柒―【荒廃都市、札幌】
――『ダンジョン【地】の攻略を開始します』
「こ、ここがモーハンさんのダンジョンなんですね。あの、せ、せせ先輩? ダンジョンって全部こんな感じなんですか? なんだか一気に現実に引き戻されたような気がします。というか怖いです! ここ怖いですぅ!」
「おーい。引っ付くのはいいけどモンスターが出たら離れろよ?」
個人ダンジョン進入から約五分。
まるでお化け屋敷に入ったカップルよろしく、俺の右腕に必死にしがみつき続けているミキ。
それを軽く振り払おうと腕を動かせば、初めから密着している身体が更に密着してその、なんだ……柔らかさがダイレクトに感じられる。
「ミキさん。コバ……クラーク君が喜んでるから、そろそろ離れた方がいいと思うわ」
べ、べつに喜んでないし……ていうか今一回コバエって言おうとしたな?
まぁこれは他の面子とだけじゃなく、俺とも親睦を深めようとしてくれてるが故の呼び方の変化なのかもしれない。そう思ったらかわいくも思えるので、今のは聞き流そう。
ユメクイに君付けで呼ばれるのは師弟時代に戻ったみたいでちょっと嫌だけどな。
「せんぱい……離れなきゃダメですかぁ?」
甘ったるく聞こえる声に隣を見やれば、少し背の低いミキから涙目の上目遣い。
あざとい……が、これがもし計算でやっているのだとすれば俺は……。
「ダメじゃない」
「はぁぁ……良かったですぅ」
計算だろうと天然だろうとダメだなんて言えるわけがない。というか言う理由も無い。
そしてそれは俺だけではなく同性(あくまでもキャラは)のユメクイも同じだったのか、珍しく気の抜けた笑みを零しながら一つ溜息をついた。
「と、というか、ユメクイさんも先輩もコウムさんも、怖くないんですか? だ、だって怖いじゃないですかここ! てかあれですよね!? ここって実在する場所ですよね!? まさか未来の姿とかじゃないですよね!?」
モーハンさんのダンジョン。
今回は【地】の難易度を攻略することになったが、そこはダンジョンとは名ばかりの、現実と変わらない完全なるビル街だった。
ただ、ビル街といっても東京や大阪や名古屋などの大都市よりもほんの少し迫力に欠ける。
いや……今見ているものを認めよう。
受け入れてしまうと現実に引き戻されそうだったので避けていたが、これは俺が住む北海道札幌市の一部の風景によく似ている。
しかしそのまんま札幌というわけではない。
空は全体的に灰色を通り越して黒とも言える曇り具合で、ビルの窓なんかは透明ではなく奇妙な虹色に輝いていたりする。その上、ほとんどのビルは上部三分の一くらいが中途半端に崩壊していたりと、かなり陰鬱とした雰囲気を醸し出している。
更に今回は札幌の中心部に近い場所というのも相まって、大通りには車も人も一切存在しないという要素がより一層不気味さを演出している。
確かにミキの言う通り、人類が絶滅した未来の姿に見えなくもない。
「ミキちゃんは個人ダンジョンは初めてだったかしらぁ?」
「は、はい、そうですけど」
「ここはまだマシな方よー。私の【天】のダンジョンなんか、廃墟と化した病院だったのよ? クラーク君も覚えてるでしょ?」
「はい……多分コウムさんのが今までで一番怖いダンジョンでした。あれはマジで肝試し状態だったんで」
個人ダンジョンはその人が抱えている問題によって場所もモンスターも様々だが、それなりの人数のダンジョンを攻略してきた俺でも、あそこまでホラーなダンジョンは知らない。
廃墟と化した病院。その時点で十分怖いというのに、所々血だまりや血潮がかかった壁があり、モンスターも臓器が飛び出た入院服姿の人間や、私服姿でもどこかしら派手に怪我をして出血しているという、どこぞの戦慄する病院風お化け屋敷を思い出すような作りになっていた。
そういえばあの時は恐怖のせいであまり考えていなかったが、あの場所とあのモンスター達は、コウムさんのどんな問題を象徴していたのだろう……。
「も、もうこの話はここでやめましょう! そ、そそそそれより先輩。ダンジョンに入る前に宿屋を借りましたけど、外でそのままやっちゃダメなんですか?」
ミキは個人ダンジョン初挑戦というのもあるのだろうが、根本的に怖いのが苦手な子らしい。
ならまぁ、少し別の話をして気を紛らわしてやるか。
「ダンジョンを開くためには、ダンジョン主が眠らなきゃいけない。それはわかってるよな?」
「は、はい。眠っているモーハンさんのおでこに触ると、体内のダンジョンに進入出来ました」
「うん。だから俺達は今、モーハンさんの体内に入ってる状態で外の世界には存在してない。でもモーハンさんは違う。眠った無防備な身体がそのまま向こうに残されてる状態だ。今回はモーハンさんが男だから、適当な場所でもそれほど危険なことは無いだろうけど……まぁ、なんだ……」
「なんですかぁ?」
「それは……えーっと」
「私やミキさんみたいに可愛い子だと、悪質なプレイヤーに犯されちゃうかもしれないってことよ」
「犯されるんですかぁっ!?」
「おいユメクイ! ちょっとはオブラートに包めよ!」
と思ったけど、ミキはミキでちょっと顔が明るくなったぞ?
まさかヤれれば誰でもいいわけじゃないよな? いつもの冗談は俺だからだよな? そうだと信じてるぞ……。
「べつに隠すようなことじゃないでしょ。あなたが言いづらそうだから代わりに言ってあげたんじゃない」
「そ、それは助かったけど……ストレートすぎんだろ」
「まぁでも今のは極論ね。流石に眠っているプレイヤーをそのまま犯すプレイヤーなんてそうはいないし、人目につかない場所まで運んで犯すプレイヤーももそうそういない。だって目立つもの。だから例えばそうね……スカートを捲ってパンツを見るとか、その程度ならいるかもしれないから気を付けないといけないってことよ」
「へぇ……そうなんですね。わかりました……もし開く時は気を付けます」
「あとあれだな。これは今の例よりも更に低い確率だけど、眠っている間に殺されてログアウトさせられる場合もある」
「……夢の世界なのに世知辛いです」
言いたいことはわかるが、ラストエデンにログインするのは善人だけではない。
ここではあらゆる感覚が鈍ってはいても、基本的に現実で出来ることは全て出来る。それは動作だけに限らず、食事や睡眠、性行為や排泄まで文字通り全てにおいてだ。
しかしラストエデンに人を裁く法は存在しない。
そのため、現実では犯罪として扱われるような行為も、夢の中では罪に問われないままに行えてしまう。もし見つかったとしても誰にも拘束されたりしない上に、時間が来れば現実に戻れるというおまけ付きだ。
だからこそ、その辺りの隙を突いた事件が起こることも稀にある。
更に、それは何もダンジョンを開いて無防備になっている時だけではない。
ラストエデンでは痛みを感じないが、今ミキが感じているように恐怖は感じる。
いくら痛みが無いといっても切り刻まれ続ければ精神的に来るものがあるし、力づくで抑え込まれればどうしようもない場合だってある。
現実と同じということは、恐怖を感じて身体が動かなくなることもまた同じだ。
だからこそコウムさんもミキもそうだが、女性プレイヤーは他のプレイヤーと常に行動を共にしているという者がほとんどだという。
唯一知っている例外としてユメクイは基本的に一人行動だが、こいつの場合は何かされそうになっても撃退出来るだけの強さがあるので問題無いのだろう。
そして場所を確保する二つ目の理由としては、意図せぬ者がダンジョンに入り込むのを阻止するという意味が存在する。
個人ダンジョンに入場する条件は、眠っているダンジョン主の額に触れること。そして触れた次の瞬間には、まるでワープでもしたかのように目の前の景色が切り替わりダンジョンへと進入している。
この手軽さはいいのだが、これまた心無いものが侵入してきた場合、先に攻略を開始していたプレイヤーを殺してログアウトさせ、記憶を持ち帰る権利を得ていくという可能性が出来てしまう。
まぁこれは結果的に見ればダンジョン主は攻略してもらえるのでそれほど損はせず、あくまでも保険の意味合いが強くついでという感じだ。
そんなわけで鍵がかけられて部外者が入ってこない場所が必要なのだが、その為に利用するのが街にある宿屋だ。
眠っている状態なのでラストエデンでは意識的に眠ろうとしない限り眠くならないのだが、わざわざ宿屋が存在するのにはそういう意味合いがある。
まぁこの世界の創造主がそこまで意図しているかはわからないが。
ちなみに料金は酒場と同じく無料。ラストエデンには金銭という概念が存在しないからな。
「ふふっ……ミキさん。悪質なプレイヤーにっていう危険性を避けるために宿屋を利用するけど、他の使い方もあるわよ?」
「それはわかりますっ! ご休憩ですね! ゆうべはお楽しみでしたね、ですねっ!」
「お前らなぁ……そういう思考は」
「あー、そういうことなら、私はモーハンとしたことあるよー」
「マジっすか!?」
「いや、あなたも人のこと言えないじゃない」
おっと……つい高まってしまった。
しかしまさかコウムさんとモーハンさんがそういう関係だったとは。
いや、確かに普段からその気配はあったし、そうなんじゃないかなぁと思ってはいたが、まさかそこまで……。
まぁ二人とも多分俺達より、少なくとも実年齢十七歳の俺よりは遥かに大人だろうから普通か。
「せーんーぱいっ」
「しません」
「あぅ! 今度は早いですっ! さっきはちょっと迷ってくれたのにぃ……」
流石に今の流れなら何を言うか読めたからな。
ちなみに本心は……内緒だ。
「まぁ、わたしは宿屋にも酒場にも、というかNPCの方々が少し怖いので、あまり街には行きたくありませんけどね」
「あぁー、怖いよねぇーあのNPC。どうして夢の中なのに同じことしか言えない設定なんだろう?」
ミキとコウムさんの言葉に思わず頷いてしまう俺。
しかしユメクイはそうでもないのか、特に何も反応を見せなかった。こいつは怖がりではないらしいな。
「つーかそもそもラストエデンって誰が管理してるんでしょうね。多数の人間の夢を一つの世界に繋げるなんて、現実の誰かが出来るものじゃないと思いますけど」
「やっぱり神様なんじゃないかなぁ? だってあれでしょー? 私たちがいるここ以外にも、ラストエデンは他にもいっぱいあるって噂だし。もし本当なら神業しかありえないでしょー」
「ですよね。その辺どうなんだ?」
俺よりも歴が長く、多数の個人ダンジョンを踏破して記憶を持ち帰っているはずのユメクイなら何かしら情報を掴んでいるかと話を振ってみる。
しかし、さっきからずっと前だけを見て歩き続けているこいつの返事はそっけないものだった。
「さぁ? 知らないけど」
昔からこの手の話題を振ると、毎回曖昧な、もしくはシャットアウトするかのような返事しか返ってこない。
この感じ……何か知っていて隠していそうな雰囲気はあるんだけどな……。
ユメクイの反応はともかくとしても、この件に関しては本当に神業だとしか思えない。
噂ではラストエデンは、オンラインゲームで言うところのサーバーやチャンネルのようなものが無数に存在するらしい。
そして各サーバーに集められているプレイヤーには理由があるのだとか。
基本的に噂で成り立つ世界なので定かではないが、各プレイヤーは必ずどこかで【繋がっている】という。
例としてはまず、現実に何かしらの問題を抱えるプレイヤーがいるとする。すると、その問題を解決する一因になりうる、かつ同様に問題を抱えているプレイヤーが同じサーバーにアカウント作成される。
そしてその新たなプレイヤーが抱えている問題を解決出来そうな、かつ問題を抱えているプレイヤーが――と、数珠繋ぎの方式でサーバーに配置されているのだとか。
しかしこれはあくまでも噂だし、確認のしようもないのでわからない。
ただ一つ言えるのは……モーハンさんは現実で多少付き合いのある一人の男性に容姿が少し似ているということだ。
そしてモーハンさんは今回のダンジョン攻略の代表者に、俺を指名してきた。
ダンジョン主は一つ目の報酬として謎のお告げをもらえるが、二つ目は攻略した者の情報を得られる。パーティーで挑んだ場合は代表者がその対象だ。
実年齢はわからないが、少なくともキャラクターはそこそこ若く、俺と同じ男だ。今回のパーティーには女性プレイヤーが三人いて、ましてやその内の一人であるコウムさんとは身体の関係があるほど。
だというのに俺を選んだのには何か理由があるのかもしれない。
そして極めつけはこの見慣れた景色によく似たダンジョン……。
「みなさん、止まってください……います」
唐突に緊迫した声が静かに響く。
今の今まで怖がっていたはずのミキが、装飾のついた一メートル程の白い杖を出現させて両手で構える。
どうやらモンスターが近づいているらしい。
「……ようやくお出ましか」