22.予定と違います
大きな咆哮が会場内に響き渡った。
ゆったりとした動作で起き上がり、箱から出たモノに会場内がパニックになる。
「あれが、ヴェグデル⋯⋯?」
ゲームの立ち絵やスチルは大きな影のような姿だったが、実物は違う。
焦げ茶色の髪は肩口で切り揃えられているが、パサパサで纏まりがない。窪んだ目から覗く橙色の瞳は虚ろで生気がない。顔色も酷く悪いし、体もやせ細っているように見える。
先程の咆哮も、まるで苦しむ悲鳴のように聞こえた。
「さぁ、皆さま! 魔王によるショータイムの始まりです!」
仮面の男が芝居がかった仕草で手を広げると、ざわめく観客の中から一人の男が進み出た。ランドルフ様やメリッサ様が苦々しい顔をしたその人は、マッカーチ伯爵だった。
「今まで私たちは魔王や魔物という脅威に怯えてきた。しかしそれも今日この時まで! 私たちは魔王を制御する術を見つけ出した。それを今ご覧に入れよう」
伯爵が取り出したのは、丸い輪っかのような魔導具。ヴェグデルの首に付けられているものと似ている。両方淡く光っているのは連動しているからだろうか。
あれが魔物を強制的に従える魔導具なのだろうか。
「⋯⋯ん? あれは⋯⋯」
「マオくん、知ってるの?」
「うむ。かなり昔にわしが暇つぶしで作った魔導具に似ておるの」
マオくんが昔作ったのは、人間の飼う犬を真似て魔物を躾けてみようと、言うことを聞かなかったら少しピリッとくる首輪らしい。
それって⋯⋯
「さぁ! 魔王よ、力を発揮するがいい!」
伯爵が首輪に魔力を込めると、虚ろな目でぼんやりとしていたヴェグデルは、眉をひそめて首輪を引きちぎった。
「まぁ、ヴェグデルに通用するはずないよの⋯⋯」
呆れ気味なマオくんの呟きと共に、「なんだと?!」と慄いた伯爵はヴェグデルから逃げようとして騎士に捕まっていた。
会場内はパニックになっていくが、想定内の事態だ。事前の打ち合わせ通りに招待客の避難、騎士の投入が始められている。
バルツ教団や手引きした貴族は騎士が捕まえる手筈になっている。次々と捕らえていく中で、ランドルフ様にマッカーチ伯爵が何かを喚いていたが、そのまま会場を連れ出されていた。
あとはフィリップ殿下とソフィア様で浄化魔法を発動させて、ヴェグデルを弱らせ封印を施す。勇者と聖女であると示せれば支持も得られることだろう。
なので、私たちは成り行きを見守ってヴェグデルから攻撃が来たら対処する。
――――そう、言われたけれど。
「⋯⋯魔法が上手く発動していないね」
セシルの呟きに不安が胸を過ぎる。
先程から、フィリップ殿下とソフィア様が闇魔法と光魔法を合わせた浄化魔法を発動させようとしているが、息が合っていないのか、闇魔法だけが発動したり、光魔法だけが発動したり、上手く合わさっていないのだ。
「ソフィア! 私に合わせてくれ! 協力してくれ!」
焦った表情のフィリップ殿下はソフィア様の肩を掴む。しかし、ソフィア様は混乱しているこの場に似合わず穏やかな微笑みを浮かべた。
「⋯⋯フィリップ様。わたし、貴方がお花について嬉々として語るのを聞くのが好きです。花を咲かせて喜ぶ笑顔が可愛らしいと思います」
「何故今その話なんだ?!」
「王子らしくない趣味だと隠そうとなさいますが、自分の好きなことを好きと言えない立場なんておかしいと思うんです」
「私は王になるんだ! 幼い頃からの目標だ。勉学も剣術も、人一倍努力してきた。ここで力を発揮しないとそれが全て無駄になるんだ。だから、協力してくれ!」
何やら二人が言い合いをしている。そうこうしている間にもヴェグデルからは瘴気が漏れ出てくる。
ヴェグデルはまだ意識がハッキリしないのか、ぼんやりと突っ立った状態ではいるが、会場内には瘴気のせいか具合が悪くなっている人もいる。
⋯⋯これ、ヤバいんじゃないかな?
そっとセシルを見上げれば、小さくため息が聞こえた。
「⋯⋯やってくれる」
口に手を当ててボソリと呟かれた言葉に首を傾げる。
「セシル?」
「⋯⋯エリアナ。王妃になる覚悟はある?」
「え? うん⋯⋯うん?!」
どういう事?! と勢いよく顔を見上げたが、セシルは「そう」と短く言って私の手を握った。
いや、待って、待って。「そう」じゃなくてね。私は生まれてこの方王妃になる覚悟なんてしたことないわよ?
王子妃となる覚悟ならしたことあるけれど、王妃はヒロインの予定だったからね?
というか、現在進行形で王妃はソフィア様の予定よね?
「エリアナ、マオ、行くよ」
「うむ」
「えっ。えぇっ?!」
頭がついていかない私は手を引かれ、ヴェグデルに近づく。ヴェグデルは私たちに気づいたのか、ゆるりと首をこちらに回した。
「ま、でゅお、シュバル⋯⋯さま」
「ヴェグデル⋯⋯」
マオくんを見て、ヴェグデルの目に初めて生気が宿った気がした。
「⋯⋯マーデ、シュバル⋯⋯さま⋯⋯何故人間、共に⋯⋯ですか」
「ここにいるのはわしの大切な人間じゃ。一緒にいて何が悪い」
マオくんの言葉にヴェグデルの橙色の瞳が私を見た。
「大切な⋯⋯」
底の見えない瞳に反射的に震えた私の肩をセシルが抱く。
「ジェルメーヌ⋯⋯」
初めてヴェグデルの無表情が崩れた。懐かしそうな、悲しそうな表情。
⋯⋯ジェルメーヌ? 誰?
ヴェグデルの昔の恋人、とか?
その人に私が似てるとか?
「⋯⋯いや、ひとつも似とらんぞ。ジェルメーヌはもっと知的美人じゃったろう? 目もおかしくなったか?」
ひとつも似てなかったわ。
でもなんだろう、その言い方傷付く。知的美人じゃなくて悪かったわね!
「エリアナは阿呆可愛い所がいいんだよ」
セシルはそれでフォローしているつもりなの?!
私のことをそんな風に思っていたのね! 可愛いって言ってくれたから許すけど!
「確かに、ジェルメーヌ、が、遥かに知的美人ですが⋯⋯」
ヴェグデル!
いつの間にか得体の知れないバケモノではなく、私たちと同じ人間のように言葉が流暢になっていくけれど、まともになった瞬間の言葉がそれなの?
私のヴェグデルへの好感度はマイナススタートよ?
「ジェルメーヌに、会いたい⋯⋯」
ポツリと言葉が零される。
私じゃなくて、私とセシルを見て恋人が懐かしくなったのかもしれない。
「死者にはもう会えんぞ?」
マオくんのキッパリとした物言いに苦笑する。時間が経つ毎にヴェグデルの表情が増えていく。
「久しぶりに、同族に会ったというのに、辛辣ですね。⋯⋯そうですね、再会を祝して、二人で人間を滅ぼしましょうか」
ヴェグデルの冗談なのか本気なのかわからない言葉に、マオくんは眉を寄せる。
「⋯⋯たわけ。わしは人間は滅ぼさぬと言っておろうが。それに⋯⋯お主にも、もう無理じゃろう?」
ヴェグデルの体に視線をやる。
彼の体はガリガリにやせ細っていて、傷だらけで、顔つきは若いのに肌は老人のように枯れていて。指がなかったり、胴が不自然に欠けていたり。バルツ教団に持っていかれたはずの右腕は付いていなかった。
⋯⋯今動いているのが不思議な程だ。
「⋯⋯眠っている間にも人間に悪影響を与えられないかと、自分の体を実験的に使わせてみたのです。⋯⋯相変わらず欲深い彼等はやり過ぎてしまったようですが」
「人間は欲深く罪深い、か。よく言っておったのう。⋯⋯ヴェグデル、もう種族でくくるのはやめんか? もう何もしておらぬ人間に危害を加えるのはやめろ。これは、長の命令じゃ」
長の威厳を出したいのか、胸をそらすマオくんにヴェグデルは僅かに――――笑った。
「『長』ですか、懐かしい、懐かしい響きですね。今ではすっかり『魔王』ですから。⋯⋯でも、やっと、長らしくなりましたね」
「何?」
「貴方はずっと、全てを放棄しておられたので。生きることも、死ぬことも、全てに無頓着。感情を動かさず『面倒だ』の一言で片付けて。⋯⋯同胞を失って、復讐の意義を見いだせなくなった貴方は、生きる屍のようでした」
思い当たる節があるのか、マオくんは「うぐっ」と言葉に詰まった。
「長の命令ならば仕方ありません。人間に危害を加えるのはやめましょう。自分もそんな力はもうありません。ただ一つだけ、叶えて頂きたい願いがございます」
「願い? 人間は滅ぼさんぞ」
マオくんが眉間に皺を寄せると、ヴェグデルは「違います」と首を横に振る。
「――――殺してください。マーデュオシュバルツ様の手で」