弎―【アカウント作成条件】
「あ、あの……さっき酒場で初心者講習するって言ってましたよね?」
俺がNPCの存在理由に頭を奪われていると、背後からくいくいと裾を引かれた。
あぁ……そうだった。
まずはこの子を安心させるのが先だな。
「宿屋と酒場のNPCは呼び込みとかはしないから大丈夫だ。基本的に喋るのはプレイヤーが使う時の応対の時だけだし、他のNPCよりはかなり人間に近い。まぁセリフのバリエーションは無いんだけど、あの八百屋みたいな気味の悪さは無い。例えるなら……スマホ会社のお出迎えロボットみたいな感じだな」
「……な、なるほど……それは何よりです」
話ながらも八百屋から離れる為に歩き続ける。
ひたすら同じ言葉を繰り返していた声が小さくなり、やがて完全に聞こえなくなると少女はようやく俺の服の裾を離してくれた。
その後は予定通り酒場に入り、席に着いてからは一応形式上二人分の謎の果実飲料を頼んだ。
NPCの対応を恐れてか硬直していた少女だったが、酒場にはNPCだけではなく俺たちと同じプレイヤーもちらほらいたので、今度はそれほど恐怖を感じなかったらしい。
そしてようやく本題……かと思いきや、少女が真っ先に気になったのは別のことだった。
「あの、夢の中ってことは、ここでならいくら食べても太りませんか?」
NPCの店員が持ってきた木製のカップの中を見つめながらの一言。
なるほどな……女子はその辺りも気になるのか。
ただ、残念なお知らせをしなくてはならない。
「あー……太りはしないし全部タダだけど、味もしないぞ? なんせ夢の中だからな。痛みが無いのと同じように、味覚も無いに等しい。一応うっすらは感じられるけど、まぁあんまり美味くないな。他にも色々と現実より感覚が鈍ってる」
「どれどれ試しに……ぅぇ……中途半端に味があって気持ち悪いですぅ……」
ラストエデンは夢なので、あらゆる感覚が無いに等しい。
声は発せられるし音も聞こえる。味だって微かに感じられる。しかしこれらは実際に口や耳で感じ取っているのではなく、脳が覚えている機能を再現しているだけだろうと考えられている。
まぁ考えられているなんて言い方をしたが、偉い学者さんが研究をしたわけではなく、ラストエデンにログインしたプレイヤーが勝手に考察しただけなんだけど……それでもあながち間違いではないと思う。
夢は脳で見るものなのだから、全てを脳だけで処理するのが当然だろう。
実際、地に足を付けて動いたり、手のひらで武器を掴んだりは出来るが、手足の触覚はほとんど無い。ついでに言えば無意識にやってしまうものだが、本来は呼吸する必要も無い。
移動時の振動はうーっすら感じられるだけだし、どれだけ強く武器を握ろうと手のひらにはじわーっと何かがあるという感覚が存在するだけ。一切呼吸をせずに喋り続けることだって意識すれば可能。
全てにおいて現実よりも希薄な感覚。
例外を挙げるならプレイヤーのスキルやモンスターの攻撃などに限り、より鮮明な感覚を得られることもあるが……いずれにせよ一ヶ月ほどログインしていればその辺りは全て慣れてくる。
「あの……一ついいですか?」
そこまで説明すると、一度俯いてから少女がおずおずと顔を上げた。
それはさっきの八百屋に怯える表情よりも遥かに神妙な面持ち。
発された声も戦々恐々としている。
その様子に俺も思わず声を潜めてしまった。
「どうした……やっぱり色々と気味が悪いか?」
「いえ、そうではなく……感覚が無いっていうのはつまり、その……」
「なんだ? 言ってみろ」
「ヤっても気持ちよく」
「よし次の説明だ」
「ぶぅー……先輩はノリが悪いですねぇ」
悪くて結構。
この子が現実でどれだけエロに寛大、もしくは股が緩いのかは知らないが、あいにく俺は初対面の同年代女子と下ネタトークを軽々展開できるようなコミュニケーションスキル、及び異性耐性は持ち合わせてないんでな……って……。
「『先輩』ってなんだよ」
「ラストエデンに先にいた人ですから、先輩です」
「いや、それは俺だけじゃないだろ? そんなこと言ったらお前……っと、悪い。えーっと……なんて呼べばいい?」
「あ、そういえば名乗ってませんでしたね。べつにお前呼びでも構いませんけど、せっかくなので自己紹介を」
「待て、本名を言うなよ? 理由はまた後で話すけど、とりあえず適当にキャラクターネーム名乗っとけ」
「ふむふむ……じゃあ、ミキです。よろしくお願いしますっ」
いや、それってもしかして普通に本名じゃねぇの? まぁいいか。
「クラークだ。今日だけだろうけどよろしく」
「クラーク……――って今日だけですか!? こんなシチュエーションで今日だけしか面倒見てくれないとか鬼ですか! 悪魔ですか! このいくじなし!」
「いや最後のおかしいだろ。なんでそうなるんだよ」
「ふんっ。目の前のか弱く可憐な可愛らしい女の子一人犯せないなんていくじなしに決まってます」
「自己評価の高さはともかく、ついにはっきり犯すって言いやがったな……まぁお前が本物ならやったかもしれないけどな。もちろん合意の上でだけど」
「あ、そっか……そういえばこの見た目って全部作りものでしたっけ」
そう、ラストエデンでの容姿はありとあらゆる部分が全て作りものだ。
初回ログインで勝手に作成されたキャラクター――例えば俺なら現実より5センチほど高い身長180センチ、現実よりも少し筋肉質で引き締まった身体、脚はすらっと長く、顔はシュッとしたイケメン。
更に髪は現実とは大違いで、襟足は首の辺りから背中の上の方まで達する長さの一つ結びを作っている。しかも現実の黒髪とは違い、暗い赤、臙脂色だ。
唯一現実と同じなのは瞳が黒いことくらいか。
同様に服も現実では着たことはおろか見たことすらない、外套というらしいマントかローブに似たカーキ色の旅人風のもの。これでターバンでも巻けば砂漠に似合いそうな風貌だ。
そしてこれらの外見、顔や体格はもちろん、服ですらもこの世界では一切変更できない。
世界というかシステムというか、初回ログイン時に勝手に決められて以降ずっとそのままだ。
一説によれば、これは初回ログイン時にプレイヤーが思い描いていた、ファンタジー世界での理想の姿なのだとか。だから目の前の少女も、今の姿が現実と同じ可能性は極めて低い。
いや……それどころか女性の場合は年齢も危ういと聞く。
男ならおっさんもそれなりにいるが、おばさんはほぼ見たことが無い。大抵は歳を偽って若い姿でログインしているらしい。
「ところで突然だけど……ミキは歳いくつ?」
「永遠の十五歳ですっ♪」
怪しさが一気に増加した……。
十五歳があそこまで露骨な下ネタぶっ放すか? あと永遠とか言ってるのが超怪しい。
極めつけは今やっているポーズ。
親指と人差し指と小指を立てた右手を顔の横に持ってきつつ、バチンっとウインクを飛ばしてきたが……なんか無理してる感がないか?
「ていうか先輩? 女の子に歳を聞くなんてタブーですよ?」
「その割にはノリノリで答えたけどな」
「そりゃあだってわたし、隠すほど歳取ってませんからっ」
その若いですアピールが更に怪しさを醸し出すんだよなぁ……まぁこんな事情もあって、仮にミキが合意したとしても軽々しくいたす気にはなれない。
というか大前提として、ここでは現実と性別が同じかどうかも定かじゃない。
……って、今は事をいたせない説明じゃなくて、ラストエデンの説明の時間だったな。
とりあえずまず何から話すべきか……やっぱりラストエデンの存在意義からかな。
「それで、結局ここってなんなんですか? 何のためにあるんです?」
「ちょうど俺もそれを話そうと思ってた。ラストエデンの存在意義は……一言で言えば現実の自分を助けるためにある」
「……ちょっと何言ってるかわからないです」
「だろうな。これは具体的に答える必要は無いんだけど、ミキは現実で身体的に、もしくは精神的に疲れてたりしないか?」
「…………先輩はわたしの服を脱がすよりも先に、心を丸裸にしたいんですか?」
「先にも何も、服も心も脱がす気は無い。そうじゃなくて……それがラストエデンにログインする為の資格なんだよ」
「資格? 免許みたいなやつですか?」
人差し指を頬に当てながらこてんと首を傾げるミキ。
おっと……資格の意味がわかってなかったりする? となるとマジでお子様……いや、んなわけないか。
きっと今のは演出だろう。ちょっと仕草が可愛いとか思っちゃったけど今はスルー安定。
「免許って言うよりかは、遊園地の乗り物の身長制限に近いな」
「と、言いますと?」
「夢の世界だから当然、眠らなければここにはログインできない。これはレム睡眠でもノンレム睡眠でも関係無い。なんならさっきも言ったように、睡眠じゃなくて気絶でもログインできる。ただ、これは誰でも同じように出来るわけじゃない」
「なるほど……それが身体的に、または精神的にお疲れの人しかダメなんですね?」
「正解。だから一応、思い当たる節はあるかって聞いたんだ」
「そういうことなら……まぁ……ありますね」
ならばミキはそれによって、ラストエデンにおいて【アカウント作成】と呼ばれる初回ログインを果たしたということらしい。
割とあっさり白状したが、それは単に二択だから答えやすかっただけで、恐らくはそれなりに疲弊している状態のはずだ。
なにせこの【アカウント作成】の条件は、そう簡単に満たせるものではないらしいからな。
「ちなみに身体と精神、どっちが重症だ?」
「……精神です。いやん、恥ずかしいっ」
茶化してはいるが、まぁ本当に重症なんだろう。
【アカウント作成】の条件達成はかなり厳しいらしく、たとえば高校の運動部の練習で毎日くたくたになって眠っているからといって達成したりはしない。そもそもこの条件の達成において重要視されるのは、身体よりも精神の比重が大きいらしい。
しかし先の例に加えて、負けられない試合が控えていて緊張状態が続いている、なんて程度ではこれまた達成されない。
先の例でいけば更にそこに、ミスをすれば暴力や罵声を浴びせ掛けられたり、先輩や顧問からパワハラやいじめ等を日常的に受け続け、精神的に死にたくなるほど追い詰められている場合にのみ【アカウント作成】が行われるという。
――簡単に言えばギリギリの状態だ。
ただこれらはラストエデンにおいてログイン歴の長い人物や一部の情報通が流したものなので、真偽の程は定かではない。
……が、俺がこれまでに見てきた分と照らし合わせても、この条件は正しいと思っている。
ちなみに【アカウント作成】の条件は厳しいが、一度ログインを果たしてしまえば、その後はそれほど疲弊していない日でも一日一回必ずログインが出来るらしい。
まぁそれはつまり、最初の問題が解決されない限りこの世界に囚われ続けるとも言えるんだけどな。
「あの……一ついいですか?」
「下ネタ以外でな」
「い、言いません! 下ネタなんか言いません!!」
何故か急に顔を真っ赤にしながら机をバンっと叩き立ち上がるミキ。
いや、お前さっきまでばんばん言ってたじゃん。
「そうではなく……」
座り直すと、先程の繰り返しにも思える神妙な面持ちと潜められた声。
今度は何を言うつもりなのか……。
「先輩も……ギリギリの状態なんですか?」
前置きが無かったら勝手に下ネタだと解釈していたかもしれないが、まぁこの話の流れからすれば【アカウント作成】の話だろう。
普通、今の流れからすればラストエデンのプレイヤー全てがそうだと思うのが当然だ。
でも……
「さぁ、どうだろうな?」
「むぅ、急にいじわるですぅ」
仕方ないだろう……こればっかりは迂闊に言えない。
ここでは明るく振舞っていても、現実では何かしらの問題を抱えている誰か。
そんな相手を目の前にして……言えるわけがない。
――全く疲弊していないなんて。