23.浄化魔法
「――――殺してください。マーデュオシュバルツ様の手で」
「!」
「体中が痛いのです。外皮も、内臓も、ボロボロです。痛くて苦しくて堪らないのに、なかなか死ねないのです。自分は村の中でも貴方様の次に魔力が強かった。自分を殺せるのは、貴方様だけなんです。どうか、早く楽にしてください。――――ジェルメーヌの元に、行かせてください」
懇願するように膝をついて、マオくんの手を取るヴェグデル。マオくんはその手を見て、小さく「わかった」と呟いた。
⋯⋯マオくんが、ヴェグデルを殺すの?
『わしは今度は復讐の為じゃなくて、守る為に力を尽くそうと思う。ヴェグデルには誰も人間を殺させない。人間にもヴェグデルを利用させたりしない。そんで、ヴェグデルを説得して、エリアナとセシルとヴェグデルとわしとで、みんなで幸せに暮らすんじゃ。⋯⋯ちょっと我儘かの?』
そう言っていたマオくんに、ただ、穏やかに暮らすことだけが願いのマオくんに、同族を殺させるの⋯⋯?
そんなの――――
「――――ダメっ」
「⋯⋯エリアナ?」
ヴェグデルに向けられたマオくんの手を掴む。
そんなの、ダメ。
マオくんがヴェグデルを殺すと、優しい彼は苦しんでしまう。また同族を救えなかったと、一人で悲しい思いを抱えてしまう。
まるでこの世界に一人きりのように悲しい顔をして、全てを放棄してしまうかもしれない。
これ以上、マオくんにそんな思いをさせないで。
「殺さないで。私、マオくんに苦しい思いをして欲しくないの。また悲しい顔をして欲しくないの。お願い。⋯⋯そうだ、ヴェグデルの怪我は私が治すから!」
そういえば、バルツ教団の人が魔物の肉体を削って、光魔法で治してまた使っていると言っていた。私が光魔法を使えばヴェグデルの怪我が治るかもしれない。
そうすれば、ヴェグデルは痛い思いをしなくて済むし、マオくんも彼を殺さずに済む。
そう思って、ヴェグデルに光魔法を発動させる。全身ボロボロだから時間はかかるかもしれないけれど、きっと治るはずだ。
「エリアナ、無理じゃ」
魔法を使う手をマオくんに握られる。
「もう無理なんじゃ。ヴェグデルの生命はもう僅かじゃ。それは光魔法でもどうにもならんのじゃ」
「でも、でも⋯⋯ヴェグデルが死んじゃったら、マオくんはひとりに⋯⋯」
泣きそうな私と違い、マオくんの声はひたすらに穏やかだ。穏やかに笑っていつものように私の腰に抱きつく。
「エリアナは優しいのう。大丈夫じゃ。わしはひとりにはならんぞ。数千年前のように、自暴自棄にもならん。⋯⋯エリアナが一緒にいてくれるんじゃろう?」
「っ⋯⋯」
「わし、あと五十年はエリアナと一緒にいる予定じゃからの。エリアナが嫌じゃと言ってもセシル並に執着してやるのじゃ」
ふふん、と誇らしげに胸をそらすマオくんには迷いなんて無いように見えた。
「⋯⋯ふふっ。セシル並って、何それ」
「ちょっと。妙な所で僕の名前を出さないでくれる?」
「あっ⋯⋯」
セシルがやってきて、私とマオくんを引き剥がす。「相変わらずヤキモチ妬きじゃのう」と笑ったマオくんは、ふと真剣な顔で私たちを見た。
「セシル、エリアナ。ヴェグデルに浄化魔法を使ってくれぬかの?」
浄化魔法は、瘴気を浄化し魔物の力を削ぐらしい。ただ、不思議と浄化される魔物は苦痛を感じず、穏やかに眠れるのだとか。
「浄化魔法って、使ったことないけれど⋯⋯」
話に聞いていただけで、自分が使う予定ではなかったので詳しくは知らないのだ。自分ができるかどうか不安だ。
「わかった。僕がエリアナに合わせるよ。⋯⋯手を出して」
言われた通りに指を絡めて手を繋ぐ。セシルのもう片方の手が腰に回って引き寄せられた。
そういえば、魔王殿の封印の間にあった男女の石像はこんな体勢をしていた。
「ゆっくりと左手に光魔法を発動させて」
言われた通りにゆっくりと光魔法を発動させると、セシルも重ねた手でゆっくりと闇魔法を発動させるのが分かった。
普段の魔法だったらそのまま放たれるのだが、手の中でじんわりと混ざり合った光と闇の魔法が体の中に逆行した。
「⋯⋯っ」
混ざり合った魔法が身体の中を巡ると、熱が上がってくるような感覚がして、蕩けそうになる。
浅い呼吸をしながらセシルを見上げると、彼も蕩けた瞳で私を見つめていた。
――――神話や歴代の勇者と聖女が必ず結ばれていた理由がわかった気がする。
お互いの魔法が混ざり合って体を巡る。他人の熱が体を巡る感覚に、これは愛した人とじゃないとできないと思った。
熱が最高潮に上がった頃、小さく「いくよ」と言われたので頷く。混ざった魔法を繋がっている左手に集中させる。
セシルの翡翠色の目と視線が絡む。
「――――浄化結界」
そう唱えたのをきっかけに、私とセシルの魔法が弾けた。
ぱあっと輝く虹色の光の柱が立ったかと思えば、それは闇魔法の結界のようにドーム状に辺りを包んだ。
普段の闇魔法の結界は黒色だ。しかし光魔法と合わさっているからか、虹色に光り輝く結界ができあがった。
結界から、キラキラとした虹色の光が降り注ぐ。
その光はヴェグデルが放った黒く渦巻く瘴気を蒸発させるように消していく。
「⋯⋯綺麗」
誰かがそう言った。
避難誘導をしていた使用人や、バルツ教団を捕らえていた騎士、展開を見届ける為に残っていた国の重鎮、国王陛下や王妃殿下もその光景に見とれていた。
⋯⋯自分の魔法だけど、なんだか穏やかな気分になる。
心が洗われていくような、心地良さ。
ぼんやりと宙を眺めていると、ドサッと音がしてヴェグデルが倒れたのが見えた。
「!」
ヴェグデルの体は降り注いだ虹色の光が纏わり付いているようで、少しずつ体を侵していっているようにも見える。
「ヴェグデル⋯⋯今、楽にしてやろう」
マオくんがヴェグデルに手をかざす。
弱い魔物ならば、この光だけで消えてしまえるそうなのだが、魔族という強大な彼等はこれで死に到れるわけではない。あくまで穏やかに弱るだけなのだ。
だから、マオくんにとどめを刺してもらう。
深く呼吸をするマオくんを見ていると、ぐっとドレスのスカートを掴まれて体勢を崩した。
「――――っ!!」
私のドレスを掴んだのは、マオくんの小さな手でも、セシルの大きな手でもない、老人のようなしわがれた手。
「エリアナ!」
「――――ヴェグデルっ、離すんじゃ」
ヴェグデルはセシルとマオくんの睨みなんてものともせずに私の手を掴んだ。そしてふっと笑うと、私の手の中に何かを入れた。
「え⋯⋯?」
「我らが長を虜にした貴女に差し上げましょう。⋯⋯ありがとうございました。そして、よろしくお願いします」
何に対するお礼なのか、そして、何をお願いされたのか。聞き返せないまま、セシルとマオくんにより、ヴェグデルから引き離された。
マオくんは魔法で大きな炎を起こし、ヴェグデルは文字通り灰となったのだった。
彼は最期に、笑顔で涙を流していた気がした。