25.君のことが好きだから
「――――もう二度と、この手は離さないと誓ったんだ」
そっと私の手を取ったセシルは、愛おしげに両手で包み込んだ。
「――――っ」
私との出会いから始まり、むかしの話を丁寧に語られた私は、たぶん顔が真っ赤だと思う。
話すのに横になっているのも申し訳ないのでクッションを背中に入れて起き上がってみたが、腰が砕けそうだ。
「君を独占したいと思ってカーナイド領に連れて行ったけれど、君は僕の思う通りになんて動いてくれないね。仕返しなんて始めるし、町民や傭兵たちとも仲良くなるし、魔王を虜にするし。⋯⋯そんな風に思い通りにならない君も好きなんだ」
翡翠色の瞳が私に向けられた。込められた熱に心臓の鼓動が早くなる。
「ね、わかってくれた? 僕がどれほど君のことが大好きか」
初めて会った時から、ずっとセシルは私を想ってくれていた。
私が別の人と婚約しても、諦めずにずっと。
「ヒロインに惹かれたことなんて一度もないよ。ずっと、エリアナだけが欲しかった」
頬に手を添えられる。翡翠色の瞳が蕩けそうに熱を持っていく。
「この澄んだ琥珀色の瞳も、落ち着いたダークブロンドの髪も、きめ細かな白い肌も、美しい顔立ちも、コロコロ変わる愛らしい表情も、全てが僕を虜にするんだ」
目元に、頭に、額に、右頬に、左頬に。言葉の度にキスが落とされる。
「頭はいいのに阿呆で、ちょっと抜けてる君が可愛い。一途に僕を好きだと言ってくれる君が好きだ。誰かの為に本気で悩んで力になろうとする優しい君が愛おしい」
優しく包み込むように腕の中に入れられた。キスも抱擁も丁寧で本当に愛されているのが伝わってくる。
「ずっと騙していたのは謝る、ごめんね。でも君を大切にしたい、愛しているって気持ちは嘘偽りのない気持ちだから、信じて」
私はたくさんセシルに嘘をつかれてた。
フィリップ殿下と仲良くならないように誘導されていたし、むしろ引き裂くように動いてた。
セシルはヒロインと上手くいってなかったし、そもそも結ばれる気がなかった。
それどころかヒロインと共謀して私とフィリップ殿下を騙して婚約破棄させた。
でも、私はこの件に関してセシルに怒る気持ちは湧いてこなかった。
「うん⋯⋯。セシルは私の仕返しを受けてくれたから、全部許すわ。私もセシルを愛しているもの」
思い返せば、セシルが私の仕返しを拒否したことなんてなかった。躱されたり、やり返されたりはあったけれど、仕返し自体を拒否されたことなんてなかった。
それはもしかしたら、セシルなりの贖罪の気持ちもあったのかもしれない。⋯⋯少し、いや、かなりセシルも楽しんでいた気もするけれど。
だから、仕返しを受けてくれたセシルに私がむかしの件で怒ることはないし、私を大切にしてくれているのは十分伝わっているのだから。
「君の可愛い仕返しならいくらでも受けるよ。⋯⋯だから、この重たい愛を受け入れて?」
ぎゅっと抱きしめる腕に力が籠った、私もセシルの背中に手を回した。
「ふふっ、重たいのは自覚があるのね。⋯⋯でも、セシルの愛が重たいのは前世から知っていたもの。それが私に向くと思っていなかっただけで」
だから私は受け入れるわと伝えたら、「君ならそう言ってくれると思った」と頬にキスをされた。
やっぱり手のひらの上で転がされているのは私な気がするけれど、私は一つ残った疑問を口にした。
「そういえば、ソフィア様の望みって結局どういう事なの?」
話す前に言っていた、フィリップ殿下の評価が落ちるのがソフィア様の望みというやつだ。
ソフィア様の性格が私の思っていた乙女ゲームの真っ当なヒロインでないのはわかったが、彼女は結局どうして好きな人を落とそうとしたのだろうか。
「ああ、それはね⋯⋯」
セシルが口を開くと同時に、ノックの音が響いた。
「失礼いたします。⋯⋯エリアナ様、目が覚めたんですね!」
私の起きている姿を確認するとぱあっと花が咲くような笑顔を浮かべたのはソフィア様だ。
「よかった。わたしたちが不適格だったせいでエリアナ様に負担をかけてしまったので心配だったんで――――」
「エリアナに君の性格が歪んでいることは話したから、演じなくていいよ」
うるうるとソフィア様の目から零れそうになってきていた涙がひゅんっと引っ込んだ気がした。
「⋯⋯何やってくれてるんですか。わたしの『エリアナ様とお友達になる作戦』を邪魔してくれる気ですか」
「君みたいな有害人物、邪魔するに決まってるでしょ。僕に王の後継を押し付けておいてよく言うね」
「あら、フィリップ様を脅かす程の存在が王族になったんですよ。次期国王にしなくてどうします?」
「フィリップを国王にしたくなかっただけだろう?」
「そうとも言いますね」
ふふふ、と笑いながら話しているはずなのに、二人ともから黒いオーラが漂っている気がする。
話しかけていいものか迷ったので、小さく「ソフィア様⋯⋯」と呼びかけてみたら「はいっ」と嬉しそうに返事をされた。
学院での怯えた態度は何だったのかと思うくらい、蕩けた笑顔である。
「ソフィア様はフィリップ殿下をお慕いしているのよね?」
「ええ、ええ。もちろん。愛していますよ。だから彼もわたしを愛してくれるように、今回ちゃんと失恋させてあげたのです」
「え? ソフィア様、フィリップ殿下を振ったの?!」
ヒロインと攻略対象が別れるなんて、と思ったが、ソフィア様には首を横に振られ、セシルには何故か耳を塞がれた。
そのままセシルとソフィア様は何やら会話をしていたが、耳を塞がれている私にはよく聞こえなかった。
やがて、咳払いしたソフィア様の視線が私に戻ると、セシルの手も外された。
「まぁ、とにかく、愛しているので国王候補から外してあげたのです。あの方は純粋で真っ直ぐ過ぎますから、いろんな策略が絡む貴族の頂点は不向きだと思うんです。そのうち重責に潰されてしまいそうです。できれば男爵家、もしくは平民くらいに身分を落としてあげたいですね」
⋯⋯おおう。一応フィリップ殿下のことを考えての行動ってこと? 考えが歪んでいるとは思うけど。
「それに王様にはそこの腹黒がぴったりではありませんか。エリアナ様に溺れまくっている彼はエリアナ様がいるこの国をきっと大切にしますよ。上手く導いてあげてください」
そこの腹黒⋯⋯。
確かにセシルは、領主代行もカーナイド領の繁栄と辺境の戦力増強に貢献したと聞いた。セシルは人の上に立つ才があると思う。
私がいるとセシルは国を大切にしてくれて良い王様になる?
セシルが良い王様になるのも悪い王様になるのも私にかかっているの?
⋯⋯ほほう。
「クロムス男爵令嬢? そんなこと言うとエリアナは⋯⋯」
「⋯⋯私、セシルが良い王様になれるように頑張って導くわ! 私についてきなさいセシル!」
「⋯⋯ほら、やる気出しちゃったじゃん」
「相変わらず素直でお可愛らしい」
「それには同意してあげる」
◇◇◇
「では、そろそろわたしは失礼します。次期国王から遠のいた拗ね男の調きょ⋯⋯フィリップ様をお慰めしてきますね」
そう言ってソフィア様は楽しそうに去っていった。
「ソフィア様、楽しそうね」
「⋯⋯うん。ほら、アレはアレで二人とも幸せになれると思うよ」
「そうね⋯⋯」
私の思っていた乙女ゲームの完璧な終わり方ではない気がするが、フィリップ殿下に執着するソフィア様と、そのソフィア様に調きょ⋯⋯慰められるフィリップ殿下も上手くやれば幸せになれる⋯⋯かな? 頑張れ、フィリップ殿下。
「⋯⋯思ったのだけれど、もしかして、私が学院でセシルとソフィア様をくっつけようとしていたのは迷惑だった?」
セシルがずっと私を想ってくれていたのなら、私がヒロインにセシルを選んでもらうように頑張っていたのは彼はどう思っていたのか、ふと不安になった。
「うん。とても迷惑だった」
「酷いっ! もう少しオブラートに包んでもいいと思うわ!」
私は私なりにセシルの幸せを願っていたのだが、直球過ぎる物言いに項垂れる。
「⋯⋯君が僕の幸せを願ってくれたのは知ってるよ。でも僕はエリアナがいいんだ。エリアナじゃないとダメ。だからもう、僕から離れようとしないでね」
「離れようとしても離してくれないくせに」
「さすがエリアナ。よくわかってるね」
顎に手を添えられて上を向くと、セシルの翡翠色の瞳が柔らかく細められていた。
あ、キスされる。
徐々にセシルの顔が近付いてきたので目を瞑ったが、想像していた接触は無かった。
代わりに、お腹の辺りに何かがぶつかる感覚があった。
「わしもエリアナから離れんぞ」
セシルを押し退けるように私に抱きついたのはマオくんだ。
先程まで眠っていたのに、いつの間にか起きていたのね。
「おはよう、マオくん。体は平気?」
「いやー、すっごいダルいのじゃ。やっぱり浄化魔法はキツい⋯⋯いたい、痛い、今頭の痛さが加わっておるぞ⋯⋯」
マオくんの頭を拳骨でぐりぐりしているのはセシルだ。
「マ〜オ? もう少し待っても良かったんじゃないかな?」
「ふん。わしは今浄化魔法で弱り、同胞を失い喪失感に苛まれ、心身共に衰弱中じゃ。よって、エリアナの癒しを所望する。今日はセシルが譲れ」
「本当に弱っている奴は堂々弱ってる宣言しないよ」
「マオくん⋯⋯。今日は一緒にいてあげるからね!」
「「エリアナ!」」
マオくんは嬉しそうに、セシルは呆れたように私の名前を呼んだ。