第七話 戦い、森にて4
偉大なる光とは、光魔法の中でも上級の部類のものだ。
光魔法という響きとは裏腹に、本当に光を放出する以外の能力はない。浄化の力とかがありそうなものだけれど、そういうのは全部聖魔法の分野だ。
周波数によっては敵の身体を破壊することもできるらしいが、私が出したのは目に見える光。ハイビームを多方向に放射したようなもので、人間にとっては、最悪でも目が潰れるだけのものだ。
もう一枚あった無詠唱の札を使って、私が放てる最大威力の光をお見舞いしてやったのである。
札を使っても反魔法される可能性はあったが、吸血鬼の意識は完全に私から逸れていた。ちなみにこれで総計六ヶ月の給金が吹っ飛んだ……失敗したら泣く。
術者である私にも、容赦無く白色の光線がそそぐ。目はつむっていたものの、それでも酷くちかちかした。
でもこれは相当に効くはずだ。
おそらくこの吸血鬼は、光が極度に苦手。
魔族も人間と同じように、同種のなかでも個体差がある。
そして、この吸血鬼の王の弱点は光だと私は見る。この日差しで、元よりかなり弱体化しているのだろう。でなければ、吸血鬼の王を相手に、私ごときが森の中へ逃げ去ることなどできなかったはず。
「悪天候」と今日の天気を言い切ったのは、本心だったのだ。
それに、私の光を反魔法したのも、おかしなことだった。
反魔法を使うにはかなりその魔術の構図を把握していなければならない。こんな矮小な術を打ち消すには、それこそ初級レベルの風魔法でも闇魔法でも事足りる。
実際、王子が繰り出した他の呪文に対しては反魔法など使っていなかった。
だったら、結論はひとつ。
あと数秒遅れていれば空まで打ちあがっていた状況で反魔法を使ったのは――単純に慣れの問題だったのだ。
弱点である光魔術をいままですべて反魔法で消してきたから、ついつい初級呪文を相手にもそうしてしまった。
それさえ分かっていれば、あとはどうやって光をお見舞いするか。
完全無効でも、閃光を呼び出すだけの魔術を無効にすることはできない。さきほどだって、炎自体を消したわけではなかった。ただ火炎系魔術の『敵を燃やす』という性能が発揮されず、なおかつ不死者の吸血鬼であったために周囲が炎に巻かれても大丈夫だっただけ。
つまり、光を呼び出す魔術の無効化はできないということ。
だが相手だって、そんなこと百も承知で警戒しているはず。
となれば、無詠唱の札を使ったとしても、あの神速の反魔法で打ち消されるかもしれない。あるいは、間に合わなかったとしても転移で逃げられる可能性が高い。
『女の方は魔術を使わない』と思い込ませる以外に、万が一でも私が勝てる見込みはないのだ。
三度もかければ動けなくなること必須の身体強化を使って、わざわざ残り時間は二百秒と宣言した。しかも、私よりもはるかに魔術に長けたものが後ろにいる。
『二百秒の間、私は魔術を使わない』
誰であれ、そう油断することは自明の理だ。
私がいかに優れた攻撃力を持っていても、それが人間が一度たりとも討ち果たせなかった吸血鬼の王に勝ると考えたことはない。初めからこの一手に全てを賭けるつもりだった。
「ぐぅっ……!」
肌と目を光に焼かれ、苦悶の声を吸血鬼があげる。
――今しかない。
こちらも目がやられたが、気配でどこにいるかくらいはわかる。
うずくまっている吸血鬼を蹴り上げると、十発、二十発と連続で殴っていく。相当に優れた魔法障壁を張っているようだったが、この圧倒的な攻撃力の前では意味を為さない。骨を砕く確かな感触を感じながら、絶え間なく攻撃を加えていく。
「これで、最後だッ!」
効果時間の切れる寸前、私は持ちうる最大の力を込めて殴った。
後ろに弾き飛ばされた吸血鬼の体は、背後の木を折りながら、十数メートル先までぶっ飛んでいく。ぐしゃぐしゃになったその体は、疑いようもなく絶命していた。
「はあッ……」
ほとんどの筋肉が停止し、完全に制御の効かなくなった体が倒れる。
体が地面につくよりも前に、走り寄ってきた王子が支えてくれた。
「どう、ですッ……これがカスピアン辺境伯の、選んだ……」
「――喋るな。痛むだろう」
有無を言わせない、けれど優しい声だった。
私を見下ろす恐ろしいまでに端正な顔立ちも、声と同じように柔らかく綻んでいる。
「優れた判断力だ。敬服するほかない」
一国の王子からお褒めの言葉を賜り、嬉しさのあまり顔がにやけそうになる。自分でもよくやったと思っていた。
――だが遠くで鳴った奇怪な音に、すぐに顔が強張る。
どうにか首を動かしてそちらを見る。
目に入ったのは、肌から水蒸気のようなものを激しく吹きあげるとともに、尋常ではない勢いで回復していく吸血鬼の体だった。
紅の眼光はいっそう力を帯び、口から伸びる牙は化物と呼ぶにふさわしい。腕や首の肌は鋼鉄の鱗で覆われ、一目見ただけでどのような刃も通じないことは明白だ。
その美貌を保ったまま、吸血鬼は完全に人間の皮を脱ぎ捨てたのだ。
――嘘だろ、第二形態とか聞いていない! 反則だ!
『敗北』の二文字が脳裏に浮かんだとき――まったく予期していたなかったことが起きた。
宙から、光の柱が七本降りてきたのだ。
吸血鬼を囲うように天から伸びる光は、私には想像もつかない途方もない力によって造られたものに違いない。
光の中から無数の輝く鎖が伸びると、円のようになって吸血鬼の王を囲う。
「そうか。貴様は……そういうことか」
奈落の底から響いてくるような吸血鬼の声。
「ああ。逃げるのなら、止めはしない」
返事をしたのはヴィンセント王子だった。
次の瞬間、パァンッと弾けるような音と共に鎖は解けた。
そして吸血鬼の背後に、空間を割いてできたような闇が生まれる。信じられないことに、この吸血鬼の王は撤退を選んだのだ。
背後に大口を開けた闇に足を踏み入れる直前、吸血鬼は振り返ると美しい笑みを浮かべた。
「また会おう……異界の女と、アイゲルの民の王子よ」
吸血鬼はとんでもないことを言いながら、闇の中へと消えた。
――やばい!
王子であることは国家機密。私がそんなことを知ったら、間違いなく記憶を消される!
「……君」
確認するように王子は私を見た。
朦朧としていて聞こえていなかったふりに徹して、私は『気絶しました』という体で目を閉じた。
しかし狸寝入りはそう長くは続かなかった。
限界まで酷使された体だ。こうして王子の腕に身を預け目を閉ざしているだけで、すぐに私はほんとうに意識を落としてしまった。