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肆―【生ける屍、苦楽大志】

「ありあっしゃー」


 日本最北の都道府県、北海道札幌市。

 その端の端の閑静な住宅街にある、寂れたコンビニ。


 暖房の効いた店内で弁当と清涼飲料水を入れたビニール袋を手渡し、会釈程度に頭を垂れて溜息に近い無気力な声を吐き出す。

 扉の開閉と共に聞き飽きた短い音楽が鳴り響き、店内に残っていた全ての客が消え失せた。

 粉雪の舞う氷点下近い外気が入り込んできたことで軽く身震いしながら静寂を確認すると、レジカウンターの内側に取り残された俺は再びスマホをいじり始める。


 コンビニ店員なんてこの程度で十分だ。

 今の挨拶も客は勝手に『ありがとうございました』へと脳内で変換してくれている。

 そもそもコンビニ店員と客の関係性に限らず、現代の人間関係は全てにおいてこの程度で十分だ。


 店員である俺は当然客になんて興味は無いが、客もまた俺のような若いバイトの言動に興味は無い。釣り銭を間違えず、極めて態度が悪くなければ何も言ったりはしない。

 客だけじゃない。このコンビニの店長やその他の店員に関しても、俺に興味なんてありはしない。

 苦情が来ない程度に真面目に働いていれば、何も細かく言ってくることは無い。

 だからこそ十七歳で学歴に高校在学中と書いている俺が、昼から夜までのシフトに頻繁に入っていても大して突っ込んだことを聞いてこない。


 たかだか時給八百円そこそこのバイトに過度な期待はしないし、客もそんなバイト風情にいちいち目くじらを立てたりはしない。

 時折出現するやたらやる気と責任感に満ち溢れているバイト(大抵はおじさんかおばさん)と、バイトの一挙手一投足に魔眼を光らせるクレーマー(これも経験ではおじさんかおばさんが多数)は、現代社会で生きることに向いていないと思うので、その労力と期待を来世に向かわせた方が賢明だと思う。

 とまぁこんな精神でコンビニバイトをしている自ら認めるクソ野郎の俺だが、少し前までは違った。


 まだバイトという社会の端役に責任感を持っていた時期も存在した。しかしそれは間違っていた。

 真面目に働きよく気付き動く。その印象がついてしまえば、バイトという格下で使い捨ての人材は地獄を見ることになる。

 コンビニであれば同時に働く人数が少ない分マシだが、多数の派遣バイトが送り込まれる囚人収容施設のような、何かのイベントスタッフや巨大な倉庫での作業になると本当に酷い。

 具体的には、手が空いている不真面目でクソの役にも立たないようなゴミクズ以下のバイト風給料泥棒は開始から一・二時間で諦められて放置され、なぜか真面目にせこせこと勤務している優等生バイトだった俺に仕事を振ってくるという展開が多々あった。


 当時まだ真面目だった俺は指示された以上の働きでそれをこなしてしまい、こいつは真面目に仕事をすると認知されてしまえばあとは地獄。

 使われ、更に使われ、使い古され、そしてボロを出すとこっぴどく叱られる。

 ついでにその現場が何度も通うようなものならば、体調を崩し一度当日欠勤しただけで責任がどうのとネチネチ叱られ、最後は壊れた部品のように切り捨ててすげ替えられる。

 全く疲れないようにただ存在しているだけの、電柱にも似たバイト風給料泥棒はいつまでも通い続けるというのに……。

 ならばいっそ初めから、適度に不真面目にやった方がいいと気付いたのだ。


「らっしゃーせー」


 だから俺は絶対に真面目には働かない。

 そして同時に、今の世の中に何かを期待しない。これはバイトだけに限った話じゃない。

 全ての未来に希望を持たない。俺は俺の人生に興味を持たない。

 たかが十七年の人生だが、その中で俺は色々と諦めてしまった。

 だからこそあの世界――【ラストエデン】への入場を許可され――。


苦楽(くらく)くんは今日もだらけ放題だね……というか、お客さんがいるのにスマホをいじるってのはどうなんだい?」


 レジカウンターに缶コーヒーとエナジードリンクを置いた客が話しかけてきた。

 苦楽(くらく)大志(たいし)。それは俺の名前だ。

 バイトとして今どき珍しく名札にフルネームがしっかり書いてあるので、どうやらこの人も俺の名前を覚えたらしい。

 まぁきっと心の中では笑ってるんだろうな。

『少年よ、大志を抱け』なんて言葉があるが、そんな大それた名前に対して俺の現状といえば……。


「苦楽くーん? おーい苦楽大志くーん」

「フルネームで呼ばないでください」


 スマホいじり継続は一種の挑戦だったが、いくら顔見知りで適度に話すようになった客とはいえ、流石に突っ込まれてしまった。

 しかしそれは咎めるような言い方ではなく、呆れているような諦めているような、苦笑と溜息交じりの言葉。


「まぁ流石に他の客は無理っすけど、社畜さん相手ならこれでもいいかなぁと」


 先日俺の口が滑ったせいで本人も知るところとなってしまったが、うちの店員の中でこの人は【社畜さん】と呼ばれている。

 見た感じは、恐らく三十代後半から四十歳そこそこ。ここに来るときは絶対にスーツ姿。買う物は決まって缶コーヒーとエナジードリンク。

 何の気なしにガラス張りの入口側から外へと視線を向ければ、既に日はとっぷり暮れていて、ついでに時計を確認すれば時刻は午後七時過ぎ。


 社畜さんがここに来る時は、決まってこれくらいの時間だ。そして絶対に同じものを買っていく。

 コーヒーとエナジードリンク……とてもじゃないが家に帰ってから飲む用だとは思えない。その内容も相まって、きっと残業前にここに一度来るのだろうと勝手に推測されている。

 2019年2月10日。今日は日曜日ではあるがこの時間にここに来たということは、社畜さんは日曜でも元気に働き残業までして社畜タイムを満喫するのだろう。


「まぁ確かに僕は構わないけど、裏には店長がいて一応監視カメラもあるっていうのに、その勤務態度が取れるのは素直に感心するよ」


 そういえば今日は店長もいたのをすっかり忘れていた……。

 監視カメラは……まぁどこのコンビニでも基本的に映像なんて真面目に見ていないし、過去の映像を確認するとしても何か問題が起きた時だけだ。

 あれはあくまでも犯罪に対する抑止力。今の客前スマホいじりがばれることはないだろうし、たとえばれて叱られたとしても、一回目なら謝っておしまいだ。

 大多数がその日その日の単発で送り込まれる囚人収容施設とは違い、長期勤務型のコンビニでは仮にも研修という手間を踏んでいる以上、この程度で即クビになることは無いだろう。というかなんなら店長も店長で割と適当なので、何も言われない可能性もありそうだ。


「ま、大丈夫っす。余裕余裕」

「……うん。感心するよ」

「褒め言葉として受け取っておきます。あ、タバコいります?」

「えっ? あぁ、よくわかったね」

「土日の夜に来た時だけは必ず買うって気付いたんで」


 社畜さん(本名は知らない)の愛タバコである《メビウス》を後ろの棚から取ってカウンターに置く。

 もうかれこれこの客との付き合いも半年以上。

 適当に勤務していても常連や一部の特殊な客に関しては、少しずつ情報が脳に刻まれていっている。


「勤務態度は不真面目なのに、そういうのはわざわざ覚えておくんだねぇ」


 しまった……根が真面目で優しくて良い子だからつい……。


「もう忘れました。忘れたんで、次からはちゃんと割り振ってある番号で言ってください。何のタバコ吸ってるか知りませんしタバコの名前とか言われてもわからないんでちゃんと番号で言ってください。いいですね? 常連だからって店員に銘柄覚えとけとか言っちゃう面倒臭さマックスな人は俺が殺します」

「あぁ、うん……いや、殺すは言い過ぎでしょ? まぁじゃあ、他に人がいる時はそうするね」


 社畜さんは珍しくいちバイトである俺に興味を持って話しかけてきた人で、俺が真面目に働く気が無いということも知っているので話が早くて助かる。

 大切なのは他の店員や客に対して、少しでも、ミジンコ程度でも仕事が出来るところを見せないのが目的。なので俺が一人の時はこのままでも構わない。

 俺は都合よく使われるのは嫌いだが、純粋に頼られることは嫌いじゃない。そして根っこの部分では、善意で誰かに何かをすることを嫌ってはいない。なのでタバコを一つ無言で出すくらいはどうということもない。

 ただしかれこれ半年以上……自然と始まった会話をする関係性のせいで、最近面倒なことも知られてしまった。


「ところで苦楽君。今日は高校には行ったのかい?」

「行ってるわけないじゃないっすか……ていうかどうせ今年度はもう行ったところで意味も無いですし」

「大学ならまだしも、高校なら少々出席日数が足りなくてもどうにかしてくれるんじゃないのかい?」

「無理っすよ。四月しかまともに行ってないのに、もう二月っすよ? どうにかなるレベル超えてるし」

「なら来年度は行くのかい? 一つ下の子達と同じ教室に通う気はあるのかい?」

「……それは」


 返事に詰まると同時に苦虫を噛み潰したような表情を露骨に向けてしまう。しかし社畜さんは一切動じず返事を待っている。


 俺は現在十七歳。高校の学年で言えば二年生だ。

 しかし二年になってからはたった一ヶ月しか登校していない。その理由は色々あるが、発端となったのは転勤族である両親との離別だろう。


 一昨年の九月。

 俺の父親が本社勤めになるだとかなんとかで、三年ほど住んだここ北海道から、海を渡り海が埋め立てられて出来た千葉県某所へと引っ越すことになった。

 その時すでに俺は高校一年生。よって千葉県の高校に編入するか、ここに残って一人暮らしをするかの選択を迫られることになった。


 ――その時、俺は選択を誤った。


 絶対に一人になるべきではなかった。

 両親という監視の目をつけておかなければならなかった。

 しかし俺はワンルームのアパートを借りて一人暮らしを選択した。


 その後は自由を手に入れたせいで、面倒だからと時折自主休校を決めて高校を休むようになった。

 最初こそ時折程度だったが、休むのに慣れ始めると何も気にすることなく朝方に寝て、昼前に起きて学校に欠席の連絡をするという適当さも身に付き始めた。


 更に慣れて悪化すると、夜通しパソコンを使ってネットを介したゲーム、通称ネトゲのMMORPGをプレイして、朝に欠席の連絡をしてそのままゲームを継続し、リアルの体力が尽きたら寝るという廃人に近い生活を送っていた時期まであった。

 当時、ゲームの中でちょっと親密っぽかった女性プレイヤー(多分リアルも)がいたのも原因の一つだったのかもしれない。

 ただ大前提として、中学の途中からは勉学その他含め学校というものがあまり好きではなかったので、結局はそれが一番の理由だったのだろう。

 そしてそこに更なる言い訳の理由が増えた。


 元々は一人暮らしをするにあたって両親が仕送りをしてくれていたのだが、生活に慣れ始めた頃、部活をしていなかった俺は生活費の大半をバイトで稼ぐように強制された。

 まぁこれは当然っちゃあ当然だ。俺は親が金を出してくれないからとキレたり駄々を捏ねるほど腐った根性はしていないと思っている。しかし問題はそこからの俺の行動。

 今でこそこうして適度に不真面目に勤務する事で楽にこなせているが、当初は真面目に働き過ぎて余計な疲労をしょいこむはめになっていた。

 そのせいもあって、ただでさえ休みがちな高校を更に休むようになる。


 そんな生活をしばらく続け、進級した二年度の四月を終え、ゴールデンウィークという公式の休み明けに俺はやってしまったのだ。

 高校入学から特に親しい友人も出来ず、部活やその他の楽しみが無く、勉学に関してはやる気が皆無だった俺は、五月病という名の怠惰も相まってついに完全な不登校へと成り下がった。

 そこから間もなく、まだ唯一続けていた趣味とも言えるネトゲもサービスが終了し、ついにバイト以外にやることが何一つなくなった俺は……ラストエデンにアカウントが作成された。


「行くのかい? もう一度二年生をやるのかい?」

「多分行きますよ……高校くらいは卒業しとかないと色々あれでしょうし」


 過去の自分を思い出して憂鬱になりながらも、どうにか前向きな言葉を絞り出す。

 すると苦笑と共に小さな溜息を吐き出した社畜さん。

 自分の半分程度しか生きていない俺の、浅はかで愚かな本音などお見通しなのだろう。


「学費は払ってもらえないんじゃなかったっけ?」

「まぁ自分で何とかしますよ」

「生活費の仕送りもストップしたんだよね? 今の最低限のシフトで払えるのかい?」


 本気で通うつもりならそろそろどうにかしなければならない金の問題を突っ込まれ、自然と視線を逸らしてしまう。実際、本当に通うつもりならこれは由々しき問題だ。

 ちょこちょこ学校を休むくらいなら学校側からもスルーされていたし、不登校に関しても適当に理由をでっち上げていたので問題なかった。

 しかし留年が確定ともなれば学費の問題もあるので当然それは親の耳にも入る。


 当たり前だが両親は激怒。

 中学から部活に入らず勉強もせず、何の目的を持たずにだらだらと過ごし、極めつけは受験勉強をせずに滑り止めとして受けた私立高校に入学するという、金銭面での迷惑もかけていた俺についに愛想がつきたらしく、生活費も学費も全てがストップしてしまった。

 端的に言えば見放されたのだ。

 まぁ大学の留年ならまだともかく、高校を留年するなんて普通は無いので当然と言えば当然だろう。理由も理由だしな。


 よって現在は家賃と生活費の最低限を稼げるように、そこそこ働くのフリーター状態。

 しかし本気で高校を卒業するつもりなら、もっとバイトを増やさなければ私立の学費なんてとうてい払えない。

 奨学金制度などもあるのかもしれないが、何一つとして調べていないので俺が使えるのかどうかも不明だ。


「高校って……」


 行かなければいけないのか。

 それを問いかけようとしたところで、扉が開き入店音が響き渡る。

 俺と社畜さんが揃って視線を向けた先には、身長150センチメートル程度の漆黒の姿。


「ひっ……」


 入店音が途切れると同時に微かに届いた小さな小さな女の子の声。

 袖を余らせ、裾は膝まで届きそうなダボダボの黒いパーカーに黒いスウェットのズボン。

 パーカーのフードを目深に被ったその中には、垂らされた長い前髪で八割近くが隠された顔。

 この客もまた、このコンビニの常連客だ。


 バイトをし始めた去年の五月時点ですぐに気付いた事だが、この奇妙な黒ずくめの常連客は極度の人見知りらしい。

 だから今の悲鳴は恐らく、俺と社畜さんの目が一斉に向いたことで怯んでしまったのだろう。


 他の情報としては、平日の日中に来ることがあるので、俺と同年代なら不登校だと思われる。

 ちなみにその時は必ずポケットに直に千円札を一枚入れてきて、弁当とジュース、もしくはジュースの代わりに安いコンビニスイーツを買って帰る。

 ここからは予想だが、恐らく特定の曜日は親が仕事でいないとかで、昼飯か晩飯かを千円内で買って食べるように言われているのではないかと思っている。

 あと、今日のように夜に来る場合は牛乳や調味料などといった物だけを買っていくので、多分おつかいだ。


「らっしゃーせー」


 店員モードに入り気の抜けた挨拶をして視線を逸らすと、視界の端でぺこっと小さなお辞儀をした少女。

 素性は知らないし顔をちゃんと見たこともないが、なんとなく年齢は俺とそう変わらない気がする。あと多分育ちのいい子だと思う。

 しかし普段通りの対応をする俺とは違い、社畜さんは店の奥へと小走りで進んでいく少女から視線を外さないまま見送り、再度こちらへと顔を戻す。


「前々から思ってたけど、あの子……ずいぶん奇妙な格好だよね……万引きとか大丈夫なのかい?」

「大丈夫っすよ。確かに怪しいっすけど、あの子は全身真っ黒がデフォなんで。まぁたまにグレーの時もありますけど。それに意外と礼儀正しそうだし……顔をちゃんと見たことは一回も無いっすけど」

「へぇ……最近の若い子はよくわかないね……。ところでさっきの続きだけど、実は僕にも君と同じくらいの娘がいて」

「――あの、仕事戻んなくていいんすか?」

「え? あ、あぁ、そうだね」


 再び高校の話に戻されるのは正直面倒だし、他に客が来たのならあまり長話もしていられない。

 特にあの黒ずくめ、通称【死神さん】は、他に人がいるとレジに並びすらしないので迷惑が掛かってしまう。


「じゃあまたね、苦楽君」

「またお越ししないことを心より願っておきます」


 一切頭を下げず、あえて目を細めて嫌そうに言うと、最後にもう一度苦笑してから退店していった社畜さん。

 次に来た時にはきっとまた高校の話を出されるのだろう。

 恐らく今度は初めからその話題になるはず。それを考えると気が重い……。


「……はぁ」


 思わず漏れ出てきた溜息。

 高校くらいは出ておいた方が良い――漠然とそんな思いがあるものの、果たして卒業したところで一体何になるのだろうか。

 履歴書に一つ学歴が増えるが、留年しているのはあっさりばれてしまう。それはむしろマイナスイメージにならないだろうか?

 そもそも俺は大学に行きたいと思っていないし、どこぞの正社員になりたいなんてこれっぽっちも思っていない。

 なんならこのまま一生バイト生活でもいいと考えているくらいだ。



 ――ただ……昔は違った。



 昔は色々、それこそ数え切れないほどの夢があった。

 幼稚園の頃、母の日に渡したカーネーションが喜ばれたのをきっかけに、花屋になりたいと思った。

 同じく誕生日ケーキを用意して喜んでもらえたことで、ケーキ屋になりたいと思ったこともある。

 随分とメルヘンな夢だが、かっこよく人々を助ける特撮ヒーローに憧れたことだってあった。


 小学校に上がると早い段階で特撮物は卒業して現実を見た。

 というより、特撮物の中の人に興味を持った。

 男性アイドルグループや俳優などにも憧れ、一時期は両親に無理を言って子役の養成所に所属していたこともある。

 これでも顔は少なくとも中の上程度の出来はあると自負しているが、それも所詮は自己評価。現実は厳しいなんてものじゃなかった。

 結果としてそれらの夢はオーディション段階でことごとく惨敗。得られたものをしいて挙げれば、現在もラストエデンでたまに使う少々の演技力といったところか。


 中学に入ってからは芸能界を諦めて普通に学生として生きる最中、唐突にスポーツ選手に憧れた。

 きっかけは漫画だった。しかしここでようやく気付いたのが、運動神経やその他うんぬんの前に、俺には何かをひたすらに続けるという根気というものが無かった。


 自分で言うのもなんだが、俺はやり始めれば大抵のことはそこそこ出来る。過大評価かもしれないが、どちらかといえば天才肌の気質だと思う。

 ただそれはあくまでもそこそこ出来るだけ。

 そしてそこそこ出来るからこそ調子に乗り、そして現実を思い知らされるのだ。


 何をやっても上には上がいる。

 天才肌だからといって、努力を積み重ねた本物の天才には敵わない。

 そしていくら努力をしたところで、頂点に立つ為の道のりは恐ろしく険しい。

 一生を懸けても叶うかどうかわからない。道中には楽しさよりも苦しさの方が遥かに多い。

 俺はその第一歩を踏み出せなかった。


 漫画の題材にではなく、漫画を書くこと自体に憧れたこともあった。

 絵が描けないから小説を書くという愚行に走ったこともあった。

 歌手に憧れてギターを弾いてみたりもした。

 しかし何をしても結果は同じ。

 結局夢を叶えられる奴はそもそもの根本からして違うのだ。


 始める勇気。

 取り組むやる気。

 続ける根気。

 それら全てが俺には足りていなかった。

 そして現代社会において必須の、とりわけ俺が抱いてきた夢の数々には必要不可欠な一つの要素。


 ――【勝利への渇望】が圧倒的に足りていなかった。


 芸能界もスポーツ選手も漫画家も小説家も、突き詰めれば一般的なサラリーマンになることや生きる事そのものさえ、現代社会では誰かとの勝負だ。

 ただ、俺にはどうもその執着や闘志といった部分が欠落しているらしい。


 ――いや、違う。


 正確には違う。言葉にしたくないだけでわかっている。

 多分、俺は本来どちらかといえば負けず嫌いだ。



 だから俺はきっと――怖かったんだ。



 一生を懸けて打ち込んだその先で、無様に絶望するのが怖かった。

 負けたくないと躍起になり、最後に負けて嘲笑われるのが怖かった。

 叶うと信じて突き進み、結果叶わなければそれまでの時間はもう返ってこない。

 それらを考えると、打ち込んでいいのかと怖くなり選べなかった。


 だから俺は負けず嫌いから、負けない()きになった。

 何もしなければ勝敗は無い。

 この世の中でどう生きようと、勝負を挑まない限りは決して負けない。

 そんな思考の変化から、俺は一切の夢を持たなくなった。


 中学までに抱いた高みに過ぎる夢はもちろん、それは勉学とその後の未来にも影響をもたらした。

 受験勉強は一切せず、滑り止めとして受けた私立になし崩し的に入学。

 しかし進学はしてみたものの、今の自分が選べる大学にも職業にも一切の興味が持てない。

 真剣に取り組みたい何かが無い。取り組む気も無い。

 人生を、命を賭してまで叶えたい夢が無い。今となっては探す気も無い。

 そうなってしまった俺はただただ怠惰を貫く、自他ともに認めるクズへと落ちぶれた。


 あぁ……自分でもわかっている。

 これはただのクソガキのわがままだ。

 世界にはそれらに目を瞑り、あるいは目を背けて生きる人間が溢れている。


 夢見た未来を諦めて。

 求めた願いを踏みつけられ。

 心を切り崩しながら何度も何度も負け続けて。

 そうして辿り着いた空虚な場所で、それでも必死に今を生きている。

 きっと……世界はそんな人々で溢れかえっている。



 ――でも……もうどうでもよくなってしまった。



 俺はそんな人達の足元にも及ばない、寿命をただ消費するだけの無意味な存在。

 前進も後退も一切の動きが無い、誰にも必要とされない無価値な存在。

 ただ生きる為だけに生きている――【生ける屍】。


 それが今の俺、苦楽大志という死者(人間)だ。

 もしもラストエデンにおけるアカウント作成条件が、精神的に死にたくなるほど追い詰められている状態だというのなら、俺はある意味、既に死んでいるも同義だからこそ条件を満たしたのかもしれない。


「ぁ…………ぁの……」

「……え? あ、すみません」

「ぃ……ぃぇ」


 ふと気付けばいつの間にレジ前に来ていたのか、真っ黒い服を着た少女が目の前にいた。

 これだけ異様な姿だというのに少し物思いに耽っていただけで気付けないとは、存在感の無さも異様なんじゃないのか?

 そう思って少し眺めてしまっていると、フードの中からほんの少しだけ覗く唇が弧を描いた。


「……ぇへ」

「――っ!?」


 ――笑っ……た?


 微かに聞こえてきたやや不気味な高い音に、思わず全身が総毛立つ。

 言葉を発することすら稀な死神さんが笑った。なんで……呪い?

 これは今日の夜に悪夢でも見るのではないだろうか――ってそれは無いか。


「――ありあっしゃー」


 希望に満ち溢れた夢であろうと、叶わなければそれは悪夢と同義。

 しかし俺が悪夢を見るのは現実だけだ。


 俺はここ最近、正確に言えば不登校になった五月頃から、一度も普通の夢を見ていない。

 しかし矛盾するようだが毎日夢を見ている。



 だから……残りの勤務時間は適当に流して、さっさと帰って風呂入って寝るか……。

 生ける屍の今の俺は――あの世界でだけ夢を見られるのだから。

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