね」
人形のような無機物には見えない。
呼吸はしていないので生きているようにも見えないが、ただの死体にも見えなかった。
「⋯⋯ミュ、ア⋯⋯」
一歩遅れて棺を覗き込んだマオくんがポツリと呟いた。
信じられない、と言うように目を丸くするマオくん。
「たぶん、封印されて眠っているんじゃないかな。この部屋にヴェグデルしか入れなかったのなら、彼が封印して、今まで守っていたんだろうね」
少女は、おそらく魔族なのだろう。人間は封印なんてできないし、うっすら漏れ出る瘴気は初めて会った頃のマオくんやヴェグデルと同じだ。
人間が魔族の村を襲った時、この子だけが運良く生き残ったのだろうか。
ヴェグデルが見つけて、今まで隠し守っていたのだろうか。
ヴェグデルはこの子の怪我を癒す為に、人間が自分に光魔法を使うように仕向けたのだろうか。
マオくんに言わなかったのは、同族を殺された怒りで周りが見えていなかったからか、全てに無関心になってしまったからか。
「ミュア」
マオくんはもう一度同じ名前を呟いた。大きく開かれたままの彼の瞳から、涙が一つ零れ落ちた。
ぶわっと少女の体から瘴気が溢れ出す。
瘴気に耐性のある光属性か闇属性を持っていなかったら確実に具合を悪くしたであろう程の濃い瘴気が辺りに散らばる。
「――――っ」
溢れ出る瘴気が収まった頃、少女の橙色のまつ毛がふるりと震えた。
「⋯⋯」
開かれたぼんやりとした灰色の瞳は、私とセシル、マオくんをゆっくりと順に見る。
少女――――ミュアは二度ほど橙色のまつ毛を瞬かせたと思ったら、こちらを向いてこう言った。
「ママ⋯⋯パパ⋯⋯」
長いこと声を出していなかったからか掠れた声だったが、見た目通り、高く可愛らしい声だった。その声は私とセシルを見ながらもう一度同じ言葉を繰り返した。
「⋯⋯え?」
「⋯⋯ん?」
「わしはっ?!」
どうやら私が「ママ」でセシルが「パパ」らしいが、呼ばれなかったマオくんが悲痛な声を上げると、ミュアの視線がマオくんに向いた。
「⋯⋯⋯⋯お、とー⋯⋯と?」
「せめて兄にしてくれぬかのう⋯⋯」
嬉しそうでもあり嫌そうでもある複雑な顔をしたマオくんに思わず吹き出すと、つられたのかミュアもぎこちなく笑った。
「⋯⋯え、へへ⋯⋯」
それを見たマオくんが、瘴気を抑えるのも忘れて大きく泣き出すものだから、私とセシルで頭を撫でて宥めた。
ミュアはそんな私たちを不思議そうな目でぼんやりと見ていた。
――――こうして、私とセシルにはミュアという名前の二人目の子どもができた。
次回、最終話です。