1.【バーチャルキャスター・吹雪よーぐると参上!】
「はあああああ~~~…………あ」
授業と授業の間の休み時間、古谷陽花は片手にスマートフォンを、もう片手に自身のおさげを握りしめ、場所も考えず項垂れる。そのあまりの勢いに額を机でぶつけてしまった。
前触れなく響いた鈍い音に教室内の皆が反応し、空気の流れが止まる。
音の発生源が陽花だとわかると、すぐに全員元の空気に戻った。
少し恥ずかしくて机に突っ伏したまま顔を上げられない陽花は、垂れる長い髪の内側にスマフォを潜り込ませ、もう一度あの画面を確かめる。
動画共有サービス[MyTv]のスマートフォン用アプリケーションソフトウェアを開いて、昨夜自分が投稿した動画の詳細を見る。
[バーチャルキャスター・吹雪よーぐると参上!]というタイトルの下に[再生回数39][高評価0][低評価0]の文字列が並ぶ。
続いて投稿者をタップしてページを移る。
[番組登録2]
何度見ても変わらない。これらの数字が現実だった。
これがもっと大勢の人に見てもらえていれば素直に喜ぶことができただろう。
逆に、誰にも見られていなければ潔く落胆できただろうに。
僅かでも自分を見てくれる人がいるのに落ち込むことなんてできないし、自信があった分、この結果に納得なんていかなかった。
三ヶ月半と二十八万円を注ぎ込んだのだ。
再生数も登録数も、もっと伸びなければおかしい。
無意識のうちに、スマフォを持っていない方の手を手櫛にしておさげを梳かしていた。
陽花は[MyTv]のアプリを閉じ、ホーム画面から新たに、呟き系ソーシャルネットワークサービス[Thinker]のアプリを開く。
[吹雪よーぐると]のアカウント名の下には[0 think][0 support][0 supporter]の文字。
こちらは全てゼロだった。
プロフィール画像に設定しているアバターのイラストに目を移せば、ぱっちりした深く青い瞳がこちらを見つめ返してくれる。
光を青く反射する純白でセミロングの髪をツーサイドアップに結い、青い線で縁取った雪の結晶の模様を散りばめた近未来的な白い衣服からは、健康的な色の肩やお腹、太股が多めに露出している。
陽花は音にならない息だけで「可愛いんだけどなあ」と独り言ちた。
「ううん!? 呟きがゼロじゃ駄目じゃない!?」
今度は声に出ていた。
慌てて自分の動画を宣伝するため、動画のURLとハッシュマークにタグとなるキーワードを連ねてシンカーに投稿する。
[1 think]、とシンクの数が一つ増えた。
呟き系SNSシンカーではテキストを投稿するたびにシンクが増え、投稿したテキストがトップ画面に時系列順に並ぶ。他のユーザーをサポートしておけばそのユーザーのシンクも自分のトップ画面に表示され、逆にサポーターには自分のシンクが相手のトップ画面に表示される。
他ユーザーのシンクは[Good]と[Bad]で評価でき、[Re:think]することでそのユーザーをサポートしていないサポーターにもそのシンクを届けられる。
早速、古谷陽花が吹雪よーぐるととして発信した呟きがRtされてサポーターも数人増えた。
忘れないうちに憧れの存在である夜桜ゼリーを探してサポートしておく。
とりあえず[1 think][1 support][3 supporter]という結果になった。
シンカーを閉じ再びマイテレビを開いて数字を確認する。
シンカーに投稿したお陰か、吹雪よーぐるとの番組登録者数は七人増えて九人になっていた。
陽花は興奮して立ち上がる。
一緒に奇妙な声も漏れていた。
昼間のこの短時間で七人増えたということは、人の増える夕方から夜になればもっと伸びるのではなんて期待してしまう。
「古谷陽花さん、さっきから騒がしいので静かにしてほしいんですけど」
隣の席に座る成績優秀な真面目学級委員長、芹川佳乃は教科書を荒く机に置くと陽花を睨んだ。
授業中に掛けている眼鏡は今は筆箱の上に置かれており、彼女の鼻の頭には赤い小さな痕が二つ付いていた。
目を細めている分、より目力が増す。
「それに校内での携帯電話の使用は校則で禁止されていますが」
睨みに加えて重くドスの利いた声が更に迫力を追加する。
「これは携帯電話じゃなくてスマートフォンですうー」
注意され慣れている陽花は屁理屈で返した。
「緊急連絡用の電話機能がメインじゃない分、余計質が悪いです」
佳乃は陽花のスマフォを覗き込んで[バーチャルキャスター・吹雪よーぐると参上!]の文字を目で追う。
「もう、うるさいなあ!」
慌ててスマフォを裏返し、電源ボタンを強く押して画面を消す。
調べ物したり勉強にも使ってるもん。と言い返す余裕がないほどに、秘密を見られてしまった陽花は動揺するがあのページだけで吹雪よーぐるとイコール古谷陽花だと断定するのは不可能だろうとすぐに心を落ち着かせる。
だいたい勉強漬けの委員長に見られたところで、彼女にはネット配信者すらわからないだろう。
もともと陽花もネット配信者には関心がなく、それどころか得体の知れない不特定多数相手に素顔を晒しながら何かをするという行為が理解できず、あまり良い印象を持っていなかった。
すでにそういった先入観に囚われていたので、配信者の姿がアニメ風のバーチャルな格好に置き換わろうとも興味が湧くことはなかった。
マイテレビ自体は利用しているものの、陽花が普段見るものといえば合成音声を用いた楽曲や違法アップロードされたアニメのオープニング・エンディング曲のループ集、インターネットで拡散・話題になっている動画など、配信者とは縁のないものばかり。
それなのにバーチャル配信を始めたのは、やはりシンカーで拡散されていたゲームの実況動画がきっかけだった。
『こんばんは。花よりゼリーな夜桜ゼリーですよー』
長く閉じ込められていた殻から解放されたような伸び伸び活き活きとした、やや高めの柔らかい声が陽花の鼓膜を突き抜ける。
冒頭の挨拶だけで陽花は一目惚れならぬ一耳惚れをしていた。
「五月蝿いのは古谷陽花さんだけですよ」
夜桜ゼリーよりも一オクターブも低い声が陽花の左耳から右耳へ通り過ぎていく。
陽花は無線式のイヤフォンを両耳に差し込んだ。
口論を繰り広げることは時間の無駄であると過去の経験から学んでいる委員長は、溜め息を吐きながら開き直した教科書に目を落とす。
同じく陽花も絡まれなければそれでよいため追撃はせず、スマフォでマイテレビから夜桜ゼリーの動画を探す。
あの日、初めて見た動画はコラボレーション配信のものだった。
爆雷ヒカリいう有名らしいバーチャル配信者と共に和風ホラーゲームをプレイする夜桜ゼリーは難所を乗り越えて喜んだり、怖がって驚いたり、びっくりして悲鳴をあげたり、それを爆雷ヒカリに茶化されて不機嫌になったり、二人で楽しそうに笑いあったり、中身が人間であるとわかっていても生身の人間以上に感情表現豊かな仕草をする彼女に陽花は完全に心を奪われていた。
今まで全く使ってこなかった高評価ボタンも夜桜ゼリーのために押した。
迷うことなく番組登録もした。
番組登録をしておくと、そのアカウントが新しい動画が投稿されたとき、すぐわかるようになる。
一回の配信でゲームはクリアできなかったようで、続きの動画もアップロードされていた。
夜桜ゼリーもこのホラーゲームに慣れてきたのか、口裂け女が出てきたあとに『私もあのサイズのマスク欲しいですね。輪郭から涙袋まで隠せれば私にもアドバンテージ高いですよ』と言いだし、のっぺらぼうのことを『整形に通い詰めたおかちめんこさん』人面犬を『歪んだ愛の結晶』などなど妖怪を独特の名で呼び、河童を見つければ『山田先生じゃないですか。こんなところで何してるんですか? サボりですか?』と問い詰めながらわざわざ近付いてゲームオーバーになったら、怒るヒカリの隣で『山田、てめえ、許さねえからな』と舌打ちをする、これまでの丁寧な話し方に対する微妙なセンスのギャップに、更に惹きつけられた。
ちなみに、陽花の通う学校にも山田という常に不機嫌気味に唇を尖らしている円形脱毛症の教師がいて、しばらくの間は山田先生の顔を見るだけで頬が緩んでしまって大変な思いをした。
陽花は夜桜ゼリーの他の動画にも全て目を通し、全て高評価ボタンを押した。
感想を書いたコメントも送った。
生放送では投げ銭と呼ばれる、コメントと共に電子マネーを寄付できる機能も使った。
あらゆる手で夜桜ゼリーを応援する陽花だったが、それだけでは全然満足できなかった。
これではどれだけ頑張ってもただのファンでしかない。
この気持ちの行き着く先はそこではないのだ。
彼女の隣に立ちたい。
最初に見た動画がコラボ配信だったからこそ、この気持ちを自覚させられた。
彼女と話したい。
ファンの一人としてでなく、対等の場所に立って。
夜桜ゼリーに存在を認められて、隣に並ぶ。
陽花は心を決めた。